江馬直の創作奮闘記

やっとこさ無職ではなくなった創作家、
江馬直の日常を綴るブログです。

訃報相次ぐ。

2017-06-30 00:58:34 | 日記
今、「知人」が、死に瀕している。

年齢は六十代半ば、女性である。

知り合ってほぼ十年になるだろうか。

数日前にそれを聞かされて以来、実はやや呆然としている。


この「知人」は、居酒屋のおかみさんである。

私は飲み歩く癖がないので、彼女の店にはただの一度も行ったことがない。

単なる「ご近所さん」というだけのはずなのだが、何故だかよく話し込んだ。

不思議な関係性であった。


先週不意に倒れて、人事不省なのだという。

長くないらしい。

店は畳むしかないのだろう。

あと十年は続けると口にしていたのに、なんともあっけない幕切れであった。


最近、近辺で訃報が相次いでいる。

先月は、幼少期大変世話になった老小児科医が大往生した。

今月頭には、大叔母が急逝した。

平凡すぎる言い草であろうが、もう続かないでほしい。


死が続くと、ついつい考え込んでしまう。

死の先には何があるのか、と。

そんなものはないのだろうと思っている。

だからこそなおさら、私は死ぬことに恐怖しか覚えない。


死を超える恐怖を見出し得ないのである。

それとも、他に何かあるのだろうか。

こういうことを考え始めると眠れなくなるくせに、それでも考え続けてしまう。

実に厄介な生き物である。


ただ願うらくは、私が好もしく思った人々には、出来るだけ健やかで豊かなる生が与えられんことを。
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あの痛みは忘れたって消えやしない。

2017-06-26 00:46:23 | 昨日でも明日でもない人へ
お別れしたのはもっと 前の事だったような
悲しい光は封じ込めて 踵すり減らしたんだ

君といた時は見えた 今は見えなくなった
透明な彗星をぼんやりと でもそれだけ探している

しょっちゅう唄を歌ったよ その時だけのメロディーを
寂しくなんかなかったよ ちゃんと寂しくなれたから

いつまでどこまでなんて 正常か異常かなんて
考える暇もない程 歩くのは大変だ
楽しい方がずっといいよ ごまかして笑っていくよ
大丈夫だ あの痛みは 忘れたって消えやしない

理想で作った道を 現実が塗り替えていくよ
思い出はその軌跡の上で 輝きになって残っている

お別れしたのは何で 何のためだったんだろうな
悲しい光が僕の影を 前に長く伸ばしている

時々熱が出るよ 時間がある時眠るよ
夢だと解るその中で 君と会ってからまた行こう

晴天とはほど遠い 終わらない暗闇にも
星を思い浮かべたなら すぐ銀河の中だ
あまり泣かなくなっても 靴を新しくしても
大丈夫だ あの痛みは 忘れたって消えやしない

伝えたかった事が きっとあったんだろうな
恐らくありきたりなんだろうけど こんなにも

お別れした事は 出会った事と繋がっている
あの透明な彗星は 透明だから無くならない

○×△どれかなんて 皆と比べてどうかなんて
確かめる間も無い程 生きるのは最高だ
あまり泣かなくなっても ごまかして笑っていくよ
大丈夫だ あの痛みは 忘れたって消えやしない

大丈夫だ この光の始まりには 君がいる

「ray」(作詞:藤原 基央)
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他者を理解するということ。

2017-06-26 00:39:34 | 日記
 私は、基本的には醒めた人間であるはずだ。率直に言って、他者にそこまで興味がない。ここでいう他者には、血縁者や親しい人々も含まれる。人間関係などというものは、基本的には自己と他者しか存在しない。身内だの親友だの言ったところで、所詮は他者であるに過ぎない、という諦念のようなものが、私の心魂にはまとわりついている。
 かように醒めた人間であるはずの私が、時折「特定の他者」の人生にめったやたらと関わってしまう、ということがある。そうした時、私は柄でもなくその「特定の他者」を理解しようとする。本当にそんなことが可能なのかどうかも判らないまま、理解したいと考える。それは全く無意味な行為なのかもしれないし、あるいは多少の意味を持つのかもしれない。
 「特定の他者」との関わり合いを深める際、私はいつも恐怖する。土足で他者の精神世界を踏み荒らしてしまっているのではないか、との危惧が拭い去れないからである。だったら、関わり合いになどならなければいいようなものだが、どうしても手を出してしまう。それは愚かしい行為なのだろうか。自問自答は終わらない。
 この自問自答は終わりがない代わりに、思索が深まるという美点がある。もっとも、深まったからといって結論が出るとは限らない。むしろ、袋小路に迷い込んで戻って来られないかもしれない。それでも、その袋小路で迷い続けることに意味がないとも思わない。
 どうして他者と関わろうとするのだろう。そんなことに意味があるとも思えないのに。義務感? そんなまっとうなものを身につけていたことはただの一度もない。同情心? この世でもっとも軽蔑している感情を、こんなときに抱くとも思えない。自己顕示? だったらもっと良い相手とシチュエーションを選ぶことだろう。
 ひとつ確実に言えるのは、その行為が必要だと思うから私はそうするのだ、ということである。そこに打算や損得勘定、利害関係などは存在しない。もっと計算してもいいはずなのに、それだけがすっぽりと抜け落ちてしまう。不思議なものである。
 今後も、私は今取っている行動自体を後悔しないだろうし、止めることもないだろう。「面倒臭えなあ」と悪態を吐きながらも、ちょっかいをかけ続けるのだろう。そして暮夜密かに自らの言動を振り返って、「あれでよかったのだろうか?」と問い続けるだろう。そうして瞼を閉じるだろう。明日はどんな言葉を投げかけようかと夢想しながら。
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『映像の世紀プレミアム』を貪り観る。(その5)

2017-06-25 10:18:36 | 『映像の世紀』を貪り観る
第五集「グレートファミリー 巨大財閥の100年」(BSプレミアム)、やっとこさ視聴。


原型となった『新・映像の世紀』第二集「グレートファミリー 新たな支配者」の出来が良かったためか、九十分間退屈することはなかった。

『新・映像の世紀』版は「世界恐慌」前後が中心だったが、本作は「戦後」にも多く尺を割いており(旧版『映像の世紀』からの引用)、なかなか見ごたえがあったように思う(特にロスチャイルド家のくだり)。

……のだが、正直新味はなかったかなあ。

書くことは……ないなあ。


第六集はあるのかな?
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「鏡の中の人」に好いてもらいなよ。

2017-06-25 02:19:32 | 昨日でも明日でもない人へ
約束が欲しかったんだ 希望の約束が
そのためなら 全てを賭けられる様な

それがある誰かさんは ぎりぎりで大変なんだって
それがないからといって そんな風に見ないで

一日中何してたんだっけ イライラしたのは何故だっけ
受け入れたような顔をして 欲張っているんだろうな きっと

きっと 何度でもなんて無理なんだ 変われるのは一度だけ
鏡の中の人に 好きになってもらえるように
笑ってもらえなくてもいい 笑えるようになれたらいい
嫌いな自分と一緒に 世界まで嫌わないように

どうでもいいという言葉 どうにも主張しがち
傷付けたいのかもしれない 仲間探しかもしれない

何もない誰かさんが 何かを見つけたんだって
くだらないって誤魔化した その時間がくだらない

動こうとしない理由並べて 誰に伝えたらどうなるの
周りと比べてどのじゃない 解ってるんだ そんな事は

どれだけ傷付いたって 誰にも関係ない事
鏡の中の人とだけ 二人で持っていける
何でちゃんとお腹が減るの 何のために息が続くの
明日もきっと生きているよ 誰にも関係ないままで

約束が欲しかったんだ 希望の約束が
それがないという事に 甘えていただけ

大声で泣き出したいよ 慣れてなくてうまく出来ないよ
嫌いな世界と一緒に 自分まで嫌わないように
何度でもなんて無理なんだ 変われるのは一度だけ
鏡の中の人と 交わした希望の約束

変わらないままの人と 鏡の前で向き合えるように

そう変わるんだ 一度だけ変わるんだ

そう変わるんだ

「ラストワン」(作詞:藤原 基央)
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