江馬直の創作奮闘記

やっとこさ無職ではなくなった創作家、
江馬直の日常を綴るブログです。

ムスリムの「なまえ」について。

2015-10-27 22:17:28 | 『ダール・アル=イスラーム』
 「イスラーム史」がとっつきにくいと思われてしまう要因のひとつに、ムスリムの「なまえ」が覚えにくい、というものがあるような気がします(あくまでも私見です。それが要因のひとつではないのかもしれません)。
 例えば、ここ数日引っ張っている著名人、<イブン・バットゥータ>。<イブン・バットゥータ>という「なまえ」は、あくまでも「通称(ラカブ。後述)」でして、正式の「なまえ」は、「(シャムス・ウッディーン・)アブー・アブド・アッラー・ムハンマド・ブン・アブド・アッラー・ブン・ムハンマド・ブン・イブラーヒーム・ブン・ムハンマド・ブン・イブラーヒーム・ブン・ユースフ・アッラワーティー・アッタンジー(・ブン・バットゥータ)」となります(実際にここまで仰々しく名乗る機会は少なかったとは思いますが)。ですが、説明なしでこれを列記されても、非ムスリムにはチンプンカンプンでしょうから、ちょっと解説を試みてみようと思います。

 多くのムスリムは、以下のような名乗りを持ちました(現在はやや異なりますので要注意。特にイランとトルコでは大分変化しました。あくまでも歴史世界のムスリムの話だとご理解ください)。

(「宗教的ラカブ(尊称)」+)「クンヤ(添え名)」+「イスム(本名)」+「ナサブ(父祖名)」+「ニスバ(部族名)」(+「ラカブ(通称・あだ名)」)

これでも、何のことやらさっぱり、ということになりますので、これを<イブン・バットゥータ>で応用させてみましょう(ちなみに、「アブー」は父親、「ブン(=イブン)」は「息子」の意)。

シャムス・ウッディーン(宗教的ラカブ 尊称)
アブー・アブド・アッラー(クンヤ 添え名)
ムハンマド(イスム 本名)
ブン・アブド・アッラー(ナサブ 父の名)
ブン・ムハンマド(ナサブ 祖父の名)
ブン・イブラーヒーム(ナサブ 曾祖父の名)
ブン・ムハンマド(ナサブ 高祖父の名)
ブン・イブラーヒーム(ナサブ 五世祖の名)
ブン・ユースフ(ナサブ 六世祖の名)
アッラワーティー・アッタンジー(ニスバ 部族名+出身地)
ブン・バットゥータ(ラカブ 通称・あだ名)


 品詞分解みたいになってしまいましたが(苦笑)、お判りになったでしょうか? つまり、<イブン・バットゥータ>の「イスム(本名。ファーストネーム、諱に相当)」は、「ムハンマド」ということになります。ですが、「ムハンマド」と名乗るムスリムはとにかく大量に存在しますから、区別しなくてはなりません。そこで、父の名を「クンヤ(添え名)」として、自分の本名の前に添えます(なお、「クンヤ」には必ず父の名を使わなければならない、という訳ではありません)。「アブド・アッラーを父にもつムハンマド」という訳です。ところが、父の名が「アブド・アッラー」な「ムハンマド」も大量に存在します(「アブド・アッラー」も「ムハンマド」もそれぐらいありふれた名です)ので、この後ろに「ナサブ(代々の父祖の名)を並べていくわけです。(<イブン・バットゥータ>の場合、「クンヤ」とは別に、「ナサブ」として父の名をもう一度名乗らなければならないので、「イスム」である「ムハンマド」は父の名でサンドイッチされる格好になります。煩瑣になるので、後者は省略される場合もあるようです)。父の名の後には祖父、曾祖父、高祖父・・・と列記していきます。この名乗り方で自分以外の「ムハンマド」と出自が異なることを表明していく訳です(いくら大量の「ムハンマド」がいたとしても、六代前の父祖まで同じ順番で続いていくということはないだろう、ということです)。そして、駄目押しで、出身部族と出身地を掲げます。<イブン・バットゥータ>の場合、ベルベル系ラワータ族が出身部族で、タンジールの生まれですから、「アッラワーティー・アッタンジー」を「ニスバ(由来名・部族名)」とします。ここまでを日本語風に直訳すると、「タンジール生まれでラワータ族出身の、ユースフの子の、イブラーヒムの子の、ムハンマドの子の、イブラーヒムの子の、ムハンマドの子の、アブド・アッラーの子、すなわちアブド・アッラーを父にもつムハンマド」とでもなるでしょうか(ああ疲れた・笑)。
 そして最後に、「ラカブ」が付けられます。<イブン・バットゥータ>には、「シャムス・ウッディーン」(「宗教の太陽」の意)という「宗教的ラカブ」と、「ブン・バットゥータ」という「ラカブ」が存在しました(これが「家系の名」に当たるらしいです)。前者が「尊称」(なので、基本的には自分では名乗りません。主に「クンヤ」の前に置きます)、後者が「通称・あだ名」です(親族以外の友人知己に対して用います。主に「ニスバ」の後、もしくは代わりに置きます。ニックネームとはちょっと違う気がします。「姓」「名字」「苗字」に近い使われ方ですかね)。いちいちフルネームで名乗ると疲れるので、ムスリムたちはほとんどの場合略称を用いました。彼の場合、「アブー・アブド・アッラー・ムハンマド・ブン・バットゥータ」、さらに略して「イブン・バットゥータ」となります(やっと通称まで行き着いた! 長かった! 強いて訳せば「バットゥータ家の息子」とでもなるでしょうか)。「バットゥータ」という名の由来は不明ですが、タンジール在住のラワータ族の中の「ある一族」の名のりだったのでしょう(おそらくは地名なんでしょうね)。そして、他者が彼に敬意を表する場合は、「シャムス・ウッディーン」と呼びかけました(ちなみに<イブン・バットゥータ>には、「バドル・ウッディーン(「宗教の満月」の意)」という「宗教的ラカブ」もありました)。これはその生涯で一定量の功績を残している場合に付けられました。おそらくメッカ巡礼に成功した後に名付けられたものなのでしょう。

 「なんて面倒臭い」と思った方もいらっしゃるかもしれませんが、現代のモンゴルでも自分の名の後ろに父親の名を名乗ることは多いですから、別段奇異という訳でもありません。また、中華世界や朝鮮半島でも「家譜」・「族譜」の類はよく作られましたし、日本列島でも伝来の家系図を有する公家や武家が多数存在しましたから、これまた異とするには足りません。名乗りにするか、系図にしてしまうかの違いでしかないと思います。

 以下、応用編(笑)です。

<トゥグリル・ベグの場合>
ルクヌッディーン(宗教的ラカブ)・アブー・ターリブ(クンヤ)・トゥグリル・ベグ・ムハンマド(イスム 「鷹の部族長のムハンマド」の意)・ブン・ミーカーイール(ナサブ 父の名)・ブン・セルジューク(ナサブ兼ニスバ 祖父の名・部族名)

<ニザーム・アル・ムルクの場合>
ニザーム・アル・ムルク(君主から授けられた尊称)・ハサン(イスム)・ブン・アリー(ナサブ 父の名)・アットゥースィー(ニスバ 「トゥース出身の」の意)

<サラディンの場合>
サラーフ・アッディーン(宗教的ラカブ。「信仰の救い」の意 西欧風略称が「サラディン」)・ユースフ(イスム)・ブン・アイユーブ(ナサブ 父の名)・ブン・シャージー(ナサブ 祖父の名)

<バイバルスの場合>
アル・マリク・アッザーヒル・ルクヌッディーン(マムルーク朝スルタンとしての尊称)・バイバルス(イスム 「虎の部族長」の意)・アル・ブンドクダーリー(奴隷時代の主人の名。ナサブの代わり。「弓兵」の意)


 こういう「約束ごと」が判っていた方が、理解しやすくなると思います(中国史でも、姓・諱・字(あざな)などの意味が判っていた方が、何かと便利ですしね)。
 以上、参考になれば幸いな落書きでした。
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NHKスペシャル『新・映像の世紀』を貪り観る。(その1)

2015-10-25 23:18:21 | 『映像の世紀』を貪り観る
第一集「第一次世界大戦 百年の悲劇はここから始まった」(NHK)、視聴。


旧作『映像の世紀』を観てあることが前提のつくり、という印象を持った。

全六回と話数が少ないため、総花式の通史ではなく、史上の人物に的を絞ったテーマ史にしてある。

ぶっちゃけてしまうと、やや物足りなかった(つまらなかった訳ではない)。

見応えという点では、まだ旧作に及んでいないかなあ(次回以降、化けるかもしれないが)。


最も印象に残ったのは、やはりというべきか、「アラビアのロレンス」であった。

今日、トルコ大使館前で発生してしまった「出来事」の起源をつくってしまった男が、虚像になり果ててしまうまでが簡潔に語られていた。

しっかし、何ともタイムリーなことである。

まさか日本で「クルド問題」が惹起されるとは思いもよらなかった。


大袈裟な言い回しになってしまうが、私たちが考えなければならないのは、今行なっていることが一世紀後の不幸の温床になってしまわないか、慎重に見極めることなのだろうと思う。

短期的には有効な対策が、長期的には有害な代物になることが想定された場合、敢えて採用しない見識を養うことなのだろうと思う。


そういえば、大英帝国が中近東でしでかした所業の「結果」の同類項が、某列島のお隣の半島に存在している。

後世の人々は、その責任の大半を、たった一人の独裁者ではなく、列島の人々のかつての所業に帰することになるかもしれない。
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「航海」が始まった。

2015-10-25 00:20:50 | 日記
『大旅行記』、読み始めました。

長いなあ。

『岩波イスラーム辞典』と『イスラームを知る辞典』、首っ引きです。

十月中に感想が書けるくらい読み進められたらいいんですが、どうなるかなあ。


「浮気」の虫が疼きませんように!
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巡礼の庇護者。

2015-10-23 21:55:31 | 『ダール・アル=イスラーム』
『イブン・ジュバイルの旅行記』(イブン・ジュバイル著 藤本勝次・池田修監訳 関西大学出版部 1992.03、講談社学術文庫 2009.07)、一部読了。


買った覚えがないのに、なぜか自分の書棚から発見(凄えびびった)。

つうか、いつ買ったんだろう(多分震災前に、イブン・ハルドゥーン関連本と間違えて購入後、完全に忘れ去ってしまったんだろう)。

そして、結構面白いっていう。

文字通りの掘り出し物であった。


イブン・ジュバイルは、サラーフ・アッディーン(サラディン)とほぼ同時代を生きた、アンダルス(現スペイン)出身のアラブ人で、北アフリカを横断してメッカに到達(=巡礼)したムスリムである。

イブン・バットゥータの旅行距離には及ばないものの、それでも結構な距離である(し、彼の紀行文が後の旅行家の規範ともなったという)。

まだ八章構成の一章(グラナダからエジプトまで)しか読んでいないが、サラディンが大変褒め称えられている(当然と言えば当然だが、旅の安全を保障してくれる為政者は評価が高くなる)。

巡礼者にとって、サラディンは真の意味での救世主であったのだろう。


 このスルターンの至高なる神に近づく偉業と、信仰上でも世俗上でも良き名声をとどめるスルターンの吉報のひとつに、ウバイド朝(ファーティマ朝)時代の巡礼者に対して課せられていたマクス税(雑税)を廃止したことが挙げられる。
(中略)このスルターン(サラーフ・アッディーン)は、この呪われた税を廃止し、そのうえに、それに取って代わる食糧やその他のものを支給した。彼はそのためにある特定の土地の徴税人を任命し、その全額が、ヒジャーズ地方に安全に届くようにした。というのも、問題の税はメッカ市とメディナ市への補給を名目としていたからである。そして、サラーフ・アッディーンはこれを最も立派なもので償い、巡礼者たちのために道中をたやすいものとした。それまでは巡礼道は分断され、頼るべきものもない状態であったからである。神は、この公正なスルターンの手で信者らをこの心痛む大事件からお護りになられた。(中略)スルターンの公正さと、道路の治安維持のおかげで、スルターンの国内では人々は夜でも安心して思い通り振舞えたし、闇を恐れることもなかった。ミスルやアレクサンドリアでわれわれが見た人々の同様の状態は前述の通りである。

(『イブン・ジュバイルの旅行記』より引用)
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ミスった!!

2015-10-22 01:11:06 | 『ダール・アル=イスラーム』
正しくは、「アブー・アブド・アッラー・ムハンマド・ブン・アブド・アッラー・ブン・ムハンマド・ブン・イブラーヒーム・ブン・ムハンマド・ブン・イブラーヒーム・ブン・ユースフ・アッラワーティー・アッタンジー」でした(さあ「本名」はどこからどこまででしょう?)。

お詫びして訂正致します。

これに比べたら、「エンリケ・マルチノ・ボルジェス・デ・アランテス・エ・オリベイラ」とか、「オピストコエリカウディア・スカルジンスキイ」なんて可愛いもんだよなあ(あ、でも「寿限無寿限無~」の方が長いのか・笑)。

本人はきちんと覚えていられ…たんだろうね。
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