江馬直の創作奮闘記

やっとこさ無職ではなくなった創作家、
江馬直の日常を綴るブログです。

ショートショート082「太陽の没せざる大英帝国(ブリティッシュ・エンパイア)にて」

2014-07-30 21:25:17 | 『掌編寓話集』
「・・・最後にひとつ、あなたに訊いておきたいことがある」
「なんだね?」
「あなたは、いわゆる無政府主義者なのか?」
「いいや、そういうわけじゃねえさ。だけど、いい世の中ってやつは、統治されてるってことにみんなが気が付いてねえ状態を指すんじゃねえか、とは思ってる」
「もう少し続けてみてくれ」
「おれにはひとつ、どうしても答えの見つけらんねえ問いかけってやつがあんのさ。それはな、固く縛められて不自由窮まりねえけど長生きできるって世の中と、緩やかで自由満載だけど全部が全部自己責任だって言われちまうような世の中と、いったいどっちが楽しいのかってこった」
「それは、簡単にどちらがいいとは言えないだろう。ケースバイケースだ。それか・・・一番の幸福は、今あなたが言ったふたつの極論の、ちょうどいい『あいのこ』の中にしかないのかもしれない」
「あいのこか・・・それはそうかもしんねえなあ」
「そういうのが息苦しい、と?」
「そうだなあ・・・『昔はよかった』とかいう紋切り型の決まり文句を言いてえ訳じゃねえんだ。ただ年を追うごとに、どっか上の方から『長生きしてえだろ? ちっと窮屈なぐれえ我慢しろや』って言われて、頭押さえつけられてるような気がしてならねえだけさ。何が一番いいのか、おれにはよく判んねえが、何が一番最悪なのかは判ってるつもりだ」
「・・・それは?」
「そいつはな、両手両足に枷を嵌められたまま、『それはおまえが悪い』って言われてる状態だ。あんたはさっき『ちょうどいいあいのこ』がいいって言ってたが、もしその反対の『最悪の抱き合わせ』が完成しちまって、しかもそれが当たり前みてえな空気になっちまったとしたら、いったいどうするつもりなんだ?」
「それは・・・」
「たぶん大抵のやつらは、『ちょうどいいあいのこ』がいいってなんとなく思ってんだよ。でもな、そんなものこそこの世に存在したためしはねえ。代わりに転がってんのは、さっきおれが言った『最悪の抱き合わせ』ってことの方が、実は多い気がする」
「・・・」
「おれはな、別にだから今の世の中に絶望しろとかって言ってんじゃねえんだよ。あんたはおれのことをアナーキストにでも仕立てあげてえのかもしんねえが、おれはそんな高尚な代物じゃねえよ。安心しな、何もしやしねえさ。ただ単に、他人よりも声がでかくて口の悪い不満屋ってだけの話だ。でもな・・・おれよりもちょっとだけ声がでかくて、ちょっとだけ口がうまくて、ちょっとだけ動き回るのが好きなやつが現われたら、そん時は相当気を付けておかねえといけないぜ。おれが気を回す話じゃねえだろうがな。一応忠告しとくよ・・・なあ、もう帰ってもいいかな?」
「・・・許可する」
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代理戦争の地の景色。

2014-07-29 03:51:53 | 各種感想文
朝日放送(テレ朝系)のドキュメンタリー番組『誰も止めない 終わりなきシリア内戦』を観ました。

体制派のアサド政権軍と、反体制派の自由シリア軍、そして急速に拡大するイスラーム国(旧名ISIS)による三つ巴の内戦が続くシリア国内に、日本の一地方局特派員が潜入して撮影したドキュメンタリーでした。

前にも言いましたけど、私はイスラームやアラブに対する偏見はない人間のつもりです。

だから、アラブ人同士が殺し合う映像を観るだけで、胸が苦しくなってきます。


自由シリア軍(欧米から武器供与を受けています)の兵士が軍用トラックに乗って、最前線に運ばれる時、彼らは銃を高らかに掲げて「アッラーフ・アクバル(アッラーの神は偉大なり)」と連呼していました。

間違いなく、アサド政権軍(ロシアから武器供与)でも、イスラーム国軍でも、これと同じ文句を唱和した上で攻撃を始めるでしょう。

唯一神とやらがもし本当にいるのなら、いったいどの勢力に荷担するのでしょうね。

それとも、そのいずれにも偏することなく、ただその光景を残酷に見下ろすだけでしょうか。


既に内乱の死者は17万人を超えたそうです(おそらく今年中に20万人を超えます)。

死者数で比較してはいけませんが、ウクライナやイスラエルよりも遙かに悲惨な状況であることは間違いありません。

なのに、最近では報道されることがほとんどない。

いったい何故なんでしょうね。


番組で特に印象的だったのは、そこで暮らし、戦傷を負った子どもたちの姿でした。

銃弾が飛び交う中家族のために食料を調達してくる子、麻酔なしで体内の銃弾を摘出しなければならなくなった子、顔面すべてに火傷を負いながらも笑顔でカメラを見つめる子、爆撃の後遺症で平衡感覚をなくして歩けなくなった子。

内乱が長引いた場合、この子たちのうちの幾人かは銃撃戦に加わることになるでしょう。

かつて自分たちを傷つけた者たちを憎み続けることになります。


たまらないなあ。
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視聴放棄します。

2014-07-28 02:58:28 | 日記
今年の大河に言及するのは今回を最後にします(たぶん)。


エピソードの取捨選択と物語のバランスが、とてつもなく気持ち悪いです。


これ以上書くとただの悪口にしかならないでしょうから、後はもう何も言いません(某民放ドラマの『戦国お料理番組』の方が完全にネタに振り切ってる分、面白がって観られることに気付いたんで、そちらの言及ならするかもしれませんけど)。


来年も期待できないみたいだし、しばらく大河視聴は止めときます。
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ショートショート081「独裁者」

2014-07-27 22:17:10 | 『掌編寓話集』
 その独裁者は、横柄な男であった。傲岸不遜といってもよい。それ故であろうか、生前幾度も暗殺されかかっている。気の強かった彼は、その都度律儀(?)に報復した。独裁者の独裁者たる所以であろう。決して泣き寝入りはしないのである。
 独裁者は、無駄といってよいほど友情に篤い男であった。ある時彼は、独裁者へと登り詰めていく階梯のひとつにおいて、ほとんど絶望的な惨状に追い込まれた。どうやら彼は、絶望のあまり自殺しようとさえしたらしい。そこにひとりの若者が通りかかった。若者は、彼がどういう人物であるのかよく判っていなかったが、死なせるには惜しい人物だ、とは思ったらしい。若者は彼を匿い、半年ほど好き勝手にさせておいた。彼は最後まで自らの正体を明かさなかった。若者も彼の素性を洗うようなことをしなかった。やがて彼は姿を隠す必要が無くなり、大手を振って街を歩けるようになった。彼は、若者の前から姿を消した。その数年後、正式に独裁者となった彼は、若者を探し出すと新政府の要職に就けた。大いなる公私混同であった。多くの場合、その種の抜擢は有害であったが、この人事は有益であった。独裁者の意図を汲むことに長けていたこの若者は、急速に地歩を固めていったからだ。独裁者の不興を買わずに自己の意見を受け入れさせることに関してはほとんど天才的だ、とさえ評された。独裁者と若者は親子ほども歳が離れていたが、その関係性は仲の良い年子の兄弟のようであった。若者は要職を歴任し、遂には独裁者の輔弼となった。僅か数年の間の出来事であった。
 若者は生来のものであるのかどうか判らないが、私欲が希薄であった。かつての王侯貴族にも匹敵する勢威を手に入れたにもかかわらず、その勢威を他者に向かって行使することをしなかった。独裁者の他の側近たちの多くが豪奢な生活を営むようになったのに対して、彼だけは禁欲的な生活をし続けた。独裁者はそんな若者を寵愛し、重用し続けた。若者は驕ることなく、自らの職責を全うし続けた。この「主従」の関係の強固さは、他者の追随を許さぬものであった。
 独裁者が八十歳を過ぎたある日、独裁者はついにベッドから起き上がれなくなった。死期が近付いたことを悟った独裁者は、ひとりの例外を除き、側近たち全てを枕頭に呼び寄せ、後継者を指名することとした。独裁者の口から発せられた名は、側近たちを暫し混乱させた。その名は、確かに独裁者の忠実なる側近のひとりではあったが、彼の気持ちを最も忖度しうるあの若者(もうこの時六十を過ぎていたのだが)ではなかった。皆は、独裁者が病床でついに耄碌したのかと思い、再度問い直した。しかし、独裁者の口から溢れたのはまたしても、例の「若者」とは異なる側近の名であった。動揺する一堂に向けて、独裁者は弱々しく呟いた。・・・諸君が驚くのは当然至極だと私も思う。だが、これはこうするほかないのだ。なぜなら、私が没したらあいつは――かつて私の窮地を救ってくれたあの男は――、私の後を追って拳銃自殺するにきまっているのだから。あいつを後継者に指名した場合、あいつは責任を果たすために全力を尽くし、結果私の後を追うことができなくなってしまうだろう。それではあまりにもあいつが憐れ過ぎる。だから、煩悶することがないよう、あいつを後継者から外したのだ・・・
 独裁者の死後、眉間に孔の開いた「若者」の遺体が発見された。

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ショートショート080「AID」

2014-07-26 21:57:58 | 『掌編寓話集』
 U(♂)とF(♀)は学生結婚した。当時の流行りであったと言えばそれまでであるが、結婚した当人たちは大真面目であった。Fの方が年上で、しかもUが二十歳前だったため、一部からは「ままごとのような結婚生活」と揶揄されたが、それでもふたりは二人三脚の人生を歩み始めた。
 五年後、UとFの間には子どもが生まれなかった。そのことを必要以上に気にしたふたりは、医師に相談することにした。ちなみにその医師は、Uの実父の後輩に当たる。その医師は精密検査を勧め、ふたりはそれに従った。数ヶ月後、医師は沈痛な面持ちでふたりに宣告した。今後、あなた方ふたりに子どもが生まれるかどうかは正直判らない。もしかすると、いわゆる不妊症であるかもしれない、と。夫婦は落胆したが、医師の話はそれだけに留まらなかった。――それから、いささか信じがたいことだが、遺伝学上でいうとどうやらあなた方は「異母姉弟」にあたるらしい。憶測になってしまうが、不妊の原因はそれではないか。
 驚天動地のことであった。全く意味が判らなかった。自分たちの父親が一緒とはどういうことだろう? Uは実家に帰ると父を問い詰めた。始めは父も何を言われているのかよく判らなかったようだが、息子の発する言葉の意味を正確に理解し終えると、少なからず動揺し、しかしそれでもはっきりと断言した。後輩の言っていることに間違いはない、と。

 ・・・一九四八年から、K大学医学部で「非配偶者間人工授精(以下、AID)」が開始された。不妊治療に悩む夫婦にとって、それは福音以上の効果を持つものであった。この当時としては画期的な技術によって、この国でも人工授精が可能となったのだ。男性の側に不妊の原因があり、それでも女性が妊娠を望んだ場合、医師と患者の間に了解さえとられれば、人工授精が行なわれるのである。
 ただ、初期のAIDには、ひとつ問題点があった。男性の側に不妊の原因があるにもかかわらず人工授精が可能となる・・・つまり、配偶者以外の、全く別の男性から提供された精子によって人工授精させる、というのがAID最大の問題点だったのである。しかも、後日提供者が実父として名乗り出てくることが無いよう、提供者の履歴は一切伏せられ、提供者にも固く箝口令が敷かれた。
 Uの父は医学部生時代、あるアルバイトをした。それは、AID用に自身の精子を提供する、というものである。それは割の良いバイトであり、Uの父はこれによって学費を賄うことができたという。その二年後、Uの父はごく自然に恋愛結婚し、男児が生まれた。
 AIDで生まれた子どもが、後年「異母兄弟(あるいは姉妹)」を配偶者に選ぶ確率は極めて低いから、問題はない・・・かつてそう聞かされていたはずのUの父は、青白い表情で事情を語り終えると、深々と息子に頭を下げた。
 話を持ち帰ったUは、Fに全てを語った。ふたりの間に沈黙の時が流れた。ふたりともに、泣くに泣けない心境とはこういうものか、と思ったという。
UとFは、その後三年間夫婦生活を続けたが、親族間の諍いが増えたため離婚している。


※この小話の舞台は、1980年代です。2014年現在、AIDの技術・倫理性は大きく向上しているということを銘記しておきます。
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