江馬直の創作奮闘記

やっとこさ無職ではなくなった創作家、
江馬直の日常を綴るブログです。

処世術。

2011-11-13 22:32:50 | 雑文
こういう発言をすると、「うわっ」って言われそうですが、サッカーが苦手です。

正確に言うと、サッカー観戦して熱狂してる人たちを見るのが苦手です。

テレビや新聞で、サポーターが乱闘騒ぎを起こしたとか、暴言を吐いたとかいう報道を見聞きすると、すごく嫌な気分になってしまいます。

どうしても、「集団」でひとつのことに熱狂しているのに違和を感じてしまうんですよね。

まあ、それはさておいて・・・


にもかかわらず、私の書棚には若干ではありますが、サッカー関連の著作が並んでいます。

一番多いのが、木村元彦(ゆきひこ)さんというノンフィクション・ライターの著書です。

って言ってもピンとこない方もいらっしゃいますよね。




『誇り ドラガン・ストイコビッチの軌跡』



『悪者見参 ユーゴスラビアサッカー戦記』



『オシムの言葉 フィールドの向こうに人生が見える』



『終わらぬ「民族浄化」セルビア・モンテネグロ』


↑↑↑の、「旧ユーゴスラヴィアサッカー3部作」+1だったら書店で見かけたことあるんじゃないでしょうか(特に『オシムの言葉』は有名ですよね)。

この方の著書の特徴は、「サッカー」と「民族問題」という二本の軸があること。

木村氏のストイコとオシムに対するリスペクト具合を差し引いても、氏の文章は読ませるもので溢れています。

詳しくは、上掲の4冊を読んで頂けると実感してもらえると思います(そんなにたくさん読めないよ、って方は、




『オシムからの旅』


が、コンパクトで読みやすいはずです)。


さて、そんな木村氏の隠れた名作に、連作取材記の体裁をとった、




『蹴る群れ』


があります。

「旧ユーゴサッカー3部作」の手法で、世界各国のサッカー事情に切り込むという、木村氏ならではの著書となっています。

で、その『蹴る群れ』には、日本のサッカー事情について書かれた章がありまして、大分トリニータの元社長、溝畑宏氏について言及しているがありました。

数年前に一読したとき、「へえ、日本にこんなおっさんいるんだ、おもろいなあ」と思ったものでした。


東大出身で、自治省(現総務省)のキャリア官僚となり、大分県庁に出向して、大分トリニータを発足させる「表」の仕掛人になり、ついには、官僚の地位を捨ててトリニータの社長になってしまう。

「随分日本人離れした生き方をする人だなあ」と思っていたら、トリニータを大赤字にして引責辞任、その後すぐさま観光庁長官に就任し、「責任逃れだ!」とバッシングの嵐に見舞われます。

就任後すぐさま、アイドルグループの嵐(どうでもいいですけど、私は二宮の「やる気のなさげな」演技が大好きです・笑)を観光庁の「観光立国ナビゲーター」に起用するなど、話題性に事欠かない人物です。

派手やかに話題作りする人だなあ、などと思っていました。


そんな溝畑氏の印象が変わったのは、木村氏の新著を読んだからです。




『大分トリニータの15年 社長・溝畑宏の天国の地獄』


去年、発売と同時に購入して熟読しました(当時勤めていた会社で、任されていた仕事をする際、だいぶ参考にさせてもらいました)。

溝畑氏という人は、なんというか、本当に毀誉褒貶の激しい、愛憎半ばする印象を与える、そんな人物なんですね(少なくとも木村氏の書きっぷりだと。ちょっと面白いなあと思ったのは、木村氏は当初溝畑氏を嫌っていたらしいこと。雑誌記事などでは相当批判もしていたみたいですね)。

天性のパフォーマンサーとでもいえばいいんでしょうか、「こんなに動き回る官僚もいるんだなあ」と思いました。


彼は、トリニータを作るため、守るためには手段を選ばず、とにかく猪突猛進していきます。

プロジェクトのほぼすべてに首を突っ込み、他の誰よりも仕事に取り組み、容赦無くプライベートはかなぐり捨て(結果、離婚しています)、トリニータの危機には自腹を切って対応し(私財を1億円近く投入したそうです)・・・

ただ、動きが派手な分、いささかスタンドプレーをし過ぎ(スタンドプレーに見える所業が多過ぎた、というべきでしょうか。私には、これはもはやスタンドプレーの域を超えている、と思えました)、周囲から複雑な目で見られていたのも確かなようです。

そして、溝畑氏は大分トリニータを育て、守り、そして「壊して」しまいました。

氏は今でも、自分が育て、守り、「壊した」トリニータに愛着を感じているんだそうです。


昨日、自宅の書籍類を整理していて、久々にこの溝畑本を発見しました(部屋が広いわけではないので、まだ段ボールから出せない本が多いんです。まだ千冊ぐらいは手を付けてもないです。広げる場所もないし、しばらくこのまま放置かなあ・・・)。

何の気なしに読み始めたら、あり得ないぐらい既視感(デジャヴュ)のようなものが迫ってきました。

あれ、なんだろうこれは・・・


・・・どうも数か月前までの私は「プチ溝畑」だったみたいなんですね(うすうす気が付いてはいたんですが・・・)。

スケールは百万分の一ぐらいに縮小しちゃいますが、私も自分で企画した「プロジェクト」をかなり強引に進めていました。

プライベートはかなぐり捨てて、相当数自腹も切って、散々上司にも楯突いて(さぞかし扱い辛い部下だったんだろうなあ)・・・

そんなこんなの結果、離職ということになってしまいました。


「溝畑氏のケースを『反面教師』にしていれば、離職という終幕はなかったのかもしれないな・・・」とは思いませんでした。

「私に処世術は似合わない」

えらく強気な結論ですが、そう思っちゃいました(え~)。

反省して、生き方変えるってのは、どうも性に合わないです(苦笑)。

たぶんそういうところって変わらないし、変えられないと思うんですよね(「どうせ変えられないし・・・」っていう、後ろ向きな意見ではなくて、どうしても変えられない、枉げられないところがある、って話です)。


別に、溝畑氏が正しいとか、私は間違ってなかったとか、そういうことが言いたいわけではありません。

ただ、世間一般と違う原則なり基準なりを見出してしまった人間にとって、世の中って生き辛いなあ、と思ってしまいました(あ、こういうのを奇人・変人っていうのか)。

ま、しょうがないから、生きていきますけどね(笑)。

今までもそうやって生きてきたんだし。
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