江馬直の創作奮闘記

やっとこさ無職ではなくなった創作家、
江馬直の日常を綴るブログです。

今年も安定の黒田ブランド。

2018-01-03 00:11:17 | 日本中世史
何があっても元日~三日の「新春初読」は欠かさないようにしているのだが、まさか注文していた本が元日に届くとは思っていなかった。

というわけで、「積ん読」の小山(ついに百冊超え! ど、どうしよう……)には加えず、早速読み始めることに。

ちなみに届いたのは、『関東上杉氏一族』(黒田基樹編 戎光祥出版(「中世関東武士の研究22」)2018.01)という論文集。

ふと思い出したのだが、2011年(まだ震災前だった)の「新春初読」も、同じく黒田氏の『図説太田道灌 江戸東京を切り開いた悲劇の名将』(戎光祥出版 2009.09)『長尾景春』(戎光祥出版(「中世関東武士の研究1」)2010.01)であった。


しっかし、「黒田本」は本当に外れないなあ。

年末最後に読んだ『北条氏康の妻 瑞渓院 政略結婚からみる戦国大名』(平凡社(中世から近世へ)2017.12)などは、読了後深い充実感を覚えたものである(今川義元が寿桂尼の実子ではない、との指摘は大変腑に落ちた。なぜ「氏元」でなく「義元」なのか判った気がした。正室の子でないからこそ、足利将軍家の偏諱を受けて権威付けをした、ということなのであろう。そして、北条「氏親」と「氏輝」という命名に、氏康と瑞渓院の「真意」を読み取る、というくだりなど圧巻である)。

肝心の『関東上杉氏一族』は、『扇谷上杉氏』(戎光祥出版(「中世関東武士の研究5」)2012.03)『関東管領上杉氏』(戎光祥出版(「中世関東武士の研究11」)2013.06)『山内上杉氏』(戎光祥出版(「中世関東武士の研究12」)2014.05)に続く同シリーズ上杉本の四冊目であったのだが、読むごとに欠けていたピースが埋まっていく感が強くなる(収録されている論文も面白いのだが、とにかく黒田氏の手になる「総論」が素晴らしい。何度感嘆したかしれない)。

近刊となる『足利成氏とその時代』(戎光祥出版(「関東足利氏の歴史5」) 2018.01予定)『あらすじで読む「信長公記」』(三才ブックス 2018.01予定)も楽しみである(更には近々、「ミネルヴァ日本評伝選」から『北条氏政』も刊行するらしい。ちょっと驚異的な刊行ペースである)。


嗚呼、財布が薄くなる……。
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2 コメント

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やっぱり! (明石のタコ(ハカセ))
2018-01-04 14:07:01
面白そうな書籍の記事、楽しく拝読しました。
特に
>今川義元が寿桂尼の実子ではない、との指摘は大変腑に落ちた
の下りを読むと、我が家の三一運動をなんとか乗り越えて買いたいという気持ちが高くなっています。

以前、有光氏の著作だったと思うのですが、ある文書から「花倉の乱に際して、実は寿桂尼は玄広恵探側についていたのではないか」という指摘があり、疑問を感じていたのですが、実子ではないとなると、あり得ることかもしれませんね。
あくまでもにわか想像に過ぎませんが、寿桂尼は氏輝(と同日に彦五郎)という実子を失い、跡目をどのようにするのかで揺れていたということでしょうか。
また、義元家督相続後〜河東一乱の流れも、通説とは違った形で読み解けそうですね。

失礼しました。

それにしても、購入どうしようかな〜
現在狙っているのは『経済成長の日本史』(高島正憲 著)という大物なので、スペースと予算が…うううう
Unknown (江馬)
2018-01-05 01:52:19
>明石のタコさん

コメントありがとうございます。そして、遅ればせながら、今年も変わらぬ御愛顧をお願い致します。

>訳書の出版を「まだ直す余地がある」と引き延ばす良沢と「タイムリーに出さなくてはならない。間違いの訂正は後の世の人に任せて」という玄白の遣り取り

このあたり、院生経験のある方は皆身につまされたのではないでしょうか。ちなみに、『寧楽遺文』、『平安遺文』、『鎌倉遺文』をたった一人で編纂した稀代の日本中世史家・竹内理三は、「自分の史料解釈が間違っていても構わない。抜けがあっても仕方ない。あとに続く人が、そうした誤りを正してくれればよい」と言いきり、猛然と古文書の山と格闘した、と伝わっています。竹内の業績を発展継承しているのが、現在刊行中の『南北朝遺文』や『戦国遺文』ですから(近々、『室町遺文』の刊行も開始されるようです)、まず誰かが始めることの重要性はよく判ります。でも、やっぱり完璧を期したくなるんですよねえ……。

>江戸時代のよい造語
>明治の造語

正直、明治期につくられた「経済」は、判りづらい訳語ですもんね。漢籍の素養のある人はなおのこと理解に苦しんだのだとか。今現在、訳としてはより適切なはずの「理財」はほぼ使いませんし。

>「花倉の乱に際して、実は寿桂尼は玄広恵探側についていたのではないか」という指摘

有光氏の『今川義元』(人物叢書)ですね。確かにそんな指摘がありました。
ちなみに黒田氏によると、義元は寿桂尼の「猶子」だったとのこと。寿桂尼が恵探の元へ走ったとも読める史料も、寿桂尼が内戦回避を図って説得に赴いた、と考えれば辻褄が合います。寿桂尼が一貫して義元派だった、という点は揺るがないようです。

>義元家督相続後〜河東一乱の流れ

これは、義元にとっては大いなる誤算だったようで、武田信虎との和睦が北条氏綱の逆鱗に触れたということらしいです。後北条家歴代当主は、「面子」を潰される行為をことのほか嫌っていたようで(伊勢宗瑞による下克上の「反動」かと思います)、義元の「掌返し(北条家とも敵対していた武田家との和睦)」は許すまじきことと感じられたのだと思います。これが「河東一乱」勃発に繋がっていったというのが黒田説です。
しかも、氏康の正室・瑞渓院は今川氏親と寿桂尼の実子でしたから、その間に生まれた子は後北条家と今川家の正統な血を引いている、と言えないこともありません。結果、氏康は嫡男新九郎に外祖父と同じ「氏親」と名乗らせたのではないか、暗に「所詮義元は庶流でしかない」と貶める意味があったのではないか、と黒田氏は指摘します。ただ惜しくもというべきか、北条氏親は元服直後に夭折し、次男の氏政が嫡男となりますが。

ではでは。

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