江馬直の創作奮闘記

やっとこさ無職ではなくなった創作家、
江馬直の日常を綴るブログです。

嗚呼、早まった……。

2017-09-19 00:14:41 | 『遼夏金元清朝秘史』
先程、ある「知人」からメールを頂戴した。

この「知人」は院生時代からの知己で、漢籍を購入する際いつも助言してくれた、という方であった。

彼はこのブログの熱心(?)な読者でもあるのだが、私がついうっかり『元史』を購入してしまったというくだりを一読して、止むにやまれず一言つっこみを入れてくれた。

以下、ほぼ原文ママである。


江馬君、お久しぶり。(中略)
前に『点校本二十四史修訂本』の刊行が始まったって話、しなかったっけ? 2017年9月現在、『史記』『南斉書』『魏書』『旧五代史』『新五代史』『遼史』が刊行されてるよ。つまり、近々『元史』の修訂本も刊行されるはず。旧版に手を出したのはちょっと拙速だったんじゃないかな? それから江馬君の場合、真っ先に買わなきゃならなかったのは『魏書』だったんじゃない?(以下略)



一読した瞬間、己の迂闊さに舌を噛みたくなった。

そうだった。

向こう数年、旧版「正史」を購入するのは控えた方がいいんだった。

すっかり忘れてたよ……。


つうか、『魏書』の修訂本刊行が今年の1月って……ぬかった(ちなみに『史記』が2013年10月、『旧五代史』&『新五代史』が2015年8月・『遼史』が2016年4月、『南斉書』2017年8月に刊行されていた)。

このペースでいくと、年一、二作は刊行される計算になる。

これは数年以内に『元史』も出るな。

嗚呼、早まった……(ちなみに、旧版と新版でどう違うかというと、従来誤っていた読点が全面的に改訂されていて、注記もより詳細なものになっている、ということである)。


まあ、いないとは思うが、近々「正史」を購入予定という方は、なるたけ最新版の刊行をお待ちになった方がよろしいかと思う。

……どうせ出るなら五年後とかにしてほしいなあ。
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ちょいと購い過ぎた……。

2017-09-17 17:44:14 | 『遼夏金元清朝秘史』
今年のお盆明けあたりから、私の中で空前の「征服王朝史」(とりあえず遼・夏・金・元・清の五王朝)ブームが始まってしまった(ここ十年ぐらいは、魏晋南北朝隋唐史、イスラーム史、遊牧民史、日本中世史、日本近代史、遼夏金元清朝史をぐるぐる回っている。我ながらいつまでも腰の定まらない奴である)。

こうなると自分でも止められないんだよなあ……。

「とりあえず基本史料ぐらいは揃えておこう」ということで、「書虫」をつらつら眺めては「書袋に入れる(=カートに入れる)」を繰り返すことに。

先日購入した分すら満足に開いてもいないのに、何やってんだか。


『大金弔伐録』(金・佚名)

『帰潜志』(金・劉祁撰)

『玉堂嘉話 山居新語』(元・王惲、元・楊瑀撰)

『南村輟耕録』(元・陶宗儀撰)

『草木子』(明・叶子奇撰)

『元史』(明・宋濂等撰)

『元史紀事本末』(明・陳邦瞻撰)



今回は金&元の史書が中心(文集・筆記の類に手を出すと泥沼なんだけどなあ……)。

前回見送った『元史』もしれっと購ってしまった(あ~あ)。

これはそのうち『清史稿』にも手を出しちまうなあ(汗)

来年遂に刊行されるという『清史』は……どうしようかなあ?


……面白そうなネタが拾えて、奇跡的に気も向いたら、久々に長文をアップすることにしよう(遼・夏・金の三王朝関連になる予定)。
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「征服王朝」尽くし。

2017-09-02 02:04:56 | 『遼夏金元清朝秘史』
「書虫」の割引セールがあったのをすっかり忘れていた(何の話をしているのかよく判らないという方はお調べあれ)。

というわけで、最終日に駆け込み購入。

嗚呼、散財しちまった……。

とりあえず、書棚で長年埃を被ったままの『遼史』『金史』(院生時代、全く必要などなかったのに、つい勢いで購入して早十数年)をもう少し活用できないかということで、


『契丹国志』(南宋・葉隆礼撰)

『大金国志』(南宋・宇文懋昭撰)

『西夏書』(清・周春撰)

『遼史紀事本末』(清・李有棠撰)

『金史紀事本末』(清・李有棠撰)



等を購入(ついでに、勢いで『開元天宝遺事 安禄山事迹』(五代・王仁裕、唐・姚汝能撰)も買ってしまった。昔から何故か安禄山好きなもので)。


もう少し予算が許せば、『元史』『清史稿』あたりも買いたかったところだが、これはそのうち機会をみて。

つうか、秘やかな本命は『八旗通志初集』『欽定八旗通志』なんだよなあ(再版か値崩れしないかなあ)。

私は圧倒的に遊牧政権好きなので、我が家の書棚は、先秦・秦漢・魏晋南朝・南北両宋・明関連よりも、五胡北朝・隋唐・五代・遼・夏・金・元・清関連書籍の方が遥かに多い。

それでも、かつての専門以外の漢籍にまで手を出すのはなかなかに勇気がいった(もし全く読みこなせないと、金銭を溝に捨てたも同然になる。これが魏晋南北朝隋唐史だったら、多少ハードルが下がるんだけど……)。


届くのは一週間後。

また足の踏み場がなくなるなあ。
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さしあたり、西尾幹二と渡部昇一は消えてなくなれ。

2017-01-03 23:21:40 | 『遼夏金元清朝秘史』
『モンゴルから世界史を問い直す』(岡田英弘編 藤原書店 2017.01)、読了。


久々の東洋史関連本。

同一出版社から刊行されている『岡田英弘著作集』(全八巻 2013.06-16.07)のガイドブック的位置付けの編著となるだろうか。

面白いっちゃ面白いんだけど、「提灯本」臭が強くってねえ……。

「いや、そこまで誉めなくてもいいよ」と言ってしまいたくなるかなあ(特にタイトルで挙げた二人は)。


それから、本書で紹介されている「美談」とはかなり異なる「醜聞」を聞かされている身としては、素直に肯んずることはできないかな。

ちょっとフェアじゃないかなあ。

学会内で疎外されたというくだりは、いささか被害妄想が過ぎるのではないか。

岡田氏お得意の「当人の主観が全て」という言い草を発動されたらそれまで、ではあるが。


岡田氏を除く、大方の東洋史家たちの反論を読んでみたい気もするが、まあ黙殺するんだろうなあ。
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日本史と世界史の落差 ――「蒙古襲来」とグローバリゼーション――

2014-10-02 13:11:17 | 『遼夏金元清朝秘史』
先日、録画したままずっと放置していた『英雄たちの選択 元寇! 史上空前の国難 北条時宗VS最強の帝国 “神風”に隠れた真実』(BSプレミアム)をようやっと観ました。

「北条時宗を再評価しよう!」というスタンスだったんでしょうけど、まあ・・・ぶっちゃけ酷い番組でした(特に某精神科医と某評論家のコメントが・・・歴史プロパーじゃない人の見解がしばしば頓珍漢になるという良い証左にはなりましたけど)。

一番「フェアじゃないなあ」と思ったのは、モンゴル帝国史の専門家が出演してなかったところ(広い意味での「東洋史家」は出てましたけど、ほとんど何も言わせてもらえなかったに等しい。典型的な「欠席裁判」でしたね。なんで出演させなかったかと推測すると、まともなモンゴル帝国史家を出演させたら、番組の構成が完全に破綻するからでしょう。歴史番組で一番やってはいけないのは、先に結論ありき――特にこの番組は、タイトルに『英雄たちの選択』と銘打っている関係で、どうしても「主役」に選んだ人物の選択をジャッジしなくてはなりません。選んだネタをしくじるとすごく残念な展開になってしまうんですよね――で構成を決めて、それに当てはまらないコメンテーターは呼ばないってことなんだと思います。あ、それは「大河」も一緒か・・・。NHKは良質の教養番組を放送することもありますけど、どう見ても捏造としか言えない番組も目につきます。ちなみに『プロファイラー』という番組もなかなか酷いです。司会進行が今年の大河と被ってますけどそのこととは関係ありません。最近見ていて、「実は一番まともな番組なんじゃないか」と思ったのは、時折ややマニアックなネタに傾きがちとはいえ「タイムスクープハンター」でしょうか。下手な「三文大河」よりよっぽど楽しめます)。

その結果、全然モンゴル側に立った状況説明がなされず、「鎌倉幕府の決断は仕方が無かったんだ。『カミカゼ』の影に隠れがちな北条時宗という指導者をもっと評価してあげよう」という論調に流れていってしまうっていう・・・(ちなみに、「蒙古襲来」とは、日本列島に性質の悪い「対外硬」が発生する起源になった事件のひとつだったと、私は思っています。「外圧」が生ずる都度、「蒙古襲来」が思い起こされ、安易な精神論に基づく排外運動が起こるっていうね)。


番組を観ていて、一番驚いたのが「国書問題」ですかね。

大元ウルス(=元朝。最近はこの呼び方が主流になりつつあります。「ウルス」はモンゴル語で「国」の意味です。要するに単純な「中華王朝」ではありませんよ、ということですね)のクビライ・カアンから送られた国書が「脅迫文」だというんですよ。

そんな「解釈」をしてしまったら、多くのモンゴル史家から「日本中世史研究者の史料読解・解釈力(またはNHKの見解)はまだこのレベルなのか」と思われてしまうんじゃないでしょうか(一応、フォローを入れてる歴史家ってのも出演してましたけど・・・あんまり意味はありませんでした。研究者に意見は求めず、出演だけさせて番組の権威付けをするって手法は、本当にやめた方がいいと思います)。

原文を読むと、とても「脅迫文」には読めないんだけどなあ。


というわけで、以下、モンゴル帝国史研究の第一人者・杉山正明氏の『逆説のユーラシア史 モンゴルからのまなざし』(日本経済新聞社 2002)所収「鎌倉日本に外交はなかった」の「史料解釈」を引用したいと思います(本当は私が訓読すべきなんでしょうけど、折角第一人者が史料解釈してくれてますので。受け売りですみません)。


<原文>(改行・抬頭は東大寺所蔵の「国書」写しに準ずる)
上天眷命
大蒙古国皇帝奉書
 日本国王朕惟自古小国之君
 境土相接尚努講信修睦況我
祖宗受天明命奄有区夏遐方異
 域畏威懐徳者不可悉数朕即
 位之初以高麗無辜之民久瘁
 鋒鏑即令罷兵還其彊城反其
 旄倪高麗君臣感戴来朝義雖
 君臣而歓若父子計
 王之君臣亦已知之高麗朕之
 東藩也日本密邇高麗開国以
 来亦時通中国至於朕躬而無
 一乗之使以通和好尚恐
 王国知之未審故特遣使持書
 布告朕志冀自今以往通問結
 好以相親睦且聖人以四海為
 家不相通好豈一家之理哉至
 用兵夫孰所好
 王其図之不宣
   至元三年八月 日

<読点付随>
上天眷命大蒙古国皇帝奉書日本国王。朕惟自古小国之君、境土相接尚努講信修睦。況我祖宗受天明命奄有区夏。遐方異域畏威懐徳者不可悉数。朕即位之初、以高麗無辜之民久瘁鋒鏑、即令罷兵、還其彊城、反其旄倪。高麗君臣感戴来朝。義雖君臣、而歓若父子。計王之君臣亦已知之。高麗朕之東藩也。日本密邇高麗、開国以来、亦時通中国。至於朕躬、而無一乗之使以通和好。尚恐、王国知之未審。故特遣使、持書布告朕志。冀自今以往、通問結好、以相親睦。且聖人以四海為家、不相通好、豈一家之理哉。至用兵、夫孰所好。王其図之。不宣。至元三年八月 日

<書き下し文>
上天眷命(じょうてんけんめい)大蒙古国皇帝、書を日本国王に奉(たてまつ)る。朕(ちん)惟(おも)うに古(いにしえ)より小国の君は、境土を相接すれば尚(な)お講信修睦(こうしんしゅうぼく)に努めん。況(いわん)や我が祖宗は天の明命を受けて区夏を奄有(えんゆう)す。遐方(かほう)異域威を畏れ徳を懐(した)う者悉(ことごと)くは数うべからず。朕即位の初め、高麗の無辜(むこ)の民久しく鋒鏑(ほうてき)に瘁(つか)れるを以て、即ち兵を罷(や)めしめ、其の彊域(きょういき)に還し、其の旄倪(ぼうげい)を反す。高麗の君臣感戴(かんたい)して来朝す。義は君臣と雖(いえど)も、而(しか)して歓(たのし)みは父子の若し。王の君臣を計るに亦已(すで)に之(これ)を知る。高麗は朕の東藩なり。日本は高麗に密邇(みつじ)し、開国以来、亦時に中国に通ず。朕の躬(み)に至りて、一乗の使の以て和好を通ずる無し。尚お恐るらくは、王の国の之を知ること未だ審(つまびら)かならざるを。故(ゆえ)に特に使を遣して、書を持せしめ朕が志を布告せしむ。冀(こひねがわ)くは自今以往(じこんいおう)、問を通じ好を結び、以て相(あ)い親睦せん。且つは聖人は四海を以て家と為す、相通好せざるは、豈(あ)に一家の理(ことわり)ならん哉(や)。兵を用いるに至りては、夫(そ)れ孰(た)れか好む所ならん。王其(そ)れ之を図れ。不宣(ふせん)。至元(しげん)三年八月 日

<訳文>
天のいつくしまれた大蒙古国(イェケ・モンゴル・ウルス)の皇帝(カアン)は、信書を日本国王に奉る。私がおもうに、昔から小国の君は、領土がたがいに接していても、それでもまことを語りあい、ならい親しみあった。まして、チンギス・カン以来のわれらが歴代は、天の明らかな命令をうけて天下をことごとく有し、はるか遠方諸国も、威をおそれ徳になつくものは数えきれない。私は即位のはじめ、高麗のつみなき民が長いいくさにつかれているので、すぐに兵をやめてその領土を返還し、その老若をかえすようにさせた。高麗の君臣は歓戴して私のところへやってきた。名義上では君主と臣下だが、歓みは親子のようである。おしはかるに、王の君臣も、もはやこのことを知っているではあろう。高麗は私の東の藩屏である。日本は高麗とまぢかく、国をつくって以降、しばしば中国に通交した。ところが、私の治世になってからは、一度も友好を通じる使いがない。それでも(私は)王の国が十分にそのことを知らないのではと恐れている。そこで、特に使いをつかわして信書をもたせ、私の気持ちを布告させる。どうか、今より後は、便りを通じ好みを結んで、たがいに親しみあおう。そもそも、天子は四海をもって家とする。たがいに好みを通じあわないのは、一家としてのことわりだろうか。兵を用いるなどは誰が好むことだろう。王よ、よくお考えあれ。意を尽くしません。至元三年八月 日



・・・なんというか、随分と穏やかな「国書」だなあと思うんですけど、これって「脅迫文」なんですかね?

そうは読めないと思うんだけどなあ。


杉山氏によると、この国書とほぼ同時期にクビライが交戦中の南宋に送りつけた「戦書」というのがありまして、こちらは確かにまごうことなき「脅迫文」になっています。

杉山氏の引用をそのまま使うと・・・

「苟(いやしく)も大に事(つか)うの礼を尽くさば、自(おのず)から歳寒の盟有らん。若(も)し乃(すなわ)ち大位の継ぎ難きを憂い、詭道の多方なるを慮(おもんぱか)り、坐して図(と)を失せ令(し)め、自ら甘んじて絶棄すれば、則ち請(こ)う城池を修浚(しゅうしゅん)し、戈甲(かこう)を増益して、以て秣馬(まつば)・利兵の会して大挙に当つるを待て」

・・・要約すると、「俺たちが怖いんならとっとと降伏しやがれ。もし敢えて逆らうっていうんなら、きちんと軍備を整えて待っとけやこら」ってな感じです。

直接国境を接し、数十年に渡って交戦状態が続いている南宋と、海を隔てていて初めて国書を送ることになった鎌倉幕府とでは「国書」の文面が全く違うんですね。


もしこれを、時の鎌倉幕府の為政者たちが「脅迫文」だと思い込んだのだとしたら、時宗たちはとてつもない「勘違い集団」だったということにしかならないんじゃないかと思います。

返書を与えないとか、御家人たちの結束を促すためにモンゴルの使者を斬殺するとかって、「自分たちは交渉するという発想がない危ない人たちです」と他国に喧伝してるようなもんですからね。

そりゃあクビライは侵攻してくるでしょうよ(ちなみに、かつてクビライの祖父・チンギスが西方のホラズム・シャー朝に侵攻した理由は、派遣した使節団を殺害されたからです。使者を殺すという行為は、当時としては「かかってこい」と言い返したのに等しいものだったということです。無論、遥か西方の事例を時宗が知っていたはずもありませんが、常識的に考えて、殺害だけはしてはいけないということは判るのではないかと思います。相手に格好の口実を与えますからね。古来、奈良・平安朝でも唐や新羅、渤海からの使節を殺害したことなどありませんから、時宗の行為の異常性は際立っていると思います。そして、この事実は私の心中を複雑にさせます。当時の時宗の補佐役は、時宗の正妻の兄であったこれまた有名な御家人・安達泰盛です。鎌倉幕府史上最も優れた護民・恤民思想を持っていたはずの泰盛は、時宗の「暴走」を止められなかったのでしょうか。それとも煽る側だったのでしょうか。「当時の鎌倉幕府は主従揃って外交センスが無かった」という結論に至るのは、少々残念なことです)。

「蒙古襲来」とは、鎌倉幕府のオーバーリアクションによって発生した「椿事」だった、と見ておくのが、最も無難な線なのではないか、と思います(「蒙古襲来」を「国難」と評価したい向きには納得いかないかもしれませんけど、きっかけを作ったのは返書しなかった時宗だったと言えます。単なる自業自得なんじゃないかなあ。あ、そういえば本番組で一番笑ったのは、視聴者に「時宗は、『モンゴルの恐怖』を亡命してきた南宋人から吹き込まれていた」と誘導するかのような展開があったところです。いやそれって・・・鎌倉幕府に情報分析力が皆無だったってだけの話にしかならんでしょうが。「日宋貿易」の関係から、当時の日本列島と南宋の結びつきの強さを強調する人って多いんですが、近年の東洋史の研究によると、当時の日本列島は宋朝だけでなく、当時華北を支配していた遼や金といった「北の帝国」とも交渉があったことが判ってきています。どうしても「日宋貿易」を強調したいのであれば、「日遼・日金交渉」についても言及しないといけないでしょう。例えば「平将門の乱」ですが、遼の太祖・耶律阿保機の建国に将門が影響を受けて起こしたものだった可能性があることが、近年指摘されるようになってきています。また、金と日本列島との間で僧侶の往来があったことも確認されています。当時の金は南宋以上の仏教国でしたから、そうした興隆があったのは当然のことだったでしょう。更には、交戦中であったはずのモンゴルの船舶が博多で貿易を行なっていたことも判ってきています。鎌倉末期以降日本で流通するようになった宋銭ですが、これはモンゴル統治下の中国大陸が「銅本位制」から「銀本位制」に移行したのを受けて、国内でだぶついていた宋銭を日本に輸出していたというだけのことです。つまり、「日宋貿易」以上に「日元貿易」の方が盛んだったらしいんですね。だとすると、「蒙古襲来」という「政府間対立」はあっても、「民間交流」は極めて盛んだった、ということになります。南北朝・室町期の「倭寇」の誕生も、そうした延長線上の出来事です。つまり、民間レベルから上手く情報を吸い上げれば、当時のクビライの意図は日本侵略では無くて、国家レベルでの交流・服属を企図していたということは容易に判明したはずなんです。ちなみにここでいう「服属」というのは、さほど過激な意味ではなかったと思います。モンゴル帝国の特徴は、早期に服属を願い出てきた在地勢力にはその領域を安堵し、そのまま統治を一任するというものだったからです。クビライの意図は、とにかく交易を活発化させるということでしたから、武力征服というのは想定外の展開だったことでしょう。もっとも、当時の日本が今でいう「グローバリゼーション」に対応できたかは何とも言えませんけど。ただ、「閉鎖的な島国」という現在までの歴史とは明らかに異なった展開が待っていたとは思います。・・・そういう観点をすべて無視して、「『蒙古襲来』は日本史上最大級の危機だった」という「ストーリー」をでっちあげるのは、「何かのためにする」行為であるようにしか思えません。いったい「何のため」の「ストーリー」なんでしょうね)。


おそらく、日本中世史家の多くはこの種の比較検討を全然していません(以前紹介したことのある東島誠さんとか、真面目に検討してる人もいるんですけどね。そういう人の学説が世間に浸透しないのは本当に残念なことです)。

日本史だけ勉強してきた人の多くは、世界史上の事例との比較検討が出来ていません(日本史の話しかしようとしないから、そういうことになるんだろうなあ)。

これは、日本史「だけ」愛好する人たちに対する批判というよりも、自分自身に向けての自戒の念です。

そういう視点を残してさえおけば、クレージーな歴史観を持つことは少なくなるでしょうしね。


そういう観点だけは忘れずに、なるたけフェアな歴史理解をしていきたいなと思います。
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