江馬直の創作奮闘記

やっとこさ無職ではなくなった創作家、
江馬直の日常を綴るブログです。

天定りて亦た能く人を破る。

2018-08-12 22:17:32 | 各種感想文
『天を相手にする 評伝宮崎市定』(井上文則著 国書刊行会 2018.07)、読了。


時間を忘れてあっという間に読み終えた。

著者が東洋史家ではなく、西洋史家であることに一抹の不安を覚えながら読み進めたが、全くの杞憂で終わった(瑕疵はあった。とにかく誤植が多いのである。国書刊行会の校正さん、もう少し仕事しようよ……)。

宮崎の膨大な功業も、その独善的な性格も、戦時中の「軍部への協力」も、余すことなく述べられている(最近、内藤湖南は高く評価される傾向にあるが、宮崎について言及する書物は少なかった)。

まず万人に薦められる評伝である。


私の師匠の師匠にあたるT教授は、宮崎の直弟子であった。

十数年前、先年物故したT教授に、「宮崎市定とはどんな人でしたか?」と質問したことがある。

師匠の師匠は私をじろりと睨み付けると、「怖おもろい人やったよ」と答えた。

「ああいう人に教わったいうことが、今でも自分を支えておるんやから、不思議なもんや」とも答えてくれた。


司馬遼太郎とは異なる意味で、宮崎の書物を読むと「元気」が出る。

隋の煬帝も、清の雍正帝も、描かれる史上の人物は皆活き活きとしている。

『九品官人法の研究』『大唐帝国』などは、もう何度読み返したか知れない(ちなみに、近々『大唐帝国』が改版再刊されるそうである)。

書いている当人が面白いと思って書いていることが、読んでいる側に感染っていく、といった風である。


本書には、戦後の一時期不遇だった宮崎が、自身に言い聞かせていたという言葉が記されている。

傲慢ともとれる言い草ではあるが、私には、稚気満々たる老研究者が楽しげに漢籍を読み解いていく姿が思い浮かび、どこか微笑ましい気分にさせてくれるのだ。


「お前の悩みは、お前の力がまだ十分に養われていない自業自得のせいもあるが、併しそればかりではない。ずばりと言えばお前は少し早く生れて来すぎたのだ。お前の考えあぐんでいる疑問は、今の時世では、どこへ相談しに行こうにも、行きどころのない性質のものだ。誰一人としてお前の志向に助力できそうな人はいないのだ。(中略)お前はただ自分の考えていることを、思う存分書きまくればよい。古語に言う。人盛んなる時は天に勝つ。天定まりて人に勝つ、と。そういう天を相手にすることだ」
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「知性とは旅のしかたであって、行く先のことではない」

2018-07-17 15:08:22 | 各種感想文
『知性は死なない 平成の鬱をこえて』(與那覇潤著 文藝春秋 2018.04)、読了。


今年はおそらく、これを超える著作を読むことはないだろう。

それほどまでに考えさせられることの多い書物であった。

長年人文科学を学んできた人間としては、昨今の「反知性主義(≒反正統主義)」に対する著者の一言は痛快に過ぎた。

「平成」という時代を「戦後日本の長い黄昏」として読み解く(と同時に與那覇氏の半生を「我がこと」のようにして読む)ことで、重層的な「病」の正体が見えてくる。


「あなたがもし、いまの社会で傷ついていると感じているなら、それはあなたにいま、知性をはたらかせる最大のチャンスが訪れているのだと、伝えたいと思います」と述べる與那覇氏の言説は、『中国化する日本』を執筆していた時のそれよりも、他者の心魂に響く何ごとかへと変貌していた。

長い闘病の中、それでも考えることを止めなかったひとりの「知識人」(敢えてそう呼ぼう)の考え続けたはての「苦い果実」である本書が、知性を否定しない人々によって読み込まれていくことを願ってやまない。
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外れの回がまだないなあ。

2018-02-11 00:46:45 | 各種感想文
『アンナチュラル』(TBS)、第1話~第5話まで連続視聴。


録り溜めた約五時間分、観っ放しになってしまった。

これは面白い。

連続録画しておいてよかった。

よし、今からもう一回観よう。
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きみ玄白たれ、われ良沢たらん。

2018-01-01 22:09:47 | 各種感想文
『風雲児たち ~蘭学革命篇~』(NHK)、視聴。


不覚にも、と言ったら妙だが、新年早々感動してしまった。

何だろう、この感覚。

登場する史上の人々全てへの崇敬の念に溢れている。

そうだよ、こういうものが見たかったんだよ。


この調子で、年一回ペースくらいでいいから、「幕末篇」あたりまで制作してくれないかなあ。
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全七巻だったことにしませんか?

2017-12-17 10:19:28 | 各種感想文
『アルスラーン戦記⑯ 天涯無限』(田中芳樹著 光文社(カッパノベルス)2017.12)、読了。


今年読んだ全小説の中で、読了後に虚しさを覚えた唯一の作品となった。

いくらなんでも酷すぎる。

ストーリーに丁寧さが欠片も存在しないのである。

どう考えても、あと数冊ほどかけて書き上げるべき内容であった(であれば、かろうじて受け入れられる展開であったかもしれない。こういう「オチ」そのものは嫌いではないので……)。


間延びの極みであった十巻から十三巻は一体なんだったのだろう?

本巻終盤の異様な駆け足さ加減とでは対照的にすぎて、むしろ痛々しいほどである。

『タイタニア』も大概であったが、それを遥かに上回る出来の悪さとなった。

「第二部」のすべて、とまでは言わないが、その過半が長大な蛇足であった、と言い切ってしまって差し支えないだろう(裏返すと、「第一部」は本当に面白かったのだ)。


かつて作者は、何かのインタビューで、「作中でキャラクターを殺してしまった場合、作者はそれを背負っていかないといけない」という趣旨の発言をしていたと記憶しているが、本巻の展開すべてを作者は背負っていけるのだろうか?(他にも、「登場人物たちには必然的な死に場所を用意してやらないといけない」とも述べていたはずである。もちろん、敢えて「無意味な死に場所」を用意することで「歴史」の残酷さを描くということも重要だが、それをする場合、読者に「まあ仕方ないか」と思わせられる「何か」が必要になるはずである。本巻の場合、「これが最終巻だから」という以外の理由が思い付かないのである)

……こんな気分を味わうために、私は二十年以上も読み継いできたのかな?
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