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コツコツ歩き隊!

小僧弁天

小僧弁天の由来

「小僧弁天」
こちらの神社は、どんないきさつで建てられたものなのか、どうしても知りたくて、
自宅に帰ってから、ああでもない、こうでもないとブツブツ言いながら、ネットで調べてみると、
ついに見つけました。「小僧弁天」に関する記事!以下がその由来です。(2つ)

<その1>

 享保のころ、萬満寺12代住職安禅和尚の頃、谷口村の豪農篠田家の二男が6歳で弟子入りしました。
 義真坊というその小僧は、利発で和尚に可愛がられましたが、一方では大変ないたずら者で憎まれっ子でもあり、13歳の時、いたずらが過ぎで銭1貫文を与えられ、寺を追われてしまいました。
 日頃の恨みを晴らすのはこの時とばかり、二人の寺男が義真を捉え米俵に詰め、長津下の添堀(現在馬橋付近)に投げ込んでしまったのです。義真は「この恨みは必ず子孫にたたってみせる」と叫び残して死んでしまいました。遺体は古ヶ崎村に流れ着き、享保16年(1731)6月 20日、円勝寺住職によってねんごろに葬られました。  
 その後、古ヶ崎の用水堀には白蛇が現れるようになり、ある夜、村人の夢枕にたって「我は萬満寺の小僧義真の化身。弁天に祀り供養せよ」と告げたので、坂川のほとりに祠を建てて祀り、小僧弁天と呼びました。

<その2>

 10歳で得度した義真は過度の修行で身をこわし、寺を出て投身自殺してしまうのですが、翌日、古ヶ崎に流れ着いた遺骸は村人によって葬られ、傍らに1本の松が植えられました。後に村人の浄財で祠が建てられたのが小僧弁天。
 義真の霊は白蛇となって折々姿を現しました。これを見た人には良いことがあり、また、子供を失った母が祠を詣でると、夢に愛児が見られるとも言われました。

なお、昭和9年(1934)、萬満寺境内にも池が掘られ、弁天の祠が建てられました。

所在地

千葉県松戸市古ヶ崎

お世話になったサイト

「新京成 のんびりおでかけ 途中下車」 vol.30 (2009年12月) 新京成電鉄株式会社 鉄道営業部 旅客サービス課 発行
http://www.shinkeisei.co.jp/pdf/area/nonbiri/nbr_vol30.pdf

後記

由来はいくつかあり、とても昔からある神社(!?)でした。(祠かな?) 
3月11日の地震が理由なのか、灯籠が壊れており、痛々しい感じです。早く修復されることを願います。
その際には、小僧弁天の由来などを記した看板などを立てて、整備してみてはいかがでしょう。(さしでがましいようですが。)
松戸にとって、貴重な史跡の一つだと思います。
地図を見て、興味が湧いて訪れた場所でしたが、記憶に残る場所となるでしょう。


どなたが投票して下さっているのか分かりませんが、本当にありがとうございます。これからも頑張ります!

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