オアシスインサンダ

~毎週の礼拝説教要約~

大能の力によって

2018-02-04 00:00:00 | 礼拝説教
2018年2月4日(日)二か所礼拝(エペソ6:10~20)岡田邦夫


「邪悪な日に際して対抗できるように、また、いっさいを成し遂げて、堅く立つことができるように、神のすべての武具をとりなさい。」(エペソ6:13)

 最近、外国人が日本に来て、他の国に比べて日本人の規律のよさに感心する様です。明治時代、同じような質問をされて、書かれたのが新渡戸稲造の「武士道」。旧5000円札の人。彼は「少年よ、大志を抱け」で有名な札幌農学校を出た人でクリスチャン、留学中に出会ったメアリーと結婚します。その奥さんや周りの人から「日本は宗教教育がないのに道徳観念を持っているのはなぜか?」と聞かれ、即答できず、書き上げたのが英文の“BUSHIDO”(武士道)。翻訳されて今なお読まれている日本人論です。武士はいなくなったけれど、その精神性というのは規律の良さなど、今も広く私たちに引き継がれている様です。
 今日は日本人論を述べようとしているのではなく、その中の一点だけを参考にしようというものです。源頼朝が鎌倉幕府を開いた時より、武士が世の中の中心に躍り出ます。武士は戦う事が専門、しかし、世の中の中心に立って勝手しては社会が成り立ちません。そこで確立されていったのが、今でいうフェア・プレイの精神、武士道という道徳律です。そもそも、武士は戦うものであり、守るものであることが前提です。そのように私たち、クリスチャンも神の国の中心に躍り出たものです。

◇守るべきもの
 では、私たちは何を守り、何と戦うのか、エペソ人への手紙から学びたいと思います。私たちは世の造られる前から神に選ばれており、イエス・キリストの贖いにより救われ、神との和解がなされ、神の国を継ぐものとなりました。神のご目的はそれらの者たちが一つになることです。ですから、教会はイエス・キリストにあって一つのからだであり、それゆえ、一致を目指さなければなりません。多様性を持ちつつの一致です。そうさせない、私たちの罪深さがあります。そうさせてくる元凶、すなわち、私たちのほんとうの敵を知ってこそ、守れるというものです。

◇戦うべきもの
サタンです。「終わりに言います。主にあって、その大能の力によって強められなさい。悪魔の策略に対して立ち向かうことができるために、神のすべての武具を身に着けなさい。私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです」(6:10-12)。エデンの園で「これを食べると神のようになるぞ」というサタンに誘惑にエバとアダムは負けました。初代イスラエルの王サウルは神の声に従わずサタンの声に従い、敗北しますが、その逆が次期王ダビデでした。イエスの弟子、イスカリオテのユダはサタンに魂を売り渡し、主を裏切ってしまいます。他の弟子たちは揺れ動くものの、守られて、主の御声に従っていき、使徒の働きをしていきます。
敵は隣にいるのでも、前にいるのでもなく、上にいるのです。天にいるもろもろの悪霊です。それを意識すべきです。バニヤンの「天路歴程」はクリスチャンという名の者が様々な誘惑をくぐり抜けて天国に行くという寓話です。信仰者の人生はサタンの策略を見抜いていく、賢く生きていくものではないでしょうか。

 パウロはサタンに弱い私たちに策を教えます。「ですから、邪悪な日に際して対抗できるように、また、いっさいを成し遂げて、堅く立つことができるように、神のすべての武具をとりなさい」(6:13)。御国の「武士」としての最強の武具が神から提供されます(6:14-17)。「では、しっかりと立ちなさい。
 腰には真理の帯を締め、
胸には正義の胸当てを着け、
足には平和の福音の備えをはきなさい。これらすべてのものの上に、
信仰の大盾を取りなさい。…悪い者が放つ火矢を、みな消すことができます。
救いのかぶとをかぶり、また
御霊の与える剣である、神のことばを受け取りなさい。
これが武装したキリストの武士です。
この中で、サタンは神の言葉を最も恐れます。イエスが公生涯に入られるときに40日断食した後、サタンの試みに合われます。その時、主は御言葉を突き付けました。3つの誘惑にそれぞれ「~と書いてある」と言って勝利しました。サタンは私たちを傲慢にさせるか、落胆させるか、生ぬるくさせるか、あの手この手です。ですから、聖書を愛読し、その中のみ言葉を信じ、覚えるとよいでしょう。み言葉によって、傲慢が謙遜に、落胆が確信に、生ぬるさが熱心に変えられるでしょう。

 弱い私たちはとにかく何つけても、祈ることです(6:18)。「すべての祈りと願いを用いて、どんなときにも御霊によって祈りなさい。そのためには絶えず目をさましていて、すべての聖徒のために、忍耐の限りを尽くし、また祈りなさい」。パウロは自分も祈ってほしいと書いています。私たちは祈ってもらうことも必要不可欠です。
「邪悪な日に際して対抗できるように、また、いっさいを成し遂げて、堅く立つことができるように、神のすべての武具をとりなさい」(6:13)。

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