オアシスインサンダ

~毎週の礼拝説教要約~

いと高き方の力が

2016-12-18 16:59:45 | 礼拝説教
2016年12月18日(日) アドベント第4主日礼拝(ルカ福音書1:26~38)岡田邦夫
 「聖霊があなたの上に臨み、いと高き方の力があなたをおおいます。それゆえ、生まれる者は、聖なる者、神の子と呼ばれます。…神にとって不可能なことは一つもありません。」ルカ福音書1:35、37

 イエス・キリストの降誕は歴史上、特別なことなので、特別な方法で神から知らされました。夢あり、星あり、み使いありです。今日はマリヤにみ使いガブリエルによるみ告げの話ですが、まずは、このような天使の話から始めましょう。
 アメリカでは毎年クリスマスの日に必ずテレビ放送されるクリスマス映画の定番の一つが1946年制作の「素晴らしき哉(かな)、人生!」(It's a Wonderful Life)です。アメリカ人から最も愛されている映画ともいえましょう。自分の夢を追いながらも父親の急死にともない家業を継ぐこととなったジョージ・ベイリーが主人公です。彼は田舎の小さな町で低所得者のための住宅金融会社を継いで経営に尽力を注いでいきます。町一番の富豪である銀行家ポッターの圧力に負けず、真面目に働いて、家庭にも恵まれて、事業も好転しつつありました。その様な時に会社の大金が紛失する大事件が起こってしまいます。絶望した彼が橋から身を投げて自殺を図ろうとしたその時に、翼を得るために、翼のない二級天使が彼を助けます。見た目は普通の老人です。「自分は生まれてこなければ良かった」と言う彼のため、天使は特別に彼が生まれて来なかった場合の世の中を見せます(幻想)。それによって彼はこれまでいかに素晴らしい人生を送ってきたかを理解し、「メリー・クリスマス!」と歓び叫びながら走って帰ります。すると、奇蹟が起こります。彼の窮地を知った町じゅうの人々がカンパしに来てくれて助けられるのです。家族や町の人々の温かさに、改めて人生の幸福をかみしめた主人公でした。この映画で自殺しようとした彼に天使が言った言葉はこうでした。「君は実に素晴らしい人生を送った(You see, George, you really have had a "Wonderful Life.")。捨てるのは間違いだと思わんかい?」。…2012年12月2日「オアシスインサンダ」(光が我らを訪れ)にのせたもの…

◇天使「に」愛を
 このような天使というのは仮想のもので、それが迷信に陥ってはなりません。しかし、何でも合理的に考えればいいというものではありません。見えないものを想像するというのは人生や社会を豊かにするものです。天使も文化なのです。ある教授が水木しげる作「ゲゲゲの鬼太郎」の妖怪漫画は実に多くの妖怪がでてきて素晴らしい、日本の文化だと絶賛しています。見えないものを豊かに想像していく感性、芸術性が豊かな文化を生み出すのだと思います。
 英国の文豪ディケンズの小説「クリスマス・キャロル」には三人の幽霊が出てきて、過去、現在、未来の状況を見させ、守銭奴の男を改心させる物語です。幽霊とも天使ともいえる、見えない存在が人の心を変えていくわけですね。天使、それが架空のものであったとしても、それを入れた心の部屋が作られているのです。その心の部屋に本当に実在する見えない神をお入れすることができるのです。ですから、そこに偶像信仰、迷信などが入ってはならないのです。
聖書ははっきり命じています。「あなたがたは、ことさらに自己卑下をしようとしたり、御使い礼拝をしようとする者に、ほうびをだまし取られてはなりません」=共同訳「偽りの謙遜と天使礼拝にふける者から、不利な判断を下されてはなりません」(コロサイ2:18)。
 しかし、また、聖書には神の使いとして、天使が旧約でも新約でもこの世界に登場しています。それは私たちに見えない世界を豊かに知らせてくれるものではないかと私は思うのです。

◇天使「が」愛を
 「御使いガブリエルが、神から遣わされてガリラヤのナザレという町のひとりの処女のところに来た。この処女は、ダビデの家系のヨセフという人のいいなずけで、名をマリヤといった」(1:26-27)。ガブリエルは「神は力がある」という意味で、ダニエル書でダニエルに知恵を与える使者として登場した御使いです(ダニエル8:15,9:21)。終わりの日を告げるメッセンジャーでした。そのガブリエルが入ってきたのです。まず、マリヤにこう切り出します。「おめでとう、恵まれた方。主があなたとともにおられます。…こわがることはない。マリヤ。あなたは神から恵みを受けたのです」。アヴェ・マリアは「おめでとう、マリア」のラテン語訳。もし、あなたの魂が飢え乾いていたり、意気消沈していたり、落ち込んでいるときに、このお言葉を私への語りかけとして聞けますなら、幸いです。
 とまどうマリヤに、受胎告知がなされます(司会者が読まれたので、要約します)。「あなたはみごもって、男の子を産みます。名をイエスとつけなさい。…父ダビデの王位をお与えになります。…聖霊があなたの上に臨み、いと高き方の力があなたをおおいます。それゆえ、生まれる者は、聖なる者、神の子と呼ばれます。…神にとって不可能なことは一つもありません」。マリヤは素直に受け止めます。「ほんとうに、私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおりこの身になりますように」。これぞ、謙虚かつ大胆な信仰です。
 御使いガブリエルが神から遣わされて来たことから、始まりました。救い主イエスも神から遣わされて、聖霊によって人として誕生されたのです。世に遣わされて、贖いの使命をはたされて、復活され、帰って行かれました。復活の事実の伝令者としてみ使いが現れています(四福音書に記載、マタイ28:2他)。
 話を少し飛躍するのを許していただければ、お聞きいただきたいと思います。すべてのことは神から出たことです。マリヤもある意味で、御子を聖霊によってお宿し、お育てし、受難と復活の証人となるために遣わされた女性だったと思います。(※「剣があなたの心さえも刺し貫くでしょう」ルカ2:35)。
 私たち信仰者も御子イエス・キリストを受け入れ、お宿しし、その証人として遣わされているのではないでしょうか。私、ある時、不安や疑問や恐れや不信やで…いろんなものがないまぜになっている心の状態の中で、朝目覚めました。すると心の中に「あの祈りの本を読め」と言われているような気がして(それが天使であったかどうかは定かではありませんが)、その日のところを開きました。その日の聖句、「主に信頼し、善を行え。この地に住み着き、信仰を糧とせよ」という共同訳のみ言葉が、私の魂に語りかけてきました(詩編37:3)。そして、それが神の私への派遣の言葉に聞こえてきて、遣わされているという意識を再度もちました。不思議と心が晴れていました。
 さらに思わされました。この主の教会に集う方々は天に国籍を持つ同国人。すべては同じ神から出て、同じ神によっているのではないか。人としてはそれぞれ良いも悪いもあるでしょうが、使命が与えられ、天から遣わされた兄弟姉妹なのだ。極端に言えば、みな「見える天使たち」なのだ。汚れた者に聖なる方が内住するなどとは不可能。しかし、マリヤに「聖霊があなたの上に臨み、いと高き方の力があなたをおおいます。それゆえ、生まれる者は、聖なる者、神の子と呼ばれます」と告げられたように、私たちにいと高き方の力がおおい、聖なる者、神の子、イエス・キリストが内住しておられるのです。その証人として、それぞれが天から遣わされているのです。その恵みにあずかっているのです。おめでとうマリア=アヴェ・マリアをあなたの名に入れ代えてみましょう。アヴェ・あなたの名。今年のクリスマス、まことに遣わされたイエス・キリストご自身があなたにそう言っておられるのではないでしょうか。