オーソレ、何それ?

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最後の連合艦隊司令長官とアメリカの少年たちとの交流

2005-03-22 23:23:41 | 太平洋戦争
太平洋戦争当時連合艦隊きっての名将と評判の高い小澤治三郎が最後の連合艦隊司令長官に任じられたのは昭和二十年五月のことである。そのとき作戦可能な艦船はわずか四十数隻で、米海軍を相手に海戦を挑む力は残されていなかった。小澤は「閑職」の連合艦隊司令長官を終戦まで務めた。

小澤は開戦初頭こそ、コタバル上陸作戦、マレー沖海戦と活躍を見せたが、年功序列の海軍組織の壁に阻まれ存分の活躍はできなかった。そして連合艦隊の花形である機動部隊の指揮を任されたときには、米海軍との戦力差は質量ともに歴然としており、満を持して臨んだマリアナ沖海戦で連合艦隊の機動部隊は事実上壊滅し、レイテ沖海戦では、敵機動部隊を引きつけるための囮として自らの艦隊を指揮しなければならなかった。

しかし、米海軍関係者の小澤に対する評価は高かった。ニミッツ太平洋艦隊司令長官は「小澤提督は敗北の連続だが、その中には常に勝機が秘められていた。」と評している。また、戦史研究科のサミュエル・モリソンも「小澤が三つの帽子をかぶっていた。」と、小澤が連合艦隊の指揮官として稀有の存在であると評価している。ちなみに「三つの帽子」とは小澤がマリアナ沖海戦の時に第一航空戦隊、第三艦隊、第一機動艦隊の長官を掛け持ちしていたことを指しているそうである。

終戦後小澤は敗戦の将としての責任を取って世に出る事を拒み清貧の中でその生涯を終える。元来寡黙なこの元提督は、太平洋戦争に関して口を一切開かなかったため、国民からもその存在は次第に忘れ去れていった。しかし小澤が全身全霊を賭けて戦ったアメリカでは、小澤の名は名将としてその武功や人間性がアメリカの子供達の間でも知られるところとなった。そして多くのアメリカの子供達が敵味方を越えたヒーローとして小澤に手紙を送った。小澤は「英雄でも何でもないが、自分の仕事が子供達に評価されるのはうれしいことだ。」と語り、子供達の手紙には全て返事を書き、これが小澤の晩年の楽しみだったという。

小澤は昭和四十一年に八十歳の生涯を終えるが、子供達の手紙の返事は病で動けなくなるまで、書き続けたという。
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