オーソレ、何それ?

私、o_sole_mioが好きな歴史、旬の話題、
賞味期限の切れた話題等を
適当に書きつづります。

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中国地方の戦国武将5:波乱万丈の山陰の覇者

2004-10-01 00:10:23 | 戦国時代
尼子経久(1458-1541)は中国地方の戦国武将で版図を大きく広げた一人である。しかし彼の一生は波乱万丈の連続であった。経久は出雲の守護代であった父清定の後を継いだが、室町幕府に従わなかったため、守護代の職を解かれ出雲から追放された。経久は流浪の身となったが、本拠地であった富田城奪還を虎視眈々と狙っていた。そして文明18年の正月に新年を祝う千秋万歳の行事に紛れ、富田城を襲いかつての居城を取り戻すことに成功した。その勢いで周囲の国人を味方につけ、奪還した富田城を基点に勢力を着実に広げていった。そして出雲、石見、伯耆を手に入れ、更には安芸、備後、備中も脅かし、周防・長門を中心に勢力を広げる大内氏と対立した。そして中国地方の国人、小領主は尼子と大内の力関係を眺めながら同盟する相手を選んでいった。安芸吉田の国人であった毛利元就もそういった中の一人で、尼子と大内との狭間で揺れ動いていた。

出雲守護代を追われ、流浪の身から中国地方の一台勢力へと成り上がった経久であるが、後継者には恵まれなかった。長男の政久は伯耆の南条攻めで戦死し、三男の興久は父経久に反逆し討伐された。経久は家督を戦死した政久の子供で経久の嫡孫、晴久に譲る。

経久には、持っているものを褒められるとそれを与えるという癖があり。褒めるものなら何でも与えた。ある日経久を訪れた人が松の木を褒めたことから経久は松の木をその人に与えるように命じたが城門を通らなかったため、経久は松の木を切ってでも届けるように命じたという。この度を過ぎた気前のよさのため、経久を知る人は彼の持ち物を褒めないようにしたという。

経久は84歳の長寿を全うしたが、尼子家は没落の兆しをみせており、その行く末に不安を抱きながらの最期だったに違いない。

経久は毛利元就と親子ほど離れており、元就も経久をお手本にしていたかもしれない。経久と元就は2人とも長男に先立たれ、嫡孫に家督を譲ったが、毛利は小早川隆景、吉川元春の「両川」を中心に叔父達がよく嫡孫の輝元を補佐し、織豊時代に磐石の態勢を築いたが、尼子は、3男の興久は父に謀反を起こして討伐され、また次男の国久は有力な戦闘集団である新宮党を率いたが、嫡孫の晴久がこれを殲滅した。元就の計略よるものと言われている。このように親族同士が合い争うことにより尼子氏は力を失い、1566年経久が苦労の末奪還した月山富田城はついに落城してしまう。経久が没して25年後のことであった。
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2 コメント

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教育感による盛衰の差. (U-1)
2004-10-04 23:51:05
分り易い解説、いつもありがとうございます。



どうもこの辺の歴史、こちらでは資料も少なく、空白の感がありました。この部分がはっきりしないと、戦国時代の歴史、何か判然としません。

感謝して、読ませて頂いております。



さて、尼子氏の滅亡ですが、当時は子育てを乳母に任せきっていたのが、不和の元ではないかと想像します。母親が、公平に愛情を注ぐのとは違い、子ども一人一人、愛情の対象も異なり、私達が考える親、兄弟の関係と別の家族意識が出来上がっていたのではと思うのです。



それにしても、尼子経久の性癖、おもしろいですね!

いったいどこから来るんでしょう。お酒,食事,お茶

薬、家庭の環境...何でしょうか。

実は、私もキタガワさんを心から誉めたところ、10億頂きました。謎を解く鍵はキタガワさんも、持っているかもしれませんね。



毛利元就の教育観 (o_sole_mio)
2004-10-05 00:11:42
U-1さん、いつもコメントありがとうございます。



私は戦国時代の典型的な家族形態であれば、尼子のような同族合い争うというというのが一般的で毛利元就の方が特殊なケースだと思います。



元就の教育法はとにかくコミュニケーションで、元就が家族へあてた書状は膨大なものがあるそうです。その当たりの事情はブログを始めて間もない6月13日の記事にまとめております。



また、家族の教育(というよりは操作法かもしれません)や、いずれ記事にしようと思っていますが、厳島の合戦の進め方をみますと、元就の巧妙さ、緻密さには凄いものがあります。家康に通じるところもありますね。



従って尼子はなぜ失敗したかというのではなく、毛利が何故成功したか、ということになるのではと思っています。

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