岐阜/医大生が指導する明光義塾長良教室&芥見教室

医大生が個別指導する全国でも珍しい塾が明光義塾長良地区、芥見地区に登場。山県市、美濃市、関市からも通塾されています

★あの頃

2017年05月14日 17時16分43秒 | 日記

★母の日

 今日は母の日。それぞれの思いに感謝の気持ちを捧げよう。
 今、あなたに母親がお元気なら何か照れくさくても感謝をしよう。得てして男性は照れくさくて出来なものですがさりげなくしてみよう。
 もしも、感謝を出来ない人がいるならばそれは私と同じです。孝行したいときに親は無しと云います。先日も私の義母が亡くなり明日が49日だそうです。本来は帰って行かないといけない立場なのですが無礼をしています。

 私の母は以前も書きましたが私が高校1年の時交通事故で亡くなりました。父親は一緒にいましたが何とか重傷であったものの助かり84歳まで元気に長生きいたしました。私は母親とは言うに言えない話がありますが書くに堪えれないほどの思い出が沢山あります。
 
 その頃私は長嶋茂雄が大好きで(当時四国は日本テレビとNHKしか映りませんでした)野球少年で何とか甲子園で六大学は神宮の森でという夢を抱いていました。申し訳ないですが国立大学などは最初から頭になかったです。私立花形時代の幕開けだったのです。高校野球は当時私の学校は夏に強く今でも毎年シード校になっています。文武両道というのでしょうか野球が好きでした。お蔭で私の時に甲子園の準決勝まで進出しましたが敗れ決勝には出れませんでした。後援会は荒れて優勝しなければ1回戦で負けるのも同じ、出るだけ金を使うのですから大変です。当時は海を渡っていくのですから一泊はかなりな金額だったと聞いています。最低ベスト8なのです。

 しかし、その後神宮の大会では見事に優勝をしたのですが私はその時すでにもう野球の世界からは足は洗っていました。大学受験に勉強をするということで入学した時は学年で一桁の番号でしたが10番台になり20番台になり徐々に下がってきました。母親は野球の所為とは言いませんでしたが担任と話して野球を辞めることになったのです。試合の直前では硬球のボールを素手で受けるのです。つまり体の真ん中で球を受ける練習です。あばら骨何本折ったか?(笑)。

 私の学校は夏目漱石が書いた『坊ちゃん』で有名な松山東中学(現在の松山東高等学校の前身)の分校になります。坊ちゃんのモデルになった教頭の赤シャツの腰巾着野だいこが赴任して今の校章が出来たとのことです。また徳川御三家紀伊藩の分家で江戸時代の参勤交代も許されていたようです。ですから学校の周りは堀でその周りを走るのが日課であったのですがもうそれも1年の夏までで終わりました。

 自由な時間がたっぷりできました。今でいう帰宅部になりました。好きなだけ勉強してもいい、遊んでもいい。しかし、目的の学校には行きなさいと言うのが母親の口癖でした。自分は優秀であったのに家庭に事情があって行くことができず看護師にならざる得なかったのがかなり屈辱だったようです。本家の従兄は総代でした。母親も総代でしたが時代が許してもらえなかった。また家庭環境が許してもらえなかったとのことでした。よく埼玉の草加市に住んでる当時の先生が実家に帰って来ては私の家に一泊していたのを思い出します。
 
 そんな中で私は小さい時から今でいう習い事はたくさんさせられたことは事実です。しかし、何もできなくて本当にお返しが出来ず申し訳なかったと何時もこの母の日には思い出すのです。

 年が明けまだ正月気分が抜けきらない時に母親は飲酒運転の車に跳ねられ即死致しました。テレビ、新聞の報道はもとより学校のクラス全員が葬儀に参列をしてくれたことを思い出します。

 それから50年が過ぎました。しかし、母親との約束は果たせず今は懺悔するしかないのですが私は精一杯生きてきました。これからもどうなるかわかりませんが『次代のエースは君だ!』を合言葉に私が心残りだったことを次の世代にバトンを渡していこうと考えています。体を壊したのは小さい頃からですが小学校に入学する前のことです。1980年代までありましたポリオウィルスが原因で麻痺が起こる『小児麻痺』になる直前でしたが運よく早期発見で治ることができました。これも母親が看護師であったからかもしれません。しかし、母も亡くなり会社勤めをして転勤18回もしましたがお蔭で体を壊してダウンしたのです。ゴルフ場で、東京の会議中に、夜中に倒れるのですが原因が分からないのです。そして決定的な入院をせざる得ない時期は教室をオープンして3年後ぐらいかと思います。救急車で即入院し手術になったのですが陳旧性心筋梗塞という病名で心臓の1/3が現在壊死状態になっています。あの時神様はきっと『生きよ』と私に使命を与えてくれたのだと思っています。親父はよく言っていましたが「みんなの分まで生きよ」と言ってくれました。母親は42歳、弟は39歳で亡くなり父親だけが何とか84歳まで頑張りましたが私はみんなの命まで生きていこうと考えています。正直佐藤愛子の「90歳何がめでたい」であります。

 いくら両親より勉強ができ出世をしても、お金を貯めていい思いをしても両親を越えることは出来ないと思います。両親の思いや愛情を越えることは無理なことです。それだけ愛情は深いものです。学生時代古い考えだとか生意気に色々言ったりしましたが何と心の狭いことだったでしょうか。

 今日はそんなことをぼんやりと考えブログの更新をしてみました。
 塾の方は今月の19日にテスト対策や高校生の全国共通テスト、中学3年生の志望校判定模試、数学検定の締め切りとなっています。詳細は http://mm-homepage.com/dozan/を見ていただければ幸いです。

<今日の言葉>
『誰よりも、三倍、四倍、五倍勉強する者、それが天才だ』
                           野口英世


<今週のYouTube>
森田童子の『チチよ ハハよ』を選びました。
https://www.youtube.com/watch?v=psgqW3ysm1Q

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<詳細>
http://mm-homepage.com/dozan/

長良教室 058-210-1730
芥見教室 058-244-0170



 


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