岐阜/医大生が指導する明光義塾長良教室&芥見教室

医大生が個別指導する全国でも珍しい塾が明光義塾長良地区、芥見地区に登場。山県市、美濃市、関市からも通塾されています

★徒然なるがままに

2014年01月12日 16時45分09秒 | 受験

★腹を決めよ

 昨日11日(土)は朝から雪が降り屋根には少し積もっていました。昨日は母の命日でどうしても延算寺の墓地に行く予定でしたので心配でしたが何とか行く頃には雪も止み心いくまでお話をすることが出来ました。

 私の母は交通事故で高校1年の時亡くなりましたが、その後大学受験の時に親父が再婚をした関係上家にいることも出来ず家出同然に飛び出しました。浪人する経済的な余裕はあったかもしれませんが新しい母を迎え一緒に暮らす気は更々ありませんでしたので私は志望校が全部駄目でおまけに滑り止めも駄目で・・仕方なく逃げるように3月の20日頃に香川大学で某大学を受験しました。まあそれはそれでよかったのですが母との思い出は42歳で亡くなったものですから色々ありました。

 私は好きな花はいつも百日草と答えています。それもオレンジ・・・巨人軍フアンだからという訳ではありませんが実はこの花は母と一緒に植えた思い出の花なのです。そして何日か経ったある日母が百日草の花が咲いた・・・と云って食卓の扉を開けたのです。そこには綺麗に整列をしているオレンジ色の百日草が咲いていたのですがまるで後光が射しているようでした
 
 その風景は今でも何故か心に残っていて母=百日草=オレンジとなってしまうのです。成人した私は今でも思い出す事は沢山あるのですが一番最初に想うことはその花のことなのです。何故だか分かりません。母はその花が本当に一番好きだったのかどうかも知りません。ただ勉強には厳しかったのは覚えていますし、当時としては田舎の街では教育ママのように習い事は沢山しましたし結構しごかれていたのを思い出します。そう云えば学校の先生が定年後埼玉の草加市に住んでいたのですがよく我が家に来て泊っていました。先生の自慢の生徒だったようです。

 しかしその母も私が高校1年生の時に交通事故で飲酒運転の方にぶつけられ親父は腰を打って大丈夫だったのですが母は即死でした。翌日の新聞やテレビにも出ました。その時の私はただ茫然として流されるままに日が経っていったということしか記憶にありません。
 私の学校は古く今年で125周年になります。なかなか難しかったのですがあまり受験については考えませんでした。そうなるのだろうって考えていたのです。そこから大学に進学するという道は分かっていましたから何も迷うことはありませんでした。

 この時から私の人生の歯車が少しずつ変わってきました。狂ってきたのかそれともそうなるようにできていたのか分からないです。苦い青春時代を過ごす訳ですが決して後悔はしていません。もう今からどの位頑張れるかなって考えたりする時もあります。しかし、私は全力で人生を走り抜けたいと考えています。悠々自適に老後は過ごしたら・・・なんて云う方もいますがとてもそんな気にならない。性分なのかいつも仕事をしていたいのです。そしていつも中心でいたいのです。きっと我儘なのでしょう。

 もともと私は権力志向で最初は防衛大学に行こうとしていました。その次は警察大学に・・・段々落ちて最後は列島改造論に合わせ住宅メーカーに入社しましたが公務員なんて・・・と云うことで教職課程は取りましたが学校の先生になることは止めたのです。それが今は学習塾の先生。人生はブーメランのように回ってくる。『お天道さまが見ている』と有名な政治家が云いましたが実は大学時代政治家の秘書にならないかと云われたこともありましたがその時は作家になるつもりでしたから余計なことは邪魔になりました。先日私の大学のOB・OGで全共闘のメンバーが終結したそうですが凡そ80人ほど集まったようです。ようですと云うのは同じ部活の仲間が教えてくれたのですが私は正直そんなことは興味がなくなっていましたので声もかかりませんでした。当時私は実家に帰ることが苦痛で結局新居浜に近い高松市に就職したのですが権力志向だった私がいつしか忘れ当時の彼女とも大垣城で別れ四国に帰るのですがそこに待っていたのは生涯の仕事にしようとした作家の道も途絶えてしまったのでした。

 それから転勤族でポストを含め18回の移動。落ち着いたのはこの岐阜の地でした。不思議なことにここの社員とは来てそうそう三日目に歓迎会で殴り合いの喧嘩となり組合から転勤させて欲しいと当時の支店長に談判があったのですが私は私で単身でしたので好きなメンバーと社宅でマージャンをしてましてそこに支店長がジョニ黒のウイスキーを持参してきたのです。烈火の如く叱られると思ったのですが何と一緒になってマージャンをするのです。他の者は半分逃げ腰ですからもうぼろ負けです。結局彼らは帰りましたが私はそれから朝までウイスキーを飲みながらお説教をされました。酒の匂いをぷんぷんさせながら朝礼をしたのですがまあ心穏やかでない日々でしたがその支店長も本部の財務部長までやって私の長男の結婚式にも出て頂いたのですが何年か前に亡くなりました。それは教室をオープンして1年後に親父が死にその後三年後に亡くなりました。

 こうして人生は早く今から何が出来るか・・・何をしたいか・・・そんなことばかり考えているのですが未だに事業意欲は衰えません。多分に私は死ぬまでこのように走り抜けていくのだろうと思います。私は『次代のエース』を作り『社会貢献』が出来る人材を育成したいと考えています。それが私に残された使命であり社会貢献なのだと考えているのです。ですから勉強だけ出来ても駄目、人格的に大きく成長できる方、それは仮に勉強が出来なかったとしてもそれなりに次代を背負って行ける人材を育成していこうと思っているのです。

 今日は第4回岐阜新聞テスト。長良教室では大学受験生を集め無料で指導しています。芥見からも参加していますがもう此処は腹をくくっていくしかありません。人生はそれなりに動いていきます。ただ言えることは

『頑張ったか』
『投げたか』

 人生は形は違えどテストだらけです。投げるか投げないかの違い・・・仮に結果希望の処に行けなかったとしても頑張った者はいつかは勝利を握ります。それはお金では換算できない貴重な『経験』と云うものです。
 
 早い時期に挫折感を味わった私は仕事に没頭し随分生かさせてもらいました。気が付かない方でも何処かで形は変われども生きている筈です。凡そ人間には人には言えない苦い経験があるものです。なにもないなんて云ってる者もいますが私から云えば何処かで必ず失敗します。失敗の無い人生なんてある訳がない。ただ云わない方、顔に出さない方は沢山います。そんな苦労したことがないって強がっている方も見えますが腹の中は分かりません。顔に出さない方は尊敬に値しますが私は喜怒哀楽が非常に激しいです。自分で自分を抑えきれない時もただありました。瞬間湯沸かし器みたいなものですがただ言えることは『義』を重んじることです。大義なくして喧嘩はしません。負けると分かる喧嘩はするなと云いますが分かっていても私の性分ではやってしまうのです。正義感が強いというか潔癖性なのです。

 そんなことで徒然なるままに書いてみましたが来週には早くもセンター試験です。今まで頑張った事を全部出しましょう。自分の努力に『後悔』と云う文字は無いというぐらい腹を決めてください。頑張れ受験生!

<今週の言葉>
『英雄のいない時代不幸だが、英雄を必要とする時代はもっと不幸だ』
                           石川啄木
今日のYouTubeはRAN WIREの『歩み』を選びました。

http://www.youtube.com/watch?v=Lt-4DAZPmoA

『乗換えキャンペーン実施中』
入会随時
長良教室&芥見教室
<詳細>
http://mm.visia.jp/dozan/

長良教室 058-210-1730
芥見教室 058-244-0170


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