南飛騨からこんにちは

田舎で農業しながら、日々気になること、ふるさとのこと、おもしろかったこと、趣味のことなど気軽に書きます。

70回忌 鳳凰開拓団を伝承する会がありました

2014-10-19 | ふるさと調査

下呂市の私が居住する中原区の主催で「鳳凰開拓団を伝承する会」火打地区の臨済宗東泉寺で行われました。

開会の鉦が鳴り、区長のあいさつについで、70回忌法要のお経があげられたあと、関係代表者の焼香で法要は終りました。

 

報告に入り、中原小学校の武田淳次先生がプロジェクターによって背景・歴史・経過・犠牲者の実態など詳細に分かりやすく話されました。

次いで残り少ない開拓団の体験者である保井戸地区の桂川慎一さんから地図を示しながら報告がありました。13才で親と入植し17才で家族・村民の集団自決を目のあたりにし、今でも自決については話したくないとのことでした。約1年をかけて中国大陸から帰国した壮絶な経験を話されました。

お寺の若和尚から「これまで位牌があることは知っていたが開拓団の話は、初めて知った。次の世代に伝えていきたい」と感想を述べられました。

これまでも下呂町の「平和の礎」やこの地域のふるさと研究会発行の「中原の名所史跡と伝承」などでも鳳凰開拓団の悲劇は記されてきましたがまだまだ区民の中に広がっていないようです。これを機会に話が伝わって行くことを期待したいと思います。

10月22日追記

 帰宅して当日配布された「敗戦・自決・引き揚げ」という資料を読みました。この中にあった泉校長先生の手記を引用します。・・・団長自らも自分の家族五人に毒薬を服用させ、また、拳銃をもって処置された。・・・・私の妻は、今まで見たこともない綺麗な、いや透き通るような、そして神々しい、何と例え様のない顔をして、仕立下ろしの晴れ着を着、二人の子も着飾っており「お父さん、早くお星様にして下さい」といった。私は家族の身に日本刀を振った。・・・・このようなすざましい内容が記されています。桂川慎一さんが話すことができないのは、最もと思います。この手記の著者泉校長先生は良く書かれたと思います。また桂川慎一さんは、鎮魂の気持ちをこめて現在も毎日写経を続けておられるそうです。