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天空の城・備中松山城と吹屋☆

2023-03-31 | 日記

備中松山城は標高430mにある天守が現存する山城。城主がくるくる変わるが、幕末の老中板倉勝静が有名かな?。5万石。

位置的にはこの辺り。岡山城は備前で福山城は備後。吉備の国です。

パンフレットより拝借。絶景の山城だが、雲海は秋から冬で運が良ければ~?

高梁市内で小型バスに乗り換え、標高270mのふいご峠でバスを降り、ガイドから説明を受ける。一般車は麓の駐車場からシャトルタクシーが出ている。

我々はふいご峠から登山開始。

山城まで150mの登り。階段の段差が大きくて疲れる。段差が大きいのは敵の進入を防ぐ防御のためだそうだ。

10分ほどで太鼓櫓に着く。

高梁市内が一望。市内から山城まで標高差400m。麓に館があり、通常は館で政務。歩いて登る人もいるというが面白そう。

まだ登りが続く。

 

30分ほど登って大手門跡に到着。

城の全体図。両サイドは急峻な崖。

この辺りの石垣が美しいという。大河ドラマ「真田丸」で使われた場所。

最後の登りです。

階段を登り切ったら突然天守が見えた。備中松山城は廃城を命ぜられ、大手門を壊したら偉く費用が掛かったので、城は壊さずに壊したことにして放棄したそうだ。ネットで見ると明治初めにただ同然で払い下げられたが、膨大な廃材の運搬費用が掛かるため買主が放置したという。

左から天守に入るが、先に城の裏手に回る。

こちらは二重櫓。尾根の上に建っていて両サイドは切り立った深い崖で足がすくむ。

ここから二層の天守に入る。

四隅にあるカーブした柱が地震の揺れを吸収するという。昭和4年に地元の中学教諭の報告書から崩壊寸前の山城の修復機運が高まり、大修理を行う。費用不足により全校生徒が瓦を持ち上げたというのは有名な話。

小葉のミツバツツジ。今年はかなり早いという。

吹屋

高梁市内のホテルで昼食後、バスで40分の吹屋に着く。山中に突然現れた街並み。高知の梼原を思い出した。

吹屋はベンガラで有名な町とパンフレットで知ったが、吉岡銅山の鉱山町だったと知って感動。江戸期には住友が、明治になり三菱が経営した銅山。山神神社の鳥居にはスリーダイヤモンドがついている。

ベンガラ染めの店。鉱山の副産出物に純度の高い硫化鉄鉱石が取れ、そこから高品質のベンガラ(酸化鉄)を精製し、全国に販売し、この集落は裕福な村になったという。

今ではジャパンレッド発祥の地として売り込んでいるそうだ。

旧吹屋小学校に向かう途中にあった吉岡鉱山の鉱夫長屋跡。半世紀前にも別子銅山に鉱夫長屋があり、当時社員が住んでいた。

旧吹屋小学校は銅山事務所の跡だそうだ。昭和初めに銅山を鉱量枯渇で縮小したためか、ここでは大きな公害問題は発生していない。中規模の鉱山だったようだ。

吉岡銅山の地図。今では坑口遺跡までは荒れた道になっているというが、坑道の整備と吹屋の町並みをセットにすれば、石見銀山に似た観光地になりそうだが?

懐かしい教室風景です。

今日は観光客がほとんどいない。

ベンガラの屋根がジャパンレッドのようだ。茅葺時代にベンガラの瓦屋根は裕福だった証拠でしょうね。

金沢の赤とは違った少しくすんだ赤です。備中松山の山城も面白かったし、吉岡銅山の跡地を歩けて最高だった。そのうち吹屋も有名になりそうな気配がする。これから桜の津山城に向かう。

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