【詩編142編1~7節】
【ヨハネによる福音書5章1~9節】
ヨハネによる福音書5章から「ベトザタの池で病人をいやす」という箇所を読んでいただきました。
ベトザタという意味は、明確ではないようで、「慈しみの家」とか「オリーブの家」といった意味があると言われています。
言葉の意味ははっきりしていないとしても、この池は、イスラエルの人々からすれば、特別な池であったことは間違いありません。
細かい箇所ですが、5章3節の次が5節になっています。4節がありません。なぜ無いのかというと、恐らく後のある時代に、4節に記された御言葉は加筆されたであろうと考えられているからです。その印が小さな♰のような印です。
口語訳聖書には4節がカッコに入れられて記されていまして、そこにはこうあります。「彼らは水の動くのを待っていたのである。それは、時々、主の御使いがこの池に降りてきて水を動かすことがあるが、水が動いた時まっ先にはいる者は、どんな病気にかかっていても、いやされたからである。」
恐らく、この御言葉は読者が読んで理解しやすいようにと後の時代に記されたのでしょう。
でも、この文章がありますと確かに分かりやすい。ベトザタの池の周りには多くの病人が集まっていたであろうと思われます。池の大きさは割合に大きかったようです。凡そ100m×60m位はあったと言われています。現在は、この池があったと言われる場所に「聖アンナ教会」と呼ばれる教会が建っているそうです。アンナはマリアの母親の名前です。
皆さん、頭の中に台形を思い浮かべてください。台形には四辺あります。その四辺の中に一本線を入れると五つになります。それが「五つの回廊」となって、池の周りと中央に廊下が設置されて、そこを歩ける、あるいは座れる、あるいは寝そべることが出来るようになっていたと思われます。
今、新型コロナウィルスの影響の中、病院に沢山の患者が詰めかけているようです。けれど2年前のコロナ前であっても、病院には多くの患者、病人で一杯でありました。病院は、病気にならなければ行くところではありませんが、殆ど行ったことのない方、これまで一度も入院したことのない方は幸いだと思います。お見舞いに行くということもありますけれど、病院に行くとこんなにも病人がいるのかと改めて驚くような思いをする時があります。
イエス様の時代、現代のような病院などはあるはずもなく、池の周りには、そのようにして多くの病人がいたと思われます。「病気の人、目の見えない人、足の不自由な人、体の麻痺した人」など、実に大勢の人々が癒されたいと願い、弱っている体を押して、あるいは誰かに連れて来られて通っていたのでしょう。
1節を見ますと「ユダヤ人の祭りがあったので、イエスはエルサレムに上られた」ともあります。この時の祭りは恐らく「過越しの祭り」と考えられます。いわゆる巡礼の祭りの一つで、多くのユダヤの人々が祭を祝うために、エルサレムに向かいます。主イエスも、この祭りのために、エルサレムに向かったのでしょう。神を賛美し、自分達の先祖は、エジプトで奴隷の民であったけれど、主なる神がエジプトから導き出し、自由の民となったことを忘れないように行われる喜びの祭り、それが過越しの祭りです。
多くの人々が祝い、賑わうそのエルサレムの城壁の羊の門と呼ばれる門からさほど遠くないところにベトザタの池がありました。一方においては喜びの祭り、しかし、対比されるようにして祭りであろうと、なんであろうとも、池の周りには、病気で苦しむ大勢の病人が毎日集い、癒し、救いを待ち望んでいた。ここには笑顔も喜びも見いだされなかったでありましょう。
主イエスはその池にやって来ました。そこに38年も病気で苦しんでいる人がいました。主はその人を見て、もう長い間病気であることを理解されました。なぜ、大勢の病人がいる中にあって、なぜこの人だったのでしょうか。なぜ、この人に主は目が向いたのでしょうか。
ある先生は、「恐らく多くの病人の中でも、最も絶望的な思いを持っていた人であると主は理解したのではないか」と告げています。38年という年月、出エジプトを果たしたイスラエルは、神の与えたもうカナンの土地を目指して荒野を40年旅しました。
男子だけで60万人もの人々がエジプトを出たにも関わらず、40年後、目的のカナンの土地に生きては入れた人は、僅かに二人だけでした。モーセでさえ、その土地を目前にして天に召されていきました。
そのことを思うと38年という年月、病気で苦しんでいる、それは人生そのものが病気というか、病気以外の人生を知らなかったと言ってもいいかもしれません。どのような病気であるのか分かりませんが、一人では動けない状況でした。
主は「良くなりたいか」と話しかけました。この言葉に病人は「主よ、水が動くとき、わたしを池の中にいれてくれる人がいないのです。わたしが行くうちに、ほかの人が先に降りて行くのです。」と答えました。この言葉は自分の病気に伴ってくれる人は誰もいません、という意味でしょう。この人は一人で苦しみ、一人で悲しみ、痛みに耐え、そして絶望していたと思います。
その様子を見て主は言われました。「起き上がりなさい。床を担いで歩きなさい」すると、その人はすぐに良くなって、床を担いで歩き出しました。自分の人生になんの希望も見いだせず、ほとんど絶望していた一人の人、恐らく多くの病人の中でも、最も絶望的な思いであったろう人、しかし、そのような人をこそ立ち上がらせてくださる方こそが主イエス・キリストです。
先ほどの先生は続けて「最も絶望的な思いを持っていた人」とは、すなわち私たちではないかとも告げられました。私は、本当にその通りだと思います。なぜ、私たちが神を信じたのか。なぜ私たちが神を信じているのか、この方こそ、私たちの様々な絶望のその先に希望の灯を灯された方であると、私たちも、それぞれに様々な体験を通して、そのように信じているのではないでしょうか。
38年も病気で殆ど何も出来ず、池の周りにうずくまるしかない、自分の人生はこんなものでしかない、あるいはなぜ自分は生まれて来たのだろう、と諦めていた命に、「起き上がりなさい。床を担いで歩きなさい。」と自らが行動を起こすように促し、体を癒してくださり、希望を与える方こそ私たちが信じる神、主イエス・キリストです。
詩編142編を読んでいただきました。この詩編もまた、圧倒的な絶望の中にあって、主に救いを求めている詩編です。ダビデの詩、ダビデが洞穴にいた時、祈り。とタイトルが付けられています。この時、ダビデはサウル王の追っ手に追われていました。難を逃れてガドの王であるアキシュを頼って、ガドの地域までやって来るのですが、アキシュはダビデを迎え入れようとしません。それどころかアキシュ王にも命が狙われるかもしれないと悟ったダビデは、自ら気が狂ったふりをして、アキシュの前に現れて、呆れたアキシュはダビデを追い出して、なんとか命は助かるのです。しかしその後、ついに洞窟の中に逃げ込んで、身を沈めるようにして過ごすのです。
サウル王には命を狙われ、ガドの王には見離され、もはや打つ手がない状況の中で、しかし、主なる神に向かいほとんど絶望的な中にあっても、「声をあげ 、主に向かって叫び 声をあげ、主に向かって憐れみを求めよう。」と祈ります。6節にはこう記されます。「主よ、あなたに向かって叫び、申します。『あなたはわたしの避けどころ 命あるものの地で わたしの分となってくださる方と』
神様、あなたのみが私の避けどころです。あなたこそが頼りですと願い祈り続けるのです。その祈りをささげた後、不思議な事にダビデのもとに、ダビデを慕った仲間が続々と集まり、ダビデは一人ではなくなり、その後は、難を逃れながら、ついにはイスラエルの王となり、イスラエルの民に最も愛された王の一人となっていくのですが、人生の最も苦しい時、辛い時、長い暗闇のトンネルだと思うような時、私たちは、ダビデのように、自分は一人だと思うのではないでしょうか。誰も助けてはくれず、誰も救いの手を差し伸べてはくれないと思うのではないでしょうか。
けれど、そのように思う時、それは既に、罪に陥る一歩手前のようなものではないでしょうか。罪とは的をはずすことだと言われますけれど、私たちは的をはずすことなく、主に祈り、求め続けていきたいものだと思います。
主なる神はダビデと共におられた。そして主イエス・キリストは38年もの間、見放されたような一人の病人の為に働かれました。この出来事は、神様の働きは民全体の中で働かれると言うよりも、一人ひとりのその与えられた状況、人生におられると私は思います。そのようにして、主イエスは福音を宣べ伝えられました。
この教会全体のために神がおられるのではなく、神が自分と共におられたと信じる一人一人が集って教会となっていくのです。
全体のために誰かが犠牲になるのではありません。主の恵みに生きる一人一人によって体となり、一つとなっていきましょう。
厳しい社会状況が続き、緊張が強いられる毎日の中にあっても、神を信じ、それゆえに平安と希望をたゆまず持ち続け、今週も過ごして参りましょう。
お祈りします。
【ヨハネによる福音書5章1~9節】
ヨハネによる福音書5章から「ベトザタの池で病人をいやす」という箇所を読んでいただきました。
ベトザタという意味は、明確ではないようで、「慈しみの家」とか「オリーブの家」といった意味があると言われています。
言葉の意味ははっきりしていないとしても、この池は、イスラエルの人々からすれば、特別な池であったことは間違いありません。
細かい箇所ですが、5章3節の次が5節になっています。4節がありません。なぜ無いのかというと、恐らく後のある時代に、4節に記された御言葉は加筆されたであろうと考えられているからです。その印が小さな♰のような印です。
口語訳聖書には4節がカッコに入れられて記されていまして、そこにはこうあります。「彼らは水の動くのを待っていたのである。それは、時々、主の御使いがこの池に降りてきて水を動かすことがあるが、水が動いた時まっ先にはいる者は、どんな病気にかかっていても、いやされたからである。」
恐らく、この御言葉は読者が読んで理解しやすいようにと後の時代に記されたのでしょう。
でも、この文章がありますと確かに分かりやすい。ベトザタの池の周りには多くの病人が集まっていたであろうと思われます。池の大きさは割合に大きかったようです。凡そ100m×60m位はあったと言われています。現在は、この池があったと言われる場所に「聖アンナ教会」と呼ばれる教会が建っているそうです。アンナはマリアの母親の名前です。
皆さん、頭の中に台形を思い浮かべてください。台形には四辺あります。その四辺の中に一本線を入れると五つになります。それが「五つの回廊」となって、池の周りと中央に廊下が設置されて、そこを歩ける、あるいは座れる、あるいは寝そべることが出来るようになっていたと思われます。
今、新型コロナウィルスの影響の中、病院に沢山の患者が詰めかけているようです。けれど2年前のコロナ前であっても、病院には多くの患者、病人で一杯でありました。病院は、病気にならなければ行くところではありませんが、殆ど行ったことのない方、これまで一度も入院したことのない方は幸いだと思います。お見舞いに行くということもありますけれど、病院に行くとこんなにも病人がいるのかと改めて驚くような思いをする時があります。
イエス様の時代、現代のような病院などはあるはずもなく、池の周りには、そのようにして多くの病人がいたと思われます。「病気の人、目の見えない人、足の不自由な人、体の麻痺した人」など、実に大勢の人々が癒されたいと願い、弱っている体を押して、あるいは誰かに連れて来られて通っていたのでしょう。
1節を見ますと「ユダヤ人の祭りがあったので、イエスはエルサレムに上られた」ともあります。この時の祭りは恐らく「過越しの祭り」と考えられます。いわゆる巡礼の祭りの一つで、多くのユダヤの人々が祭を祝うために、エルサレムに向かいます。主イエスも、この祭りのために、エルサレムに向かったのでしょう。神を賛美し、自分達の先祖は、エジプトで奴隷の民であったけれど、主なる神がエジプトから導き出し、自由の民となったことを忘れないように行われる喜びの祭り、それが過越しの祭りです。
多くの人々が祝い、賑わうそのエルサレムの城壁の羊の門と呼ばれる門からさほど遠くないところにベトザタの池がありました。一方においては喜びの祭り、しかし、対比されるようにして祭りであろうと、なんであろうとも、池の周りには、病気で苦しむ大勢の病人が毎日集い、癒し、救いを待ち望んでいた。ここには笑顔も喜びも見いだされなかったでありましょう。
主イエスはその池にやって来ました。そこに38年も病気で苦しんでいる人がいました。主はその人を見て、もう長い間病気であることを理解されました。なぜ、大勢の病人がいる中にあって、なぜこの人だったのでしょうか。なぜ、この人に主は目が向いたのでしょうか。
ある先生は、「恐らく多くの病人の中でも、最も絶望的な思いを持っていた人であると主は理解したのではないか」と告げています。38年という年月、出エジプトを果たしたイスラエルは、神の与えたもうカナンの土地を目指して荒野を40年旅しました。
男子だけで60万人もの人々がエジプトを出たにも関わらず、40年後、目的のカナンの土地に生きては入れた人は、僅かに二人だけでした。モーセでさえ、その土地を目前にして天に召されていきました。
そのことを思うと38年という年月、病気で苦しんでいる、それは人生そのものが病気というか、病気以外の人生を知らなかったと言ってもいいかもしれません。どのような病気であるのか分かりませんが、一人では動けない状況でした。
主は「良くなりたいか」と話しかけました。この言葉に病人は「主よ、水が動くとき、わたしを池の中にいれてくれる人がいないのです。わたしが行くうちに、ほかの人が先に降りて行くのです。」と答えました。この言葉は自分の病気に伴ってくれる人は誰もいません、という意味でしょう。この人は一人で苦しみ、一人で悲しみ、痛みに耐え、そして絶望していたと思います。
その様子を見て主は言われました。「起き上がりなさい。床を担いで歩きなさい」すると、その人はすぐに良くなって、床を担いで歩き出しました。自分の人生になんの希望も見いだせず、ほとんど絶望していた一人の人、恐らく多くの病人の中でも、最も絶望的な思いであったろう人、しかし、そのような人をこそ立ち上がらせてくださる方こそが主イエス・キリストです。
先ほどの先生は続けて「最も絶望的な思いを持っていた人」とは、すなわち私たちではないかとも告げられました。私は、本当にその通りだと思います。なぜ、私たちが神を信じたのか。なぜ私たちが神を信じているのか、この方こそ、私たちの様々な絶望のその先に希望の灯を灯された方であると、私たちも、それぞれに様々な体験を通して、そのように信じているのではないでしょうか。
38年も病気で殆ど何も出来ず、池の周りにうずくまるしかない、自分の人生はこんなものでしかない、あるいはなぜ自分は生まれて来たのだろう、と諦めていた命に、「起き上がりなさい。床を担いで歩きなさい。」と自らが行動を起こすように促し、体を癒してくださり、希望を与える方こそ私たちが信じる神、主イエス・キリストです。
詩編142編を読んでいただきました。この詩編もまた、圧倒的な絶望の中にあって、主に救いを求めている詩編です。ダビデの詩、ダビデが洞穴にいた時、祈り。とタイトルが付けられています。この時、ダビデはサウル王の追っ手に追われていました。難を逃れてガドの王であるアキシュを頼って、ガドの地域までやって来るのですが、アキシュはダビデを迎え入れようとしません。それどころかアキシュ王にも命が狙われるかもしれないと悟ったダビデは、自ら気が狂ったふりをして、アキシュの前に現れて、呆れたアキシュはダビデを追い出して、なんとか命は助かるのです。しかしその後、ついに洞窟の中に逃げ込んで、身を沈めるようにして過ごすのです。
サウル王には命を狙われ、ガドの王には見離され、もはや打つ手がない状況の中で、しかし、主なる神に向かいほとんど絶望的な中にあっても、「声をあげ 、主に向かって叫び 声をあげ、主に向かって憐れみを求めよう。」と祈ります。6節にはこう記されます。「主よ、あなたに向かって叫び、申します。『あなたはわたしの避けどころ 命あるものの地で わたしの分となってくださる方と』
神様、あなたのみが私の避けどころです。あなたこそが頼りですと願い祈り続けるのです。その祈りをささげた後、不思議な事にダビデのもとに、ダビデを慕った仲間が続々と集まり、ダビデは一人ではなくなり、その後は、難を逃れながら、ついにはイスラエルの王となり、イスラエルの民に最も愛された王の一人となっていくのですが、人生の最も苦しい時、辛い時、長い暗闇のトンネルだと思うような時、私たちは、ダビデのように、自分は一人だと思うのではないでしょうか。誰も助けてはくれず、誰も救いの手を差し伸べてはくれないと思うのではないでしょうか。
けれど、そのように思う時、それは既に、罪に陥る一歩手前のようなものではないでしょうか。罪とは的をはずすことだと言われますけれど、私たちは的をはずすことなく、主に祈り、求め続けていきたいものだと思います。
主なる神はダビデと共におられた。そして主イエス・キリストは38年もの間、見放されたような一人の病人の為に働かれました。この出来事は、神様の働きは民全体の中で働かれると言うよりも、一人ひとりのその与えられた状況、人生におられると私は思います。そのようにして、主イエスは福音を宣べ伝えられました。
この教会全体のために神がおられるのではなく、神が自分と共におられたと信じる一人一人が集って教会となっていくのです。
全体のために誰かが犠牲になるのではありません。主の恵みに生きる一人一人によって体となり、一つとなっていきましょう。
厳しい社会状況が続き、緊張が強いられる毎日の中にあっても、神を信じ、それゆえに平安と希望をたゆまず持ち続け、今週も過ごして参りましょう。
お祈りします。