日本キリスト教団 大塚平安教会 

教会情報や牧師のコラムをごちゃごちゃと

人生の旅人として

2020-01-28 09:41:11 | 礼拝説教
 
【詩編39編1~14】
【ペトロの信徒への手紙一 2章11~23節】

 1月20日より2020年の通常国会が始まりました。安倍晋三総理大臣施政方針演説を話された。私は直接その演説を聞いているわけではありませんが、パソコン等で読みますと、演説は「平成と呼ばれた時代の、度重なる自然災害に対する速やかな対応」で始まり「少子高齢化社会」に触れた後、社会保障制度改革について話し、これまでの景気対策とこれからの日本の成長戦略については大分長く話し、更には外交問題や安全保障政策等を話していました。
安倍総理が願う憲法改正については、最後のところで僅かに触れる程度でそれ程強い主張はしなかったようです。
 
 全体的には、これまで自分達が行ってきた政治、政策の成果を強調し、いかに日本が良くなって来ているかを述べ続けている印象もあります。
 野党が問題としている、「桜を見る会」とか、「カジノ」問題で賄賂を受け取り逮捕された議員ついてとか、公職選挙法違反をした議員については一言も触れていない内容でした。

 施政方針演説は、自分にとって都合が悪いと思われるところは特に触れないのかもしれません。今、問題とされている当の本人たちも、どうもテレビの前では、記者の質問に対して、「捜査に支障をきたすので、コメントは差し控えさせていただく」という話しのみで通しています。自分の政治家としての責任についてコメントをしても良さそうなものですが、見事に一言も話さない。

 本当は、沢山話したいことがあるように思います。記者の質問に対して、テレビで見ている人々に対して、洗いざらい話してしまったらどんなに楽だろうと思いながら、でも何かの力によって絶対に話さない、話さないことによって自分を守り、誰かを、何かを守ろうとしているのかもしれません。
 あるいは、ここで何か不必要なことを話してしまって、傷口を大きくするよりは何も語らないとほうが賢明であると思っているのかもしれません。色々なことを思わされます。

 詩編39編2節にこうあります。「わたしは言いました。「わたしの道を守ろう、舌で過ちを犯さぬように。神に逆らう者が目の前に前にいる。わたしの口にくつわをはめておこう。」あるいは3節に「わたしは口を閉ざして沈黙し」とありますが、この御言葉を読んだ時にすぐに思い起こしましたのが、今申し上げました政治家の方々の沈黙でありました。人はどんな時に口を閉ざすのでしょうか。

 口を閉ざすとは、心を閉ざすということでしょう。この人なら信用出来る、信頼出来ると思う人の前なら人は口を閉ざす必要はありません。

 我が家で飼っている猫は、保健所から貰って来た猫です、恐らく子猫の時には人から意地悪されたりしていたのではないでしょうか。挙句に捨てられたのか、あるいはもともと野良猫だったかもしれません。基本的に人に対する不信感で一杯です。抱かれることも嫌いますし、滅多に甘えても来ません。家の玄関のチャイムがピンポンとなるだけで、ビクッとして一目散に二階に逃げ出します。それでも家族に対してだけは時々甘えたり、遊んだり、チョッカイを出しても、相手してくれたりもします。餌が無くなると甘えた泣き声で餌を求めていることもすぐに分かります。

 臆病な猫でさえ、口を開いて自分を主張するわけですから、口を閉ざした状態、それが相手に対してどんなに信頼が無いか、信用が無いか、先ほどの政治家で言えば、マスコミは自分を不利な立場に追い込もうとしていることは明らかに分かっているわけですから、そうそう簡単に話しをするわけにもいかないと思っているでしょうし、自分の正当性や、言い訳を話せば話すほどに追い詰められてしまう危険性もあります。
 何よりも、なぜこんなことになってしまったのか、自分に与えられている状況を受け止めきれないでいる。人に対しても自分に対しても、信頼、信用がない状況、ですから余計に絶対に話さないと思っているのかもしれません。

 詩編の作者は、何に対して口を閉ざそうとしているのかというと、「神に逆らう者が目の前にいる」とあります。私はこの御言葉を読んで、神に逆らう者、誰かこの詩編の作者に対して戦うべき敵がいるのだろうかと思いました。戦争、争いの中で読まれた詩編であろうかと思っておりましたが、どの参考資料や注解書に当たりましても、どうもこの詩編の作者は重い病気だったのではないかとありました。

 具体的にこの人の前に誰かがいるわけではなく、この人が患っていた何らかの病気こそが「神に逆らう者」としてあるのだろうと思います。しかも、この人の病気、その症状は回復の見込みがない程に深刻なものであって、自分の死を意識せざるを得ない。しかしこの人もまた、自分に与えられている状況を受け止めきれなかったのではないか、主なる神に対してどう祈ったら良いのか、祈りというより、感謝というより、どうも口を開けば神に対する不信感や怒りが出て来そうで、そのような、神に対して「舌で過ちを犯さぬように」むしろ沈黙を守っていたということではないでしょうか。

  今日の準備の為にと思いながら、資料に当たっておりましたら、今から50年も前になりますけれど、鈴木正久先生のことが記されてありました。鈴木先生は当時日本基督教団の議長として活躍されていました。日本基督教団の戦争責任告白を出されたり、日本基督教団と沖縄キリスト教団との合同を実現されたり、非常に忙しくされておられた。体の具合が良く無いと分かっていても、中々病院にもいけない状況だったそうです。時間を作って病院に行った時には、既に手のつくしようがない癌であることが分かったそうです。娘さんから告知されて、さすがにショックを受けた先生は、その時の思いを文章に記しました。

「『明日』というものを前提にして「今日」という日があったのに、その『明日』がなくなると、『今日』もなくなってしまい、暗い気持ちになった」と記しました。
 明日が無いと分かると、今日も無い、この思いはとても深いと思います。明日が無いというのは、生きているのに死んでいるようなものです。コメントを差し控えておられる政治家の皆さんも、明日はあるのか、明日は無いのではないか、そんな不安と殆ど絶望の淵に追いやれているのかもしれません。自分の罪の深さを悔いて、やり直そうと思うのであれば、明日が見えてくるかもしれませんが、そこまでは思っていないようにも見えます。

 鈴木正久先生は、そのような明日を見失ったかのようになり、しかしフィリピ書のパウロの姿を思い、励まされたようでもあります。今日の9時からの子どもの教会の礼拝ではフィリピ書2章が読まれました。「キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。」という箇所を読みました。この箇所の後にこう記されています。

 「何事も、不平や理屈を言わずに行いなさい。そうすれば、とがめられるところのない清い者となり、よこしまな曲がった時代の中で非のうちどころのない神の子として、世にあって星のように輝き、命の言葉をしっかりと保つでしょう。こうしてわたしは、自分が走ったことが無駄ではなく、労苦したことも無駄ではなかったと、キリストの日に誇ることができるでしょう。」

 鈴木先生は、この「キリストの日」という言葉に大きな慰めを得たようであります。キリストの日は、自分が生きている時、生きていた時を越えてやってくる。パウロはキリストの日に向かって喜びにあふれて力強く歩んでいたのだと思うと大いに励まされたというのです。キリストの日こそ本物の『明日』であって、『明日』があるなら、今日というものが今まで以上に生き生きとわたしの目の前にあらわれて来ました」と綴られたそうです。

 詩編39編の作者もまた、重い病気となり『明日』が見えず、沈黙するしかなかったかもしれません。けれどその沈黙は長く続きません。沈黙によって苦痛から逃れられるわけでもなく、病から解放されるわけでもありません。かえって気持ちは落ち込み、怒りが湧き出て来たのではないでしょうか。4節「心は内に熱し、呻いて火と燃えた。」そして「わたしは舌を動かして話し始めた。」とあります。

 そして、主なる神に対して訴えかけます。心からの訴えです。「教えてください主よ、わたしの行く末を わたしの生涯はどれ程のものか いかにわたしがはかないものか、悟るように。」「ご覧下さい、与えられたこの生涯は 僅か、手の幅ほどのもの。御前には、この人生も無に等しいのです。」
と続きます。詩編の作者は、殆ど絶望的な思いを込めて、神に訴えかけています。『明日』が見えないのです。だから今日の命のはかなさを思うほかありません。
 
 「与えられたこの生涯は 僅か、手の幅ほどのもの」手の幅とは指4本分だと言われます。あっという間、一瞬の出来事、人生とはそういうものであるという意味だと追われます。
 
 1月18日、前の土曜日は雪が降りました。その中、私は登戸まで行きまして、天に召されたY姉のご遺体を前に祈りを献げました。与えられた状況は、ご遺体を安置する場所という場所的な制約がありまして、讃美歌を歌ってはならない、祭司服を着てはならない、つまりは宗教的な行事を行ってはならないという場所でした。
 当初、その話を聞きまして、それなら私は何を行えば良いのかと戸惑いましたが、それでも担当の方と交渉しまして、キリスト教であれば祈りを献げるのは問題ありませんという答えを引き出しまして、まさに祈りを献げるためだけに向かいました。わたしは、長い祈りの文章を作りました。雪の中、到着して、ご遺族の方々に会いました。 
 ご遺族の皆さんも式服というよりは普段着で来られておられた。お会いしてYさんは95歳の御長寿であったこと。非常に健やかな召され方であったことなどを伺いました。話しを伺った後に、それでは心を込めてお祈りしましょうと、祈り始めましたが、暫くお祈りしておりますと、皆さんの感情が込み上げて来られたのでしょう。鼻をする音がしておりました。Yさんは、長い間認知症を患っておられました。私がこの教会に参りました時には、お元気でご主人と共に礼拝に集っておられたことを思います。けれど暫くして礼拝には来られなくなり、Yさんも認知症が進んで、私が訪問すると喜んで家に上げてくれるのですが、私が誰なのかわかっているのか、どうかいつも微妙なところであったことを思います。けれど、よく頑張って95年の生涯を生き抜かれたと思います。様々なことがありました。けれど、今思えば、実にあっという間であったとも思うのです。

 95年生きるとしても、100歳を迎えるとしても、思えば、人生は僅か、手の幅ほどのものではないでしょうか。あっという間ではないでしょうか。

 新約聖書は、ペトロの手紙から読んでいただきましたが、そこにはこうありました。「愛する人たち、あなたがたに勧めます。いわば旅人であり、仮住まいの身なのですから、魂に戦いを挑む肉の欲を避けなさい。」私たちは、この世にあっては人生の旅人であり、仮住まいの身分である、私はその通りだと思います。けれど、だからこそ、私たちは「今日」をどう生きるのか、いつも問われているのではないでしょうか。

 詩編の作者は、人生の空しさを思いながら、しかし、8節からは「主よ、それなら何に望みをかけたらよいのでしょう。わたしはあなたを待ち望みます。」と記しました。

 詩編39編の中で、唯一と言っても良い、自分はどう生きようとしているのかが記されている一行です。「わたしはあなたを待ち望む」ここにこの人は希望を見出すというのです。
今を生きる私たちもまた、「主なる神を待ち望みつつ」生きております。しかし、詩編の作者と決定的に違うところは、私たちが待ち望んでいる方、主イエス・キリストは沈黙し続ける神ではないというところです。この方は「神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者に」なられた方です。人の時間という歴史の中に、人として生まれ、人として成長し、人と共に歩まれた神として、私たちに神の愛を直接的に歩まれることによって教えてくださった方であります。

 私たちはこの方に、私たちの人生をかけようとしています。今お集まりの皆さんは、それぞれに健康状態も違い、体力も違い、与えられている環境もバラバラであることは確かです。けれど、それぞれの違いを越えて、同じところは、主イエスこそが、自分の人生に深く関わりを持ってくださり、私たちを導いて下さっているということではないでしょうか。私たちはこの方によって生き、生かされています。命の主の支えの中で過ごして参りましょう。

 お祈りします
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あなたの信仰があなたを救う

2020-01-28 09:17:47 | 礼拝説教
【詩編38編1~16節】
【ルカによる福音書17章11~19】

 先週の日曜日は私の誕生日でした。59歳となりました。いつかの礼拝でも申し上げましたが、私が卒業した小学校の同窓会が2月に行われるというお知らせが参りました。皆が60歳となる、一つの区切りの年であるから同窓会を行うというのです。私は早生まれですから59歳、といっても同級生は皆60歳という思いで今年を迎えています。
 
 実にあっという間の60年です。この教会に参りまして10年が過ぎようとしています。この10年も実にあっという間だったとしか言いようがありません。今日、午後に行われる役員会では、2020年度に向けての歩みをどうするか検討する時間もありますが、私自身にとって、この教会の宣教活動はまだ始まったばっかりという思いもありますし、これからいよいよ本番という思いもあります。

 とはいえ60歳という年齢を意識しないわけでもありません。もう年を取ったという思いは殆どありませんけれど、それでも昨年一年の中で考えていたことの一つは自分の健康です。昨年、私は説教の中でも、CTを取りに行きますとか、大腸検査をしますとか話しを致しましたが、これまで殆ど考えていませんでしたが、検査してみようと思い立ったのは健康を意識してのことでした。

 60を過ぎたらきっと鍵となるのは自分の健康、自分の体力ではないか、そう考えておりました。幼稚園がスポーツジムの会員となっていまして、時々余ったチケットを園長からいただくことがあります。そのチケットを持って月に一回、二回は通っていたのですが、いよいよ本格的に体力づくりが大切ではないか、そう思いまして自分で会員になりました。体力がついて来ますと、不思議にというか、不思議でもないのですが検査もしてみようという前向きな気持ちになります。体力が無いと検査もしたくない。(笑)それで12月は大腸検査を行ったりしたわけです。

 実は、もう一個所、皮膚科にも行きました。何年にも亘って、というより子どもの頃から頭とか足の皮膚が赤くなることがある。足はかゆみみないのですが、頭はかゆみが伴い大変辛い時があります。ですからこの症状は改善しないものかと思いまして、皮膚科に行って見ました。
 そこで相談しましたら、初めて分かったのですが、乾癬という皮膚病であると分かりました。それで今は薬を貰って、皮膚に塗ったり飲み薬を飲んだりしておりまして、いくらか落ち着いて来ている状況です。この冬が終わり春になると、暖かくなりますから、待ち遠しいと思いますけれど、同時に花粉症の季節にもなります。ご存知の方も多いのですが、私の花粉症は結構重症になってしまいます。顔や目が腫れあがる事があります。その原因もただの花粉症ではなく、乾癬という皮膚病があるので、それが悪さするのだろうということも分かりました。
 乾癬という名前が嫌なイメージですが、人には感染しない皮膚病ですから安心して下さればと思いますが、それでも完治することは無く対処療法しかないようです。

 今日読んでいただいた詩編38編も全体を読んですぐに思いましたのも、この詩を記した作者の悩みは明らかになんらかの皮膚病だったのではないかと思われます。今の時代、病院がありますから幸いですが、でも皮膚科に行くと、待合室はいつも満員です。どれだけの人が様々な悩みを持ってこられているのだろうかと思う。特に皮膚の病は他人が見て、直ぐに分かるだけに多くの人々の悩みになっているのは確実です。

 詩編が記された時代、諸説ありますけれど紀元前500年代ではないかといわれます。当時、特に皮膚病は皮膚科の医者がいるわけでもなく、また目に見える病気ですし、人から人への感染もあるのではないかと心配され、恐れられていたことは確実です。
 詩編には「わたしの肉はまともなところもありません」と記され「骨にも安らぎがありません」と記され、「負わされた傷は膿んで悪臭を放ちます」「腰はただれに覆われています。」とあります。「目の光もまた、去り」、「疫病にかかったわたしを 愛する者も友も避けて立ち わたしに近い者も、遠く離れて立ちます。」と続きます。この作者は重い皮膚病を患い、見た目にも症状が分かり、家族さえも近寄ることが出来なかったことが容易に想像出来ます。

 昨年の6月に、私たちの教会は関田寛雄先生をお招きして礼拝説教を伺うことが出来ました。関田先生は今年で92歳になられますが、現役としてまだまだ活躍されておられます。教会の掲示板にも貼ってありますが、来月の2月11日には、横浜YMCA主催で「平和を作り出す人は幸いである」というタイトルで話しをされます。関田先生がお元気である、それは学生時代に先生から直接教えられた者としてもまことに幸いな思いがいたします。昨年の6月にもこの講壇でも話しをされた中に、御自身は今、昔「らい病」と呼ばれ、隔離政策の中に置かれた方々の施設を訪問しているという話しをされました。現在はハンセン病という名前になっており、また、良い治療薬も発明されていますし、病気の詳細がわかってくると感染力も弱いと言われます。けれど、一体どれほど昔から「らい病」という病が、嫌われていたか、病を負った人々が病を患っている上に差別され、隔離され、家族には死んだ者と思えと言われ、どれほどの悲しみの中で生きなければならなったかを思います。

 関田先生はハンセン病の方が読まれた川柳を紹介して下さいました。「もういいかい 骨になっても まあだだよ」私は、当初この意味がわかりませんでした。どういう意味だろうと思っていましたが、後になって気がつきました。
ハンセン病の方は、隔離される際に、家族が差別されることを思って二度と会わないと約束したり、故郷では既に亡くなっていることになっていたりするそうです。ですから、生きて家族に会えないばかりか、故郷にも帰れない、だけでなく死んだ後、骨になっても自分の家の墓にさえ入れてもらえない、その悲しみを詠んだ川柳です。そのことを思うと、なんとも悲しくなる歌であると改めて思いました。
 
 詩編の作者もまた、ハンセン病であったのかどうか、恐らくそうだろうと言われていますが、実際のところはよくわかりません。けれどハンセン病であろうと、そうでなかろうと、重い皮膚病の状態であることは変わりなく、その病が治らなければ、社会に戻ることも、人生をやり直すことも出来ず、苦しみ悶えながら、生きるだけの日々を過ごすしかなかったと思われます。

 そのような状況が良く読み取れるだけでなく、更なる悲しさを生み出しているのは、2節に「主よ、怒って、わたしを責めないでください。憤って懲らしめないでください。」とあるように、4節に「わたしの肉はまともなところもありません。あなたが激しく憤られたからです。骨にも安らぎがありません。わたしが過ちを犯したからです」とあるように、自分のこの病は、主なる神の怒りであり憤りであると理解していたことでしょう。その怒りの原因は自分にあり、私が罪を犯し、愚かな行いをしたからこうなってしまったと、自分の内に罪がありそれ故に今がある、そのようにし理解し、納得しなければならなかった状況が読み取れます。

 悲しみの上に、更なる悲しみを抱えながらの人生でありました。それでも尚この詩編の中で僅かに残る希望、それもやはり主なる神でしかありません。16節に「主よ、わたしはなお、あなたを待ち望みます。」とあります。今日は読んでいただきませんでしたが、最後の22節、23節には「主よ、わたしを見捨てないでください。わたしの神よ、遠く離れないでください。わたしの救い、わたしの主よ すぐにわたしを助けてください」と切に願う様子も読み取れます。この詩編の作者は、既に人から見離され、人に対する絶望のようなものを感じていたでありましょう。けれど、僅かに主なる神に対して、絶望のその先にある希望を持って生きていたのではないでしょうか。それだけが、この人を生かす命の光であったと言えるのではないでしょうか。
 
 今日は新約聖書からルカによる福音書の17章からを読んでいただきました。新共同訳聖書でも出版が早い版のものは、「らい病を患っている十人をいやす」とありますが、新しい版のものは「重い皮膚病を患っている十人をいやす」と変更されています。先ほども申し上げましたように、必ずしも「らい病」と言われる病であったかどうか分かりません。しかし重い皮膚病故に隔離されていた十人の人々がいました。

 主イエスはサマリアとガリラヤの間を通られたとあります。その中のある村に入れた時に、重い皮膚病を患っている十人の人が出迎え遠くの方に立ち止まったまま、声を張り上げて「イエスさま、先生、どうか、わたしたちを憐れんでください」と願うのです。病を患い隔離されている人は、容易に人に近づくことも許されませんでした。
 
 主イエスは彼らの声を聞き届けて「祭司たちのところに行って、体を見せなさい」と言われました。皮膚病が治ったかどうかを判断するのは祭司の役割でした。重い皮膚病患者は、その罪故に皮膚病を患い罪赦された記しとして病気が癒された、汚れから解放され清くされたという宗教的判断が求められました。
 だから、主イエスはそのままあなた方は祭司の所に行って体を見せなさいと告げたのでしょう。彼らは言われた通りに祭司のところに向かいました。どこに祭司がいたのかよく分かりません、けれど必ず人々と共にいたことでしょう。この十人は主イエスの言葉に従いましたけれど、未だ病が癒されたわけではありません。少なくともこのまま祭司がいる町の中に入ったとしたら大騒動が起こるかもしれません。

 でも、主イエスの言葉を信じて向かいました。果たしてその途中で体が癒され清くされたのが分かったようです。彼らは喜んで更に元気になって祭司の所へ向かったでありましょう。
 
 けれど、ただ一人だけが主イエスのもとに戻って来たと言うのです。大声で神を賛美しながら戻り、主イエスの足元にひれ伏して感謝しました。大声で神を賛美する。ある牧師はこの大声について、メガフォンという言葉で説明しました。メガとは大きいという言葉、フォンは声です。どちらももともとギリシャ語です。大きな声でとは、メガフォンのようにと考えたら良い、なるほどと思いました。大きな声で、一人だけが戻って来ました。この人はサマリア人でした。主は「清くされたのは十人ではなかったか。ほかの九人はどこにいるのか。この外国人のほかに神を賛美するために戻って来た者はいないのか」それから、イエスはその人に言われた。「立ち上がって行きなさい。あなたの信仰があなたを救った。」

 今日の説教題をこの御言葉から取りました。「あなたの信仰があなたを救う」一体この御言葉は何を意味しているのでしょうか。主イエスの癒しの業、この奇跡、圧倒的な神の働きによって、10人全員が癒されました。癒されたのであれば、確かに祭司のもとに行って清くなったと言われることが大切でしょう。  
 
 この言葉でもって社会復帰出来、新しい人生をやり直すことも出来るでありましょう。もしかしたら、その後で主イエスのもとに行こうと考えたかもしれません。けれど、いずれにしても戻って来たのはサマリア人ただ一人でありました。なぜ彼だけが戻って来たのか、彼はサマリア人でした。後の九人はガリラヤの民であったかもしれません。ガリラヤとサマリアは隣接していながら、歴史的な経緯のなかで非常に仲の悪い関係にありました。けれど、そうはいっても、何人であろうと皮膚病になったとすれば、隔離されたとすれば互いに助け合い、支え合いながら生きていかなければなりません。同じ病を持った者として生きていたでありましょう。

 そして、十人で声を合わせて叫びました。「イエス様、どうか私たちを憐れんでください。」主はその叫びに答えられました。十人全員が癒されたのです。けれど癒されたと同時に、九人はガリラヤ人であり、一人がサマリア人であることを意識したのではないでしょうか。サマリア人がガリラヤの祭司のもとに行ってもたとえ清くなっていたとしても相手にされない可能性があるのです。神の癒しは9対1という構図になったと思われます。けれど、サマリア人は病が治っても、サマリア人である差別を感じてトボトボと一人帰っていきました。とは聖書に記されていません。

 記されているのは、この人は大声で神を賛美しながら主のもとへ帰ってきたのです。主を賛美するために主イエスのもとに帰る決断をしたともいえるでしょう。
 他の九人は主イエスのもとには帰りませんでした。この人だけが主イエスのもとに帰る信仰に生きたと言っても良いでしょう。

 皆さん、何よりも病が癒される。このような幸いに私たちも生きていきたいと願います。悩みが解決する。そのような体験を味わいたいと思います。けれど大切なことはそのことを通して、主なる神に立ち帰ることではないでしょうか。
このサマリア人のように大声で神を賛美しながら、いつも主なる神にのみ頼り生きていくことではないでしょうか。

 私たちの時代に、神よりも病院、祈りよりも薬、と思うところがあるかもしれません。私も病院はしょっちゅうです。けれど病院は神ではありません。完全ではありません。神よりもお金でしょうか。お金があれば、保釈中でもパスポートが無くても飛行機に乗れる。あのゴーンさんは「わたしにはお金がある」といった言葉を話していました。お金があるにこしたことはありませんが、しかし、それによってまことの幸いを生きられるのでしょうか。神よりも学問と考える人もいます。神よりも社会的地位を考える人もいます。

 けれど、私たちが確かに歩んで行くために、最も求められるのは神の愛です。「先生、どうかわたしたちを憐れんで下さい。」と声を張り上げて告げたその声に答えて下さったのは主イエス・キリストであったことを忘れてはなりません。そうでなければ、私たちは、与えられている状況に容易に絶望してしまかもしれません。

 状況に寄らず、人間的な思いからすれば、これはもう絶望だと思えるその先にこそ、神の光があり、神の救いがあると信じる信仰に私たちは生きていきましょう。この方のもとに立ち帰る信仰に私たちは生きていきましょう。そこにこそ私たちの幸いがあると確信をもって歩んで参りましょう。

 お祈りします。
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御旨にかなう道

2020-01-13 09:20:04 | http://www.ohtsukaheian.jp/
【詩編37編23~29節】
【コリントの信徒への手紙二 10章15~18節】

 詩編37編23節、24節にこう記されています。「主は人の一歩一歩を定め 御旨にかなう道を備えてくださる。人は倒れても、打ち捨てられるのではない。主がその手をとらえていて下さる。」
 
 この箇所から今日の説教題を「御旨にかなう道」といたしました。この一週間、私は教会の前の掲示板を見まして「御旨にかなう道」という説教題を読みながら、自分でつけた説教題でありますけれど、果たして「御旨にかなう道」とはどんな道であろうか、と思い悩んでおりました。どのような道を歩めば主の御心に適うのであろうか。
 昨年12月のクリスマスの時期にも申し上げたことですが、私たちの人生は私たちが思っているよりはずっと既に決められているところがあります。
 
 自分では、自分の親を決めることは出来ませんし、親も子供を選ぶことは出来ません。男性であること、女性であることも自分ではどうしようもない。生れて来た時から男の子であり、女の子です。丈夫な体で生まれて来た方は幸いだと思いますが、必ずしもそうではない方も大勢おられますし、裕福な家庭に生まれた方もいれば、混乱を抱えた家庭に生まれた方もおられます。
 けれど、どのような家庭に生まれて来ようと、生れて来たからには、生きていかねばなりません。どのように生きていこうとするのか、どんな人生を歩もうとするのかは自分で決めていかなければなりません。それが20代、あるいは30代の年齢で求められる自分の歩む道でありましょう。

 我が家のことを言えば、必ずしも混乱を抱えた家庭ではありませんでしたが、経済的には全く恵まれない家庭であったことは確実です。そのような家庭に生まれ、育ち、兄も弟も、経済的安定だけではないと思いますが、安定した職業と言われる公務員になりました。私はどこかで羨ましいと思っているとこもありますけれど、でも本音のところでは、そう思っていないと思います。
 私は、自分でもよくわかりませんが、どちらかと言えば、波乱万丈の人生を望んでいたように思います。生まれて来て一度の人生をどう生きるか、夢も希望もある人生だと思っていたところもあります。ですから田舎にいたくない、自分は都会に出て何かしたい。何か出来る。そんな思いをもって、都会に出て来たのです。けれど世の中はそれほど甘くはありません。何をしても上手くいかない、自分の思うような人生を歩むことが出来ない。20代前半は、かなり厭世的な生き方をしていました。24節に「人は倒れても」とありますが、この「倒れる」とは挫折を意味する言葉です。

 人生の挫折とはこういうものかと思う時期を過ごしました。私に限らず、挫折とはこういうことかと感じながら生きた方、多いと思います。
 生きていくと様々な挫折があります。これから丁度受験のシーズンとなりますが、受験しても不合格になることもあります。この仕事でと思いながら成功しないこともあり、この人とずっと一緒にと思いながら結婚したけれど、上手くいかず別れてしまうこともあります。私たちの誰もが、人生の「挫折」を一度や二度、経験しているのではないでしょうか。

 アドラーという心理学者は、「人のすべての悩みは対人関係の悩みである」と教えました。何より辛い挫折は、人と人の関係が壊れてしまうことです。コツコツと積み上げて来た人と人の関係、積み上げるには時間がかかりますが、壊れるのは一瞬、あっという間かもしれません。どうしてこうなったのかなぁ、その原因を色々と探すとしても、完全に特定することは出来ないかもしれません。
 アドラーは、この対人関係について、勿論、人と人との関係の中で説明しますが、特徴的なのは、自分と、自分という対人関係があると説明します。

 繰り返しますが、人のその人生の中で様々な出来事が起こります。挫折を味わうこともある。時には絶望を感じることもある。「人は倒れる」のです。
 でも、その「倒れた」と思うのも自分です。先ほど、受験で不合格になることもあると申し上げましたが、不合格が本当に良く無いのかどうか、を決めるのも自分です。この学校ではなく、違う学校にいきなさいということかな。と思えるのであれば、そこで挫折と共に、新しい希望が現れます。
 仕事が上手くいかない、結婚が上手くいない、でもそのことを通して、自分は別の人生が与えられるであろうと思えるのであれば、それらの出来事は、必ずしも人生の挫折という言葉でピリオドが打たれるわけではありません。思いを入れ替えて、新しい道が備えられていると思って歩き出していけるであろうと思います。

 挫折を挫折とするのも、それは自分の感情です。挫折と感じるかどうかは、自分の感情が大きく作用する。私自身、20代前半に世の中を憂いて、家庭環境を恨みに思って、なぜ、自分だけがこんなに辛い思いをしなければならないのかと答えの無い問いを問うていました。
 
 あたかもヨブ記のヨブが全ての財産、家族を取られて、更に自らは病気とされ、絶望を感じながら主なる神に対して「罪と悪が、どれほどわたしにあるのでしょうか。」と問い続けている様子に重なる思いも致します。
けれど、ヨブの悩みは、ヨブ記の終盤となり、主なる神が登場することによって大きく変化します。主なる神がヨブに対して「これは何者か。知識もないのに、言葉を重ねて 神の経綸を暗くするとは。男らしく、腰に帯をせよ。わたしはお前に尋ねる、わたしに答えてみよ。わたしが大地を据えたとき お前はどこにいたのか。 知っていたというなら 理解していることを言ってみよ。」
 そう問うてくる神の御言葉を聞いた時に、ヨブは返す言葉を失いました。「神よ、そのとおりです、わたしには理解できず、わたしの知識を超えた驚くべき御業をあげつらっておりました。」と平伏するのみでありました。

 自分では変えることが出来ない与えられた環境を恨み、与えられた体につぶやき、与えられた能力にがっかりしているとしたら、そのような出来事を通して、自分で自分を認めていない、自分で自分を赦していない、自分で自分が好きになれない。自らを喜びとしていないのではないでしょうか。
 自分が自分を喜べないのであれば、同じ分量で、自分以外の他人をも喜べないと言われます。自分を嫌いな人は、他人をも嫌いなのです。このような人は自分で自分を倒し、その力で人をも倒そうとするかもしれません。

 けれど、詩編には「人は倒れても、打ち捨てられるのではない。主がその手をとらえてくださる。」とあります。「人は倒れても」人は倒れる生きものだと思います。挫折する生きものだと思います。けれど、神はそのままにはしておかない、打ち捨てられるのではない、主がその手をとらえて下さる。
 主なる神がそのままにはしておかない。倒れた者の手を取って、引き上げて、支えて、共にいて下さろうとする、それが主なる神の愛の姿だというのです。

 そのような主なる神との出会い、ヨブが神と出会うことによって全ての悩みを越えて神に希望を見出したように、自分は見捨てられていない、自分は忘れられていないと思える時、人はどれだけの力を得ることが出来るでありましょうか。

 私自身、自分は見捨てられていないと思えたことは決定的であり、神との出会いは、自分の人生も祝福され、神と共に喜ぶためであったと知った時の感情は、これまでの人生の全てがひっくり返るような思いと共に、自分の人生が全く新しくされた時でもありました。
 
 最近、巷で流行っているコマーシャルがありまして、相撲取りの炎鵬が登場するコマーシャルです。
 
 こういう文章が流れます。

 大逆転は、起こりうる。わたしは、その言葉を信じない。 どうせ奇跡なんて起こらない。

 それでも人々は無責任に言うだろう。  小さな者でも大きな相手立ち向かえ。

 誰とも違う発想や工夫を駆使して闘え。 今こそ自分を貫くときだ。

 しかし、そんな考え方は馬鹿げている。 勝ち目のない勝負はあきらめるのが賢明だ。

 わたしはただ、為す術もなく押し込まれる。 土俵際、もはや絶体絶命。

 
 ほとんど絶望的な文章だと思いますが、この文章を今度は、逆から読んでいくと、圧倒的な励ましの言葉になることが気がつきます。

 この大逆転は起こりうる。この言葉、始めてこのコマーシャルを見た時は、感動しました。

 人は、自分の感情の持ち方一つで、自分の人生がひっくり返るような思いを経験する時があるのです。でも、それは自分で何とかしようとしている時には、到達するものではないかもしれません。

 
 「御旨にかなう道」それは、自分でなんとかしようとする道ではありません。

 主が「御旨にかなう道を備えてくださる。」神が自分のために、全ての状況を知りつつ、最も相応しい道を既に備えて下さっているのです。そのことに気がつかされ、神の愛を知る時、人は変わるのだと思います。

 新約聖書からコリントの信徒への手紙10章15節からを読んでいただきました。コリント書は、使徒パウロがコリントの教会に宛てて記した手紙ですが、もともとコリントにある教会は、パウロが苦労して開拓伝道して立ち上げた教会でもあります。
 一年六ヶ月の間、パウロはコリントに滞在しました。アキラとプリスキラと共に天幕作りをしながら、また、弟子のテモテとシラスと一緒の開拓伝道でした。その苦労が実り、主イエスを自らの救い主と告白する人々が現れ、次第に教会、すなわち、人の集まりが形成されるようになっていきます。その後、パウロはコリントから新しい町へと離れるのですが、それから二年程経った頃に、教会の内に内部争いが起こります。それぞれがめいめいに、「わたしはパウロにつく」とか「わたしはアポロに」「わたしはケファに」「わたしはキリストに」といった具合で、分裂していったようです。

 そのような知らせを受けたパウロは驚き、すぐにでもコリントに向かいたかったようですが、丁度その頃、エフェソの町で捕らえられて投獄されてしまいます。一年近く牢の中にいなければなりませんでした。その間に、コリントの教会は、更に悪いことに、「偽使徒」と呼ばれる人々がやって来て、その雄弁さをもって人々を魅了し、パウロの信仰から遠ざけ、自分達に都合の良い信仰へと導き、自らを誇り、パウロは否定されてしまうことになります。パウロは牢から出された後、コリントの教会を訪ねるのですが、その時、パウロは受け入れられませんでした。「偽使徒」が幅を利かせ、パウロは否定されました。

 パウロは大いに屈辱的であったでしょう。これほどの挫折、これほど打ちのめされたと思ったことはなかったかもしれません。パウロが否定されただけでなく、主なる神が否定され、教会は神の福音から離れてしまいました。どれほど悲しかったか、どれほど口惜しかったかと思います。
 パウロは戻って手紙を記しました。その手紙は涙ながらに記したと言われる「涙の書簡」と呼ばれるものですが、既に現存していません。しかし、その手紙の一部がコリントの信徒への手紙の中に紛れ込んでいるとも考えられていまして、その箇所が、コリント書の10章から13章ではないかという説もあります。今日は、その中から読んでいただいた訳ですが、パウロの願いは、「コリントの教会の人々の信仰が成長すること。」「福音が他の地域で告げ知らされること。」等、色々と記されますが、17節に「誇る者は主を誇れ。」と記しました。

 偽使徒たちは、自らを誇りとして、自分達を宣べ伝えていたものと思われます。だから、パウロは、それは違うと言いたかったのです。自らを誇りとする、それは、「御旨にかなう道」ではないと伝えたかったのだと思います。パウロが誇りとするのは、むしろ自らの弱さだけでありました。

 読んでいただいたすぐ後に、パウロは自分の病について記しました。それが具体的には何かはっきりしてはいません。目が悪かった、手が悪かった、癲癇症状があった、色々言われていますけれど、しかし、パウロにとってそれは耐え難い辛さであり、私は三度主に願いました。とあります。三度とは幾度もという意味だと言われます。しかし、主は「わたしの恵はあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮される」と言われたと記しました。だから、むしろ、わたしは弱さ、侮辱、窮乏、迫害、行き詰まりの状態にあっても、キリストの為に満足しています。なぜなら、わたしは弱いときにこそ強いからです。」と記します。更に13章、涙の書簡の結びには、「終わりに、兄弟たち、喜びなさい。完全な者になりなさい。励まし合いなさい。思いを一つにしなさい。平和を保ちなさい。そうすれば、愛と平和の神があなたがたと共にいて下さいます。」と記しました。

 最後まで、パウロの心は、倒されたままではありませんでした。倒された思いをもって涙の手紙を綴りながら、尚、それでも主なる神は、「御旨にかなう道」を歩ませて下さる、人の一歩一歩を支えて下さる、主が自分の手をとらえて下さっていると信じながら、希望に生きたと思います。そして、実際にその思いは、成就してコリントの教会の人々はパウロの信仰に立ち帰ることになります。

 皆さん、私たちは倒れる生き者です。挫折する生き者です。それでもなお、主はそのままにはしておかれません。主が共にいて下さり、御旨に適う道を必ず備えて下さいます。私たちはそのような主、主イエス・キリストに支えられながら、この2020年を力強く歩んで参りましょう。
お祈りします。

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「わたしの口に新しい歌を」

2020-01-06 14:36:40 | http://www.ohtsukaheian.jp/
【詩編40編1~5節】
【エフェソの信徒への手紙5章15~20節】
 
 新年明けましておめでとうございます。大塚平安教会2020年、最初の礼拝を迎えました。今日は「わたしの口に新しい歌を」というタイトルを付けさせていただきました。詩編40編4節に「わたしの口に新しい歌を わたしたちの神への賛美を授けてくださった。」という箇所からつけたタイトルです。
 新しい年となり、心新たな思いを持って、私たちは新しい歌を歌っていきたい、そのような思いで付けました。昨年12月、少し慌ただしい思いを持って過ごしたクリスマスを過ぎ、先週の一週間、年末年始と改めて詩編40編を丁寧に読み返しておりましたら、一つ気がついたことがありました。
 それは、「新しい歌」と記されるその言葉は、単数形で記されていることです。多くの新しい歌とか、新しい歌の数々ではなく、一つの新しい歌とありました。

 そのことが分かりまして、私が直ぐに思わされたのは、この新しい歌という言葉の更に奥に、歌、あるいは賛美という言葉を通して、この詩編を記した作者は、主なる神はわたしに新しい歌、「新しい信仰」を授けてくださったという思いが込められていたのではないかということです。
 私たちもこの新しい年に、また、新たな信仰が養われるようにと願うわけですが、その為に必要なことは何か。今日は詩編40編を読みましたが、三つのことを申し上げます。一つは2節から「主にのみ」3節から「岩の上」そして4節から「新しい歌」となります。

 一つ目、2節に記された御言葉、「主にのみ、わたしは望みをおいていた。主は耳を傾けて、叫びを聞いてくださった。」ここで大切なことは「主にのみ」です。この方だけが、耳を傾け、大きく体を傾けて、私の叫びを聞いて下さろうとされた、とあります。
 マルコによる福音書の10章46節以降に記されているのは、主が盲人バルティマイを癒したという出来事です。主イエスがエリコの町から出ようとされたとき、盲人であり、物乞いであるバルティマイが町の門の道端に座っていました。その時、主イエスだと聞くと、バルティマイは思い切って精一杯の声で「ダビデの子イエスよ、わたしを憐れんでください」と叫びます。その叫び声を聞いて、多くの人が叱りつけ黙らせようとしますが、それでも叫び続け、ついに主イエスの耳に、その叫び声が入り、主は立ち止まって「あの男を呼んで来なさい」と言われました。
 人々は主が招いておられる、「安心しなさい。立ちなさい」と声をかけました。この安心しなさいは、勇気を出しなさいという意味です。
バルティマイはいよいよ勇気を出して、主イエスのもとに近寄り、「何をして欲しいのか」という問いに対して「先生、目が見えるようになりたいのです」と告げます。 
見えるようになるという言葉は英語では、「リゲイン」とありました。再び元気になるという意味です。ここでは再び見えるようになるという意味です。
バルティマイは、もとは見えていたのでしょう。けれど、目の病とか、怪我とかで失明したのではないでしょうか。
現代のような医者も無く、薬もない時代ですから、目が見えない、それはイコール、夢も希望もないと、人生を断念せざるを得ない人々が多かったと思います。けれど、バルティマイは断念しませんでした。
勇気を持って、あの目の見える人生を取り戻すべき、声を張り上げて、主イエスに願い求め、その願い求めました。

 バルティマイは主イエスに対して叫び続けました。彼にはそれしかありませんでした。それだけがバルティマイの生きる希望であり、主にのみ、望みを置く人の姿であったと思います。
 私たちが生きている現代は、もし目が見えなくなるとしたら、まず、何よりも眼医者に行って見てもらうことができます。適切な治療、手術によって、視力が回復することも多いでしょう。あるいは、もし本当に見えなくなるとしても、社会保証や保険が適応され、それなりの保証を受けるかもしれません。私たちは大変良い時代を生きていると思います。けれど、だから私たちの人生は、いつも夢も希望もあると言えるでしょうか。
 
先日、私の友人の牧師が、年末から年始の時期に、大変な腹痛を起こして、どうもノロウィルスに感染したようで、ずっと寝込んでいたというメールがありました。ただ、それだけでもなく、寝込みながら色々と将来について考えたというのです。自分も既に57歳となってどこまで生きられるか分からない、どこまで現役を過ごせるのかわからない、だから、これからは大切な残された時間を慎重に生きていきたいというのです。私は、なんだか、いつもの彼らしくないな、腹痛から少し気持ちが落ちているのかなと思いまして、私は今年で59歳だけど、後40年どうやって生きようか、楽しみです。と書きました。
すると、少しも楽しみではなく、国の経済破綻から、私たちの年代の年金とか介護保険といった保障は絶望的であるかのような文章が届きました。わたしは、「よし来た!」と返しましたら、少し元気が出たようでした。

 私たちは、いつの間にか自分の頼りを、目に見える保証や保険や年金、社会制度に置いていたりしていないでしょうか。勿論、それらのものは大変大切だと思います。
確かに、そこから安心、安全は与えられるのかしれません。でも、もっと躍動的な、もっと大きなものに向かう力、イザヤ書40章に「主に望みを置く人は新たな力を得、鷲のように翼を張って上る。走っても弱ることなく、歩いても疲れない。」そのような、何歳になろうと、年齢に関係なく持ち得る自らの夢と希望と将来を生きるためには、主にのみ望みを置くことです。主に対して、叫び続け、求め続け、そして祈り続けることではないでしょうか。主は真剣になって、耳を傾け、体を倒すようにして、私たちの心の奥の声を聞いて下さる。そして、あなたは「何をして欲しいのか」と尋ねて下さっていて、私たちの夢も希望も大いに祝福して下さろうとしている。私たちは、この方にのみ希望を置いて、2020年という新しい年、新たな信仰を持って歩んで参りたいと思います。

 二つ目、3節の「滅びの穴、泥沼からわたしを引き上げ わたしの足を岩の上に立たせ しっかりと歩ませてくださる」大切な言葉は「わたしの足を岩の上に立たせて下さる」です。「岩の上」という言葉ですぐに思い浮かぶのは、マタイによる福音書の主イエスの山上の説教でしょう。山上の説教と呼ばれるその締めくくりの7章の24節からの御言葉「そこで、わたしのこれらの言葉を聞いて行う者は皆、岩の上に自分の家を建てた賢い人に似ている。雨が降り、川があふれ、風が吹いてその家を襲っても、倒れなかった。岩を土台としていたからである。」と主は話されました。

 昨年一年を振り返りまして、誰もが感じているのは、災害の多い年であったということではないでしょうか。10月には台風19号が首都圏、関東を直撃しまして、私たちの教会では直接的な被害はありませんでしたが、本来であれば鈴木崇巨先生をお招きしての礼拝説教、午後からの「学びと交わりの集い」を行えたでありましょう。残念ながら中止とさせて頂きました。
けれど、翌日には台風の被害が明らかになって来まして、私たちの予想を超えた、大きな被害となり、亡くなられた方も多くおられました。現在もなお、その被害の中で、苦しんでおられる方々、少なくないと思います。私たちは、そのためにも、心を込めて祈り、私たちに託される働きがあるならば、喜んで引き受けていきたいと思います。
自然災害だけでもありません。私たちの人生、時には健康を損なうこともあります。家族、親や子ども、仕事、これは試練だなと思うことを幾度となく、経験する方もおられるでしょう。

 私も、どうも昨年最後の礼拝で急に声の調子がおかしくなりまして、以来、一週間たってもどうもあまり回復しません。あまり動かないで正月を過ごしました。年末に買い求めた、キリスト教カウンセリングセンター理事長を務められていた賀来周一の先生の著書をずっと読んでおりました。その中に、少し難しい言葉ですが、外発性の信仰と内発性の信仰という言葉がありました。
 
 外発性の信仰とは、信仰対象を自己目的のために信じることであり、この場合、自分にとって不都合でしかない経験に対しては意味を失い、いざという時には役に立たないとありました。
 内発性の信仰とは、信仰対象を主体として、その対象に生起した事態の全てをゆだねることを意味するとありました。難しい説明ですが、信仰のあり方を、自分を主体とするか神を主体とするか、ということだと思います。自分を岩とするか、神を岩とするかの違いです。

 自分自身を岩とすると、いざという時には役に立たないのです。詩編40編3節をもう一度読みますと、「滅びの穴、泥沼からわたしを引き上げ わたしの足を岩の上に立たせ しっかりと歩ませてくださる」とあります。滅びの穴とは「地獄の井戸」と訳されている聖書がありました。地獄、泥沼、どこまでも落ちていく様子が連想されます。まさに人生の試練、困難を思わされます。既に自分ではどうにもできない状態です。
だから主なる神が主体となって、「わたしを引き上げてくださり、わたしの足を岩の上に立たせて下さり、わたしの足を歩ませてくださる」のです。
 
 昨年12月、クリスマスを祝う礼拝において、私は何度も「主が共におられる」という御言葉を申し上げました。マリアにも、ヨセフにも、羊飼いにも、東からやって来た博士達にも、御子イエスの誕生に関して登場する一人一人の、その全ての人々に主が共におられました。そのようにして、いつでもどんな時でも、主が主体となられて、ともにおられるのです。
 
 だから大丈夫、どんな試練を通しても、主は私たちを主の岩に立たせて下さり、尚歩ませて下さいます。そういう方が共におられて、岩のような確かな土台として、私たちの人生に主イエス・キリストが深く関わりを持って下さっている。

 だから三つめ「わたしの口に新しい歌を わたしたちの神への賛美を授けてくださった。」鍵となる御言葉は「新しい歌」です。先ほどの賀来周一先生は、霊的なという言葉を意味するスピリチュアリティーを説明する中でこう記しています。「スピリチュアリティーとは、健全で成熟した宗教に共通する本質的な要素であることは確かなことです。「健全で」ということは、まず過去の歴史に責任を持つ宗教であることを意味します。」とありました。更に続けて「いかなる宗教も、この世の歴史の中では過ちを犯して来ました。キリスト教もその例外ではありません」と記します。確かにキリスト教の歴史を学べば学ぶほどに思わされるのは、宗教の歴史でありながら、なぜこんなに生々しいというか、争いだらけの歴史なのだろうかと思わされるところがあります。
 
 でも、それが人間の業だと開き直るのでもなく、人は欠けが多いから、罪深いからと言い訳するのでもなく、大切なのはその過去に責任を持つことだと言うのです。
 責任とは、その一つ一つの出来事が、古い事として忘れてしまうのでもなく、無かったことにして新しい歌を歌うというのでもなく、過去のあの事、この事をしっかりと踏まえて、悔い改め、より謙遜に生き、その上で過去のあの事があったから、今がある、あの出来事を通して自分の成長がある。どの出来事も無駄ではなく、この試練を通して主なる神はまた、わたしに新しい歌、新しい信仰へと導こうとされていると受け止め、そして受け止めるだけでなく、そのようにして新しい歌、新しい信仰を生きていけと私たちに教えておられるのだと思います。
 
 主なる神が主体とならなければ、教会の成長はありえません。私自身、大塚平安教会に招かれて今、10年目を過ごしています。この10年の間で、私自身、様々な喜ばしい事、幸いな事が多く与えられました。しかし、また、時には様々な試練も与えられました。それらの出来事の全てを忘れてはならないと思います。けれど、それでも頭を上げて、主が私を「地獄の井戸」から「泥沼から」しっかりと引き上げて下さり、わたしの口に新しい歌を授けてくださることを思います。そして、わたしだけではなく、私たちの神への賛美を授けてくださったことを思います。

 私たちはそれぞれに多様な生き方をいきております。それでも一つの信仰共同体として、新しい年を、新しい信仰をもって歩んで参りましょう。

お祈りします。
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