日本キリスト教団 大塚平安教会  

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神と出会う喜び

2018-12-24 16:01:42 | 礼拝説教
【イザヤ書43章1~7節】
【ルカによる福音書1章57~80節】
 
 来る次週、御子イエス・キリストの誕生を祝うクリスマス礼拝を目前としたこの週に読まれましたのは御子イエスの誕生に先だち誕生した、後の洗礼者ヨハネと呼ばれる幼子の誕生の場面であります。
 
 父親はアビヤ組の祭司ザカリア、母親はアロン家の血筋を受け継ぐ女性エリサベトでありました。今日のこの説教を準備するにあたり、幾つかの注解書にあたり、また該当する説教などを読んでみるなかで、幾度も説明されていたことの一つに、このヨハネの誕生を経験して、「ザカリアは祭司から預言者になった」といった類の言葉がありました。特に後半のザカリアの賛歌の内容から特にそう言われるようになったのだと思われますし、このような説明を元々はルターが用いたといった文章もありました。
 
 古来、救い主、メシアという言葉は、「油注がれた者」という意味であったと言われます。特別に油が注がれ、その役職に就く仕事の一つは王であり、二つ目は祭司であり、三つ目に預言者でありました。サウル王、ダビデ王も祭司サムエルによって油注がれる場面がありますし、祭司としては誰よりも先に、祭司アロンが油注がれる場面がレビ記の中に記されます。預言者については詩編105編15節に「わたしが油注いだ人々に触れるな わたしの預言者たちに災いをもたらすな」という御言葉が記されています。
 
 預言者は、主なる神の御言葉を聞き、イスラエルの民に伝える役割を致しました。
 預言者は自分の思うところの言葉ではなく、聞く人々の耳に心地よいと思われる御言葉でもなく、ただ神の御言葉を人々に伝える、ですから時には人々から嫌われ、嫌がられることが何度もありました。
 
 今週の箇所で言えば、誕生したばかりの幼子ヨハネこそ、後に洗礼者ヨハネとなり、預言者の一人として神の御言葉を宣べ伝え、人々を悔い改めの洗礼へと導いただけでもなく、何にも勝ってヨハネは主イエスに洗礼を授けた人として聖書に記されています。
 主イエスは後に「はっきり言っておく。およそ女から生まれた者のうち、洗礼者ヨハネより偉大な者は現れなかった。」と告げていますし「すべての預言者と律法が預言したのは、ヨハネの時までである。」とも続けて話しておられるところから、ヨハネは聖書の中で最後のしかも、最大の預言者であると言われます。そのようなヨハネが、祭司ザカリアとその妻エリサベトから誕生しました。
 
 祭司の働きは、何よりも礼拝を司る者と言えるでしょう。神に仕え、神殿で働き、古来より、守られて来た律法の元での儀式、しきたり、習慣を重んじながら、人々に神を宣べ伝え、受け継いだ信仰を守る役割を担っていました。先週の一週間はいよいよクリスマスの本番が近づいて来たと思わされる行事が続き、また、今週も、今日の午後には、子どもの教会のクリスマスへと続きますが、二日前に行われた婦人会の合同クリスマスの礼拝、祝会を一緒に過ごしまして、少しほっとした時、ご婦人方との会話しながら、特に金曜日には、幼稚園の子どもたちのお母さん方が沢山来て下さったこともあり、そんな方々にやっぱり伝道していきたいですねと話をしておりましたら、ふと先月の末に召されたTさんと、乙幡和雄先生の話となりまして。あの二人は良くやり合っていたというのです。

 Tさんは伝道を一生懸命に考えて、幼稚園まで作ろうと頑張っていた。Tさんはいつか牧師になりたいという夢を持っていたけれど、その夢を諦めて頑張っていたから、中々「うん」と言ってくれない乙幡先生と良くやりあっていたと愉快そうに言うのです。
 その話を聞いて、何か祭司と預言者のようなだと思いました。教会の中にあって、礼拝を守り、習慣、しきたりを重んじる人、伝道一本で頑張ってと働かれる人、教会は色々なタイプの人がいて、そしてそれぞれが神の民として歩んでいるわけですから、それで良いのであって、互いに思うところを言っても、そこで少しも信仰が崩れることもなく、逆に強く繋がっていたお二人だったと思います。

 ザカリアは祭司でありました。事の発端は、ザカリアが神殿で、祭司としては名誉ある香を焚くという役割を担うことになった。香を焚いている時、もっとも緊張が強いられる時に、天の使いのガブリエルが現れて、「ザカリアよ、あなたの願いは聞き入れられた。あなたの妻エリサベトは男の子を産む。その子をヨハネと名付けなさい」と告げられたわけでありました。

 しかし、ザカリアは驚きと共にこう告げました。「何によって、わたしはそれを知ることができるのでしょうか。わたしは老人ですし、妻も年を取っています。」この受け答えは、年を取りすぎている私たちにはとてもそれは無理な話です、と答えたのだとも言えますし、「何によって」という言葉を大切に読むとすれば、ガブリエルは「あなたは口が利けなくなり、この事の起こる日まで話すことができなくなる。」つまり、口が利けなくなるというしるしによって、あなたはそのことが分かり、受け止めるであろうと天の使いが言ったともいえます。

 今日読まれた箇所では、親類の者がザカリアに「この子になんと名を付けたいか」と手振りで尋ねた。とありますから、身振り、手振りをしながら、ということは、口が利けないということは、耳も聞こえなかったのではないか、このことを先週の子どもの教会で、話をして下さった方が説明して下さって、私は改めて、なるほどそうかもしれないとすっかり納得したのですけれど、恐らくザカリアは口も利けず、耳も聞こえない状態で、つまり、徹底的な沈黙の時間を生きたのではないかと思います。

 しかし、そんなことを思いますと、この10か月の間、ザカリアとエリサベトはどんな思いで過ごしていたのか、二人とも、エリサベトのお腹に赤ちゃんが宿っていることに信じられないという思いと、しかしこの出来事によって神を賛美する思いと、その喜びを共有したいと思っているにも関わらず、聞こえない、話せないわけですから、二人の会話が上手く成り立たない苛立ちとを、なにかこれだけでも色々な思いで想像できるように思います。先週の話の続きで言えば、エリサベトが六ヶ月になった時に、マリアがこの家を訪ねてくることになりますが、ザカリアとの会話が難しかったエリサベトにとって、またどんなにマリアの訪問を喜んだかとも思うのです。

 更には、子どもを授かることができないと諦めていた二人が子を授かったわけですから、親類の者たちも同じように、どんなにか喜んだかと思います。ですから「月が満ちて、エリサベトは男の子を産んだ。近所の人々や親類は、主がエリサベトを大いに慈しまれたと聞いて喜び合った」と記されています。そこには嘘が無いと思う。人々には不思議と思われる出来事が幾つかあったにしても、周囲の皆は、ザカリアとエリサベトを祝福したことでありましょう。

 けれど、そのような喜びの中に一つの問題が与えられます。当時の習慣では赤ちゃんが生まれると八日目にその子に割礼を施し、また名前を付けることになっていました。しかも恐らく、この生まれた子は、既に生まれたときからザカリアという名で、近所や親類の間で呼ばれていたかもしれません。ザカリアには子どもいませんでしたし、授かった最初の男の子であり、跡継ぎです。その役割の一つとして名前を受け継ぐことも大切な役目でした。
 ですから、既に周囲の御名は、名前はザカリアしかありません。既に決まっているようなものです。

 ザカリアは代々受け継がれてきた祭司の家柄であり、生まれてきた子どもも後に祭司として働くことになる、実に当たり前のことであって、これまでの習慣、慣例からしても、ザカリアという名前しかなく、それが皆の喜びでもあるのだと、誰もが思っていたことでしょう。

 けれど、そのように言う親類の者たちに対して、エリサベトは「いいえ、名前はヨハネとしなければなりません」と告げた訳でした。この言葉は、少なくとも父親のザカリアはエリサベトだけには、あの神殿での出来事を伝えていたことがわかります。耳が聞こえず、口が利かないとしても、なんとしてもあの天の使いが語ったことを、そして生まれてくる子供の名前はヨハネであるということを、エリサベトに伝えていたのだと思います。だからエリサベトは頑張ったと思います。
驚いたのは親類の方で、なぜなのか、何の脈絡もなく、ヨハネという名前とは、「あなたが親類にはそういう名前がついた者は一人もいない」と言って、ザカリアに手振り、身振りで「この子になんと名を付けたいか」と尋ねました。
ザカリアは、字を書く板を出させて「この子の名前はヨハネ」と記しました。

 その文字を見て人々は驚きましたが、もっと驚いたのはその瞬間に10か月の間、聞くことも、話すことも出来ないでいたザカリアの口がほどけて、そして、何よりも先に神を賛美し始めたことでありました。人々が恐れを感じるほどの賛美です。喜びです。ザカリアの大きな喜びがここに迸ったと言ってもいいでしょう。

 ザカリアは祭司でした。祭司として生きて来ました。言うなれば誰よりも神に近いところで働いている人として、自他共に認めていたのではないでしょうか。けれど、そのようなザカリアが神の使いの言葉を信じることが出来なかったのです。あなたの所に子どもが生まれると言われたとき、何を言われるのか、私の経験においては、既に私たちには子供が出来るような年齢ではないことは分かっている。人には無理なことが分かっている。そうして、自分には自分の祭司としての経験からしても、神の力のあり方も分かっている、とどこかで思っていたのではないでしょうか。

 しかし、それにも関わらず、自分は口が利けなくなり、一言も話せなくなる中において、神の使いの言葉の一つ一つがが実現していくさまを見て来ました。エリサベトのお腹が少しずつ大きくなってくるその様子を見ながら、確かに妻は子どもを宿していると確信したでしょう。エリサベトが六ヶ月の時に、不思議なことにあの親類のマリアがやって来て、神の子を宿したと言う。その時、エリサベトの胎の子が、喜んで踊ったという、神の業と神の力が、いつの間にか自分を思いや常識と習慣や前例を越えて実現していく有様を本当に、心で感じながら、ザカリアは、人々が驚いたような驚きを、自分も感じていたでしょうし、戸惑いや、何をどう考えて良いのかわからないという思いを抱えていたと思います。

 しかし、そのような思いが10か月かけて、驚きや、戸惑いから、大きな喜びへと変えられていくのです。

 まことに神は私はと共におられた。私は神と共に歩んでいると思っていたけれど、そうではなく神が私と共におられたのだと確信し、そして、ザカリアはここでこれまでの祭司として自分の信仰と思っていた心から、全く新しくされて、ここでまさにザカリアの回心が起こり、大きな喜びの中で、誰が何をどう言おうとも、「この子の名はヨハネ」と記さずにはおられなかったと思うのです。この子はヨハネ、それは神が名付けられた名であって、人の思いを越えた名、この子はヨハネ。この世の思いの全てを越えて、この子はヨハネ。

 そして、それは「あなたは、あなたであれ」というメッセージであると私は思います。

 「あなたは、あなたであってはならない」この言葉はどんなに人の心を傷づけることでしょうか。世の中に起こる、いじめやパワハラと呼ばれる類の出来事の殆どがこのメッセージであると言っても良いと私は思います。

 既に見てきましたように、生まれたての赤ちゃんに対してでさえ、この世の考えでは、こうでなければならないと考えるのです。生まれて八日目に割礼を受けなければならない。その日は名前を付ける日として定められた日である。ザカリア家にはザカリア家のしきたりがあり、ザカリア家の考え方がある。言葉で言わないとしても、しかし、既にその心が、その人を支配するのです。

 神とはこういう方である。祭司はこう生きるべきである。牧師はこう生きるべきである。信仰とはこういうものである。教会とはこういうものである。そのように決めつけてしまう思いが人の心を支配する時、私たちは神の御言葉や、神の愛から、遠く離れてしまう危険さえあると思う。それを罪と呼ぶこともできるでしょう。

 体操の先生であったのに、鉄棒から落ちて、動けなくなり、長い苦闘の末、キリストへの信仰へと導かれた星野富弘さんが、こんな詩を作っています。

 「あなたは、私が考えていたような方ではなかった。
  あなたは私が想っていたほうからは来なかった。
  願っていたようにはしてくれなった。
  しかし、あなたは私が望んだ何倍ものことをしてくださった。」

 この詩のタイトルは「当て外れ」です。自分が思っていることと違うのです。

 けれど、「私が望んだ何倍ものことを」して下さる方、それが主なる神、ザカリアは心からそう思えたのではないでしょうか。「ほめたたえよ、イスラエルの神である主を 主はその民を訪れて解放し、」と心を込めて賛美します。

 主はその民を訪れて、解放して下さる。様々なしがらみから、様々な戸惑いと、悩み、苦しみ、妬み、悔しさから、「あなたはあなたであれ」と解放して下さいます。この方が誕生される喜びを思いつつ、この週も私たちは主に感謝しながら 歩んで参りましょう。 お祈りします。

お祈りします。
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裏も表もなく

2018-12-24 15:20:58 | 礼拝説教
【レビ記19章9~18節】

【ルカによる福音書1章26~38節】


 12月に入りまして、待降節第2主日を迎えています。11月末の話ですけれど、私が卒業した神学校で来年の春に卒業して、牧師として教会で働かれる方々に対して話しをする時間が与えられまして神学校に行って参りました。この授業は、毎週、牧師が入れ替わりながら、その専門的な見地から話をするという授業です。例えば「教会の財政」についてとか、「賛美の用い方」とか「キリスト教と葬儀」とか、割合に具体的なタイトルで話をすることが求められているように感じます。
 けれど、私が担当する時間のタイトルは「牧師の「学び」」というタイトルで、これは一体私は何を話せば良いのか(笑)何を話すことが求められているのか、戸惑いを感じておりました。でも、一旦話し始めますと実際のところ、90分では収まらない程に充実した良い時間を与えられました。

 一体牧師は何を学ぶ必要があるのか、「ナルニア国物語」の著者として、また非常に優れた信仰者として知られているイギリスのCSルイスが、一つの答えを出しているのではないかと思う文章を紹介しました。

 CSルイス自身、長くオックスフォード大学とケンブリッジ大学の教師としても働いておりましたが、ある時、イギリス空軍の兵隊を前にした講演会があったそうです。そこで、いわゆる割合神学的で学問的な話をしていたのだと思われます。
 その時、おもむろに一人の老将校が立ち上がって言ったそうです。「そんな話はわたしには無益です。しかし、いいかね、わたしだって信仰のある人間です。わたしは神がおられることを知っている。いや、わたしは夜の砂漠に一人でいた時、実際に神にふれたことさえある。それは実に驚くべき神秘だった。だからわたしは神に関する教義だの信条だのというものを信じないのです。本物に出会った人間には、そんなものはつまらぬ、知ったかぶりの、空ごととしか見えんのです。」と言われたというのです。

 その言葉を聞いたルイス先生はその将校を叱るのでもなく、むしろ、自分も全く同じ思いがあると言うのです。なぜかというと、神の学問、神学研究とは、いわば世界地図を作っているようなものだからと説明しています。

 人は、世界地図を見て感動することはありません。けれど世界地図は、今では人工衛星や、科学的な方法で割合に早く、しかも正確に作れるでしょうが、一体これまでどれだけの人がその地図作りに参加してきたのか、人は大西洋の海岸に立てば、目の前の海を見て感動することもあって、そこに神様がおられると感じるかもしれない。でも、それは、その人がそう感じることであって、それだけでは地図は作れない。これまで、それこそ何百、何千という人が大西洋に漕ぎ出し、多くの、しかもそれぞれが別々の体験をしながら、しかしその中で、同一の地図を作ることに成功したかを忘れてはならないのですとあります。

 神学もそのように、元々は、一人一人が神と出会うという全く個別の経験を通して信仰に導かれるものです、けれど、でもそれが全てではなく、そのような経験を通して造り上げられ、紡ぎだされて来たのが神学という学問であり、なぜそれが必要かというと、地図を見ただけでは感動しないけれど、でも海を渡ろうとするならば、必ずその地図が必要であり、時にはその地図が命綱にさえなるように、神学も神学そのものだけでは感動することは少ないかもしれない。
 しかし、この学問がないままに海に漕ぎ出して行っていいのか、それは地図を持たないで海に漕ぎ出そうとしているようなものではないのか。あの将校の言葉は真実に違いない。けれど、将校は神がおられると経験として分かっているとしても、その神の思いは何か、神様はどんな方なのか、神様の計画は何かを知らなければならないのではないか。そんな風に記してある著書を紹介しました。

 この説明は私の思いが大分入っていますので、ルイス先生の意図を正確に伝えているわけではないかもしれませんが、キリスト教の神学、また教義、あるいは信条、それは決して神ではなく、いわば地図のようなもの、しかし、その地図がなければ、出航は出来ないのだ。そう伝えたかったのだと思います。ですから学生の皆さんよ、これまで学んできたところのその地図を持って、この学校から出航して頂きたい。しかもその地図は、もしかしたら形だけが記されている白地図かもしれません。だから、その地図にこれから、御自分の経験を重ねながら、山の高さを書き入れ、海の深さ、砂漠の位置、水のあるところを書き入れて、信仰という地図を完成していただきたいと申し上げながら話をさせて頂きました。

 私たちはキリスト教と、主イエスの福音と、人生のいつかの時点で出会う経験を致します。そして信仰者となる、人によっては生まれた時からクリスチャンホームの家ということもあります。家内は3代目のクリスチャンで、我が家の息子は4代目のクリスチャンとなりますが、そのようにして信仰が受け継がれることもあり、しかしまた、受け継いだというよりは、自分は、人生のこの時に、神と出会う経験をして信仰を得たそういう方も沢山おられるでしょう。

 先週、私たちはT兄の葬儀を行いました。T兄の葬儀に当たり、改めてTさんが記された本を読み返す恵が与えられました。T兄は14歳で就職、15歳で父親が召され、一家の大国柱となって、猛勉強の末、幹部候補生への道が開かれる。その道が開かれたと思った次の瞬間に、16歳で列車の事故に遭い、体に大きな障害を負う人生を歩むことになられました。多くの皆さんがご存知の通りです。

 思えば挫折の繰り返しであって、その挫折の究極のところで、二十歳で教会に導かれたとあります。神と出会うまでの数年は、どんなに荒れた生活だったかをも記してありました。

 しかし、Tさんは二十歳で神と出会って、まさにこれまでの自分に死んで、主イエスの復活と共に生き返ったような人生を歩まれ、この教会の創立に関わり、幼稚園の設立のために働かれ、社会福祉の面において、地域社会の働きにおいて、厚木基地の問題においで、一体どこからそんな力が出るのかと思えるほどの働きをされた方でありました。

 けれど、その力の出どころははっきりとしていました。それは主なる神から与えられた力でありました。与えられた人生、自分が思い描いていた地図ではなく、神から与えられた白地図を受け取って、しかし、その地図は真の愛なのだと知らされた時に、どんなにか力を与えられ、復活の人生を歩まれたのかを改めて思います。Tさんはその地図に実に見事に山の形、海の深さ、そして神の愛の、広さ、深さ、長さ、高さを描いた方であったと思います。

 今日はルカによる福音書から「イエスの誕生が予告される」という箇所を読んで頂きました。処女マリアのところに天の使い、ガブリエルが現れて「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる」と告げた場面です。マリアはその言葉に戸惑い、この挨拶は何かと不安を感じました。ガブリエルは「恐れることはない。あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい。その子は偉大な人になり、いと高き方の子と言われる。」と告げるのです。

 マリアは更に驚き、戸惑いの中で「どうして、そのようなことがありえましょうか。わたしは男の人を知りませんのに。」と必死の抵抗を試みます。けれど天の使いは更に念を押すように「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。神に出来ないことは何一つない」と告げるわけです。マリアはその言葉を聞き、最後には全てを受け入れて言いました。「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身になりますように。」そう告げたところ、天使は去って行ったというのです。

 マリアの所にいきなり、天に使いが現れて「おめでとう」と告げられる。「あなたは身ごもった」と言われる。「名前をイエスと名付けなさい」と言われる。これらの言葉は本当にマリアを困惑させたことでしょう。

けれど、神の使いの様々な言葉がかすむほどに、マリアの最後の一言、「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」この言葉がこの場面ではどんなにか印象的かと感じます。ある牧師はこの場面は、神の計画、神の企画があって、その計画にあなたも乗ってくれと言われて、マリアは「わかりました、乗ります」と決断した場面であり、その決断が美しく、読む私たちに感動を与えるのだとありました。私もその通りだと思います。

 けれどまた、このアドヴェントの時期、これまで殆ど気が付いていなかったことに改めて気付いたことがあります。ある本を読んでいました時に、「受胎告知の祭り」という言葉を見つけました。これはどういうことかと調べましたら、西欧の特にカトリック教会で祝う祭りとありました。その日付がいつかというと、3月25日とありました。今日、読まれているこの受胎告知の場面、それは当然のことですが、御子イエスが誕生する10か月前の出来事です。ですから単純に10か月遡れば3月25日となるわけで、その日に、この出来事が起こったのだからとカトリックでは祝いの日となっていました。私はなるほどと思いました。

 御子イエスが誕生する10か月前の3月25日が受胎告知の日ならば、実にさらにそこから六ヶ月遡って前の年の9月25日にザカリアが香を焚いたことになるわけです。その時、妻であるエリサベトに子が宿ったことを告げられた日になるはずです。その時からザカリアは口が利けなくなるわけですが、天の使いはマリアに伝えました。「あなたの親類のエリサベトも、年を取っているが、男の子を身ごもっている。不妊の女と言われていたのに、もう六ヶ月になっている。」あのザカリアとエリサベトの出来事、その出来事を、恐らくマリアも知らされていたと思います。

 ザカリアは天使に話しました。「わたしは老人ですし、妻も年をとっています。」この言葉は、「既に私たちは年を取りすぎていて、子どもを宿す力はもう無くなっているのに、どうしてそんなことがあり得るのですか」ということでしょう。しかし、そのザカリアの思いを越えて、エリサベトは子を宿しました。

 ザカリアもエリサベトも本当に驚いたでしょうが、しかし、喜びに包まれたことでしょう。でも驚いたのは二人だけではなく、ザカリアの家族や、親類も相当驚いたのではないでしょうか。マリアもその出来事を聞いていたに違いありません。とても信じられない。でも、喜びの出来事だし、何よりも自分との関わりから考えれば、特にどうということでもなかっただろうと思います。

 けれど、マリアは天使の言葉を聞いて、「私は主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」と言ったものの、自分が本当に子を宿しているのかどうか、
 
 男性にはわかりませんが、女性が子を宿したかもと思えるのは、一体いつ頃なのか、2か月後か、もっと後か、どんなに早くても、ひと月以上は必要ではないでしょうか。だから、マリアは何よりも早く、夫となるヨセフよりも早く、エリサベトの所に向かったのだと思います。天の使いがエリサベトも子を宿している、神に出来ないことは無いと言ったからです。そしてエリサベトと出会ったとき、エリサベトの胎の中の子が喜んで踊ったというのです。エリサベトは「主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう。」とマリアに話しかけました。

 マリアはその後、マグニフィカートと呼ばれるマリアの美しい賛歌を歌います。しかし、マリアはそこに三か月ほどエリサベトのところに滞在したとあります。

 この三か月が大切だったのではないでしょうか。それはすなわち、マリアは本当に自分が、神様の子を宿したのだと確信するまでの時間ではなかったと思うのです。この確信が与えられたマリアは、エリサベトと共に益々心が、喜びへと変えられます。三か月後、エリサベトはこの時9か月となり、もうすぐ出産です。聖書には記されていないとしても子を宿した二人の女性が共に大きな喜びの中にいたのだと思うのです。

 そして、この三か月の間、マリアの心の中に大きな変化があったのではないかと私は思います。

 昨日の土曜日、午前はさがみ野ホームでクリスマス礼拝を守り、午後からは幼稚園のお母さん方と共に母親クリスマスを祝いました。その母親クリスマスでも話しましたが、人間は自分の中の「意志」と「感情」とが戦ったとしたら、必ず感情が勝つのですという話しをしました。例えばアルコール中毒の人がいたとする、その人は本、当はもう止めたいと思っているのです。止めようと思う、そういう意志は働くのですけれど、でも、その意志を感情が越えていくのです。だめだと分かっていても止められない、それほど人の感情は、人の意志を越えていくのです。

「わたしは主のはしためです。お言葉どおりこの身になりますように。」と告げた時、それはマリアの意志であったと思います。けれど、神学だけでは信仰が伝わらないように、意志だけでも信仰は続きません。意志が感情へと変わらなければなりません。感情とはその意志が本当に自分自身になるということです。そして、そうなるまでには、どうしても時間が必要です。

 だから、エリサベトと過ごした、この三か月どんなに大切であったかと思います。幼子を自分のお腹に宿していると確信すればするほどに、この三か月の間に、マリアは自分の意志を越えていく神の愛に包まれて、エリサベトと共に、喜びの感情が爆発していくように感じていたのではないでしょうか。

 そしてその時、マリアは、これまで自分が持っていた自分の人生の白地図から、神様が与えて下さった地図へとしっかりと持ち替えて、そしてその地図を頼りに生きる決心をしたのではないか。その決心は自分を捨てる決心です。信仰とはある意味、自分を捨てる勇気が求められます。
 これまでの自分が自分でなくなり、復活の主イエスとともに全く新しい自分に生きる勇気です。裏も表も無く、その全てを神にこそかけて生きる決心です。

 しかし、同時にそれは捨てると言っても、まことに神の愛を受け止め、神に信頼を寄せ、主イエスが後に教えて下さったように、神を愛し、隣人を愛し、自分を愛することの大切さをどれほど感じ取ったことでありましょうか。私は主の御計画に生きている。神の恵みの中に生かされている。マリアの喜びは自分の意志を越えて、本当に素晴らしかったと思う。

 そして、クリスマスの出来事は静かに、しかし確かに進んでいくのです。

 そのような勇気を、決心を主なる神は、私たちに対しても、主はいつも求めておられるのだと思います。
「主よ、私は主のはしためです。お言葉通り、この身になりますように。」そう祈りつつ、この一週間も歩んで参りましょう。     

 お祈りします。
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最初の礼拝

2018-12-24 15:01:51 | 礼拝説教
【創世記8章13~22節】 
【ルカによる福音書1章5~25節】


 既に、お祈りの中にありましたように、また連絡網、週報などでもお分かりのように、私たちの教会の歴史のその最初から歩んで来られ、私たちの信仰と共に歩まれ、時には導き、時には励まし、過ごして来られたT兄が天に召されました。11月29日木曜日の朝早くでありました。
Tさんは一週間前の日曜日の朝、過ごされていたホームで体調を崩されて、救急搬送されました。しかし、その後、半日ほどで容体が落ち着き、安定して来られましたので、少し安心して体調を崩した原因を調べましょうと大和市立病院に入院されました。
T けれど、その後も不安定な状態が続くこととなり、木曜日に召されて行かれました。アドヴェントに入り、この時、Tさんと共にクリスマスを祝うことが出来ない、誠に残念でありますけれど、しかし、神様の御計画に従って歩まれたTさんを偲び、今日、夕と明日に執り行われるお別れの時、心を込めて進めて参りたいと願っています。

 Tさんは、「神に牽引かれて」という御自分のいわば自伝、ご自身の歩みを本にされておられます。私は、木曜、金曜と丁寧に読み返しておりましたが、 
 キリスト教との最初の出会いについて記してある箇所がありました。タイトルは「現代の奇跡」と記されています。元国鉄マンらしく、日にちや時間まで正確に記されています。
 1952年、昭和27年1月26日、土曜日、T兄が二十歳になろうとしていた時、務めておられた恐らく厚木駅の改札近くで、駅に張られていたポスターを見ながら、少し考えごとをしていた、既に事故により障害を負っておられたTさんでしたから、余計に人の救い、命について考えておられたのは間違いありません。

 自分の宗教遍歴について思いをめぐらし、自分がこれまで一度も触れて来なかったのはもはやキリスト教ぐらいのものだな、などと思いながら立っていた時に、ふいに声をかけられた。女性の方が近づいてきて「駅員さん、あなた教会に行きたいのではありませんか?」ビックリして振り向くと、「明日9時の汽車でここに来ますから、待っていてください」と言って去って行ったというのです。

 驚いたTさんでしたけれど、その言葉通りに、日曜日の9時に待っていたところ、その方がやって来られて、米軍のジープに乗せられて厚木基地の教会へと導かれたというのです。

 厚木基地の教会ですから、当然、英語で礼拝が進められます。Tさんは何を言っているのかさっぱりわからなかったそうです。その様子は白昼夢をみているようであったと記されていました。けれど、その時に確かに何かを感じていた。教会の中で片寄り見る目もなく、愛情に満ちた優しいソフトな雰囲気の中の教会、国境を越えた「何か」を感じた。と記されてあります。

 つまり、Tさんの最初の礼拝は、何が何だか分からなかったというのです。説教も全て英語です。でも、そこで「何か」を感じた。その「何か」がなんであるのか、その思いがキリスト教へ、信仰へ導いた大きなきっかけとなったのではないかと私は思いました。
しかし、また、ここで大切なことは、Tさんの最初の礼拝において、殆ど強制的に沈黙を強いられたと言っても良いかもしれません。

 今日のアドヴェントを迎えた礼拝のタイトルを「最初の礼拝」としました。読まれた聖書箇所は祭司ザカリアがくじで選ばれて香を焚く場面でありました。アビヤ組の祭司とありますが、当時祭司は24の組に分けられていて、アビヤ組はその8番目でありました。
 主の聖所に入って香を焚くのは、年に2度あったと言われます。24組に分かれていますから、12年に一回、香を焚く役割が回ってきます。しかし、また一つの組に祭司が700~800人程所属していたと考えられますので、それでくじを引いて、自分に当たる確率は極めて低い、恐らく生涯一度も香を焚かない祭司のほうが圧倒的に多かったと思われます。しかしザカリアがそのくじを引きあてました。

 ザカリアには妻エリサベトがいて、「二人とも神の前に正しい人で、主の掟と定めをすべて守り、非のうちどころがなかった。」とあります。真面目で、実直な祭司であったと思われます。それ故に香を焚く役割は緊張を強いられたでありましょう。香を焚く間、大勢の民衆が皆外で待っていました、  

 抜かりなく、また慎重にと思いながら、役割を進めていたでしょう。その時、主の天使が現れて、香壇の右に立ちました。
 
 そして、話しかけて来た。「恐れることはない。ザカリア、あなたの願いは聞き入れられた。あなたの妻エリサベトは男の子を産む。その子をヨハネと名付けなさい。その子はあなたにとって喜びとなり、楽しみになる。」と告げるのです。子どもが授かっていなかったザカリアにとってこれほどの喜びは無いと思えるほどの知らせです。

 けれど、あまりの出来事に驚いたザカリアは思わず声をあげました。「何によって、わたしはそれを知ることが出来るのでしょうか、わたしは老人ですし、妻も年を取っています。」つまりそれは無理であり、既に不可能なことだと神の使いに告げたのです。

 その言葉に天の使いは語りかけました。「わたしはガブリエル、神の前に立つ者。あなたに話しかけて、この喜ばしい知らせを伝えるために遣わされたのである。あなたは口がきけなくなり、この事の起こる日まで話すことができなくなる。」
 その後、実際にザカリアはヨハネが誕生するまで、口が利けなくなるのです。その理由はガブリエルの言葉を信じなかったからとあります。子どもが誕生するまでの凡そ10か月の間、ザカリアは沈黙することになります。口にすることは出来ませんが、この10か月ザカリアは一体何をどう考えていたのであろうか、聖書は多くを語りません。

 しかし、ヨハネが誕生した時、親戚の意見をさえぎって、この子の名前はヨハネとした時に、舌がほどけて神を賛美し始めたとあります。10か月間は、ザカリにとって、はまさにこの時の為の準備の時間であったのだろう、そんなことを思います。

 さて、今日はもう一個所、旧約聖書の創世記の8章、ノアの物語を読んで頂きました。創世記6章から9章まではノアの洪水の物語です。その頃、主なる神が地上に生きる人々を見て、その人々の生き方を見て、「主は、地上に人の悪が増し、常に悪いことばかりを心に思い計っているのをご覧になって、地上に人を造ったことを後悔し、心を痛められ」そして、世界中に洪水をおこし、人々の命を取るという決意をされました。しかし、その決意の中でただ一人ノアだけが助けられます。「ノアは神に従う無垢な人であった。ノアは神と共に歩んだ。」と記されています。

 主なる神は、その決意を曲げることなく、地上に雨を降らせて、雨は40日40夜降り続き、いよいよ洪水は世界を覆うことになりますが、ノアだけは前もって箱舟を造るようにと指示されていましたから、言われた通りの大きさの大きな船を作り、ノアとノアの家族、また命ある生き物の番いを乗せて洪水を乗り切るわけです。
 水が引き、舟が地面について、暫くした時にノアはカラスや鳩を飛ばして、いよいよ外に出られる状況になった時、主なる神の声がしました。「さあ、あなたもあなたの妻も、息子も嫁も、皆一緒に箱舟から出なさい。すべて肉なるもののうちから、あなたのもとに来たすべての動物、鳥も家畜も地を這うものも一緒に連れ出し、地に群がり、地上で子を産み、増えるようにしなさい。」そこで、ノアは息子や妻や嫁と共に外に出ました。

 そして、外に出てノアが最初にしたことは、主のために祭壇を築くことでした。聖書の中で祭壇という言葉はここに初めて登場します。ノアが初めて神の前に礼拝をささげた人であったと言われる所以がここにあります。

 けれど、またこのノアの洪水の物語は一つの特徴がありまして、それは6章、7章、8章、9章と続く中で、ノアは一言も口を利いていない。自分の思いを告げているところは無いのです。唯一9章の最後の箇所で、ノアはノアの息子たちに語り掛ける場面がありますけれど、この箇所は洪水の出来事とは違う状況の話ですから、ノアは洪水に関して結局一言も話していません。なぜ、話していないのか、今、水曜日の昼の祈祷会では創世記を一緒に読んでおりますが、この箇所を読んだ時もそんな話題が少し出た思いもありますが、明確な答えは出されなかったと記憶しています。

 けれど、今、私は思っていることがありまして、それは、ノアは神に従う無垢な人であったとあります。神と共に歩んだとありますが、しかし、なぜ自分だけが洪水によって命を取られることなく、なぜ自分だけが生き残ることになるのか悩んでいたのではないかと思うのです。

 私はノアにも親しい友がいたとも思いますし、地域共同体の一人のメンバーとして一緒に人生を歩んでいた多くの仲間がいたに違いないと思います。けれど主なる神は、その友も知り合いも地域の人も皆、洪水によって命を取るというのです。自分だけが生き残るというのです。ノアはそれで満足だったのでしょうか。ノアはそれが喜びだったのだろうか。ノアは神に従う無垢な人でありました。しかし、無垢であればあるほどに、また、そのような悩みにさいなまれていたのではないかと私は思いました。 

 しかし、その思いは神の思いに反することでもあり、それ故にノアは一言も自分の言葉を自分の思いを告げることをしなかったのではないか、そんなことを思いました。

 けれど、ノアは洪水が終わり、外に出た時に、何よりも最初に行ったことは、神に対して祭壇を築いたということでした。この姿は神のなさった全ての事柄、自分の思いとは必ずしも違うかもしれない全ての事柄を受け入れた、ということではないでしょうか。

 週報の後ろのページに、私は子どもの教会で読まれる聖書箇所について、毎週短いコメントを記しています。子どもの教会の礼拝では、今日、マリアとザカリアの妻、エリサベトの二人が出会って共に喜んだ箇所が読まれています。その箇所について少し記したたのですが、私はこう記しました。

 マリアは「あなたは身ごもって男の子を生む。その子の名前をイエスと名付けなさい。」という御言葉を受け入れ「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」と答えました。つまり「はい」と言って答えたのです。マリアが多くの人々から愛される理由は、神の言葉に感謝をもって「はい」と言えたところにあります。「はい」とは神を受け入れ、自分を受け入れたしるしです。自分を肯定するには、自分の好きなところも、嫌いなところも全てを受け入れて力強く「はい」と自分を自分で受け入れなければなりません。勇気も決断も必要です。でもマリアはその決断をしました。マリアの親戚である、エリサベトもまたそのように「はい」と言えた女性でした。

 皆さん、私が今日、皆さんと思いを一つにしたいと思っていることは、この神の業に対して自分が「はい」と言えるかどうかではないか、とうことなのです。

 ノアは神に従う無垢な人でありました。しかし、ノア以外の全ての人の命が奪われる出来事に対して沈黙を通し続けました。それは神の業に対して心から自分が「はい」と言えるかどうかが、問われ続けていたからではなないか。そして、全てが終わり、外に出て祭壇を築いたのは、この出来事の全てをノアは、「はい」と受け入れる信仰を培ったのだろう、と思います。

 ザカリアは、香を焚いている時、現れた天の使いの喜びの言葉の告げ知らせ、この場面は、私たちが執り行っている礼拝の基となる、最初の礼拝であったと記した牧師の文章を読みましたが、その礼拝において、ザカリアはすぐには「はい」とは言えませんでした。「はい」と言えるまで10か月の沈黙が必要でした。しかしその名は「ヨハネ」と記した時、全てを受け入れ、神を受け入れ、自分を喜んだのです。

 私たちは主なる神に対して、与えられている状況に対して、果たして本当に「はい」と言えるかどうかが問われているのだと思います。

 T兄は、意味の全くわからない礼拝がその生涯の最初の礼拝であったことも、そこに主なる神の深い計画があったのではないか、意味のわからない礼拝、でもそこで「何か」を感じる、その「何か」が分かるまで、恐らく暫くの時間が必要であったでしょう。けれど、その「何か」は、主なる神の前に立って、「はい」と言える信仰、あなたの思いのままに私を用いて下さいと思える心。主なる神の御計画を喜ぶ思いだったのではないかと私は思います。

 そして、神の御計画によって招かれ、「はい」と答えた一人一人の信仰によって、クリスマスは始まり、神の思いが地上に現れ、御子イエスが誕生されて、私たちは御子イエスを通して神としっかり繋がることが出来ました。私たちもまた、いつでも、どんな時も、神の前に「はい」と言える思いを持って、感謝と喜びを持って、このアドヴェント、クリスマスを過ごして参りましょう。

 お祈りいたします。
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神の収穫をよろこびあおう

2018-12-10 10:12:53 | 礼拝説教
【レビ記23章33~43節】
【エフェソの信徒への手紙5章6~14節】


 本日は11月最後の主日礼拝となり、キリスト教の暦においてはこの礼拝が一年の締めくくりの週となります。次週12月のアドベント礼拝からは、新しい一年がスタートする。そのスタートの月にクリスマスの祝いがあるわけです。

 一年の締めくくりとして今日は、既にお分かりのように収穫感謝礼拝となります。秋の実りに感謝する。二日前の金曜日は、幼稚園のマルシュと教会のバザーが行われました。多くの方々が幼稚園に、また教会にと足を運んで下さいました。 この時期、多くの教会が10月から11月にかけてバザーを行いますが、トン汁を食べたり、カレーを食べたり、様々な秋の実りの食べ物が出されます。そんなことを思いますと、バザーも収穫感謝の意味が込められている一つの祭りなのだと思います。
 礼拝も、本来祭りとしての一面を持っています。キリスト主義の学校などでは収穫感謝際礼拝と呼ぶ学校もあるようですし、収穫感謝に限らず、復活祭とか、先ほどレビ記23章を読んで頂きましたが、そこには仮庵の祭りについて記されてある箇所ですが、この祭りもまた収穫感謝礼拝と深く関係する祭りとなります。

 元々、特に春に、また秋に行われる祭りの多くは収穫感謝の祭りと深い関わりを持っていました。現代でこそクリスマスケーキは冬の季節でも必ずイチゴが乗っていて、食料品店やスーパーに行けば、どんな季節でもありとあらゆる野菜や果物が手に入るようになりました。今でこそ当たり前のようになっていますが、このようになって本当はまだ100年も経っていないのではないでしょうか。

 宮沢賢治の雨ニモマケズという詩の中に「日照りの時には涙を流し、寒さの夏はおろおろ歩き」という一文があります。この雨ニモマケズは、諸説ありますが、1930年頃に記されたと言われています。随分昔の作品のように思いますが、実際はまだ100年も経っていません。現代でもそうだと言えるでしょうけれど、当時の特に東北は、その年の収穫は、まさに天候次第であったと思われます。

 西日本ではよく水不足の問題が起こりますが、東北地方は、冬の雪が一年かけて溶けて雪解け水となって川に注ぎ込まれますから、あまり水不足になることはありません。けれど、太陽が照らなかったり、長雨が続いたりは案外、頻繁に起こりますし、そうなるとその年の収穫に大きく影響するのは現代でも変わりはありません。最近は異常気象と呼ばれる状態が更に追い打ちをかけているとも言えるでしょう。
 日本だけでなく、世界を見渡せばまさに異常気象が追い打ちをかけて、食料難の中に生きている方々も大勢おられる。ましてや100年前どころか、2000年前、3000年前の時代に食べ物があるという状況、豊かな収穫があった年、人々はどれほどの喜びであったかと思います。収穫感謝を祝い神様に感謝して、礼拝を献げたでありましょう。
 
 読んで頂いたレビ記23章37節を読みますとこう記してあります。「あなたたちはこれらの定められた日に、燃やして主にささげる焼き尽くす献げもの、穀物の献げ物、和解の献げ物、ぶどう酒の献げ物をささげる。このほかに主の安息日、主にささげるさまざまの献げ物、満願の献げ物、随意の献げ物がある」と記されています。
 
 収穫感謝の時の礼拝に限ることではありませんが、イスラエルの人々が礼拝を献げる時に神の前に献げられた物は、穀物、野菜、果物だけではなく、焼きつくす献げ物、また和解の献げ物があったことが分かります。
 この焼きつくす献げ物、和解の献げ物の意味は牛であり、羊であり、山羊であり、また鳥でありました。つまり、生きた動物を連れて来て献げ、そこで屠って献げることをしたわけです。
 先日、幼稚園の礼拝で申命記26章という箇所から礼拝を行いました。申命記26章10節に「わたしは、主が与えられた地の実りの初物を、今、ここに持ってまいりました。」とあります。収穫感謝礼拝に読まれる箇所の一つです。
 
 この聖書箇所が読まれる時、私は少し迷うのですが、それでも当時行われていた礼拝の話を致します。講壇の前に作物が献げられる、だけでなく、動物も連れて来られます。牛や、山羊や羊、鳥、なんのために連れて来られるのか、そこで私はあえて「殺す」という言葉で説明するようにしています。屠るでは子供たちには分かりません。
 「礼拝で動物を殺す」というと、少し騒がしい子どもたちが一瞬静まります。

 なぜ、殺すのか、子どもたちは「可哀そう」と言いますけれど、でも、それは神様に献げると同時に私たちが食べるためですよと話します。スーパーに行くと、美味しそうに陳列されて、パック詰めになっているお肉があります。魚も美味しそうなお刺身になってパックになって並べられている。それを見ると、本当に美味しそうに見えて、食欲がそそらますが、しかし、そこで忘れているのは、その肉や刺身の全てには命があって、生きていたことです。

 生きているということに関して言えば、野菜や果物、穀物も全く同じことで、全ては命があり生きていた。私たちは生きていた物、命を食べて大きくなっていくのであって、だから、これは好きだとか、嫌いではなく命を与え、食べ物を備えて下さる神様に感謝していただきましょうという話しをいたします。

 私たちの礼拝の、基となる礼拝は、動物を屠るためも執り行われていました。逆に礼拝以外の場で屠ってはいけないとされていたようです。そしてその動物は命の大切さを感じる為だけでもなく、人が食べるためだけもなく、何よりも神との和解のために献げられました。
 
 レビ記には和解の献げ物について細かい規定が記されていますが、簡単に言えば、動物を屠り、一番美味しいと考えられる箇所は主なる神に焼きつくします。残された肉の部分の一部は祭司の為に、一部は献げた人が食べることになっていたようです。
 つまり、この献げ物は祭司を通して、人と神が和解するために献げられた。和解というと喧嘩していた者同士が赦し合うような印象ですけれど、そうではなくて、人の罪を神が赦して下さるという意味があったと思われます。そのために、祭司が仲立ちとしての役割を果たし、自分達の財産でもある動物の命を献げ、そのことによって神が人の罪を赦すのです。それが和解の献げ物の意味になります。

 キリスト教となり、なぜ、そのような献げ物をしなくなったのか、神の子、主イエス・キリストがたった一度きり、英語で恐縮ですが、once for all という熟語がありまして、「決定的」とか「一度切り」と訳する熟語ですが、主イエス・キリストの十字架は、ワンス フォア オール これっきりである、一度切りである、私が学生の時に覚えた印象深い熟語の一つとなっています。この決定的な、主イエス・キリストの十字架によって主イエスが、神と私たちの仲立ちをして下さって、決定的に神との和解を行って下さった。だから、もう、私たちは動物の命をもって和解を求める必要はなくなったからだと言われます。

 すなわち、この主イエスの十字架によって、私たちは神と完全に和解し、神の子とされたのだとキリスト教は教えます。

 先週の礼拝は、キリスト教の暦というよりは、2018年度の暦に従って、私たちの教会の年間聖句であるエフェソの信徒への手紙5章1節の御言葉「あなたがたは神に愛されている子供ですから、神に倣う者となりなさい。」という御言葉の聖書箇所を読みました。私たちは神の子として、また、神に倣う者として、また、本日読まれたエフェソ書から言えば、暗闇ではなく、主に結ばれて、光とされ、光の子としての命を生きているのです。

 光の子の特徴の一つは、まずなによりも私たちは神に愛されている子供であると知っているということでしょう。
 
 私たち日本人が少し苦手とするところは、この「神の子、光の子」という考え方だと思います。この一年で季節が巡り、収穫の秋を迎える。多くの作物の収穫を得る。その収穫は、太陽の光の中で、豊かな雨の中で、土地の豊かさの中で、つまりは自然の恵みによって年の収穫を迎えるのだと考えるところがあります。これは日本の神道であるとか仏教という教えの中にもみられるものであろうと思われますし、あえて宗教を挙げなくとも、いわば日本の歴史の中に育まれた日本人の感性と言っても良いかもしれません。 

 自然の恵みに感謝して、だから逆に自然を怒らせないような、自然の中にいる様々な神を怒らせないようにしながら生きる。あるいは神も仏も人も一体となって生きている、そんな感覚というか感性を持っているのだと思います。そういう世界は神が親であり、人が子といった考え方は殆ど見られません。ですから、キリスト教が伝えるところの、私たちは神の子であり、光の子です。と言われても、余計にピンとこないところがあるかもしれません。

 ピンと来ないのは、あなたは神の子だと言われるとそうだなと思えるのですが、神様が親であり、自分は子どもという言葉がピンとこないのかもしれません。

 私の母親、今、一緒に住んでいます。元気に過ごしていますが、認知症がゆっくりと進んでいることは間違いありません。病気の特徴ですが、今のことは分からないけれど、昔のことは良くわかる、特に自分が子どもであった頃のことは、毎日話します。その一つが自分も母親、父親が欲しかったという話しです。お父さんは物心つくかつかないかの頃に、母親は小学校2年生位の時に亡くなっています。食事の時とかの、私たちと子どもたちが会話している、たわいもない話を聞くだけで、親って良いもんだろうねぇ。私も親が欲しかったなぁ、と言うのです。

 でもね、母ちゃんよ、母ちゃんにも親がいたんだよといってもなんの慰めにもなりませんから、黙って聞いているしかないのですが、私には母もいない、父もいない、そう思いながら過ごしている子どもたちもいることでしょう。

 あるいは、母親が認知症であり、会話があまり成り立たなくなっていく。このことは私にとってみれば、子どもの頃から、どんな時でも、子どもである私を守り、支え、励まし、赦し、誰よりも応援してくれていた母親像が私にはありますから、その母親像からどんどん離れていく姿を受け止めなければなりません。私は数年前は、それを中々受け止めきれない思いの日々を過ごしました。けれど、それを受け止められるようになったのは、母親には変わりないとしても、親というより一人の女性として見ることにしよう、そう考えてみたのです。そう考えると大分母親に優しく接することが出来るようになりました。

 自分には親がいないという境遇に育つ子供も、親が以前の様ではなくなっていく様子と付き合いながら過ごすことも、何が大切かというと、私は神の子であり、確かに母親から生まれて来たけれど、命は神様が与えて下さったのであって、私がどんな時も、悲しい時も、苦しい時も、嬉しい時も、私が何歳であろうとも、年老いても、病気であるとしても、どんな時も命与えたもう神が、私の親であって、私は神の子、だから大丈夫。だから安心という思いをもって生きることではないでしょうか。

 私は神の子であると思うようにする。専門的な言葉では「親替え」という言葉を用いたりしますけれど、子どもが一人前になるためにも、あるいは親が子を一人前にするためにも、どちらにもとても大切なことは、私は神様から命を頂き、神のとして生き生かされている子どもであることを、しっかりと認識することです。このことを認識して、理解する。

 そうか自分には両親がいるけれど、私の生涯を伴って下さる神を親として迎えます。そう決心することが確かな信仰へと導かれる道ではないでしょうか。

 そして聖書は、神の子であるあなた方は、光の子だと記します。「以前には暗闇でしたが、今は主に結ばれて光となっています。光の子として歩みなさい」

 ある牧師は、暗闇には自覚症状がなく、光の子は自覚症状があると説明しておりました。人は暗闇を生きていてもそれを暗闇だと自覚しないというのです。ある種のサイレントキラーと呼ばれたりする病気は、自覚症状が無いと言われますが、これが怖いと言われます。分かっていれば、早期発見ということもありますけれど、分かりませんから怖いわけです。

 だから分かるようになるためにはどうするのか?主イエスの御言葉に触れることです。ヨハネによる福音書8章12節にはこう記されています。「わたしは世の光である。わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ」光の特徴は三つです。明るい、暖かい、早い、この三つです。光の子として生きるために、明るく生きる、暖かく生きる、早く生きる。早くというのは急いでということではなく、悩み続けないということです。明るく、暖かく、早く、一言で言えば愛を持って生きる。自覚症状があってもなくても、愛に生き続けることです。これが光の子の特徴です。

 私たちは主なる神がその独り子を賜るほどに、愛された一人一人、神の豊かな何よりも勝る神の作品です。命ある神の収穫です。神の子として、光の子として、豊かな収穫を喜んで下さる神と共に歩んで参りましょう。
お祈りします。
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神に愛されている子供として

2018-12-10 10:00:28 | 礼拝説教
【出エジプト記2章1~10節】
【エフェソの信徒への手紙5章1~5節】


 毎週日曜日の9時から、子どもの教会のファミリー礼拝を行っております。今日はKさんがお話をして下さり、良い礼拝を執り行うことが出来ました。その後9時30分からそれぞれ基本的にはそれぞれの年齢、学年にそって三つに分かれて、各科の集いと言いますが「分級」を行っております。私も担当を受け持っておりまして、私は保護者の皆さんと一緒に聖書を読んで「保護者会」をおこなっております。

 時々は、教会の皆さんも礼拝前の聖書の会として、この会に出席して下さり、交わりを持って下さればより良いのではないかと思っておりますが、ここ一年ほどは、毎週マルコによる福音書を一緒に読んでおります。
 先週読みました箇所が、マルコによる福音書の4章21節からの箇所で「ともし火」と「秤」のたとえというタイトル付けられている箇所でありました。主イエスが弟子たちに対して、またその周りにいた人々に対して話をされている箇所です。
短い箇所ですから一度読みますので聞いていて頂きたいと思います。

「また、イエスは言われた。「ともし火を持ってくるのは、升の下や寝台の下に置くためだろうか。燭台の上に置くためではないか。隠れているもので、あらわにならないものはなく、秘められたもので、公にならないものはない。聞く耳のある者は聞きなさい。」また、彼らに言われた、「何を聞いているかに注意しなさい。」

 こういう御言葉です。ともし火とはイエス様のことでしょう。このともし火の明かりによって照らし出される時に、隠れているもので、あらわにならないものはなく、秘められたもので、公にならないものはない。と主が言われたわけです。 「隠れているもの」とか「秘められたもの」とは一体なんでしょうか。と問いかけつつ、私はこの「隠れているもの」「秘められているもの」をキリスト教では「罪」と呼ぶこともありますし、また具体的には何かというと、私たちがそれぞれに持っている漠然とした、あるいは、より具体的な不安ではないかと思います。と話しました。

 日本人は他の国と比較した時に、多くの不安を抱えている民族だと言われます。何年か前に、戦後の日本の社会福祉の先駆者、先駆けとして働かれ、また、キリスト教の良き導き手でもある阿部四郎という先生の講演を聞くことがありました。
 阿部志郎先生は92歳で尚、現役で働いておられます。その時、日本人が抱えている不安について話して下さり、日本人は国を信用していないという話しをして下さいました。社会福祉の先進国と言われているヨーロッパの、特に北欧諸国の消費税は、今、凡そ23~25%程になっています。けれど、子どもが誕生し、成長していくための経費は無料です。具体的には教育費や、病院にかかる費用、また、老後の心配もいりません。その殆ど全てを国がカバーするようになっているので、だから人々は不安を持ちません。不安を持たないと貯金する必要もありません。なぜ、そういうシステムが出来るのかというと国民は国を信用しているからですと話して下さいました。

 日本の国は、殆どその逆となっていまして、消費税が上がることを中々良しとしないのは、税金が上がっても自分達の生活が、今より、より豊かになるとは殆ど誰も思っていませんし、税金が上がっても依然として子どもの教育費や老後の心配が消えるわけでもありません。病気になれば、保険があるとしてもそれ相応の金が必要です。むしろバカに出来ない費用を自分で負担しなければなりません。ですから自分達の生活の為、子どもの為、老後の為に、一生懸命貯金する必要があると思って貯金するわけです。つまり、国民は国を信用していないのです。

 阿部志郎先生は、日本が日本の国を信用していないのは戦争に負けたことが原因ではないかと話しておられました。なるほどと思いましたが、私はそれだけでもなく、日本人としての国民性のようなものもあると思います。

 主は「何を聞いているかに注意しなさい」とも言われました。つまり、私たちがこの世に生まれて、赤ちゃんとして、幼児として、子どもとして成長するそれぞれの過程の中で、聞いたり、また話したりする言葉の多くが、怒りや不満、悲しみ、嘆きといった不安からでてくる言葉であるとしたら、そういう言葉を聞き続けるとしたら、不安に満ちている心を持った大人へと成長するのではないでしょうか。

 だから、主イエスという、ともし火を通して自分達の隠されている不安、秘められた不安が照らし出されて、隠れたもの、秘められたものでなくなる必要があるのだと思うのです。自分の中に、隠れたもの、秘められたものがあればあるほど、私たちはこれも日本人独特とも言われる「本音」と「建て前」の中で生きていかなければならなくなります。

 先ほどエフェソの信徒への手紙5章を読んで頂きました。5章の3節にこうあります。「あなたがたの間では、聖なる者にふさわしく、みだらなことやいろいろの汚れたこと、あるいは貪欲なことを口にしてはなりません。」
 
 ここに「聖なる者」という言葉があります。「あなたがたの間では、聖なる者にふさわしく」とあります。ここで言われているのは、あなた方は「聖なる者」になりなさいとか、そうなるように努力しなさいという意味ではなく、あなたがたは既に聖なる者とされているということです。だから、聖なる者としてふさわしい生き方があるとパウロは記しているのだと思います。
 
 「聖なる者」とはどういう者でしょうか。毎週日曜日に何をしているのと聞かれて「教会に行っています。」と答える日本人は本当に少ないと思います。教会に行くなんて、何か特別に清い人とか、立派な人であるかのように思われてしまうかもしれませんし、教会について質問される時に、これまで何度も聞かれた問いは、「わたしのような者でも、礼拝に出ても良いのですか」という言葉です。謙遜して聞いているというよりは、結構本気でそう思っているところがあると思います。でも、そんな質問の時には、私は「わたしのような者でも牧師をさせて頂いていますから、是非、礼拝にお出で下さい」と答えるようにしています。
 
 「聖なる者」とは行動が立派だとか、清い生活をしている人、という意味もあるとは思いますが、何よりも神に愛されている者として、「神のものとされた人」、「神に属している人」ということだと思います。
 
 その人の人間性が立派だとか、優れているとから聖なる者ではありません。勉強が良くできるとか、学者だからとかでもなく、経済的に余裕があるとか、社会で成功しているからでもありません。能力の問題でもないし、勿論年齢や性別の違いに寄りません。特別に「使徒」と呼ばれた12人の弟子たちの少なくとも4人は漁師であり、一人は徴税人であることが分かっています。
 漁師だからとか、徴税人だからというよりも、主は時には病気の人をも招き、当時汚れていると言われていた人々も同じようにして招いてくださいました。
 
 使徒言行録等に記されていることからも分かりますように、初代教会には、社会的に弱い立場の人も、裕福な人も、奴隷も、自由人も、ユダヤ人も、ギリシャ人もいたと思われます。実に多様な人々が主イエスの福音に触れて、教会を形成していったと思われます。むしろ、恐らく殆どユダヤ人ばかりであったと思われるエルサレムの教会は歴史的には殆ど表舞台に立つことなく、消えて行ったかのようにも思われます。
 
 更にそのような教会は、人間的に見て、未熟だと思える人、短気な人もいたでしょう。妬み深い人もいたでしょうし、品性に欠けると思われる人々もいたのではないでしょうか。それに比べたら私たちの大塚平安教会は立派な教会だと私は思います。思いますけれど、だから私たちの教会は「聖なる者」の集いですとは言えません。

 ただ一つ神に招かれ、「自分は神に属する者である」として「聖なる者」なのだと思います。そしてその聖なる者としてどう生きていくのか、今日与えられているエフェソ書の中に記されている御言葉から読みとって行くとすれば、その最初に記されているのが5章1節の御言葉だと思います。
「あなたがたは神に愛されている子供ですから、神に倣う者となりなさい。」一つは、私たちは、神に愛されている子供だということです。
 
 この神に愛されている子供という話しを2年に一回ぐらいは幼稚園の子どもたちの礼拝で取り上げられて話をすることがあります。その時、よく話をするのは、「お返し」というタイトルが付けられた絵本の話をすることがあります。
 
 狐の親子が住んでいる家の隣に狸の親子が引っ越してくるのです。狸のお母さんは引っ越しの挨拶にイチゴを持って狐の家に行くのです。喜んだ狐のお母さんは狸の家にタケノコを持っていく、それを喜んだ狸のお母さんは「花と花瓶」を持っていくのです。それを喜んだ狐は「クッションと椅子」を持っていて、それを喜んだ狸はおかえしに「家の机」を持って行って、それのお返しに「冷蔵庫」を持っていて、それを喜んだお礼に「テレビ」を、とうとう家の者が全部入れ替わってしまうのです。入れ替わってしまってお返しする者が無くなった狸のお母さんは、自分の子どもをお返しとして渡してしまいます。それに驚いた狐のお母さんも自分の子どもをお返しして、最後には狸のお母さんは自分をお返しして、狐も自分をお返しして、結局家がすっかり入れ替わってしまったという話しです。子どもたちに話しをすると大喜びで聞いてくれます。
 
 そして、こう話します。私たちは物を貰ったら「ありがとう」と言ってお礼を言って、何か別の物をお返しすることがあります。でも、神様は何も返してくれとはいいません。これだけ愛しているから、ちゃんと返してねというような方ではありません。そんな話を致します。大切なことは、私たちは「神に愛されている子供」だということです。

 自分の生まれがどうであるのか、これは自分では選ぶことが出来ません。今日は旧約聖書のモーセの誕生の場面を読んで頂きましたが、モーセが生まれた時代は、エジプトにいたイスラエルの民が非常に辛く、苦しい時代でした。創世記のヨセフ物語りの時代から400年経ち、エジプトにイスラエルの人々が増えすぎ、また、400年はヨセフが大臣として活躍して、エジプトを助けたことを忘れてしまうには十分な年月であったと思います。イスラエルの民は奴隷となり、それでもイスラエルの人々が増えるので、ついに王がイスラエルの子どもが生まれたら、「男の子は殺してしまえ」という命令がだされた、そんな時代にモーセは生まれたのです。
 
 けれど、神の不思議な導きによって、籠に入れられて川に流された赤ちゃんのモーセが流れ着いたその先は、エジプトの王女の元でした。王女は赤ちゃんのモーセを抱き上げ、あまりの可愛さに故に、自分の子どもとしてモーセを育てます。城で育てられたモーセが見てきた光景は、人の上に立つ指導者としての立場の考え方ではなかったでしょうか。しかし、その後、成長したモーセは、元々自分の仲間であるはずのイスラエルの民がエジプト人に虐げられる場面に出くわし、ついエジプト人を打ち殺して死体を密かに埋めてしまう。そのことが引き金となって、城にも、エジプトにも居られなくなり、アラビア半島を隔てた遠くの土地、ミディアンの地にまで逃げて、その地で結婚してその土地の人として住むことになるのです。しかし、更にそれから数年、主なる神がモーセを再びエジプトに呼び戻し、あなたにはあなたがやるべきことがあると告げて、しり込みするモーセを力付けて、出エジプトの出来事が起こるのです。
 
 モーセの最初の40年はエジプトの城で、次の40年はミディアンの土地で、そしてその両方の経験を通して、モーセは出エジプトの指導者として神が特別に選んだとも言えるでしょう。
 
 しかし主なる神は、モーセに対して、私へのお返しとしてこれを行いなさいと告げているわけではありません。あなたにはあなたの行うべきことがあって、あなたならではの働きが備えられていると告げているのです。
 
 私たちは神に愛されている子供です。しかし、その子供としての私たちに見返りを求められるわけではありません。けれど、神の子供としての生き方があって、それは「神に倣う者となる」ことだというのです。
 
 神に倣う者となる、主イエス・キリストが教えられた、神を愛し、隣人を自分のようい愛する者になるということかもしれません。あの金持ちの青年に告げられた、全ての財産を売って、貧しい人に施して、そして主イエスの道に従っていくことなのかもしれません。ザアカイの家に行って一緒に食事をしたときに、ザアカイは、自分の財産の半分を貧しい人に施します。もしだまし取っていたら四倍にして返しますと言った時に、主イエスが喜んで下さった、そういう生き方なのかもしれません。
 
 けれど、大切なことは、神に倣ってどう行動するのか、私たちにはいつも問われていることかもしれませんが、しかし、あのお返しの罠に引っかかってしまってはなりません。あの人はこれだけやった、この人はこれしかしてない。
私はこれだけお返しをしているのに、あの人は少しもしていない。と思ってしまうならば、そのお返しは一体誰のためのお返しになるでしょう。神様の為にと思いながら、いつのまにか自分の為のお返しになるとき、人の目が気になり、神に倣う者の姿からはずれてしまうかもしれません。そうならないように、何よりも私たちは、聖なる者、だから、神に愛されている子供として、感謝して、与えられている人生を喜びをもって、祝福を沢山携えて、主イエスの福音を生き、また宣べ伝える者として生きていきたいものだと思います。全てに感謝し、それ故にすべては主の物、感謝してこの一週間も過ごして参りましょう。お祈りいたします。
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