日本キリスト教団 大塚平安教会 

教会情報や牧師のコラムをごちゃごちゃと

聖なる公同の教会

2018-10-15 09:54:13 | 礼拝説教

【エフェソの信徒への手紙4章1~11節】

 先週の日曜日は台風24号が来ようとしている日でありましたが、午後からさがみ野ホームで、召天者記念礼拝を行いました。その二日前には異例のことでしたが、北村志津子姉の二度目の納骨式を厚木霊園でおこなっております。日曜日が暮れて、台風も過ぎた火曜日は、かねてからお願いされていたさがみ野ホームに長くおられた方の納骨式を行いまして、木曜日は綾瀬ホームの召天者記念礼拝を執り行いました。次の金曜日は、急なことでしたが、綾瀬ホームに長くおられた方が召されたと伺い、葬儀を執り行い、昨日の土曜日は、角田真澄姉の納骨式を天候に恵まれて静岡県の富士霊園で行ってまいりました。

 この一週間程の間に、何度葬儀に関わることを行ったか、これまで経験のないことでしたけれど、どの時も主なる神様の守りの中で、天候にも支えられて心を込めて行うことが出来ました。感謝でありました。
さがみ野ホームや、綾瀬ホームで召された方は、必ずしもキリスト教を信じて、洗礼を受けておられた方ではありません。とは言いましても、葬儀の際、また納骨の際には讃美歌を賛美し、祈りを献げ、聖書が読まれ、御言葉が告げられます。
どの儀式においてもそれは変わりません。そして、また今回、そのような人を天に送る儀式を執り行いながら、改めて思わされましたことは、私たちは神に招かれているのだ、ということでありました。

 神が招いておられる。例えば、納骨の式が行われる際に私はこう祈ります。「わたしたちの主イエス・キリストは、十字架の死の後、アリマタヤのヨセフによって備えられた墓に納められましたが、その所を、栄光に輝く復活を告げ知らせる場となさいました。」墓地という場所は、私たちの死を意味する場所です。子供時分にはどんなに墓地が怖い所かと思っておりました。けれど、そのような場所を神が栄光に輝く復活を告げ知らせる場として下さったと祈るのです。

 先週の水曜日、葬儀と納骨式の間に挟まれた日であったようにも思いますが、午前には婦人会が行われ、夕には祈祷会が執り行われました。祈祷会で、今共に読んでいる箇所は、コリントの信徒への手紙という箇所です。その15章12節からの箇所を読んで、共に祈りを捧げました。

 そこにはこう記されてあります。「キリストは死者の中から復活した、と宣べ伝えられているのに、あなたがたの中のある者が、死者の復活などない、と言っているのはどういうわけですか。死者の復活がなければ、キリストも復活しなかったはずです。そして、キリストが復活しなかったのなら、わたしたちの宣教は無駄であるし、あなたがたの信仰も無駄です。」
 コリントの教会の人々の中に、どうもキリストの復活について疑いを持っている人々がいたものと思われます。イエス様の教えや、奇跡の業、その御言葉は信じることが出来ても、復活についてはどうも信じることが出来ない。受け入れられない。そんな人が一人ではなく複数人いたと思われます。

 しかし、パウロはそのような思いは違うと主張します。なぜ違うのか、主イエス・キリストの十字架は、私たちの罪故の十字架でありました。ですから今でも教会のシンボルは十字架です。罪という借金を負っている者が、同じ借金を負っている者に肩代わりしてもらえないように、私たち人の罪を、人が贖うことは出来ません。だから、罪の無い、全く借金をしていない主イエス・キリストによって、その十字架によってこそ、私たちの罪は赦されました。ですから十字架は大切な私たちのシンボルです。

 けれど、パウロは、十字架刑だけでは足りないと告げているのです。キリストの復活が何よりも大切であって、この復活がなければ私たちの宣教は無駄であるとさえ言い切ります。なぜでしょうか。

 キリストが復活しなかったのに、復活したと言っている私たちはまるで偽証人のようだし復活しなかったのなら自分達の信仰は空しいとも言うのです。なぜでしょうか。なぜ、パウロが主イエスの復活を大切に考えていたのでしょうか。

 主イエスが死なれたのは十字架によってでありました。十字架は罪人、悪人の極刑の印です。主イエスを憎み、妬ましく思っていた当時のユダヤ人指導者が願った形の処刑であり、その通りに物事は進んでいきました。そして、主イエスは十字架刑に処せられました。

 しかし、もし、そこで全てが終わっていたとしたらどうなっていたのか、主イエスは、罪人の中の罪人として、極悪人の一人として処理されただけで終わるのです。そこからは何も始まりません。キリスト教もなければ、イエスという方の地上での働きも記されないままであったでしょう。

 けれど、命をかけてまでパウロが主イエス・キリストこそ、私たちの救い主であり、メシアであり、この方こそ私たちを導いて下さる方であると告げているのは、全ては主イエスが三日の後に復活されたからです。この主の復活がなければ何も始まらなかったのです。それほど主イエスの復活は決定的であって、復活があったからこそ、罪人の極刑の十字架は、キリストを信じる者にとって、主イエスの復活があって、初めて私たちに対する罪の赦しの業であったと、弟子たちも、パウロも、私たちも知ることが出来たのだと思います。

 世の中には様々な宗教があります。明治学院の今は名誉教授をされている阿満利麿という先生が記した「日本人はなぜ無宗教なのか」という本の中に、宗教には二つの種類があって、一つは創唱宗教、もう一つは自然宗教であると説明しています。
 創唱宗教とは創始者がいて、創始者の教え、導き、あるいは経典等によって形成されていく宗教であって、自然宗教とは特別な創始者はいないというのです。ですから山も神となり川も神となり、海も神となり、太陽も神となる、そのような宗教観があると説明しています。日本人は自然宗教の中に生きているので、宗教観が薄いのだと教えています。しかし、そうなると、キリスト教の創始者はイエス様であって、創唱宗教のカテゴリーに入るわけですが、私は果たして、本当にイエス様を創始者としてキリスト教が成り立っているのだろうかと思う。

 キリスト教の始まりは、主イエスの復活にこそあるからです。この復活の出来事は、主ご自身が御自分で復活されたのではありません。父なる神の御心によって、神の業がキリストに働いて、主イエスは復活された。甦りの初穂となられたのです。勿論、父なる神と、子なる神であるキリストは聖霊と共に三位一体の神であると説明しますから、創始者はやはりイエス様であると言うことは出来るでしょう。

 けれど、主イエスが復活された出来事が決定的なのです。使徒パウロはこう伝えました。「最も大切なこととしてわたしがあなたがたに伝えたのは、わたしも受けたものです。すなわち、キリストが、聖書に書いてあるとおりわたしたちの罪の為に死んだこと、葬られたこと。また、聖書に書いてあるとおり三日目に復活したこと、ケファに現れ、その後12人に現れたことです。」
 パウロが最初期のキリスト者から受けた教えは、聖書に書いてある通り、主イエスが罪の為に死んだことであり、葬られたことであり、三日目に復活したことなのです。

 主イエスが復活された、この出来事、墓地という人の命が葬られる所を栄光に輝く場所とされた方の力によって、復活の喜びがもたらされました。この喜び、この福音にあなたがたも共に預かって欲しい、これがパウロの切なる願いでありました。

 読まれましたエフェソの信徒への手紙4章1節から読みますがこうあります。「そこで、主に結ばれて囚人となっているわたしはあなたがたに勧めます。神から招かれたのですから、その招きにふさわしく歩み、一切高ぶることなく、柔和で、寛容の心を持ちなさい。愛を持って互いに忍耐し、平和のきずなで結ばれて、霊による一致を保つように努めなさい。」
 パウロは、自分は囚人となっていると伝えます。既に申し上げていますように、恐らくパウロはローマの牢獄に繋がれている時に、このエフェソ書を記したであろうと考えられていますから、まさに囚人であったと言えますけれど、しかし、それだけでもなく、パウロは自分がキリストに完全に捕らえられたと感じていたのではないでしょうか。キリストの愛の囚人として今の自分がいるという意味も込められているのではないでしょうか。そのように思っているパウロは「神から招かれたのですから、その招きにふさわしく」と記しました。
 
 主イエス・キリストの復活の出来事は、私たちに対する招きです。徹底的な神の罪の赦しと、無条件、無尽蔵なほどの神の愛の中へと私たちを招いておられる。教会は復活の主イエスによって「招かれた者」の集いの場であり、十字架というシンボルを示しながら、死の、その先にある復活を告げ知らせる場所として、この世に建てられているのではないでしょうか。
 
 本日の説教題を「聖なる公同の教会」といたしました。教会は聖なる場所である。何よって聖なる場所なのか、私たちの信仰によってなのか、違います。私たちの生き方によってなのか、違います。私たちの礼拝の姿勢によってなのか、それも違います。復活された神の招きによって、その招きに答えて集う者の場所であるから、聖なる場所とされているのだと思います。私たちは聖なる民とされているのです。

 この礼拝を聖なる時として、聖なる場所として、復活の主イエス・キリストを示し続けて参りたいと思います。

 9時からのファミリー礼拝でも申し上げたことですが、テレビの世界で「一発屋芸人」と呼ばれる芸人がいる。誰とは申しませんが、ある一時の間、大変売れてテレビなどに引っ張りだこになる、時にはその年の流行語大賞に選ばれたりする、けれど、ある時からいつの間にかその人を見なくなる、そういう芸人を一発屋芸人と呼ぶそうです。

 そういった人たちについて、ある辛口で有名な芸人さんがこうコメントしていました。「売れている時の芸はとても面白いし、ずっと見ていても見ている方はかなり面白いと思うのに、同じことを長くやっていると芸人さん自身がつまらなそうにやっているように見える。自分がつまらないと感じているものを見て、人が面白いと思うだろうか」私はとても納得しました。なるほどと思いました。

 先ほど、旧約聖書の列王記でアラム軍の司令官であるナアマンが思い皮膚病になった箇所を読んで頂きました。ナアマンはどんなに辛い思いをしたことかと思いますが、預言者エリシャは、「ヨルダン川に行って七度身を洗えば治り、清くなる」と伝えました。その言葉にナアマンは怒りました。なぜ怒ったのか、皮膚病には何よりも清い水が必要です。皮膚を清潔にするためにも水が大切である。ナアマン自身、それくらいのことは知っている、それくらいのことはとうに行っていると思ったのではないでしょうか。いつものこと、わかっていることをしても何になるのか、そう思ったのではないでしょうか。しかし、ナアマンは家臣にいさめられて、改めて心を新たにして言われた通りのことを行ったら、皮膚病が治ったというのです。

 私たちは何も芸人でもないし、一発屋でもありません。私たちはナアマンでもありません。何もそんな人たちと比較する必要もないと思います。

 けれど、私は、私たちはそうではありませんけれど、毎週、毎週執り行うこの礼拝を、もしかしたら、どこかでいつものこと、毎週のこと、普通のこと、と思っている教会があるとしたら恐ろしいなと思います。

 私たちは、人の死に勝利されて、復活を遂げられた主イエス・キリストに招かれています。そしてその主イエスの復活を宣べ伝える民として礼拝を守っています。それがどんなに自分達の誇りであり、喜びであり、祝福であるかを、毎週、毎週の礼拝で、まるでそのことを初めて知り、経験するかのようにして神の福音を喜んで受け入れていきたいと思います。

 説教の後、聖なる教会の聖なる民として、私たちは聖餐の業に預かります。主イエスの体としてのパンと血としての杯、主の体が、私たちの為に裂かれ、主の命の血が、私たちの罪の故に流されたことを思い、しかし、その先にある栄光、復活された主イエスがおられることを心から受け止めてパンと杯を預かりたいと思います。
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一つの世界を生きる

2018-10-13 19:04:44 | 礼拝説教
【申命記31章6節】
【エフェソによる福音書4章1~7節】

 旧約聖書の申命記31章6節という箇所を読んで頂きました。創世記から始まる旧約聖書は、主なる神とイスラエルの歴史が記されています。

 創世記12章で、主なる神がアブラハムに声を掛けた。「アブラハムよ、あなたは私が示す土地に行きなさい」その言葉に従って旅立ったアブラハム。このアブラハムにイサクという独り子が誕生し、イサクからヤコブが、ヤコブから12人の子どもたちが誕生して、その12人の子ども達の名前が後のイスラエルの12部族の名前となり、イスラエルは部族連合国として国を築くことになるわけですが、しかしその前に、イスラエルには一つの試練が与えられ、400年間、エジプトの土地に住み、ついには奴隷とされてしまうという歴史を持っています。

 その時、イスラエルの民は主なる神に助けを叫び祈り求めたところ、神から遣わされた指導者モーセが現れて、「イスラエルの民よ、400年前に、正確には430年前に私たちが住んでいた土地、主がアブラハムに与えた土地に帰ろう。」と呼びかけます。けれどエジプトの王は奴隷のイスラエル人に出て行ってもらっても困るし、ということで、中々、許しが出ないのですけれど、主なる神の助けと、導きの中で、ついにエジプトを出ることになりました。

 モーセに率いられた民は壮年男性だけで60万人であったと記されています。ですから、女性もいたでしょう、子どももいたでしょう。壮年ではない男性もいたでしょう。更にその他にもイスラエル人ではない奴隷にされていた人々もいたとありますし、牛、羊、家畜も随分といたことでしょう。ものすごく大きな大所帯でもって、エジプトを出発するのです。総リーダーはモーセです。
 
 そして、目指す所のもとの自分達の土地、カナンの土地と呼ばれる土地に、2年かけて到着するのです。しかし、その時にはカナンの土地に入ることが出来ませんでした。そこで更に主なる神が、イスラエルの人々の信仰の訓練の為にという思いもあったでしょうか。それから更に38年の間人々は天幕生活をし、荒ら野の旅をして、ついに、再びカナンの土地に到着することになります。けれど、その時、モーセは120歳となっていて、40年という年月がどういう年月かというと、エジプトを出た第1世代の人々ではなく、ほぼ全ての人々が第2世代の人々であったというのです。

 人生とは旅だとも言われます。子どもが生まれれば元気に育てよと願う、しかし、3歳、4歳となれば幼稚園に入って、皆と上手くやって行けるだろうかと願う、小学校に入れば、勉強は上手くできるだろうかと願う、学校を出て就職すれば、仕事が上手く行って欲しいと願う、その後は良い伴侶が与えられるだろかと願う、家庭を築けば、夫婦仲良く過ごすだろうか、孫は与えられるであろうとかと願う、私たちの人生の旅は、行く当てもなく、放浪の旅ではありません。その時、その時、その時代、その時代に与えられている目標、目的を持っての旅なのです。一つ一つを乗り越えるようにして、人生という旅が続けられるのだとも思います。イスラエルの人々の40年の旅も、目的はカナンの土地に向かって、そして、そのためには人々が一つとなって、その時、その時に与えられた試練を乗り越えつつ進んで来たことでしょう。
 
 そして、いよいよこの目の前のヨルダン川を渡れば、目的地であるカナンの土地となったところで、モーセは、人々を集めて、イスラエルの人々に対して、また、次のリーダーとなるヨシュアに対して、言葉を語り掛けた箇所が先ほど読まれたわけです。モーセは正直に告げています。イスラエルの民よ、このヨルダン川を渡れば、神が祝福として私たちに与えて下さるカナンの土地である。今、主ご自身があなたがたに先立って渡って下さると告げる。しかし、次に、「これらの国々を滅ぼして、得させてくださる」と続くのです。

 神の与えて下さる土地を、イスラエルの民は400年以上に亘って留守にしていました。400年前と言えば、現代で考えるとすれば1600年という時代ですよ。戦国時代がやっと終わりを告げて江戸時代になろうとしている時代、その時代にはこの土地は自分達の土地だったから返してくれと今住んでいる人々に言っても、そうですかと譲ってくれるわけがない。ですから、川を渡る前も大きな試練を、乗り越え乗り越えて来たけれど、川を渡った後は良かったね、で済むわけでもなく、これからも土地の問題で、試練があるだろうというのです。

 実際に、申命記の後にヨシュア記という箇所がありますけれど、そこに記されているのは、土地の侵入と、そこに少なくとも400年は住んでいる人々との争い毎になるわけです。
 ヨシュア記3章(10節)にはどんな人々が住んでいたのかが記されていますが、カナン人、ヘト人、ヒビ人、ペリジ人、ギルガル人、アモリ人、エブス人、こういった人々が住み、生活していました。しかもどの部族も皆強いというのです。

 先ほども申しましたが、出エジプトの出来事から2年経って、一度はカナンの土地に着いたのです。その時モーセはカナンの土地を探るために、12人の斥候を出して偵察させた。12人が密かにカナンの土地に入って行って、見たら、なんと、どの民族も強く、また大きかったというのです。その時、12人中、10人がしり込みして、とてもカナンの土地に入っていくのは無理だと言ったのです。2人だけが行きましょう、私たちならこの試練をも乗り越えられると言ったのが、ユダ族のカレブと、モーセの後の指導者となるエフライム族のヨシュア、この二人。でも残りの10人は「無理です。向こうは巨人のように見えたし、自分達はまるでイナゴのように弱い」と告げたのです。ですから10対2ですからね、無理という判断となった。でも、よく考えると、到着したのに入らないですからね。それならなぜエジプトを出て来たのか、何のためにエジプトを出て来たのか、意味がわからなくなります。

 ここで何が起こっていたのかというと、イスラエルの民は、エジプトでの奴隷の生活に耐えかねて、神に助けを叫び求めました。その声を聞いた神はモーセを指導者として一緒に出エジプトを果たしたのです。でもね、エジプトを出たのは良いけれど、出てみると、食べる物はない、飲む者はない、荒ら野の過酷な生活、彼らは思いました。奴隷だったけど、エジプトでは食べる物も飲む物も屋根のある家もあった。あの奴隷の方が今よりまだましだった、一体どれほどそう思い、そう愚痴を言って、モーセを困らせたことか、聖書に沢山記してあります。昔の方が良かった。昔の方が楽しかった。 

 まだ、見てはいない、けれどこの先にある確かな神の祝福を望むのではなく、自分が過去に経験したあのこと、このことこっちのほうがまだましだと思う。自分が生きて来て経験したところの中で考えるからです。しかし、いつの間にか、それ以上の祝福を期待しなくなってしまう、つまりここで人々は信仰が問われていると言っても良いでしょう。

 侵入を諦めたイスラエルの民は、それから更に38年の間、荒ら野をさまよい、幕屋の生活をして過ごすことになります。それは主なる神の御計画でもありました。皆さん、なんで更に38年の生活を強いられたのか、それはあのエジプトを出た人々、あの時、奴隷だったけど、荒ら野よりはまだましだと過去のあのこと、このことを引きずって生きている人々が死んで、荒ら野の生活しか知らない、エジプトの生活がどうであったのかを知らない人々が、確かな将来を見て、神の祝福を信じて生きる人々が、そのような信仰を持つ人々へと変わるために必要な38年ではなかったかと思います。神は時を待ち続けたと言っても良いでしょう。

 そして、その時が今、やって来ている、ヨルダン川を前にしてモーセは人々を集めて告げました。

「強く、また雄々しくあれ。恐れてはならない。彼らのゆえにうろたえてはならない。あなたの神、主は、あなたと共に、歩まれる。あなたを見放すことも、見捨てられることもない。」モーセは万感の思いを込めて告げたと思います。「強く、また雄々しくあれ。」それは、何も無謀なことをしなさいとか、一か八かやってみなさいということとも全く違います。イスラエルの民よ、今私たちがこの荒れ野に40年生活した目的はなんであったのか。神が必ず祝福して下さると約束して下さっているこの目の前のカナンの土地へやってくる、その目的を持って40年の試練に耐えてきたではないか。その試練に耐えられるように、主なる神に、何度も何度も訓練を受け、経験を積んで、ここまで歩んで来たではないか、だからここでしり込みするのではなく、今こそ、「強く雄々しくあれ」と「うろたえてはならない」と主はモーセの口を通して民に告げるのです。

 私たちは神様ではありません。人間です。ですから何があるのかというと「迷い」があるのです。一つのことを決断する。そのためには迷うのです。それが私たちでしょう。そして、「迷い」は心を分裂させる力があるのです。

 昨日、土曜日に会堂の掃除の為に三人の方が会堂に見えて、掃除をして下さって、その後、お茶を飲んでおられたので、私もお茶の所だけ(笑)ご一緒したのですが、そのとき、この礼拝堂が完成して本当に良かったねという話をしてくださいました。会堂建築をして、献堂式を行って今年で3年目を迎えておりますけれど、色々な困難が確かにあったと思い起こしますが、しかし、そのような困難は、今のこの礼拝堂や建物をこの目で見ていますと、殆ど思い出すことはありません。

 そして何より良かったと思うのは、教会が新しい会堂を建てましょうとなると、多くの教会がそこでどれほど、迷いが出て、そして教会が荒れてしまう、荒れるだけでなく、争いの中で教会から離れていく、場合にはよっては二つに分裂してしまうような場合もあることを伺っていますし、私が前の教会におりました時にも、どれだけ会堂建築の話を繰り返し話したか、そして何度話しても少しも前に進まなかったことを思い起こします。

 けれど、大塚平安教会は殆ど迷いなく、会堂建築に向かうことが出来たと思います。その理由の一つには、東日本大震災という経験があったと思います。勿論、地震があって良かったなどとは決して言えないのですけれど、しかし、その為に、建物の状態が本当に危機的になったことは確かだと思います。

 けれど、地震がなかったとしても、建物としてはその役割を十分に果たし尽くしていたとも思います。古い会堂は週報の表紙の教会略史にも記されていますが、1968年6月に建てられたものです。当時の牧師であった乙幡和雄先生、また会堂建設委員長をされた佐竹正道兄を中心として、多くの苦労があったことが記念誌にも記されています。その年から考えますと、たまたまであろうと思いますけれど、丁度今年が50年目となります。正確には47年で新会堂が献堂されました。
 
 しかし、凡そ50年の間、会堂を中心として礼拝が守られ、信仰が受け継がれ、主なる神のみを頼りに大塚平安教会の歩みが続けられて参りました。今日は新約聖書からエフェソの信徒への手紙4章1節からを読んで頂きましたが、そこにはこうあります。2節から読みますが「その招きにふさわしく歩み、一切高ぶることなく、柔和で、寛容の心を持ちなさい。愛を持って互いに忍耐し、平和のきずなで結ばれて、霊による一致を保つように努めなさい。体は一つ、霊は一つです。それは、あなたがたが、一つの希望にあずかるようにと招かれているのと同じです。主は一人、信仰は一つ、洗礼は一つ、すべてのものの上にあり、すべてのものを通して働き、すべてのものの内におられます。」

 教会に集う一人一人は、平和のきずなの中で一致を守ること、つまり迷わないということでしょう。私たちは人間ですから様々な迷いの中を生きるとしても、主なる神に対して、神から与えられている信仰に対しての迷いがない、そして、いつも見えない希望に預かるようにと招いて下さる方を信じ、自分の人生を主にかけて、洗礼を受けられ、教会員となられて、教会の歴史が刻まれて来たのだと思います。

 新しい会堂が建てられた、それは前の会堂が十分に役割を果たしたと申しましたが、しかし、更にいうならば、神の御言葉をこの場所で「強く、雄々しくあれ。恐れてはならない」と言われる主に励まされて、これからの大塚平安教会の歴史を力強く築いていくためにも、迷わず、決心され一歩踏み出し、洗礼を受け、主なる神に対する信仰を受け継いでくださる方々の為にこそ、建てられたとも言えるでしょう。

 そのようなこれからの新しい一人一人と共に、皆主なる神のもとに一つとなりながら、私たちは共々に歩んで参りましょう。

 お祈りいたします。
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