日本キリスト教団 大塚平安教会  

教会情報や牧師のコラムをごちゃごちゃと

人の知識をはるかに超える世界

2018-09-26 10:16:24 | 礼拝説教

【エフェソの信徒の手紙3章14~21節】

 2018年度の大塚平安教会は 教会の主題聖句をエフェソ書5章1節にある「あなたがたは神に愛されている子供ですから、神に倣うものとなりなさい」この御言葉をもって、この年度を過ごしております。そのような関わりの中で、本年度の礼拝は、エフェソの信徒への手紙を中心として読まれていますが、本日はもともと3章19節~21節の箇所からと考えておりましたけれど、読んでみてどうも収まりが良くないと思いまして、昨日までは17節から読んで頂こうと思っておりました。けれど、それでもやっぱりどうかと思い直して結局14節からを読んで頂くことにいたしました。

 そうなると、実際は2週前と殆ど同じ聖書箇所をもう一度読んで頂いたことになるわけですが、それでも、その方が良いと思いました。この14節から21節の箇所は、パウロの祈りが記されています。ですからやはり途中で区切ることはしないほうが良いように思います。

 エフェソの信徒への手紙は、前にも申しましたがパウロが捕らえられた状態で、恐らくローマの牢獄の中で記されたもの、獄中書簡とも呼ばれています。パウロ自身、生涯の中で三回に亘って、特に異邦人の町で伝道活動を行いました。その働きは命がけの伝道活動であって、しかし、必ずしもどれも成功だったとは言えないと思います。
 聖書の中には、パウロが捕らえられて牢に入れられたという箇所も出てまいりますし、三度、あるいは四度は牢に入られたであろうと考えられていますが、パウロ自身「苦労したことはずっと多く、投獄されたこともずっと多く」と記していますから、聖書に記されている以上に、私たちが想像する以上に捕らえられて、牢に入れられたことが幾度もあったと思います。

 けれど、そういう状況であっても、パウロはこんな状態だから無理だとか、諦めるとかではなく、こんな状態だからこそ、自分が出来ることがある、それは自分と関わりを持つ教会に宛てて手紙を記し、そして、なんといっても祈り続けたということだと思います。

 本日、読んで頂いた箇所も、パウロはエフェソの教会の人々に対して、あなたがたの「内なる人を強めて下さいますように」「心の内にキリストを住まわせてくださいますように」「愛に根差し、愛に立つものとしてくださるように」と祈り続け、そして今日のメインとなる19節の御言葉ですが、「人の知識をはるかに超えるこの愛を知るようになり、そしてついには、神の満ちあふれる豊かさの全てにあずかり、それによって満たされるように。」と祈るのです。

 祈りを献げる、私たちは信仰者として折に触れ祈りを献げます。幼稚園の子ども達も、お昼の前には声を合わせて祈りを献げてからお弁当を食べるわけですが、私たちの普段の祈りは言葉に出すこともあり、心の内で祈ることもあるのではないでしょうか。

 最近気が付いたことですが、言葉に出さず、心の中で祈りますと、どうもお願いばかりの祈りになってしまうように思います。

 子どもの学校の成績が上がりますように。妻の機嫌が良い日でありますように。夫の給料が上がりますように。なんかどれも良い例ではありませんが(笑)願いばかりが先行してしまうなぁと思う。ですから言葉に出して、神様に感謝して祈ることが大切なのだとも思います。

 そして、祈るときに大切な鍵となることは、祈ることによって「愛の人」となるということではないでしょうか。愛の人になる、これこそ祈りの使命であると言っても良いと思います。

 祈りによって、「怒りの人」や「悲しみの人」になるのではなく、勿論、怒りも悲しみも人生にありますけれど、しかし、それらも含めて、祈りを通して「愛の人」となっていく、そしてその愛が、自分を通して、妻に、夫に、子どもに、家族に、友人にと伝わっていく、そのような自分に成長させてくださいと祈る、それが祈りの鍵ではないでしょうか。

 ですからパウロも祈りました。「人の知識をはるかに超えるこの愛を知るようになり、そしてついには、神のみちあふれる豊かさのすべてにあずかり、それによって満たされるように」

「人の知識をはるかに超えるこの愛」私たちが思っている以上に、思いもつかない程の愛を知るようになりますようにと祈る。そのような愛が一体どこに現れるのか、勿論、主イエスに現れるわけです。

 ヨハネによる福音書15章13節で主イエスはこう言われました。「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。」

 私が小学校5年生に時に、大きな病気をした。病気というか盲腸ではないかという判断で手術をした。ところが、手術の後、傷口がふさがらないのです。傷口は、糸でしっかりと閉じられているのに、その傷口から血がどんどん出てくるのです。今の時代であれば、手術の失敗とか、医療事故とか、そんなことにもなったかもしれませんが、いずれしても毎日、出血が続き、ついに輸血するということになりまして、父親と母親の血が調べられて、検査の結果、どちらも0型でしたから、どちらでも大丈夫だったと思いますけれど、父親の方がより適合するだろうということで、父親の腕から大きな注射器で、血を抜いて、私にそのまま輸血するのです。恐らく今の時代はそんなことはしないと思います。けれど父親だけでなく、血液センターから、また、近所の方々からも血を分けて頂いて、なんとか一命を取り止めることが出来た。

 私は、時々父親に対して辛口な言葉で表現しますけれど、でも、あの時のことを思い出すと、本当に感謝する思いになります。血は命ですよ。その命を分け与えてもらって、自分は生きたと思うと「これ以上に大きな愛はない」この言葉が身に染みるように感じられます。

 月に一度、私たちは聖餐式を行いますが、その時にパンを裂き、杯を配餐します。あの杯は主イエスが私たちの罪の為に流された十字架の血であることを思います。神が私たちを友として下さり、その友の為に、私たちが流すべき血を、私たちではなく、主が全部引き受けられて、十字架にかけられていかれた。
 私は聖餐式の最に、コリントの信徒への手紙の11章からの御言葉を読みます。パンと杯、主イエスの体としてのパン、流された血としての杯、そして、最後に「だから、あなたがたは、このパンを食べこの杯を飲むごとに、主が来られるときまで、主の死を告げ知らせるのです。」と御言葉を読みます。

 この出来事は説明ではありません。説明ではなく神の実体だと思います。哲学とか人の知恵は教えであり、また、説明であることがあります。話を聞くとなるほどと思わされるところもあります。でも、キリスト教は説明ではありません。神の愛の実体が主イエスを通して私たちに伝えられた、ここにキリスト教たる所以があると私は思います。

 先週の幼稚園の礼拝は、ヤコブの手紙という箇所が読まれました。1章22節に「御言葉を行う人になりなさい。自分を欺いて、聞くだけで終わる者になってはいけません。」と記されている。この御言葉のお話をしました。
 
 御言葉を行う人となる。御言葉とは聖書の言葉ですよ。イエス様が話して下さった素敵な言葉ですよ。だから、なにより御言葉を行うには、御言葉を聞かないとわかりません。だから礼拝が大切ですよ。と話しました。

 人が赤ちゃんとして生まれてくる、生まれてから、言葉が出るまで大体八千時間、聞き続ける必要だと言われます。その位聞き続けて、やっとパパとかママとか言葉になってくると言われます。それからどんどん言葉を覚えていくわけですけれど、けれど覚える言葉は、何よりも聞いた言葉です。時々、母親が忙しかったりして、おばあちゃんに育てられた、おばあちゃん子という言葉があります。おばあちゃん子の特徴のようなものがあって、優しい子に育つとか言われますけれど、例えば「暴れん坊将軍」とか「水戸黄門」といった時代劇が好きというのもあります。

 岩手にいた頃に、あの子はおばあちゃん子だねと言われていた子どもがいました。どうしてそう言われたのかというと、年寄りしか使わないような訛りとか言葉を普通に使うわけです。ですからすぐにわかる。例えば「だめだよ」という言葉を「ワガネ、ワガネ」(笑)(ダメだという意味)というのですから、すぐ分かるのです。

 でもそれは幼稚園とか学校に行くようになると自然と治ってくるものです。でも、子どもは聞いた言葉を覚えるのです。自分の子どもに、嫌な言葉を直接言う親はいないと思いますが、でも、例えば、いつも夫婦仲が悪いとか、人の悪口を言うとか、批判ばかりしている、そういう言葉を聞いて育った子どもは、やっぱり悪口をいったり、人を批判したりするような傾向になるでしょう。

 だから、大切なのは、愛のある、実体のある御言葉、あなたがどんなに大切か、必要か、愛されているのかを話しかけ、語り続けることだと思います。

 でも、それは、計算してということもない、伝わるのは「人の知識をはるかに超えるこの愛」ですからね、そのような愛によって育った一人一人が、御言葉を行う人になるのではないでしょうか。
 
 ルカによる福音書の10章に「善いサマリア人」の例えがあります。主イエスが一人の青年に答えた場面です。「イエスはお答えになった。『ある人がエルサレムからエリコへ下って行く途中、追いはぎに襲われた。追いはぎはその人の服をはぎ取り、殴りつけ、半殺しにしたまま立ち去った。ある祭司がたまたまその道を下って来たが、その人と見ると、道の向こう側を通って行った。同じように、レビ人もその場所にやって来たが、その人を見ると、道の向こう側を通って行った。ところが、旅をしていたあるサマリア人は、そばに来ると、そのひとを見て憐れに思い、近寄って傷に油とぶどう酒を注ぎ、包帯をして、自分のロバに乗せ、宿屋に連れて行って介抱した。そして、翌日になると、デナリオン銀貨二枚を取り出し、宿屋の主人に渡して言った。『この人を介抱してください。費用がもっとかかったら、帰りがけに払います。』さて、あなたはこの三人の中で、だれが追いはぎに襲われた人の隣人になったと思うか。』律法の専門家は言った。「その人を助けた人です」、そこでイエスは言った。「行って、あなたも同じようにしなさい。」
 
 皆さん、サマリア人とは、元々同じイスラエル人ではありますけれど、その歴史的な変遷の中で、ユダヤ人から差別を受けていた人々です。そのサマリア人が助けたというのですから、主イエスの一流の例えかたです。最も助けないだろうと思われる人が、人を助けるのです。あなたも行ってそのようにしなさい。この言葉は、何を示しているのかというと、あの人は嫌いだとか、あるいはあたかも敵対していると思える人に対して、あなたはそこにおいてこそ、愛を示すのだということでしょう。人の思いの中ではとても、無理。でも「人の知識をはるかに超えるこの愛」ですからね。

 それでも御言葉を聞き、御言葉を行う人になろうとする。きっとそのようにして、自分では無理かな、自分では無理だな、とても出来ないなと思うその思いを、しっかりと御言葉によって支えられて、力付けられて、生きていく。

 パウロは投獄されただけでもなく、鞭打たれたことは比較できない程多く、石を投げられ、難船し、盗賊に襲われ、同胞からの難、異邦人からの難、町での難、荒れ野での難、しばしば眠らず、飢え渇き、しばしば食べず、寒さに凍え、でも、それでもパウロを支えていたものは自分の知識や知恵ではなく、主イエス・キリストがどんなに自分を愛し、自分を愛おしんで下さったか。そのことが実体として伝わっていたのだと思います。
 
 実際、このパウロこそ、イエス・キリストを信じる人々を憎く思い、怒りにまかせて、捕らえては牢獄に、捕らえては牢獄にと、最もキリスト教と敵対する一人であって、指導者でありました。
 
 そのような自分を、神が捕らえて下さり、自分の思いをはるかに超えた愛によって慈しんで下さった。この奇跡のような出来事を体験し、実体のある愛の中で、生涯を福音伝道に献げて生きていました。
神の愛は、いつも私たちの思いを越えて、時に奇跡と思える出来事を起こし、祝福と慈しみで満たして下さいます。

 私たちは「神に愛されている子供です。」そのような愛に包まれて、感謝しながら、私たちの人生も愛の内に、受けとるばかりでなく、愛を与える人として生きていきたいものだと思います。
 お祈りいたしましょう。

コメント

生きておられる神

2018-09-17 09:56:44 | 礼拝説教
今日は、子どもの教会との合同礼拝となりました。

いつもは9時からの礼拝に出席しておられる方は10時過ぎには皆さんが帰って行かれますし、10時半からの礼拝に出席される方と殆ど入れ違いのようにして普段は中々互いに関わることがありません。そんな中、今日のような日の礼拝が行われる、感謝なことだと思います。
 
 今日は「生きておられる神」というタイトルとつけさせていただきました。生きておられる神とはどういうことなのか。
 
 9月の初めに、湘北地区教師会が箱根で行われました。その中で珍しく私が発題を受け持ちまして「宮沢賢治とキリスト教」という話しをさせて頂きました。その話はなんだか毎週話しておりますから(笑)今日はしませんが、私が受け持つ時間が終わりまして、質疑、応答なども終わりまして、懇談の時となった。学びの緊張感も取れて、懇談というより雑談に近かったと思いますが、私が故郷の話ばかりをするものですから、自然と皆さんが御自分の故郷の話をするようになって、ふるさと自慢のようになってきた。
 そんな中、厚木市にある厚木上教会という教会で牧師をされている、柴適牧師がこう言われた。「みんな故郷があっていいなぁ、私は厚木で生まれて、厚木で育って、厚木から出たことがない。」ですから、「柴先生、それは本当になにではないですか。故郷にずっと住めるのは幸いなことですよ」と話しました。
 
 柴先生は、厚木の教会の牧師をされながら、桜美林中学と高校の先生を長年されて、多くの子ども達から愛された先生ですが、柴先生のお父さんが柴勇牧師と言いまして、戦前の昭和8年に厚木上教会に赴任されました。その一年前の昭和7年に教会が創立されていますから、柴勇先生の時から本格的な教会の活動が始まったのだろうと思います。ですから子どもの柴先生は、そこで生まれて、そこで育って、牧師になってお父さんの後を継ぐようにして厚木上教会にいて、桜美林の先生もされた。つまりずっと厚木だということです。
 
 でも柴先生がお父さんのことを思い出してこう話して下さいました。「父は信仰一本で生きた人だった」、「信仰一本」とい言葉なんてあまり聞いたことがありませんが、どういうことかというと、牧師以外の働きを何もしなかったというのです。
 その意味は、貧乏で苦労したというのです。戦前の時代から第二次世界大戦、敗戦後、日本は大変苦しい時代を過ごしました。しかしその時代、特に教会はどこよりも苦労したと言ってもよいかもしれません。人によっては牧師であるというだけで、あるいは敵国の宗教といわれたりして、捕らえられ、獄中で亡くなる方もおられました。けれど、柴先生が話しておられたのは戦争後の事だと思います。戦争後、何とかまた会堂を建てて牧会伝道をされていたお父さん。しかし、信仰一本で過ごされた。
 
 あるときに母親が牧師の父に言ったというのです。「お父さん、我が家にはもう食べる物がありません。」そういう会話を幾度か聞いたというのです。
 
 それで先生どうしたのですか?と尋ねましたら、仕方が無いから、教会の前にあった小川に行って、食べられそうな、ザリガニや、ナマズ、ウナギを取って食べたと言うのです。ウナギはねぇ(笑)。
 でも当時、ウナギもいくらでもいたそうです。
ですから、恐らく学生だった柴先生自身が、父親に向かって「親父、もっと仕事してくれ」と言ったこともあったそうです。その言葉がこたえたのか、牧師だけではさすがに無理と思ったのか、仕事を探して工場のような所に勤めだしたそうですが、きっと辞めるだろうと思っていたら、やっぱり、三日ぐらいで辞めて来たというのです。手が不器用だったからと笑っていましたが、だから、信仰一本で生きた人だった。

 でも私の目から見れば、どこか嬉しそうに、はにかみながらも、少し自慢げに話して下さいました。良い話を聞いたなぁと感動しながら聞いていました。
 
 この話の何が良いのか、というと牧師として働いていた父親を見ながら、家には実際は殆ど収入も無かった。だって食べる物が無くなるほどですからね、外に働きに出ても不器用でクビになってくるような父親。

 まさに信仰一本で生きた父親の姿を見ながら、でも、柴先生は、そんな父親の生き方、考え方、話し方、愛し方、子どもとして様々な葛藤があったと思いますが、やっぱり尊敬出来る父親であって、自慢の父親であったに違いありません。だから、自分も父親のように生きたい。そのようにして牧師となられて、父親が長年守り続けて来た教会の牧師として今も精一杯の働きをされている。

 皆さん、そのようにして子どもは、男の子であれば、一番身近な父親の姿を、女の子であれば母親の姿を見ながら育つのではないかと思います。 

 だから立派に生きなければならないということでもありませんし、別にプレッシャーをかけているわけでもなくて、何よりも大切なのは、自分の妻が、自分の夫が、この妻で、この夫で良かったなと思う、自分の家族がこの家族で幸せだと思う。自分の与えられている仕事、役割に誇りを持って、喜びをもって打ち込めることが出来る、本当に良かったと思いながら生きる。そんな喜びを生きていくことがきっと子どもに対する最高の子育てではないでしょうか。

 今、巷で騒いでいることの一つに、スポーツ界のパワハラの事件があるようです。詳しいことはよく分かりませんが、体操とか、重量挙げとか、色々あるようです。自分の言うことを聞かなければ、大会に出させないとか、あるいは体罰があったとか、どうもきっと、アメリカン・フットボールの事件以来、そういったことが続出しているようにも感じます。なぜ、こうなったのか組織の問題だとか、権力の構造とか、抜本的な改革とか、知識人が色々と言っていると思います。

 けれど、こういう事件が起こる原因はそんなに難しいわけではありません。私は実際はとてもシンプルではないのかと思う、それは、「関係」という一言です。

 私たちが悩む、悩みのほぼ100%が、「関係」の問題であるとアドラーと言う心理学者は伝えていますが、私たちは、人と人との関係、人間関係の中で悩むのです。けれど、人と人との関係の中で、人は育ち、愛情を受け、人を信頼する心を育み、そして社会に出て、人と人との良い関係の中で社会生活を営み、家庭を築き、子どもを育てるのです。そうやって人は一人前になっていくのです。

 でも私たちは人間ですから、全てを上手に生きていけるわけでもありませんから、その関係が上手くいかなくなる時がある。だから、時には夫婦喧嘩もするし、親子喧嘩もするし、友達とも仲たがいするし、恋愛関係を築くときもあるし、それが崩れていくこともある、説明なしでも、私たちが直接経験していることです。

 パワハラの問題も同じではないかと思う。その人との関係が互いに信頼関係を築いているのなら、少々の意地悪な言葉をかけられた、少々ぶたれた、でもそれは自分に対する愛情だと思えるのなら、問題は殆ど起こりません。けれど、関係が築けていないところでは、時には、何気ない一言でさえ、パワハラだと言われてしまう可能性があるのではないでしょうか。

 その人が悪いとか、良いとかではなく関係が悪いのです。

 家族の話に戻りますが、夫婦関係、親子関係、家族関係、友達関係、それぞれが上手く行っている、そう感じられるときは私たちは「幸せ」を感じますし、生きるエネルギーも出てくるものですし、希望を持って生きていくことが出来るのです。
 
 けれど、そんな関係を壊そうとする力が働くことがある。それは何かといえば、例えば「この世」の考え方です。ここで言う「この世」とは、聖書でいうところの「神の世」ではない、まさに私たちが生活しているこの世のことです。
この世はどうなっているのか、今日はヨハネによる福音書の2章、「神殿から商人を追い出す」という箇所を読んで頂きました。

 ユダヤ人が大切にしている祭りがありました。過ぎ越しの祭りと言って、何百年にもわたって守られて来たお祭りです。レオナルド・ダ・ビンチの「最後の晩餐」の絵が良く知られていますが、あの場面は、主イエスが捕らえられて、十字架にかけられる前の夜に弟子たちと食事をしている場面、その食事が過ぎ越しの祭りの大切な食事でした。

 そのような祭りの時に、主イエスがエルサレムにある神殿に出向いたのです。そしたらその神殿には、牛や羊や鳩を売っている人、座って両替をしている人達が沢山いました。いつもよりかなり大勢いたと思われます。祭りですから、人々は皆神殿にやって来て献げ物を献げます。けれど、まさか遠くの家から牛や羊を連れてやってくるのも一苦労ですから、神殿で牛や羊を購入してそれを献げる、あるいは献金をするにしても、色々な国からやって来ますので、普段は自分の国の通貨を使っていますから、献金するにしてもユダヤの通貨にしなければなりません。ですから両替商が必要です。現代でも、海外に行くには日本円は通用しませんから、両替をしなければなりません。それと同じことと思えば分かり易いと思います。けれど、そのような牛や羊を売る、両替する、もしかしたら他にも土産屋もあったと思いますし、食事処もあったかもしれない。祭りとはそういうものでしょう。

 しかし、その様子を見て、イエス様は、聖書の中ではとても珍しく怒りを露わにして「このような物はここから運び出せ。わたしの父の家を商売の家としてはならない。」と言って境内から追い出したというのです。

 皆さん、この出来事は何を意味しているのでしょうか、祭りを商売とする、それは人と人との関係です。祭りは楽しいものですし、楽しみでもあります。特に人が集まり、人と人とが強い絆で結ばれていると感じられる時でもあります。けれど、主イエスはその人と人との関係の中で壊されていくものがある、それは神と人との関係だと言いたかったのではないかと思うのです。

 本来、この祭りは「神と人」との間で行われる祭りであるはずなのに、いつの間にか神との関係よりも、ずっと人との関係だけが強くなっているそこに主は怒りを感じたのではないでしょうか。

 この祭りの出来事が象徴的に示し、また主イエスが私たちに伝えたかったことは、人は、人と人との関係だけでは生きていけないということではないでしょうか。なぜなら、人は神ではありませんから、夫婦でも、親子でも、友達でも、会社でも、学校でも、この世の社会のどこにおいても、人と人との関係の中で、良い時もありますけれど、時にはパワハラだと言われたり、時には裏切られたり、裏切ったりすることもあるのです。だからこそ、大切なのは「神と人」との関係が求められるのだと思います。

 そしてその神は生きておられる神が大切です。柴先生のお父さんは牧師でしたが、私の父親は芸術家で彫刻家でした。木工彫刻をしていました。お寺に収める仏像などを造っていましたし、仏教にも詳しい人でした。とはいえ、柴先生の家には叶わないかもしれませんが、我が家も相当貧しい家でした。でも、子どもにとっては貧しいことはあまり問題ではないのです。問題は私の父親はいつも怒っていました。つまり、権威的であり、高圧的な人でした。父とじっくりと話をした経験もありません。
 
 今になって理解出来るのは、私の父は結局のところ、自分自身に、自分の人生に自信が無かったのかなと思います。自分に自信がない人は、それを隠すためにも、人と人との関係の中で、人に対して厳しくなる傾向があります。母親に対しても、子どもに対しても、「お前はダメだ」「お前はダメだ」「お前はわかっていない」毎日、そのような言葉を聞いて育った私は完全にダメな人間になっていました。
 
 自分はダメなんだな、この世で生きていくことも辛く、頼りにしていた仏教も私にとっては、ダメな自分をより強固にしていく根拠にしか感じませんでした。
 
 けれど、だから聖書と出会うことが出来ました。聖書の神は、「お前はダメじゃない」「お前はダメじゃない」そう伝えてくれるのです。主イエス・キリストという命ある、生きておられる方がそう言って下さるのです。この方によって私は、私の人生を生きることが出来たと思っています。

 皆さん、人と人とのより良い関係を造り上げるためには、神と人との関係をより強固にすることです。神に愛されていることを知り、その無条件の愛を受けていると感じられる人こそ、人に愛を与えることが出来ます。

 主イエス・キリストは十字架にかけられ、死んでしかし、三日の後に復活されました。そして今も生きて、私たちに語りかけて下さいます。あなたはダメじゃない。感謝して過ごしていきましょう。
お祈りします。

コメント

「わたしの魂よ、主をたたえよ」

2018-09-09 15:49:47 | 礼拝説教
  【詩編103編1~5節】
【エフェソの信徒への手紙3章14~18節】

 先週の礼拝でも少し話しましたが、先週の月、火と湘北地区の教師会が箱根で行われまして、私が担当して「宮沢賢治とキリスト教」という話しをさせて頂きました。

 昨年の9月に門井慶喜さんという作家が宮沢賢治と、賢治の父親の宮沢政次郎を中心として記した「銀河鉄道の父」という小説を出しまして、その年に直木賞を受賞しました。
 
 賢治は37年の生涯でありました。ですから83歳まで生きた政次郎は、賢治が生まれた時から、賢治の死まで立ち会うことになります。賢治が、結核により召されていく時に、政次郎は何か遺言は無いかと尋ねます。賢治は、日蓮宗の経を一千部作って、知り合いに配ってくれと頼みます。その遺言を聞いて、紙に書き留めた政次郎は、「わかった、お前は偉いものだな」と言葉をかけました。
 その言葉を聞いた賢治は、弟の清六に「おらもとうとう、おとうさんに、ほめられたもな」と言って喜んだとあります。この場面は作り話ではなく、実話で、良く知られている場面です。

 ついに、死ぬ間際になって父親から褒められて嬉しいと言った。それまで賢治は父親から褒められたと思う、そういう記憶が無かったのかもしれません。自分は父親から認められていない、そんな苦しさの中で賢治は生きていたのかもしれません。政次郎は質屋を営んでいましたが、なんとかして長男の賢治にあとを継いでもらいたいと願っていました。けれど賢治は質屋が嫌で、嫌でしかたありません。時には黙って家出をして東京に出てみたり、政次郎は浄土真宗を信仰していましたが、それに反発するようにして賢治は日蓮宗に傾倒してみたりするのです。二人はどうもうまくかみ合わない。

 それでも賢治は勉強も良くしましたし、学校の先生になったり、農業をしたり、作家になってみたり、なんとかして自分が生きていく道を模索しながら、ということであったかもしれませんが、質屋を継がない自分だとしても、なんとか父親に認めてもらいたい、父親にほめてもらいたいという思いがあったのではないかと私は思います。

 しかし同時に、父としての政次郎は、息子が質屋を継がないとか、自分の思い通りに生きないとか、話せば言い争いになるとか、そんなことを遥かに超えて、圧倒的な父親としての愛の中で、賢治を見つめていた。我が子としての賢治が愛おしくて、愛おしくて、元々本当は無条件に愛する息子であった。そんな思いが銀河鉄道の父という小説の中に色濃く出ておりました。人の親になってみると、子どもが親を思う思いを遥かに超えて、親が子を思う思いはとても強い、そんな思いを実感して持っておられる方も多いかと思います。

 キリスト教の神を「父なる神」と表現します。私はその表し方がとても優れていると思います。ある方が「われわれの救いの究極と言うのは、「我々が神を父と呼ぶことにおいて現れている」と説明したそうです。本来、主なる神を父と呼べる方は主イエス・キリストお一人だけでした。しかし、主イエス・キリストが私たちの兄弟となられ、一つとなってくださったところで私たちもまた神を父と呼ぶことが出来る。しかし、同時にそう呼ぶことが許されるのは、圧倒的な神の愛の故だと思います。
 私たちが熱心に神を知ろうと努力し、学び、生涯をかけるようにして、神を理解しようとしても、本当は神様の幾らもわからないと思います。でも、一つだけ分かっていればそれで良いのではないかとも思います。それは、私たちが神を思うその思いを遥かに超えて、主なる神が私たちを無条件、無尽蔵に愛して下さっているということです。

 そのような方を父と呼んで祈ることが出来る。それは大いなる恵みではないでしょうか。
 
 今日はエフェソの信徒への手紙3章14節からの箇所を読んで頂きました。「こういうわけで、わたしは御父の前にひざまずいて祈ります。」という言葉ではじまるこの箇所は、明らかにパウロが祈りの言葉を記している箇所です。その祈りの御言葉が19節まで続き、20節、21節は頌栄となりアーメンで終わります。
 
 凡そ一月前に、日本ナザレン教団に所属しておられる石田学という先生が「エフェソ書を読む」という冊子を出版されました。私は早速取り寄せて喜んで読みました。

 今日の聖書箇所についてこう記してありました。「今回、この箇所から説教するにあたり、改めて読み直してみて、ある重要なことに気付かされました。それはあまにも単純なことなので、言われてみれば当然です。これまで気付かないでいたこととは、これが祈りだということです。(中略)パウロはここで、神学的な講義などしてはいません。心を込めて、思いのかぎりを尽くして、祈っているのです。」とありました。
 
 石田先生は、この箇所が祈りであることを改めて知って、パウロが何をどう祈っているのかというと、一生懸命、父なる神がどんなに深く、強く、切に、エフェソの人々を愛していることか、そのことに気付いてもらいたいと願いながら祈っているのがわかったというのです。
 そんなパウロの思い、父なる神があなたがたをどんなに愛しているかを知り、キリストの愛の広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解して満たされるようにと願っている。ですからパウロの祈りについて、あれこれと、ここで解説のようなことを話すのは正しくないかもしれません。ただ、この祈りに私たちも心を添わせてみる、それこそが大切なのだろうとも思います。
 
 ルカによる福音書の15章11節から「放蕩息子」のたとえが記されています。ある人に二人の息子がいて、その弟が父親に言いました。「お父さん、私が頂くことになっている財産の分け前をください」その願いを父親は受け入れ、財産を渡しました。財産は家畜や土地、畑と色々あったと思いますが、それらの全てをお金に換えて、遠い国に旅立ち、そこで放蕩の限りを尽くして、財産を使い果たしたところで、そこで飢饉が起こって、食べるにも困るようになった。やっとの思いで豚の世話をする仕事にありついた。けれど、そこで我に返って、自分が天に対しても、父に対しても罪を犯していたことを思い、父に謝って、使用人の一人にして貰おうと思いながら帰郷いたします。

 けれど、トボトボと歩くその足取りで帰って来た息子の姿を父親の方が先に見つけ、大喜びで走り寄って抱きしめて、一番良い服に着せ替えさせて、手に指輪をはめて、足に履物を履かせ、そして息子が帰って来たからと父親は宴会の用意をさせました。
 この物語のタイトルは「放蕩息子」のたとえですけれど、しかし、本当の主人子は父親の方ではないかとさえ思います。父親の喜びは特別です。なぜ喜んだのか?父親はこう話しました。「死んでいたのに生き返った。いなくなっていたのに見つかったのだ。祝宴を開いて楽しみ喜ぶのは当たり前ではないか。」
 
 神の愛とは、そのようにして息子がどうであったのか、どう生きたのか、どんなことをしでかしたのか、ではなく、その息子の存在を喜ぶ父親のような、そのような愛の方であることをエフェソの教会の人々よ、神の、キリストの愛の広さ、長さ、高さ、深さがどれほど大きく、広く、また深いのか理解して欲しいそのように願い、パウロは祈り続けます。
 
 そして、何よりも人の知識をはるかに超えた神の愛を知るようになって、神の満ちあふれる豊かさのすべてにあずかり、それによって満たされるようにと祈りが続くのです。
 
 皆さん、祈りの力、祈りの力とはどういう力なのでしょうか。2018年度になりまして、私たちの礼拝で少し変化したところがありました。毎月の第一主日の礼拝の中で、司式者ではなく、私が祈りを献げることになりました。

 このことは役員会で話し合い、総会に諮り決めたことでしたが、当初、役員の皆さんは、本来、礼拝での祈りは牧師が祈る、それが正しいのではないかという意見がありました。ですから、私は年度変わりに相談する思いで、案を三つ出しました。一つは毎週の礼拝祈祷を牧師が担当する。二つ目は隔週で牧師と司式者が担当する。三つめが月の第一を牧師が担当して第二主日以降は司式者が行う、そういう三つの案を出したのです。三つ出しましたけれど、すんなりと第一案の毎週、牧師が担当するに決まるだろうと思っていたわけです。

 けれど思いのほかすんなりとはいかず、かなり長い時間をかけて、月の第一を牧師が、第二主日以降を司式者が行うことに落ち着きました。

 なぜ、そうなったのか、私は分かるような思いがします。祈りを献げる、特に礼拝において教会を代表して祈りを献げる。その準備と緊張は経験した方は良くわかると思います。
 だから大変だとなったわけですけれど、でも祈り終わってみると、祈りの力がどこに働くのかがよく分かる、そういう経験をされているのだと思います。祈りの力、それは祈られている対象の出来事や、人、に勿論働くのですが、それと同等と言ってもいいかもしれない、あるいは対象の出来事や人以上と言っても良いかもしれない程に、祈りの力は、祈った本人に一番帰ってくる、そういう力が祈りの中にあることを、祈りを献げれば献げる程に、実感として感じているのだと思います。祈りを献げる時、自分自身の中に確かに神の、聖霊の力が働いていると感じる、その喜びを司式される方々は実感されているのだと私は思います。

 毎週、水曜日に祈祷会が行われますが、その祈祷会でも同じことが起こっていると思います。祈った本人こそが本当に祝福を受けるのです。

 今日は詩編103編1節からを読んで頂きましたが、「わたしの魂よ、主をたたえよ。わたしの内にあるものはこぞって 聖なる御名をたたえよ。わたしの魂よ、主をたたえよ。主の御計らいを何ひとつ忘れてはならない。」と続きます。この詩は、イスラエルの歴史の中で、人々から最も愛された王、ダビデの詩と言われます。8人兄弟の8番目として生まれ、一体自分は何者になるのか、どんな人生を歩むのか、何もわかっていなかったダビデに神の目が留まり、イスラエルの王として立てられてきた、そのことを思いながら神様に感謝して祈りをささげている。

 ダビデがなぜ、イスラエルの王の中で最も愛されたのか?勿論、王としての能力があったのでしょう。先を見通す力、隣国の争いの中で勝ち続ける能力、国民を愛する眼差し、色々と上げることが出来ると思いますけれど、ダビデは自分で自分のことを受け入れていた。自分が自分のことを大切に思い、自分のこと良い意味において好きだったのだと私は思います。
 
 自分が自分のことを嫌だなと思い、嫌っている指導者のもとにいる国民は不幸です。主イエスが誕生した時の王、ヘロデ王はそのことを聞いて不安に思ったとあります。しかし、ヘロデ王はいつでも、どんな時でも不安であったと言われています。そのような時代は暗い時代となります。しかし、ダビデの時代、最も繁栄したと言われるその所以は、ダビデは自分の人生を肯定して、自分の人生を受け入れて、神に感謝し、祈ることが出来た。「わたしの魂よ、主をたたえよ。わたしの魂よ、主をたたえよ。」自分の人生に何があっても、なお、「わたしの魂よ。主をたたえよ」そのようにして祈りながら、自分を受け入れ、神を受け入れ、祈り続けているのです。
 
 パウロもエフェソの教会の人々のことを思い、一生懸命に祈りをささげています。エフェソの教会の皆さんよ、あなたがたも神の満ちあふれる豊かさ、神の愛の中に生きていって欲しい、そのように祈りながら、自分もまたその祈りに巻き込まれるようにして、自分こそが神の愛の中で、エフェソ書は獄中書簡だといわれますけれど、パウロ自身が捕らえられ、牢の中での生活を強いられる状況でも、尚、神の平安に生きていける秘訣は、自分自身の人生を受け入れ、隣人のことを思い、神に感謝して、そして、祈りをささげるなかで、自分自身が誰よりも励まされている、祈りとはそういう力があるのだと思います。
 
 私たちもまた、そのようなパウロを模範としながら、祈りを献げ、感謝しつつこの一週間も共々に過ごして参りましょう。
 お祈りします。
コメント

人の知恵と神の知恵

2018-09-02 14:29:51 | 礼拝説教
【詩編119編65~72節】
【エフェソの信徒への手紙3章10~13節】


 8月の19日には森田裕明先生に、先週8月の26日には飯泉有一神学生にそれぞれ教会の説教を担って頂きまして、私は三週間ぶりの礼拝説教となりました。この二週間少しまとまった時間がありましたので、私は明日、明後日と箱根で行われる湘北地区教師会の準備をすることが出来ました。
 
 明日「宮沢賢治とキリスト教」というタイトルでお話をさせて頂くことになっています。既に多くの皆さんがご存知のように、宮沢賢治は岩手県、花巻市出身で童話や詩といった沢山の作品を記したことで知られています。賢治がこの世に知られるようになったきっかけは「アメニモマケズ」という詩であったと言われます。

 「アメニモマケズ、カゼニモマケズ、ユキニモ、ナツノアツサニモマケズ」で始まるこの詩は、賢治が1933年 昭和8年に37歳で召されたその後、賢治の手帳に記してあるのが見つられたものと言われます。ですから作品というよりは、賢治の恐らく病の時、床に伏していた時に手帳につらつらとつづったメモのようなものであったと考えられます。
 
 その文章が賢治の弟の宮沢清六によって発表され、そのアメニモマケズの文章の中に見られる病や苦難に負けず、しかも慎ましく生きていきたいという思想が、当時、軍国主義化していく日本の世の中に受け入れられ、よく知られるようになったと言われます。しかし、敗戦後はまた、この詩は人間、宮沢賢治として、思想家として作家として再評価され受け入れられてきた、そんな変遷があるわけです。

 けれど賢治は、思想家や作家だけでは終わらず、暫く農業高校の教員をしていた時期がありましたが、生徒たちにそれこそ農業について教えながら、皆さんは農業して土を耕し、作物を作り頑張って欲しいと話しながら、自分は先生をしている。実際は本当の農業を知らない、その後ろめたさもあったのか、教員を辞めて、自分で農業を始めようとしたわけです。ですから、自分の思想を実践しようとした活動家としての側面も持っていると思います。
 しかし、もともと体が弱かったということもあり、農業はわずか2年でとん挫して、病に伏すことになります。その後幾らか回復したときもあって、幾らかの活動はするのですが、若くして結核により召されていくことになります。
 
 アメニモマケズという詩は、一体だれがモデルであったかという話題になりますと、色々な人が登場してきて、キリスト教からすれば、当時、花巻出身で内村鑑三の弟子として知られていた斎藤宗次郎がいました。斎藤宗次郎は小学校の先生をしていましたが、クリスチャンであるということで教員を追われて、新聞配達をして生活していた。賢治と宗次郎は非常に仲が良かったと言われますから、新聞配達をしていた宗次郎のことを思いながら記したのではないかと言われたり、あるいは、賢治の隣の隣の家が、救世軍の山室軍平と結婚した山室機恵子が生まれ、育った家で、賢治の家と大変親しかったと言われます。

 ですから、救世軍として花巻の駅の前で太鼓を叩いて、伝道活動に励んでいた機恵子の姿を思いながら、アメニモマケズを書いたのではないかとも言われます。どれが正しくて、どれが間違いか、実際は誰もわかりませんが、私は、斎藤宗次郎でもなく、山室機恵子でもなく、やっぱり賢治自身が自分の人生を顧みて、この詩を書いたのではないかと思っています。
 
 賢治は6歳の時に、既に結核のような病気にかかり、辛うじて一命をとりとめたものの、それ以来いつも、病気が隣り合わせでしたし、机の上で思索にふけって、アメニモマケズを書いたわけでもなく、恐らく病床の中で記されている。

 ですから、やっぱり、自分の人生を振り返りながら、自分がもっと強かったら、自分がもっと健康であったなら、もっともっと能力があったならなどと思いながら、人として少し悔しい思いを込めて記したのではないかと私は思っています。
 
 賢治はまた仏教の日蓮宗を信仰していました。私は日蓮宗がどのような教えであるのか具体的に理解しているわけではありませんが、いずれにしても宗教的な救いを求め続けていたことも間違いないでしょう。けれど仏教の教えは、恐らく生涯求め続けること、それが大切だと教えるのではないでしょうか。そういう面に関しては哲学にとても近いと感じます。確かな一つの答えが与えられるわけではなく、色々と思索を重ねながら、自分で検証していく作業です。

 人によっては、自分なりの答えを見いだす人もいるし、見いだそうとして頑張り続けられる人もいるでしょうし、あるいは、頑張るというよりはもがくことになる人もいるでしょうし、そして賢治はそういう面から考えても、むしろもがき続け、苦しみ続けて、結論から言えば自分は挫折したと感じていた。平安が少なかった人生ではなかったかと思うのです。

 どの本であったのか忘れてしまいましたが、ある哲学書に哲学と宗教の違いについて記してありまして、「哲学はどこまでも考え続けるので終わりがない、けれど、宗教はいつかの時点で、ここが自分の居場所と定めるのでそこで終わる」という文章を読んだ記憶があります。なぜ記憶していたのかというと、どことなく気に入らない文章だと思ったからで、哲学は終わらず、宗教は終わると言われると、宗教がなんとなくバカにされたように感じたのを覚えています。

 けれど、今回、改めて宮沢賢治の人生思いながら、終わる宗教でもいいんじゃないか、そして、やっぱり自分はキリスト教でよかったんだと思わされています。

 なぜ、仏教ではなくキリスト教なのか、自分がもがいて苦しんで、挫折するようにして、なお手に入るか入らないのか、あるいは修行の上に修行をして、悟りを開いて初めて平安を得て、その神髄が分かるような教えでは無いからです。
 
 人の目には圧倒的な神の恵みと祝福が示され、人の努力や知恵からではなく、ただ一方的に、無条件で、しかも無尽蔵に神の福音が告げられた。神が与えられる恵と救いに、あなたも入ることが出来ると教えて下さった方がいる。

 神様私はアメニモ負けます、カゼニモ負けます、サムサニモ、ナツノアツサニモ負けてしまいます。と愚痴るとしても「それでいい」と言って下さる方がおられる。それはそのまま私たちにとってどんなに慰めとなるのではないでしょうか。

 今日はエフェソの信徒への手紙の3章10節から読んで頂きましたが、10節をもう一度読みますとこうあります。「こうして、いろいろの働きをする神の知恵は、今や教会によって、天井の支配や権威に知らされるようになったのですが、これは、神が私たちの主イエス・キリストによって実現された永遠の計画に沿うものです。」

 少し難しい表現だと思いますが、東北学院大学で教員をされている佐藤司郎先生によれば、この言葉はとても壮大な意味があって、神の知恵が、教会を通してこの地上にも、また天井にも、すなわち神の国にも、知らされるようになったことを説明しています。神の知恵を宣べ伝える教会の働き、その宣教の業が、この地上にも神の国にも関わりを持つということです。

 佐藤司郎先生は、ドイツの神学者であるカール・バルトの研究者としても知られています。バルトは神の知恵に対抗するこの世の「主(あるじ)なき権力」という言葉を用いて四つ説明しています。一つは政治です。バルトが生きた時代は、ヒットラーが生きた時代でもありました。政治が神の思いと全く逆のことをしていると、反ヒットラーを掲げ集まったドイツ告白教会の指導者として動いていた。命がけの働きであったと思います。

 主なき権力の二つ目は「富」です。三つめは「イデオロギー」、主義主張です。

 宮沢賢治が自分の理想、そういう主張を掲げて、賢治の言葉でいえば、百姓を志し、周囲の農民を集めて、農業について、肥料のやり方、種の蒔き方などを教え、夜には勉強会、音楽会、講演会を開いていた時、共産主義的な考え方だと当時の警察から睨まれて、取り調べを受けたりしたようです。それ以降、急速に賢治は自分の思想を閉じてしまったようにも言われています。

 この世に対して、その時代に対して、対抗しうる強い信念を貫くことが出来なかったとも言えます。そういう弱さを持っていた。そのあたりは非常に人間臭い、宮沢賢治の姿だと思います。

 そして、バルトが掲げる主なき権力の四つ目が、まさに「この世」なのです。それはイデオロギーだけに限らず、この世の科学技術や医学、進歩していく社会です。人は、それらの知恵を手に入れれば入れるほどに、神の知恵を疎んじ、また、軽んじることになる。そのような政治、富、権力、イデオロギー、科学技術といった現代人が、これこそと信じる信仰とも呼べるような、人の知恵に対して教会が語るべきものは、「神の知恵」であって、それこそが主イエス・キリストによって実現された永遠の計画に沿うものだと聖書は告げています。

 その「神の知恵」は一体何をなしうるのか、それが続く12節に記されています。「わたしたちは主キリストに結ばれており、キリストに対する信仰により、確信をもって、大胆に神に近づくことが出来ます。」つまり、神の知恵によって、キリストに結ばれる、神の知恵こそが、人と人を結びつける力があるということです。

 バルトが言うように、「この世」と関わりを持つ多くの事柄、すなわち人の知恵は、残念ながら多くの場合、人と人とを分断する方向に力が向くように思います。

 過ぎて行った8月は私たちの国にとって、特別な月であり平和を考えさせられる時でもありました。これから秋に向かい、これからの私たちの一つの関心毎は、憲法改正をしようとする力が強く動くのか、そしてその意図は戦争出来る国に、名実共になろうとしているのかどうかを見極めることであるかもしれません。

 しかし、戦争のその先に平和があるわけではありません。戦争のその先にあるのは、勝者と敗者とに分断されるということです。そして勝者はいつも横暴にふるまい、敗者はいつもみじめな思いをするのです。争い毎とはそういうことでしょう。そこに平和がありますか。エフェソの2書14節には「実に、キリストはわたしたちの平和であります。」とあります。「二つのものを一つにし」とあります。この方こそ、私たちにまことの平和をもたらして下さる方であり、二つのもの、聖書では、ユダヤ人と異邦人となりますが、これまでどうしても争いが絶えなかった人と人、民と民との間を取り持って下さる方、主イエス・キリストこそが平和へと導く方である。

 そして、この方の「神の知恵」を宣べ伝える役割として教会が立てられているのだと言えるでありましょう。
 
 賢治は「世界全体の幸福がなければ、個人の幸福はあり得ない」という言葉を残しました。賢治は実際のところ、キリスト教の教えを幾度も聞いていたことも確かです。当時の盛岡教会に通い、タッピング宣教師という先生から聖書の話を幾度も聞いています。その宣教師を思いつつ、詩を作り、その詩が岩手公園の石碑ともなっています。聖書的な思想が童話の中に幾つも見ることが出来ます。聖書が伝える平和とは、誰かの不幸の上に立つ幸福ではない、そういう思いが賢治の中にもあったと私は思います。

 私たちもまた、私たちの人生にあって、人の幸せを共に喜び人の悲しみを共に悲しみ、この世の知恵からではなく、神の知恵によって、互いに励まされ力づけられながらこの一週間、この9月をともに歩んで参りましょう。
お祈りいたします。
コメント