日本キリスト教団 大塚平安教会 

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つまらない者へのつまらなくない恵

2018-08-16 11:02:43 | 礼拝説教
【ヨブ記6章1~13節】
【エフェソの信徒への手紙3章7~9節】

 今週の週報にも少し記しましたが、私は家内と娘と先週の水曜日、木曜日と長野県上田市に行って参りました。今甲子園で高校野球が盛んですが、その陰にようにしてあまり知られていませんけれど長野県で全国高校総合文化祭、いわゆる文化部の全国大会が開催されていまして、合唱や吹奏楽から書道、将棋に至るまで様々なジャンルの文化部の催しが行われています。上田市は演劇の会場となっていまして、全国8ブロックから選ばれた上位12校が上演するということで全国各地から随分と人が集まり盛り上がっておりました。1500席あるホールに入るのも前もっての葉書やら、整理券やら、中々大変でしたが、四つの高校の演劇を見ることが出来まして、大変感激して帰って参りました。
 
 四つの中で最後に見たのが、千葉県の松戸高校の演劇でした。それが大変良かったという意見が家族三人一致したのですけれど、静岡県の松平高校という架空の高校が舞台という設定で、頭はとても良いけれど不登校になってしまった桑原夕子という一人の女子学生が主人公です。 

 桑原さん、学校に来られずに不登校でしたが、暫くして学校には来られるようになった。けれど教室にまでは入れない、ですから教室とは違う小教室のような部屋で、一人自習しているところに、桑原さんの親友で高村朝香という明るい女の子が、何とかしてきっかけを作って、自分達の教室に戻そうと奮闘するという設定でした。
 親友は文化祭や運動会を通して、クラスの皆と一緒にしようと画策したり、家の事情があり、学校を辞めていった同級生がやって来て励ましたり、担任の先生や、無口で無骨な男の先生が顔をだしたりしながら、不登校の桑原さんを励まし、力づけたりするのです。音楽あり、ダンスありと飽きさせないテンポで劇は進んでいくのですが、そんな周りの努力のかいがあって、ついに明日からクラスに行くという約束までこぎつけたのですけれど、その明日からまた学校に来ることさえ出来ずになり、結局、桑原さんは、自分の為に沢山の人が気を使い、あれや、これやと世話を焼いてくれる。でも、自分はその思いに答えることも出来ない。自分は生きる価値もない人間ではないかという思いから逃れきれず、高校を辞めてしまいます。 
 その後彼女は、通信制の高校に入り直して、やり直すことになります。

 そこからいきなり25年後に飛ぶのですが、桑原さんは通信制の高校を卒業して、大学に進学します、元々優秀な学生という設定ですから、卒業後、文科省に入省します。そして、そこで日本中にいる沢山の不登校の子ども達、引きこもりの子ども達の為に働くことになります。その後結婚して、子どもを授かり、幸せな生活を過ごしていましたが、25年後ですから、生まれた子どもも既に高校性となっていて、その子がなんと不登校になるのです。「お母さん、もう私学校に行きたくない」という言葉を聞いて、母親となった桑原さんは「なんで、そんなことを言うの、学校に行きなさい」とつい、言ってしまったというのです。

 自分自身が不登校であったのに、また不登校の子どもの気持ちは自分がよく分かると思って、文科省に入って、そんな子供たちのケアをしていたのに、自分の子どもが不登校になったときに、「学校に行きなさい」という言葉を発してしまう。
 あるいは実際のところ、どんなに働いても、不登校の子どもたちの人数が減るわけでもなく、自分自身の働きに虚しさを感じていたところでもあった、そこで自分はいったい何者かと自分自身に問い返した時、25年前のあの学校に行ってみようと決心して、自宅から学校に向かうのです。その向かっていた高速道路で、ふとここで死んだら、楽になるかもしれないとブレーキを踏まないまま、中央分離帯にぶつかっていくという設定でした。

 劇の最後は、桑原さんは命が助かり、病院で娘に励まされながら、娘も私は学校に行くからお母さんも頑張ってと一生懸命に語り掛けるそういう場面で幕が閉じていきました。拍手がいつまでも止まりませんでした。

 一時間たっぷり、素晴らしい演技だったと思います。後で聞きましたが、優秀校となって上位4校に入って、次の舞台は国立劇場で行われるようです。私自身厳しい日程でしたが、行って来て良かったと思いました。

そんな演劇を見ながら、改めて思うのは、人は恐らく、どんな人であろうとも自分自身を振り返る時に、あるいは若い世代の人たちは時に、自分がどんなにか力が無い者か、無力な一人なのか、つまらない者の一人ではないかという思いにかられる時が一度ならずあるのだと改めて思わされたわけでありました。

 舞台を見た多くの方が、人間の無力さに対して強く共感したと思います。だから高い評価だったのではないかとも思います。

 今日の説教題を「つまらない者へのつまらなくない恵」といたしました。私としてはかなり思い切った説教題にしたと思っていましたが、先週、その説教題の紙を掲示板に張っております時に、ひょいと声をかけられました。「先生、私、来週の説教をとても楽しみにしております。」おかしな説教題ですねとか、言われるとかと思っておりましたので、そう言われてホッとしましたけれど、でも、その方も「つまらない者」という言葉に何か感じるところがあったのかもしれません。

 この説教題は本日読んで頂いたエフェソの信徒への手紙3章8節の御言葉からです。

 パウロはこう記しました。「この恵は、聖なる者たちすべての中で最もつまらない者であるわたしに与えられました。」パウロは、自分のことを「最もつまらない者」と表現しました。キリスト教が世界宗教となる、世界の隅々にまで広がる、その基となったのは勿論主イエス・キリストの福音ですが、しかし、その福音を世界中に広めようとした、いや、実際にその生涯をかけて広めたのが使徒パウロです。

 祈っている弟子たちの上に聖霊が降り、弟子たちが力を得て福音を語りだしたという聖霊降臨の場面から始まる使徒言行録の実に半分以上はパウロが行った宣教が記されています。パウロは元々、キリスト者を迫害する者でしたけれど、あのダマスコ途上で、復活の主イエスとの出会いを経験し、回心して、迫害する者から、宣べ伝える者へと変えられました。回心してからのパウロはまさにわき目もふらずに主イエスの福音の宣べ伝え、具体的には主イエスの十字架と復活を宣べ伝え、あるいは教会に対して手紙を記し、どんなにか多くのキリスト者を励まし、力付けて来たことか、他にもペトロやヨハネをはじめとする主イエスの直弟子たちもおりましたけれど、どの弟子にも勝って、パウロの働きが評価されても不思議ではないと思います。
 むしろパウロ程の能力、知識を持った人は、当時滅多にいなかったと言っても良いかもしれません。

 けれど、パウロはエフェソ書では「自分はつまらない者」と記しました。「最もつまらない者」と記しました。口語訳聖書では「最も小さい者」とあります。この言葉が何を意味しているのかというと、自分はこの仕事に向いていないということです。とても自分はこの役割を務めきれそうにないということです。

 先月の7月8日、私たちの教会は、船本弘毅先生をお招きしました。船本先生は御自分の体の容体が良くない中でも、教会との約束を果たそうとされて、ある意味命がけでこの場に立って下さったと思います。船本先生のこれまでのご活躍、ご自身話しておられたように、長く関西学院大学で教鞭をとられる傍ら、同時に日曜日には大阪の高槻市に伝道所を開いて礼拝を守られる。個人的に少し話を伺いました時には、若い頃には伝道所に住み込みだったようですが、あまりに狭い場所なので勉強する場所が無く、玄関で勉強していたそうです。
 ある冬にとても寒いので暖を取るために練炭を持ち込んで、本を読んでいたら気が付いた時には、一酸化炭素中毒となって体が動かなくて、それでも本当に死ぬと思って必死に窓までたどり着いて窓を開けて助かったという話しを伺いました。どんな環境で過ごされていたのかと思いますが、しかし、船本先生の経歴はどこをとっても、見事なほどに素晴らしい経歴で、私などは、近づくのも怖い位の立派な方だと思うのですが、それでもこの場で話された中で、何度も自分がどんなに人前で話すのが苦手で、どんなに小さい者なのかということを繰り返し話されておられた。

 船本先生がそういうことを話されると、私などはどこにもいるところが無くなってしまうと思いながら伺っておりましたけれど、でも、船本先生ご自身の中では、恐らく正直な思いではなかったかと今日の聖書箇所を読みながら改めて思い直しました。

 パウロは、テモテへの手紙(1章15節)の中でこういう言葉も記しています。「キリスト・イエスは、罪人を救うために世に来られた」という言葉は真実であり、そのまま受け入れるに値します。わたしは、その罪人の中で最たる物です。」パウロが何か本当に罪を犯したから記しているわけではないのは明らかです。
 ならば、なぜそう記したのか?

 パウロという人が、誰かあの人と比べてとか、この人と比較してということではなく、ただ主なる神、主イエス・キリストを前にした時、自分が救われた一人であると感じた時、それは自分がそれにふさわしい者であったからとか、何か個人的に値打ちがある者だったとか、生まれ持った地位があったとか、立派な学問を収めた、といったこの世の価値観からではなく、ただ一つ、神の一方的な憐れみによって、無尽蔵、無条件の恵によって自分は救われた、しかも、その救いは、自分の人生に新しい命を吹き込むほどの恵みであったと感じたからではないでしょうか。

 しかし、その神の恵みを体一杯に受け取ると同時に感じていたのは、自分は、神の前でどんなか罪があって、小さい者であり、つまらない者であるかを知らされたのではないでしょうか。でもこんな自分を、あたかも罪人の中で最たる者をも、神はしっかりと見て下さっていた、ローマ書にありますように、罪が大きいほどに、恵もまた大きい、いや、恵があまりにも大きかったので、自分の罪の大きさをも感じたのではないかと思います。

 船本弘毅先生も、そういう意味においては、人間的な経歴からではなく、神の前において自分はどんなに小さな一人であるかをよく分かっておられたのだろうと改めて思います。こんな小さな、つまらない者をも用いて下さっている、その喜びに生き続けてこられたからこそ、御自分の役割を認識され、それ故に船本先生の人生も、いつも輝いているのではないでしょうか。

 パウロの役割は何よりも、異邦人伝道でありました。ユダヤ人と異邦人との間には敵意という隔ての壁があって、決して交わろうとしなかった人々に対する福音伝道、神の恵みの宣べ伝えです。ユダヤ人であろうと、ギリシャ人であろうと、異邦人であろうと、神の恵みは少しも変わらないとパウロは宣べ続けました。
 それはエフェソの教会に限ることではなく、フィリピ、テサロニケ、アテネ、コリント、パウロはどの町、どの地域であっても主の福音をユダヤ人にも異邦人にも宣べ伝えたに違いありません。

 なぜ、パウロはその働きを担うことが出来たのか、神の恵みに生きることが出来たからです。人間的に見たならば、自分で自分を救うことも出来ない。力の無い、つまらない者でしかない自分を、しかし、主は捕らえて下さり、「あなたは決してつまらない者ではない」と告げて、神の大いなる恵みに生かして下さった。何にも勝る喜びに、パウロは生きたのではないでしょうか。

 パウロの異邦人伝道は実際の所、必ずしも上手くいっているわけではありませんでした。自分自身でも、その苦労についてはコリント書にありますが、時には投獄され、鞭打たれ、石を投げられ、難船し、海に漂い、盗賊に会い、同胞からも、異邦人からも嫌がらせを受け、町に入ればそこでも困難ばかりが続き、飢え渇き、寒さに凍えました。それらの苦労、とても私などには耐えられそうもない、出来事の連続であったと思います。けれど、それらの厳しい、困難、艱難を乗り越える程の神の恵みに生き、苦しみのその先にある栄光をいつも見ていたのではないでしょうか。

 竹森満佐一先生はご自身の説教の中でこう記されています。「神は、自信に満ちた人に、大きな仕事を託すことはなさいません。しかし、自分はだめだと思う人にも同じです。しかし、神の前に出たため、神に出会ったために、いや、神の恵みを受けたので、自分は貧しいと知った者には、神はその業をゆだねられるのであります。」

 自分が自分がという人ではなく、自分はダメだと思う人でもなく、神の前に自らの罪を思い、それに勝る恵に生きようとする者こそが神の業を行える。それならば、まさに私たち一人一人がそのように生きられるのではないでしょうか。私たちは神の恵みの秘められた計画、すなわち、主イエス・キリストの十字架をこそ、主の福音として受け入れ、この場に集っています。そして、暑い夏の中にあって、尚、主の福音に生きる者として立たされています。この礼拝を通して、益々、神の恵みに生き、喜びに生きこの一週間も過ごして参りましょう。    お祈りいたします。
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同じ約束にあずかる者となる。

2018-08-06 13:32:21 | 礼拝説教
【詩編2編1~12節】

【エフェソの信徒への手紙3章1~6節】


 8月に入り最初の主日礼拝、平和聖日であると共に、大塚平安教会の69回目の創立記念日でもあります。そのことを記念して本日はS姉より証を伺うことが出来ました。とても良い証でありました。

 教会の創立69周年と言いますのは、いつからがその始まりかと言いますと、週報の表紙に略歴が記されてありますが1949年8月8日、大塚平安教会設立承認とあります。この1949年、昭和24年という年に日本基督教団から承認を受けて、教会としてスタートしたわけでありました。勿論、それ以前にも多くの信仰の先達がおられ、戦前、戦中、戦後の混乱期の中にあっても、キリストを宣べ伝える働きが続けられていたからこそ、その年に承認されたわけですから、教会の記念誌を見てみますと、教会の歴史は更に20年遡ることが出来るようです。

 とはいえより具体的には、それから3年後、1952年に教会に専任の牧師として、当時の会堂の献堂と共に北村健司牧師がこの教会にやって来られた。そこからがまた一つの節目として教会の歩みが始まったと考えられると思います。この同じ年、T兄、また、2012年12月に天に召された、I姉が北村先生から受洗されておられる。しかもお二人とも同時に教会の役員として働いておられますから、当時の教会の礼拝出席人数を想像するに、また財政面を考えてみても非常に厳しい状況であったことは容易に想像できると思います。

 そのような厳しい財政状況の中にあっても、色々な側面から財政を支えて来たのが現在のドレーパー記念幼稚園の働きであったとも言えると思います。1962年からその幼稚園としての記録が残っておりますけれど、勿論、幼稚園の働きもそれ以前から行われていた訳で、1953年の北村先生が来られてすぐに季節託児所を再開されたようですから、そのような流れの中で幼稚園の歴史も始まったものと思われます。
 私は金曜、土曜とこの教会の記念誌や、T兄が記された著書なども改めて読み返しましたが、教会が教会となっていくまでの過程の中で、幾度もの混乱といいますか、やり取りがあったことをも思わされました。北村先生の後に、川島貞雄先生が来られ、川島先生は4年程牧会され、乙幡和雄先生が1961年に着任されます。乙幡先生の着任と同時に、幼稚園が具体的に動き出すわけですが、乙幡先生は、自分は牧師としてやってきたのであって、幼稚園運営の為に来たのではないとTさんと大分揉めたような話も記されてありました。

 Tさんのお連れ合いが先月の7月11日の水曜日に天に召されて、その週の金曜、土曜と葬儀が行われました。私たちにとっては思いがけない出来事でした。その葬儀に参列された方の中に、相模原教会の協力牧師でもあり、和泉短期大学の学長をされていた伊藤忠彦先生が参列されました。

 当初、私は伊藤先生が来られたのは、Tさんのご子息ご夫妻が相模原教会員ですから、足を運んで下さったのかなと思っておりましたが、それもあると思いますけれど、それだけはなく、乙幡和雄先生が幼稚園を設立していく中にあって、伊藤忠彦先生のお父さんである伊藤忠利先生が当時、横浜上原教会の牧師をされておられ、乙幡先生が伊藤先生を訪ねて、何度も相談に行き、その相談を親身になって協力頂いたという文章を読みました。

 幼稚園設立の為には、無くてはならない一人であったことを改めて思わされました。その後、相模原教会に移られた伊藤忠利先生、またご子息の伊藤忠彦先生が、特に学校法人としての幼稚園の設立当初から、その頃からTさんとも深く関わって下さっていたことを思わされて、特別な思いを持ってTさんのお連れ合いの葬儀に参列されたのだと改めて知らされた思いが致しました。

 今日、礼拝に出席されている方々の中には、Tさんとか、乙幡先生とか、伊藤先生という方々を、殆ど分からないという方もおられると思います。けれど、私がここで申し上げたいと思っておりますのは、何か物事が起こる、その物事としては、良いこともあり、良くないこともあり、悪いと思われることもあります。しかし、その中で少なくとも、信仰を持つ者どうしとして、どんな出来事を通しても、私たちは一つになることが出来る、大塚平安教会もその歴史を垣間見ていく中で、これまで何事もなくすんなりと過ごしてきた訳ではなく、むしろ、様々な出来事や人間模様の中で、幾度となく危機があり、様々な出来事に翻弄されてきたようにも感じます。

 けれど、不思議な神の御計画によって、それらの出来事を通してでも、皆が一つとなる時があって、一つとなった時に、様々な困難と思われる事態をも突破する力が主なる神から与えられ、神の恵みを受け継ぐ者とされて来た、そのことを改めて思わされているということなのです。

 礼拝の中で、これまでエフェソの信徒への手紙を読んで参りました。1章、2章と読んで参りまして、今日は3章に入りましたが、これまで読んで来た中で、改めて色々と分かってきたことがありました。一つは、この手紙は教会が教会として形成されるために必要な文章が記された手紙であること。二つ目は、教会が教会として形成されるためには、「敵意という隔ての壁」が取り除かれなければならないこと。三つ目は、従ってあなたがたはもはや、外国人でも寄留者でもなく、聖なる民であり、神の家族であること。このような内容が1章、2章に記されてありました。

 「あなたがたはもはや、外国人でもなく、寄留者でもなく」ここに記されている「あなたがた」とはユダヤ人以外の異邦人のことを指しています。エフェソという町の教会にとって、さしあたって大きな問題がありました。それがユダヤ人キリスト者と、異邦人キリスト者との間に起こっている混乱、「隔ての壁」であったというのです。

 しかし、その壁が壊れていかなければ、また壊していかなければ教会が教会として成り立っていかない、そのことをパウロはとても心配していたと思います。

 3章1節には「こういうわけで、あなたがた異邦人のために、キリスト・イエスの囚人となっているわたしパウロは…」とあります。このエフェソの信徒への手紙を記しているパウロは、ローマで手紙を記したのではないかと言われています。

 当時、パウロは捕らえられて裁判を受けるためにローマから自由を奪われ、牢獄というよりは、恐らく軟禁状態だったのではないかと思われます。軟禁状態といえ、不自由な生活が強いられている。ですからまさに囚人としてパウロがそこにいるわけです。けれど、そこにはもう一つ、キリストに捕らえられた、キリストの囚人として、しかし、キリスト以外にの誰にも捕らえられない、神の自由に生きた者として、エフェソの教会の人々に信仰者の生き方、教会のあり方を示しているのだと思います。

 パウロは3節で「秘められた計画が啓示によって、わたしに知らされた」と記しました。秘められた計画、神の奥義と言っても良いほどの神の思いを自分は受けたというのです。しかもそれは、キリスト以前には知らされていなかった、しかし、今や霊によって、キリストの聖なる使徒たちや預言者たちに啓示された計画、それが6節の御言葉となります。「すなわち、異邦人が福音によってキリスト・イエスにおいて、約束されたものをわたしたちと一緒に受け継ぐ者、同じ体に属する者、同じ約束にあずかる者となるということです。」とあります。

 これまでも申し上げて来ましたように、エフェソの教会では、ユダヤ人キリスト者と、異邦人キリスト者との間が、どうもギクシャクしていた。上手くいっていなかったのです。ユダヤ人キリスト者は、キリスト者であっても、自分達には律法があると思っていました。あるいは割礼が施されていると思っていました。ユダヤ人から見れば、同じクリスチャンであっても、割礼があるのか、無いのか、これだけでもかなり決定的に対立する原因となっていたのではないでしょうか。隔ての壁になっていたのです。
壁のこちら側には、割礼を受けて律法を守っている自分達、壁のあちら側には、割礼も律法もない、異邦人、それが同じ信仰を持っているなんて、どうにもこうにも我慢ならんという思いがあったと思います。

 世の中を見渡す時に、そのような隔ての壁はいくらでも見いだすことが出来ます。
 先週からお願いしていることですが、神奈川教区で巡回教師をされている関田寛雄先生から文書が届きました。それは「ヘイトスピーチを許さないかわさき市民ネットワーク」の会からの文書でした。2015年11月に、在日コリアン集住地域である桜本をめざすヘイトデモが実行され、以後毎年のように計画されているというのです。そのような人種差別と人権侵害に対して、苦慮した人々が二度とそのような行動が起こらないようにと願って出来たネットワークの会、その代表を関田先生がなさっているというのです。
 
 日本人の中で、在日コリアンの人々に対して、憎悪むき出しの表現でもって、デモや集会を開くというのですから、右翼とか左翼といった思想的立場からでもなく、言葉で相手に対して攻撃、脅迫、侮辱を繰り返す。しかも、それが公共の施設を借りて行うことが出来るわけですし、自分達は正しく、少しも悪くないと思っているのです。

 皆さん、こういったことが日常に起こるとしたら、まさに「隔ての壁」ではないでしょうか。今、アメリカの大統領が中心となって、世界中で貿易摩擦の問題が起こっています。欧州や、中国、日本も、その争いの中で、やられたらやりかえす、まさに目には目をと言った、出来事が起こっています。今、世界中の国が、自分達の国だけが良くなればと言った傾向が強くなってきているようにも思います。

 何も大きな規模だけではありません。隔ての壁は家庭の中にあっても、親と子の間に、夫と妻との間に、あるいは先生と学生の間に、会社の上司と部下の間にも見ることが出来るのではないでしょうか。

 このような壁がなぜ何度も、何度も出来上がっていくのか、社会的、政治的、教育面等、色々な理由を上げることができるでしょう。けれど、信仰という面からみるとすれば、人間の人生の不安、生きることに対する不安、命の不安から起こっているのではないかと思います。その不安を防御するために、自分を守るために人は、壁を作ろうとしているのではないでしょうか。

 しかし、壁は次第に人と人を遮断し、断絶状態を造り上げ、益々不安を助長するだけではないでしょうか。

 あるいは、その壁は人と人とを引き離すだけではなく、神と人とを引き離そうとする力であるとも言えると思います。その力は大変強力で、人がなんとかしようとしても、何ともできない程の力でありました。

 だから、そのような私たちの為に、割礼を受けているか、受けていないかではなく、律法があるのか、無いのかでもなく、ユダヤ人かギリシャ人か異邦人かでもなく、いや、そうではなく、たとえ割礼がどうであろうとも、律法がなかろうとも、何人であろうとも、私たちは同じ体に属する者、同じ約束に預かる者、キリスト・イエスにおいて、約束されたものを一緒に受け継いでいく者とされているとパウロは告げているのです。

 主イエス・キリストにおいて、これこそが、私たち人間が乗り越えたいと願っても乗り越えられなかった多くの壁を乗り越え、壁を壊していける方なのです。本日は教会創立記念礼拝であると共に、平和聖日でもあります。大塚平安教会が設立され、これまで幾度もの困難がありましたが、しかし、乗り越えてくることが出来ました。
 
 それこそ神の業であろうと思います。そして、教会が宣べ伝える御言葉は、キリストこそ、私たちの平和であって、私たちは誰であろうと、何人であろうと、男女の性別、年齢にかかわらず、同じ約束を受け継ぎ、同じ体に属し、同じ約束にあずかる者であって、主なる神の家族であり、聖なる民であるというメッセージを告げ続けているのだと思います。
 
 これまでの先達が歩んで来た信仰の道を、私たちもまた、一生懸命に歩んで参りましょう。そして、大塚平安教会が創立70年、80年、90年、100年とその歩みを刻んでいけるように、わたしたちは今、この時を精一杯に、喜びをもって、平和のうちに進んで参りましょう。
お祈りいたします。

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