日本キリスト教団 大塚平安教会 

教会情報や牧師のコラムをごちゃごちゃと

折が良くても 悪くても

2017-12-24 16:32:03 | 礼拝説教
【テモテへの手紙3章10~4章5節】
【マルコによる福音書7章5~13節】

「折が良くても、悪くても」

 今日はテモテの手紙と言う箇所を読みました。テモテはパウロの一番弟子とも言える人物で、また伝道旅行においては苦労を共にした仲間でもあります。 

 けれど、今日読みましたテモテへの手紙が記されている背景としては、まずパウロが手紙を記した場所は恐らくローマです。既にパウロは捕らえられてローマの牢獄にいて、テモテは、恐らくエフェソの教会の牧師として仕えていたと思われます。そのような背景の下で、記された手紙名のではないかと思います。

 手紙の内容から分かりますことは、何よりもパウロに対するユダヤ教やローマ、つまり、敵からも、味方と思っていた人々からも迫害があり、幾度も命を落としそうになったように、エフェソの教会に対する様々な迫害があったのではないかと思われます。迫害の中で何が起こったのか、1章15節には「あなたも知っているように,アジア州の人々は皆、わたしから離れ去りました。」とあります。パウロが思いがけなくも捕らえられたことは、パウロを慕う人々からすれば、ひどくショックで、また、大きな動揺が走ったことでしょう。またあるいはパウロの伝える御言葉に疑いを持つ人々もいたと思われます。
 
 あるいは、もともと教会に対して、良い印象を持たないユダヤ教徒や、パウロを憎いと思っていた人々は、逆に力を得て、教会に対して様々な迫害や嫌がらせを行ったのではないかとも思われます。
 そんな状況を知るにつれて、パウロは自分の身よりも、テモテとその教会を案じて、実に細やかに気を配り、また、励まし、力づける手紙を記しました。それがこのテモテへの手紙です。内容から牧会書簡とも呼ばれます。

 4章1節から読みますがこうあります。「神の御前で、そして、生きている者と死んだ者を裁くために来られるキリスト・イエスの御前で、その出現とその御国とを思いつつ、厳かに命じます。御言葉を宣べ伝えなさい。折が良くとも悪くても励みなさい。」

 この「折が良くても、悪くても」という御言葉を読みますと、私は吉川文子牧師のことを思い出します。吉川文子先生は、私が1995年に赴任した花巻教会の前任の先生でした。昨年の10月に84歳で召されまして、先日神学校の同窓会報に私が吉川先生の思い出の文章を書かせて頂きました。とても小柄で柔らかな印象を保ちながら、尚、毅然とした態度を持っている先生でした。私が赴任してからの2年間を一緒に礼拝を守り、聖餐式を執り行って下さり、2年後に、私が正教師試験に合格した時と重ねるようにして、ご自身は隠退され、尚、花巻に住まわれて、礼拝を守りながら後も色々と助けて下さいました。
特に一緒に過ごした2年間の中で吉川先生が教会の礼拝で説教された、その中で幾度も登場する御言葉がこの「折が良くても、悪くても」という御言葉でした。
けれど、その御言葉を聞く度に、私が心に感じたのは、吉川先生は、今、この教会は「折が良いと思っているのだろうか、悪いと思っているのだろうか」という思いでした。
 
 花巻教会の教会80年誌という冊子があります。今から凡そ30年前の1988年に出されたものです。吉川先生は1973年に花巻に来られましたので、それから15年経った頃に発行されています。時おりその本を読んでみては懐かしい名前を見つけたりもしますが、一つ思いますのは花巻教会の礼拝出席人数や教会会計が一つのピークを迎えているのが1980年代後半です。この年代は、日本がいわゆるバブル景気に喜んでいた時代と重なります。バブルがはじけたと言われる年は、1990年と言われます。それから日本は不景気の時代となっていくわけですが、教会のピークと日本の経済と、どのように関わりがあるのか、無いのか、ここでどうこう言えるものでもないと思いますけれど、全く関係無いとも言えないと思います。

 因みに大塚平安教会の一つのピークと思われる年代は1990年代前半です。記録によりますとバブルがはじけてから3年後、4年後あたりがピークとなっているかなと感じます。でも、大塚平安教会はこれから本当のピークを迎えますから、是非、御期待下さい。(笑)

 吉川先生は60歳前半で隠退されました。既にその時、持病をお持ちで、幾度か入退院を繰り返し、あまり無理出来ないお体になっていたこともあったと思いますが、そういう意味でも、御自分の体のピークや、当時の教会の一つのピークと思える時期を過ぎて、宣教や伝道に悩みを感じておられたのかもしれません。その為にも、まさに折を見て、御自分が身を引いて、新しい牧師を願っておられました。

 そんなことを考えますと、どうも「折が良くとも、悪くとも」という御言葉は、何か良い時、良い時代に用いられるというよりは、あまり良くない時代、伝道が上手くいかなくなっているようなタイミングの時に、用いられる御言葉ではないのかとも思います。

 パウロ自身も、捕らえられローマに連行され、このテモテへの手紙は牧会書簡だと言われますが、もう一つは、パウロのテモテにあてた遺書のようなものとも言われます。パウロの処刑はもう目前に迫っていました。テモテの教会も、迫害との戦いがありました。頼りのパウロも捕らえられている、そんな状況の中、教会に集う人々の足も鈍り、人が減っていたのかもしれません。まさに折が悪いのです。でも、だからこそ、パウロはテモテに伝えたいことがありました。それが「御言葉を宣べ伝えなさい」という一言です。

折が良くても、悪くても、御言葉を宣べ伝えなさい。そのことに励みなさいと伝えます。

 最もパウロは、聖書の中で、今は折が悪いからと記したわけでもありません。「折が良くても、悪くても」と伝えました。折が良い、悪いという言葉は、日本語として洗練されている言葉だと思いますが、英語の聖書では、in season and out of season となっています。in seasonとは今が旬、一番美味しい季節ということだろう、out of seasonとは時期はずれということでしょう。昔、そう理解して読んでいたことがありましたが、ふと気になって辞書を見てみましたら、ちゃんと熟語として出ておりました。「明けても暮れても」という意味だとありました。「明けても暮れても」、いつも、どんな状況にあってもということです。

 どんなにか辛いなと思う、苦しいなと感じる、でもどんな時も、あなたの心にとっても、相手の心にとって福音となる、良き訪れの言葉を、御言葉を宣べ伝える者となりなさいと言うことだと思うのです。
 
 その通りだなと思いますが、けれど、どうでしょうか、私たちはやっぱり、「物にはタイミングがある」と考えたりします。「物には順序というものもある」と言ったりします。だから大切なのは「折をみること」だと話したりもするのです。けれど多くの場合、その「折」は決してやって来ません。だからやっぱり、「状況ではない」と伝えているのではないでしょうか。
 
 テモテの父親はギリシャ人、母親はユダヤ人でした。それ故にユダヤ教を熱心に学ぶとしても、純粋な血筋を重んじるユダヤ教では、テモテはいつも辛い思いをしていたのではないかとも思います。けれど、パウロとの出会いがテモテを変えました。なぜテモテは変わることが出来たのか、それはパウロが御言葉を宣べ伝えたからでしょう。どんな御言葉を伝えたのか?具体的な御言葉として記されているわけではありません。でも、私は思います。パウロはテモテに対して、あなたはユダヤ教を信じ、ユダヤ人として、誰よりもユダヤ人として生きようとして辛い思いをしていたのではないのか、テモテよ、もうユダヤ人らしく生きようとしなくても良い、テモテよ、あなたはあなたのそのままで素晴らしいのだから、テモテよ、あなたはテモテならではの人生を生きることだと伝えたのではないかと思うのです。

 私たちは、人は、なんとかそれらしく生きようと頑張ります。牧師は牧師らしく生きることが大切だと私は先輩の牧師から教わりました。でも牧師らしいとはどういう生き方でしょうか。牧師に限らず、医者は医者らしく、学校の先生は先生らしく、学生は学生らしく、女性は女性らしく、日本人は日本人らしくあれ、と直接言葉で言うことはないかもしれませんが、私たちは心でそのように思っている所があるのではないでしょうか。そのようにして育てられ、いつのまにか、そのようにして子どもや、後輩を育てているのかもしれません。

 もし、信仰を持っている者は、信仰をもっている者らしく生きることだと言われて、自分はそんな風には生きられないと嘆いている方がいるとしたら、そんな自分を苦しめる「らしさ」は止めてしまうことです。それは主なる神の御言葉とはなりません。

 もともと、主イエスがファリサイ派や律法学者から嫌われ、また狙われていたのは、主イエスがユダヤ教徒らしい生き方をされなかったからです。マルコによる福音書の7章を読みましたが、その個所は主イエスがファリサイ派、律法学者と激しいやり取りをしている箇所の一つです。昔の時代から言い伝えられている決まり事を、あたかも軽く、主イエスが、また弟子たちが乗り越えてしまうのがとても気に入らないのです。どうしてあなたがたは、昔からの伝統、言いつけを守らないのか、ユダヤ教徒らしい生き方をしないのかと責められている箇所です。それに対して、主イエスは、あなたがたこそ「ユダヤ教徒らしい」生き方を人々に迫りながら、受け継いだ神の本当の思いを無にしているのは、あなた方の方だと強く訴えている箇所でもあります。

 私たちは、いつの時にか、この状況の中で、この状況に合うように、この状況に応じるように、世間の目から見て、何も恥ずかしいことが無いように、非難されることがないようにと、あたかも「らしい」という鋳型があって、その鋳型に流し込まれていくような生き方を生きようとしているところがあるのではないでしょうか。そしてその鋳型からはみ出ているところは、やすりで削られ、あるいは切り落とされ、あるいは無理やり引っ張られて、まことに苦痛の伴う生き方を生かされているのではないでしょうか。神の御言葉とは、そのような鋳型にはまれと言っているのではなく、鋳型からの解放だと私は思います。

 「らしい」生き方ではなく、状況を考えながら、折を見ながらではなく、いつでも、どんな時でも、明けても暮れても、「あなたならでは」の生き方を生きていきなさい。それが主イエス・キリストの大いなる福音なのだとパウロはテモテに、そして私たちにもそのように告げているのではないでしょうか。
 
 昨日の土曜日は、午前はさがみ野ホームでのクリスマス、午後からは幼稚園の母親クリスマスが行われました。沢山の方々がこの礼拝堂に集まりクリスマス礼拝を守りました。母親クリスマスの話の中で、岩崎多恵さんと言う方を紹介しました。奈良県の山奥に産まれ、それでもささやかな幸せを生きていた多恵さんでしたが、父親が知人の借金の保証人となり、しかし、その知人が逃げてしまったというのです。結局は、多くの借金を抱え、家族5人で、借金返済の為に一生懸命に働いたそうです。多恵さんも素敵な大学生、キャンパスライフのはずが、地下足袋はいて、奈良の山奥で土木作業員として働いて27歳になるまで、返済し続けてついに完済致しました。家族で祝杯を挙げて大喜びしたその数か月後、家が火事となり、お父さんは大やけどを負い、生死をさまよい、手足を失い、でも奇跡的に命は助かるのですが、更に一年半ほどで、召されて行くのです。
 
 元々、キリスト教の信仰に支えられていた家族だったそうですが、多恵さんは祈りました。神様、なぜ、私の家だけがこんなに苦しい思いをして生きていかなければならないのですか?一生懸命に祈って、与えられた答えが、自分ならでは人生を生きていこうという決意です。多額の借金を負って、そして返済できたことが逆に自信となって、自分が社長となって会社を興していくのです。誰もが反対しました。それはあなたらしくない。世の中はそんなに甘くない、あなたはおめでたいやつだ、そうやって世の人は、知識があり、世の中を知っていると思ている人々から、手も足もがんじがらめにされたようです。
 
 誰もが反対する中で、でも多恵さんはやり遂げました。銀座に会社を置くほどになったそうです。皆さん、これは成功者の話ではありません。自分ならではの人生を生きようと決意をした人の話です。私たちも主なる神から、主イエス・キリストがどんな時でも、神の御言葉に生きる者として生かして下さいます。そのようにして、あなたならではの命を生きていけ、と告げるために、御子イエスはこの世の誕生して下さいました。クリスマスはもうすぐです。感謝して今週も過ごしてまいりましょう。
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わたしの民を慰めよ

2017-12-24 10:04:14 | クリスマス
【イザヤ書40章1~11節】 
【マルコによる福音書1章1~8節】

「わたしの民を慰めよ」

 クリスマスを目前としているこの主の日でありますが、旧約聖書イザヤ書40章を読んで頂きました。イザヤ書は全部で、66章から構成されていますが、一般的には研究者が考えるには、少なくとも三つのイザヤ書で成り立っていると言われます。

 一つは1章から39章まで、二つ目が40章から55章、三つ目が56章から66章。それぞれ第一イザヤ、第二イザヤ、第三イザヤと呼ばれています。記されている年代や内容がそれぞれ違っていると考えられているようです。

 今日はそういうことで言えば、第二イザヤ書と呼ばれる最初の40章を読んで頂きました。時代的には、イスラエルがバビロン帝国との戦いに負けて、首都エルサレムが陥落する。首都が陥落するとは、日本なら東京が陥落するということですから、その意味は国としての機能を失うということです。その為イスラエルの民も、既に国の形を維持することが出来ず、しかも、主だった人々は、バビロンに捕囚の民として、強制移住させられ、強制労働や奴隷のようにして強いられたと思われます。そのような生活が結局の所、凡そ50年続きました。その50年の間、悲しみと、疲労と、涙と、絶望の中で過ごして来た。けれど、ついに一つの希望が見えて来た。そんな場面がイザヤ書40章に見られます。

 その希望の源は、バビロンの北に位置していたペルシャという国が、成長し、領土を大幅に広げて、力を付け、ついにバビロンを滅ぼすという出来事が起こった。バビロンの支配体系は、中央政権的といいますか、専制政治のようにして全ての民を支配下に置くという考え方でしたが、ペルシャはむしろ、その支配した国の体制を大切にして、無理なことをしないという政策を取りました。ですから、これまで50年間の捕囚の民としての苦しみにあったイスラエルに対しても捕虜の状態から解放し、自分達の国に帰っていいよ、そして、自分たちの信仰を守ってもいいよ、神殿を建てたかったら建ててもいいよと告げるのです。イスラエルの解放の喜びが特に今日、読んで頂いた箇所から読むこと出来ると思います。

 40章1節にはこうあります。「慰めよ、わたしの民を慰めよ、あなたたちの神は言われる。エルサレムの心に語りかけ、彼女に呼び掛けよ 苦役の時は今や満ち、彼女の咎は償われた、と。罪のすべてに倍する報いを 主の御手から受けた。と」このようにして、ついにイスラエルに大きな慰めと希望が与えられるのだと言うのです。

 私達が生きていく中で、その人生の中で、様々な試練が与えられます。その試練は、それぞれに全く違った試練であり、人によって様々です。学生さんは勉強が試練であり、人によっては家庭が試練、また人によっては仕事がそうだという方もおり、お金がという人もいる、あるいはこの病気さえと、試練を感じている方もおられるわけです。その与えられている試練は、また二つに分けて考える事も出来ます。

 問題と艱難の二つです。何が違うのかと言えば、問題とはまさに問題ですから答えを見出すことが出来る。例えば勉強の事、仕事の事、自分で頑張れば解決していくと思われるような試練、例えば我が家の子ども二人は、来年の春には受験を控えていまして、今、それなりに大分苦しんでいるようです。試練だなあと思っていると思いますけれど、でも、こういう試練はね、努力次第ということもある。自力によって乗り越えていけるといいますか、ある意味乗り越えていかなければならない試練であろうとも思います。ですから周囲の励ましや協力なども必要でしょうし、そんな中でいずれにしてもいつかはどのような形であれ解決していくものでしょう。

 けれど、同時に、このような試練、つまりこのような問題は、答えを見出すことが出来るだけに、いつの間にか時として神を忘れることがあると思います。自分に試練だなと思われる問題が与えられる、でも、それを、自力で自分の頑張りで乗り切ることが出来る。それは人生においては大きな自信となり、決して悪いことではないと思いますが、しかし、それはまた神から離れていく誘惑が伴うのではないでしょうか。

 しかしまた、先日、ある本を読んでいましたら、ある女性が自分の願いを叶えたいけれど、叶うでしょうかと牧師に相談に来たという話が記されていました。その相談を聞きながら、牧師は、いずれにしても教会に通うことを勧め、その女性もその勧めを受け入れ、熱心に教会に通い、ついには洗礼を受け、奉仕を怠らず、熱心に学び、すっかり仲間の一人として牧師が安心していたその頃に、突然、その女性がやって来て、私の願いは結局叶わなかったので、もう教会には来ないと言ったと言うのです。牧師は本当に驚いたそうですが、誰が悪かったのか、何が悪かったのか、それはなんとも言うことが出来ません。

 ただこの女性が、主なる神や、あるいは教会に見切りをつけたということなのかもしれません。

 最後まで彼女の心の中は、自分の問題であり、それが解決するか、しないかそれだけが最大の関心事だったのでしょう。願いを叶えない神は必要無いと思ったのでしょう。
 様々な試練、問題や艱難が与えられる、頑張れは解決出来る問題や、自力でやり切れると思うのであれば、神は必要でないと思う人がいるだろうと思います。けれど、逆にどんなに祈っても、願っても、必死に望んでも、叶えられないこともあって、それなら、そんな神はこっちから願い下げだと思う、どちらにしても、自分の心の中心に自分がいて、その中心を神などには明け渡すものかと頑張っているのであれば、主の慰めを受けるのは難しいのではないでしょうか。

 実際のところ、イスラエルの捕囚の期間は50年と申しましたが、当初、捕囚の民は、自分達はすぐにでも帰れると思っていたようでうす。エゼキエル書などを読みましても、そのような雰囲気があることがわかります。エゼキエル書が記された頃、まだエルサレムも陥落せず、頑張っておりましたし、難攻不落と言われたエルサレムを攻め落とすことは出来まいと高を括っていたところがあったようです。けれど、その思いは虚しく過ぎて、思いがけない50年もの長期にわたる、捕囚の時期を過ごすことになります。
 
 50年とはもうその土地で、捕囚の民として連行された第一世代の人々よりは、その場で誕生した第二世代、あるいは第三世代の人々が大勢いたに違いありません。そして、そのようにして世代が移っていく中で、自分達はイスラエル人であること、自分達は、神の民であること、自分達は神の民として、律法が与えられていること、そういった信仰の継承こそが、イスラエル人、ユダヤ人としてのアイデンティティを支えるために、どれだけ有益であり、また大切にされたであろうか、実際そうであったとも言われています。

 どんな状態の時もイスラエル人として、ユダヤ人として、希望が見えない時代にこそ、信仰がより一層強められるそういうこともあったでしょう。
しかし、一方では、その50年の間、願い、祈り、信仰を磨き、神に祈る、でも実際には、尚、捕囚の状態は変わらないのです。やっぱりこれは試練ですよ。答えが与えられない艱難としてずっと与えられ続ける、これこそ試練ですよ。

 ですから、イスラエルの民の中には、先ほどの女性のように、主なる神に見切りをつける人々もいたでしょうし、祈ったところで、願ったところで、それが一体何になるのか、神は本当におられるのか、おられたとしても、私たちは見放されているのではないかと絶望の淵で、虚しく生きていた人々も少なくなかったと思うのです。

 けれど、それでもなお、多くのイスラエルの人々は一所懸命に祈ったでありましょう。主なる神よ、私たちは今、私たちの力では何も出来ない状況です。毎日が苦しい日々です、それでも主よ、私たちはあなたに祈り続けます。
 その祈り、特に自分達ではもはや解決出来そうにないわけですから、毎日が虚しいものであったでしょう。でもね、そのよう繰り返し、繰り返しの中で、いよいよ自分達の信仰が強められ、このことを通しても尚、主が働かれるときがやって来る、そのように信じて生きた人々も多かったことでしょう。

 そして、ついに、ペルシャという国が登場しバビロンを打ち負かし、自分達は帰還の希望が見えて来た、その喜びを、主なる神が、第2イザヤと呼ばれる預言者に伝えるのです。41章25節で、主なる神がイザヤに告げています。「わたしは北から人を振るい立たせ、彼は来る」というのです。「北からやって来るのは」ペルシャの国です。この国がバビロンを滅ぼし、イスラエルの民よ、希望が見えて来たというのです。その希望がはっきりと見えてきた、そんな時代です。「慰めよ、わたしの民を慰めよと、あなたたちの神は言われる。」まず、希望には何よりも慰めが必要だというのです。
 
 慰めとは何か、慰めとは「とりなして下さる方の力」だと言えるでしょう。とりなす力、具体的には「聖霊なる神」の働きです。主イエスが、弟子たちを前に、人々を前にしてこう告げて下さいました。「あなたがたは、わたしを愛しているならば、わたしの掟を守る。わたしは父にお願いしよう。父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにして下さる。この方は真理の霊である」と告げるのです。非常に有能な弁護士がいるとして、どんなに苦しい状況にあっても、尚、確かな助け手となるように、この方がいるのなら、この状況では、無理、難しいというと思えるそのような状況でも尚、希望が見えるよと告げて下さる方の力なのです。

 皆さん、艱難、自分ではいかんともしがたい状況が起こる時、自分の努力ではどうにもならないと思えると、何かが起こるのかというと、一方においてはそれでもなお、主に頼り、主に祈り、主への信仰にゆらぐことなく生きていける、そのような人がいることは確かです。けれど、また一方では、何ともならない思いを、誰にもその怒りや悩みの持って行きようがありませんから、ついには、誰を責めるかというと、自分を責めるようになる。なんで戦争に負けたかな、自分が弱気になったからだ。なんで最後まで祈れなかったのかなぁ、自分が諦めたからだな。なんで病気になったかな、あの時、薄着で歩いたからな、毎日手を洗って、うがいしていたら大丈夫だっただろうに。そうやってどんどん、自分を責めて、責めて、それで何とか納得しようとするといいますか、折り合いをつけるようとするのです。

 天上に向って、ツバを飛ばすと、自分に帰って来るように、そうだからなと思う。自分で蒔いた種は、自分で刈り取るという御言葉がありますが、これはだから良い種を蒔けば、収穫も多いよという教えですけれど、悪い種を蒔いたから、それも自分が刈り取らねばと思ってしまう。
 
 いつの世でも、つまり現代もまた、決して良い時代ではないと言われます。なぜ、そう言われるのか、私は究極的には、この世にあまりにも沢山の自分で自分を責めている人がいるからではないかと、最近すごく思うようになってきました。この事は子どもに対する教育や、道徳観や、宗教観にまでも広がっていて、自分を責めて折り合いを付けようとするのです。自分で解決するのはそうするしかないと思ってしまうのです。そうやって自分を責めていると、結局は自分が持ちませんから、自分を責めるその量でもって、相手を責めるのです。だkら、状況はもっと悪くなっていくことにもなりかねません。

 慰めとは、そうじゃない、あなたは悪くない、あなたが悪いのではない、それどころか、あなたが置かれている状況では、あなたはあなたの最善を尽くしていた、あなたは本当に頑張っていたよ、そう言ってとりなして下さる方がおられる。それが聖霊の力ですよ。もうダメだ、無無理だという思いに支配されている自分に対して、でも、大丈夫。
 
 このことを通しても、私はあなたを責めることをしないし、あなたが精一杯であることを良く分かっている。だから、あなたはあなたの心に支配されないで、自分の方向ではなく、私の方向に、その姿勢を正し、主なる神に向かえと主なる神はイザヤを通して、イスラエルの民に、そして、私たちに語りかけるのです。

 主なる神は、そのとりなしの証として、何を示して下さるのか、続くイザヤ書の40章3節ではこう記されます。「呼びかける声がある。主のために、荒れ野に道を備え 私たちの神のために、荒れ野に広い道を通せ。谷はすべて身を起こし、山と丘は身を低くせよ、険しい道は平らに、狭い道は広い谷となれ、主の栄光がこうして現れるのを 肉なる者は共に見る。」

 荒れ野に道を備えて下さる方が現れるというのです。そのような栄光を見る日がやってくるというのです。何年も、何年も祈って来た、願って来たその試練を越えて、「草は彼、花はしぼむが、わたしたちの神は言葉はとこしえに立つ」その日がやってくるというのです。

 皆さん、この荒れ野は、イスラエルの民にとってみれば、まさにバビロンと、自分達の故郷との間にある道であったでしょう。山あり、谷あり、道なき道であり、そして、帰るにも、帰れないと思われる道、それこそが試練です。でも、その道をまっすぐにする者が現れる、この時、イザヤは何を預言したのか、あなたがたは帰ってもいいよと言ってくれる支配者が現れると預言したことは確かでしょう。
 
 けれど、新約聖書の時代となって、主イエス・キリストを指し示す洗礼者ヨハネが現れた時にも、この言葉が示されました。ヨハネは真の救い主である主イエスに向かう民の為に、その道を整ええ、その道筋をまっすぐにするものとして人々の前に現われました。「私は水であなたたちに洗礼を授けたが、その方は聖霊で洗礼をお授けになる」とヨハネは語りました。
 
 聖霊で、すなわち、あなたに本当の慰めを届けるために、主イエスに向かうその道を、艱難だ、試練だと思っているだろうその道を、私は整え、そして、あなたがたは確かな慰めを受けることが出来ると宣言したのです。

 皆さん、私たちの人生に、主なる神がいつも共におられ、確かな慰めを与えて下さる為に、御子イエスはこの世に誕生して下さいました。ローマの支配の中で、苦しんでいる人々、弱っている人々の為に、そして現代を生きながら、神を見失ってしまいそうになっている私達の為に、自分ではなんともしがたいと思っている私達の人生の上に、確かな希望の光として、御子イエスは誕生して下さいました。だから、私たちはしっかりと主なる神から慰めを受けて、そして神様に感謝して生きていける。希望をもって、いつまでも、何度でも神の祝福を受け取ることが出来るのです。そのような恵みに私たちは、この週も共々に過ごして参りましょう。お祈りします。


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いつも共におられる

2017-12-08 10:30:21 | 礼拝説教

【マルコによる福音書13章21~37節】
【テサロニケの信徒への手紙一 5章1~11節】


 本日から、待降節、アドベントに入りました。アドベントとは、「到来」あるいは「来臨」という意味があります。
アドベント・クランツは古くから緑の葉が希望を、赤はキリストの十字架の血のあがないを、白は信仰と言われているそうです。
 希望と、主の血のあがないと、そして私達の信仰とを心に持ちつつ、私達はこのアドベントの期間を過ごして参りたいと思います。今年も素敵なクランツをね、子どもの教会にお子さん二人と一緒にやって来られるFさんの実家が花屋さんで、Fさんのお父さんが特別に作って下さいました。
 
 そのアドベントの最初の日、今日も聖書箇所を三か所読んで頂きしたが、この三か所に共通していると思われるテーマは「主イエス・キリストの再臨」です。主イエスは再び私たちの所へ来られますよ。勿論、今もね、主の聖霊という力が働いておられるわけですが、でも、もっとはっきりと主イエスの再臨は近いと私たちに伝えておられる箇所だと思わされます。
 
 とはいえ、なぜ、クリスマスを前にして、主イエスの再臨の聖書箇所を第一アドベントの礼拝で読まれるのか?
 私たちの教会の礼拝は日本基督教団で指定している聖書日課に基づいて聖書箇所を選ぶのですが、アドベントの第一主日に付けられている題は「主の来臨の希望」です。御子イエスの誕生を喜ぶ、この時期、そのアドベントの最初に、主の再臨の箇所を読む。どうしてそうなのか?今日のこの礼拝を準備しながら改めて思いました。実際は11月の役員会には、私は12月の聖書箇所と、説教題を提出しなければなりませんから、その時からずっと悩んでいると言ってもよいかもしれません。

 けれど、考えていくうちに少しずつ理解してきたことは、例えばマルコによる福音書の13章32節からの箇所を読みますと、「その日、その時は、誰も知らない。天使たちも子も知らない。父だけがご存じである。気をつけて目を覚ましていなさい。」とあります。その後も「目を覚ましていなさい。」「目を覚ましていなさい」と4回、続けざまに記されていることが分かります。主イエスの再臨の時はいつか?誰もわからない、だから目を覚ます、目を覚ますという意味は、信仰を守り続けなさいということでもあるでしょう。

 ある牧師はこの「目を覚ます」と言う言葉は、「心を配る」という意味を持っていると説明しておりました。なるほどそうかと思いました。先週の主の日は毎年恒例のアドベント前の大掃除の日でありまして、礼拝後壮年会の皆さんがそれこそ心を配って作って下さったカレーを頂いて、その御、集まって下さった皆さんと一緒に会堂の大掃除を行いました。天候にも恵まれて、願っていた礼拝堂やら集会室のワックスがけまで行えましてホッとしております。
 外ではクリスマスイルミネーションも飾られて本当に素敵に出来ました。皆さんのそのような心配りの中で、今日のアドベント礼拝が行われていることは感謝なことだと思います。
 
 この年の教会を振り返りまして、今年の教会は何か、行事がとても多かったように感じます。8月の夏の期間が過ぎて、9月、10月、11月と、先日の幼稚園、教会のバザーに至るまで、まるで一連の行事が立て続けにあるかのように行われたようにも思います。私自身、学びと交わりの準備やら、思いがけなくI兄が天に召されて葬儀が執り行うこともありましたし、座間男声コーラスによるチャペルコンサートや、牧師館の家庭集会、召天者記念礼拝、仕上げにバザーでたこ焼きを焼いて(笑)そして大掃除。疲れがあるわけではありませんが、やっぱり少し忙しかったかなと思います。

 それでも、先週の一週間はどうしても気になっていたことがありまして、それは、日ごろ教会に来られていない教会員の方々に対する心配りです。忙しい、忙しいと思いながら、特にクリスマス前になりますと本当に大切なことに対して、目を覚ましていられないものだと改めて思わされました。それで、先週から少しずつでも、クリスマスに向けて、週報を届けながら、消息を尋ねながら訪問をと願っています。でも、いつでもきっとこれで良くやっていると思える時は来ないだろうとも思います。

 主イエスが、弟子たちに何度も何度も告げた言葉は「目を覚ましていなさい」という言葉でした。あの最後の晩餐が終わり、弟子たちと共にゲッセマネに移って、祈りをささげておられるときに、弟子たちは我慢できずに、眠りこけてしまいました。主は一度、二度、三度と起こされましたが、三度目には「もう、良い」と言われてしまう程でした。
 
 主イエスが何度も何度も、目を覚ましていなさい、心を配りなさいと教えられても、私たちも、弟子たちと一緒で、いつも完全に守ることは出来ないものだと思います。むしろ、いつも足りないし、欠けがありますし、不足しているのだと思います。でも、それは仕方のないことなのでしょうか?止む終えないことなのでしょうか?

 そんな思いを持って今日与えられた二つ目の聖書箇所であるテサロニケの信徒への手紙を読んでみました。378頁です。5章1節から読んで頂きましたがその中の、5章10節の御言葉に目が止まりました。こう記されています。「主は、私たちのために死なれましたが、それは、わたしたちが、目覚めていても眠っていても、主と共に生きるようになるためです。」という御言葉です。

 ここに「目覚めていても、眠っていても」とあります。それは人が一生懸命に目覚めていよう、心配りをしよう、頑張ろうと願っている時も、そんな思いを持ちながらも、実際は別の事柄に心が向いたり、あるいは疲れを覚えたり、あるいは力が出なかったり、病気になったり、すなわちあたかも眠っているかのような時でも、「目覚めていても、眠っていても」どんな時も、「主と共に生きることが出来る」とあるのです。
 なぜ、そうなのか、父なる神が、御子イエスをこの世に誕生させる決意をされたからだと思います。もともと、この世界は天地万物を造られた神のものです。私たちのものではありません。その神の守りと支えの中で、私たちは感謝しながら生きていかなければならないのに、いつの間にか人は人と争い、自然を破壊し、神に背いて生きるようになりました。けれど、そのような人間を見て、主なる神が決心したのは、9節に「神は、わたしたちを怒りに定められたのではなく、わたしたちの主イエス・キリストによる救いに預からせるように定められたのです。」とありますように、神の怒りによる私たちの滅びではなく、その全く逆の、主イエス・キリストによる救いなのです。

 その救いの御計画として、御子イエスの誕生があるのだと思います。御子イエスの誕生によって、私たちがどうだからということを越えて、私たちが目覚めていても、眠っていても、つまり、どんな時も、主が共におられよう決心された。それは、私たちが生きていても、召された後もです。まさにいつもです。 
 だから、このアドベントの最初の主日に、礼拝において主の再臨の約束の箇所が読まれるのではないのかと、私は思わされました。

 主がいつも共にいて下さる。この思いは私達を喜びへ、希望へ、感謝へと導きます。
 
 クリスマスの最初の出来事として、おとめマリアの下に天の使いガブリエルが現れます。「おめでとう、恵まれた方、主があなたと共におられる。」これが天使の最初の言葉でした。しかし、マリアはこの言葉に不安と恐れを感じました。天使は続けます。「マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい。その子は偉大な人になり、いと高き方の子と言われる。神である主は、彼に父ダビデの王座を下さる」
 
 マリアは驚き、戸惑いを示しますけれど、しかし最後に決心してこう天使に告げました。「私は主のはしためです。お言葉どおり、この身になりますように。」
 今週の土曜日は早くも、さがみ野ホームでクリスマス礼拝が行われます。ですから、二日前のさがみ野ホームの礼拝では、このマリアの箇所を話しました。

 皆さん、どうして、神様はマリアを主イエスの母親として選んだのでしょうか。聖書にはその理由はなにも書かれてありません。でも、宝くじとかビンゴのようにしてあてずっぽうに神様がマリアを選んだとも思えません。けれど、マリアはその村一番の器量よしであったとか、抜群の頭脳を持っていたとか、王女様だったとか何も記されていません。でも、神様はマリアを選ばれた、どうしてでしょうか。勿論、その答えは聖書にもありませんから、想像するしかありませんが、私はマリアが色々な抵抗を試みるも、最後には「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように」と言える女性であったことを神様は御存じだったからではないかと思います、とお話しました。

 神様の思いがこの身になりますようにとは中々言えないものではないでしょうか。例えば自分がナザレという小さな村に生まれてきたこと、女性として生まれてきたこと、その時代に生まれてきたこと、そういった本来、自分ではどうしようもなく、自分で選ぶことすらも出来ない、私たちは実際、自分の親を選ぶことも出来なければ、親からすれば子を選ぶことも出来ませんし、どの時代の、どのような社会状況に産まれて来るかによって、人の人生は大きく変わるものだとも思います。

 けれど、そのような与えられた状況をマリアは受け入れて育ち、それを喜んでいたのではないかと思う、要するに、マリアは自分のことが、良い意味で、自分が好きだったのではないかと思いますよ、と話しました。

 私たちは案外、自分のことが好きになれなかったりします。もう少し、背が高かったらとか、お金がもう少しあったらとか、もう少し頭が良かったらとか、この病気さえなかったらと思ったりするのではないでしょうか。そして、案外、自分で自分のことを嫌いだなと思ったりするのではないでしょうか。こんな自分でなかったらな、そう思うのは特に、思春期から10代、20代の青年と呼ばれる世代に多くにみられる傾向だとも言えますが、それだけでもなくて、結局のところ幾つになっても、自分を好きになれない、自分が嫌だと思っている人は案外少なくありません。なぜ、そうなのか、一言で言えば比べるからです。比べながら、人より良かったら嬉しいし、人より悪かったら悔しいのです。

 何か当たり前のことと感じるほどに、私たちは比べながら喜んだり、悲しんだりしています。でも、だからいつも不安があるのです。だから、主なる神との出会いが必要なのです。人と比べながらではなく、自分ならではの生き方、自分ならではの人生を生きていこう。いや、生きていける、なぜなら、「目覚めていても、眠っていても」主が私たちと共におられるからです。マリアも、自分ならではの人生を神様から与えられたことを受け入れて、「お言葉どおりこの身になりますように」と告げたのだと思います。

 今、宮城県で知事をしている村井嘉浩さんと言いますが、2005年から12年目となっています。この村井知事は二か月前の宮城県の知事選に出馬しまして、宮城県史上最高の得票数で当選したとありました。その政治的な立場はどうなのか私は知りませんが、県民から圧倒的な支持があったのだと思います。その村井知事がですね、ある時、私が尊敬する山形県で牧師をしておられる先生がおられるのですが、その先生と村井知事が知り合いで、ある時、ある時というのは、あの東日本大震災から凡そ一年後のことのようです。新幹線に一緒に乗り合わせ、それで話をしたというのです。

 何を話したのか、2011年3月の東日本大震災で、宮城県の海沿いは、地震と津波と原発の被害もあったでしょう。とにかく壊滅的な打撃を受けました。
村井知事もどうした良いか分からず、復興会議の為に、多くの人と話をする相談する中で、あの更に数年前に起こった、阪神淡路大震災の時の、神戸の指導者に話を聞いたそうです。
 その神戸の指導者の方が言うには、地震の後なんとか、地震前の姿に戻そうと頑張って、頑張って10年かけて、元の姿になったというのです。でも、その時にわかったのは、その10年で神戸に船がやって来なくなっていたと言われたそうです。なぜか、10年の間に、もっと国際的な港が、更に進歩して、神戸は10年かけてもとに戻しましたからね、どうしても遅れを取ってしまったからと言われたそうです。だから、先生よ、私は先生がいつも話されている、どんなことをも宝として、これぞ宝として生きていきなさいという言葉を思い出して、この地震があったから宮城県はもっとずっと良くなったと言われるように頑張りたいと言ったそうです。

 だからね、皆さん、村井知事に信仰があるのかどうか私は分かりませんが、でも、このことがあっても、あのことがあっても、「お言葉どおりこの身になりますように」この事を通して、私の人生を、あなたの宝として下さい。私はいつもあなたが共にいて下ることを知っていますからと私たちも生きていきたいものだと思います。マリアのこの決心から神様のご計画が動き出したように、私たちの人生も、私たちの決心で私たちの人生が動き出します。その人生に主が共におられる、そのことを信じて、このアドベント過ごして参りましょう。

                                                    
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