日本キリスト教団 大塚平安教会 

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折が良くても 悪くても

2017-12-24 16:32:03 | 礼拝説教
【テモテへの手紙3章10~4章5節】
【マルコによる福音書7章5~13節】

「折が良くても、悪くても」

 今日はテモテの手紙と言う箇所を読みました。テモテはパウロの一番弟子とも言える人物で、また伝道旅行においては苦労を共にした仲間でもあります。 

 けれど、今日読みましたテモテへの手紙が記されている背景としては、まずパウロが手紙を記した場所は恐らくローマです。既にパウロは捕らえられてローマの牢獄にいて、テモテは、恐らくエフェソの教会の牧師として仕えていたと思われます。そのような背景の下で、記された手紙名のではないかと思います。

 手紙の内容から分かりますことは、何よりもパウロに対するユダヤ教やローマ、つまり、敵からも、味方と思っていた人々からも迫害があり、幾度も命を落としそうになったように、エフェソの教会に対する様々な迫害があったのではないかと思われます。迫害の中で何が起こったのか、1章15節には「あなたも知っているように,アジア州の人々は皆、わたしから離れ去りました。」とあります。パウロが思いがけなくも捕らえられたことは、パウロを慕う人々からすれば、ひどくショックで、また、大きな動揺が走ったことでしょう。またあるいはパウロの伝える御言葉に疑いを持つ人々もいたと思われます。
 
 あるいは、もともと教会に対して、良い印象を持たないユダヤ教徒や、パウロを憎いと思っていた人々は、逆に力を得て、教会に対して様々な迫害や嫌がらせを行ったのではないかとも思われます。
 そんな状況を知るにつれて、パウロは自分の身よりも、テモテとその教会を案じて、実に細やかに気を配り、また、励まし、力づける手紙を記しました。それがこのテモテへの手紙です。内容から牧会書簡とも呼ばれます。

 4章1節から読みますがこうあります。「神の御前で、そして、生きている者と死んだ者を裁くために来られるキリスト・イエスの御前で、その出現とその御国とを思いつつ、厳かに命じます。御言葉を宣べ伝えなさい。折が良くとも悪くても励みなさい。」

 この「折が良くても、悪くても」という御言葉を読みますと、私は吉川文子牧師のことを思い出します。吉川文子先生は、私が1995年に赴任した花巻教会の前任の先生でした。昨年の10月に84歳で召されまして、先日神学校の同窓会報に私が吉川先生の思い出の文章を書かせて頂きました。とても小柄で柔らかな印象を保ちながら、尚、毅然とした態度を持っている先生でした。私が赴任してからの2年間を一緒に礼拝を守り、聖餐式を執り行って下さり、2年後に、私が正教師試験に合格した時と重ねるようにして、ご自身は隠退され、尚、花巻に住まわれて、礼拝を守りながら後も色々と助けて下さいました。
特に一緒に過ごした2年間の中で吉川先生が教会の礼拝で説教された、その中で幾度も登場する御言葉がこの「折が良くても、悪くても」という御言葉でした。
けれど、その御言葉を聞く度に、私が心に感じたのは、吉川先生は、今、この教会は「折が良いと思っているのだろうか、悪いと思っているのだろうか」という思いでした。
 
 花巻教会の教会80年誌という冊子があります。今から凡そ30年前の1988年に出されたものです。吉川先生は1973年に花巻に来られましたので、それから15年経った頃に発行されています。時おりその本を読んでみては懐かしい名前を見つけたりもしますが、一つ思いますのは花巻教会の礼拝出席人数や教会会計が一つのピークを迎えているのが1980年代後半です。この年代は、日本がいわゆるバブル景気に喜んでいた時代と重なります。バブルがはじけたと言われる年は、1990年と言われます。それから日本は不景気の時代となっていくわけですが、教会のピークと日本の経済と、どのように関わりがあるのか、無いのか、ここでどうこう言えるものでもないと思いますけれど、全く関係無いとも言えないと思います。

 因みに大塚平安教会の一つのピークと思われる年代は1990年代前半です。記録によりますとバブルがはじけてから3年後、4年後あたりがピークとなっているかなと感じます。でも、大塚平安教会はこれから本当のピークを迎えますから、是非、御期待下さい。(笑)

 吉川先生は60歳前半で隠退されました。既にその時、持病をお持ちで、幾度か入退院を繰り返し、あまり無理出来ないお体になっていたこともあったと思いますが、そういう意味でも、御自分の体のピークや、当時の教会の一つのピークと思える時期を過ぎて、宣教や伝道に悩みを感じておられたのかもしれません。その為にも、まさに折を見て、御自分が身を引いて、新しい牧師を願っておられました。

 そんなことを考えますと、どうも「折が良くとも、悪くとも」という御言葉は、何か良い時、良い時代に用いられるというよりは、あまり良くない時代、伝道が上手くいかなくなっているようなタイミングの時に、用いられる御言葉ではないのかとも思います。

 パウロ自身も、捕らえられローマに連行され、このテモテへの手紙は牧会書簡だと言われますが、もう一つは、パウロのテモテにあてた遺書のようなものとも言われます。パウロの処刑はもう目前に迫っていました。テモテの教会も、迫害との戦いがありました。頼りのパウロも捕らえられている、そんな状況の中、教会に集う人々の足も鈍り、人が減っていたのかもしれません。まさに折が悪いのです。でも、だからこそ、パウロはテモテに伝えたいことがありました。それが「御言葉を宣べ伝えなさい」という一言です。

折が良くても、悪くても、御言葉を宣べ伝えなさい。そのことに励みなさいと伝えます。

 最もパウロは、聖書の中で、今は折が悪いからと記したわけでもありません。「折が良くても、悪くても」と伝えました。折が良い、悪いという言葉は、日本語として洗練されている言葉だと思いますが、英語の聖書では、in season and out of season となっています。in seasonとは今が旬、一番美味しい季節ということだろう、out of seasonとは時期はずれということでしょう。昔、そう理解して読んでいたことがありましたが、ふと気になって辞書を見てみましたら、ちゃんと熟語として出ておりました。「明けても暮れても」という意味だとありました。「明けても暮れても」、いつも、どんな状況にあってもということです。

 どんなにか辛いなと思う、苦しいなと感じる、でもどんな時も、あなたの心にとっても、相手の心にとって福音となる、良き訪れの言葉を、御言葉を宣べ伝える者となりなさいと言うことだと思うのです。
 
 その通りだなと思いますが、けれど、どうでしょうか、私たちはやっぱり、「物にはタイミングがある」と考えたりします。「物には順序というものもある」と言ったりします。だから大切なのは「折をみること」だと話したりもするのです。けれど多くの場合、その「折」は決してやって来ません。だからやっぱり、「状況ではない」と伝えているのではないでしょうか。
 
 テモテの父親はギリシャ人、母親はユダヤ人でした。それ故にユダヤ教を熱心に学ぶとしても、純粋な血筋を重んじるユダヤ教では、テモテはいつも辛い思いをしていたのではないかとも思います。けれど、パウロとの出会いがテモテを変えました。なぜテモテは変わることが出来たのか、それはパウロが御言葉を宣べ伝えたからでしょう。どんな御言葉を伝えたのか?具体的な御言葉として記されているわけではありません。でも、私は思います。パウロはテモテに対して、あなたはユダヤ教を信じ、ユダヤ人として、誰よりもユダヤ人として生きようとして辛い思いをしていたのではないのか、テモテよ、もうユダヤ人らしく生きようとしなくても良い、テモテよ、あなたはあなたのそのままで素晴らしいのだから、テモテよ、あなたはテモテならではの人生を生きることだと伝えたのではないかと思うのです。

 私たちは、人は、なんとかそれらしく生きようと頑張ります。牧師は牧師らしく生きることが大切だと私は先輩の牧師から教わりました。でも牧師らしいとはどういう生き方でしょうか。牧師に限らず、医者は医者らしく、学校の先生は先生らしく、学生は学生らしく、女性は女性らしく、日本人は日本人らしくあれ、と直接言葉で言うことはないかもしれませんが、私たちは心でそのように思っている所があるのではないでしょうか。そのようにして育てられ、いつのまにか、そのようにして子どもや、後輩を育てているのかもしれません。

 もし、信仰を持っている者は、信仰をもっている者らしく生きることだと言われて、自分はそんな風には生きられないと嘆いている方がいるとしたら、そんな自分を苦しめる「らしさ」は止めてしまうことです。それは主なる神の御言葉とはなりません。

 もともと、主イエスがファリサイ派や律法学者から嫌われ、また狙われていたのは、主イエスがユダヤ教徒らしい生き方をされなかったからです。マルコによる福音書の7章を読みましたが、その個所は主イエスがファリサイ派、律法学者と激しいやり取りをしている箇所の一つです。昔の時代から言い伝えられている決まり事を、あたかも軽く、主イエスが、また弟子たちが乗り越えてしまうのがとても気に入らないのです。どうしてあなたがたは、昔からの伝統、言いつけを守らないのか、ユダヤ教徒らしい生き方をしないのかと責められている箇所です。それに対して、主イエスは、あなたがたこそ「ユダヤ教徒らしい」生き方を人々に迫りながら、受け継いだ神の本当の思いを無にしているのは、あなた方の方だと強く訴えている箇所でもあります。

 私たちは、いつの時にか、この状況の中で、この状況に合うように、この状況に応じるように、世間の目から見て、何も恥ずかしいことが無いように、非難されることがないようにと、あたかも「らしい」という鋳型があって、その鋳型に流し込まれていくような生き方を生きようとしているところがあるのではないでしょうか。そしてその鋳型からはみ出ているところは、やすりで削られ、あるいは切り落とされ、あるいは無理やり引っ張られて、まことに苦痛の伴う生き方を生かされているのではないでしょうか。神の御言葉とは、そのような鋳型にはまれと言っているのではなく、鋳型からの解放だと私は思います。

 「らしい」生き方ではなく、状況を考えながら、折を見ながらではなく、いつでも、どんな時でも、明けても暮れても、「あなたならでは」の生き方を生きていきなさい。それが主イエス・キリストの大いなる福音なのだとパウロはテモテに、そして私たちにもそのように告げているのではないでしょうか。
 
 昨日の土曜日は、午前はさがみ野ホームでのクリスマス、午後からは幼稚園の母親クリスマスが行われました。沢山の方々がこの礼拝堂に集まりクリスマス礼拝を守りました。母親クリスマスの話の中で、岩崎多恵さんと言う方を紹介しました。奈良県の山奥に産まれ、それでもささやかな幸せを生きていた多恵さんでしたが、父親が知人の借金の保証人となり、しかし、その知人が逃げてしまったというのです。結局は、多くの借金を抱え、家族5人で、借金返済の為に一生懸命に働いたそうです。多恵さんも素敵な大学生、キャンパスライフのはずが、地下足袋はいて、奈良の山奥で土木作業員として働いて27歳になるまで、返済し続けてついに完済致しました。家族で祝杯を挙げて大喜びしたその数か月後、家が火事となり、お父さんは大やけどを負い、生死をさまよい、手足を失い、でも奇跡的に命は助かるのですが、更に一年半ほどで、召されて行くのです。
 
 元々、キリスト教の信仰に支えられていた家族だったそうですが、多恵さんは祈りました。神様、なぜ、私の家だけがこんなに苦しい思いをして生きていかなければならないのですか?一生懸命に祈って、与えられた答えが、自分ならでは人生を生きていこうという決意です。多額の借金を負って、そして返済できたことが逆に自信となって、自分が社長となって会社を興していくのです。誰もが反対しました。それはあなたらしくない。世の中はそんなに甘くない、あなたはおめでたいやつだ、そうやって世の人は、知識があり、世の中を知っていると思ている人々から、手も足もがんじがらめにされたようです。
 
 誰もが反対する中で、でも多恵さんはやり遂げました。銀座に会社を置くほどになったそうです。皆さん、これは成功者の話ではありません。自分ならではの人生を生きようと決意をした人の話です。私たちも主なる神から、主イエス・キリストがどんな時でも、神の御言葉に生きる者として生かして下さいます。そのようにして、あなたならではの命を生きていけ、と告げるために、御子イエスはこの世の誕生して下さいました。クリスマスはもうすぐです。感謝して今週も過ごしてまいりましょう。

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