日本キリスト教団 大塚平安教会  

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一つの世界を生きる

2018-10-13 19:04:44 | 礼拝説教
【申命記31章6節】
【エフェソによる福音書4章1~7節】

 旧約聖書の申命記31章6節という箇所を読んで頂きました。創世記から始まる旧約聖書は、主なる神とイスラエルの歴史が記されています。

 創世記12章で、主なる神がアブラハムに声を掛けた。「アブラハムよ、あなたは私が示す土地に行きなさい」その言葉に従って旅立ったアブラハム。このアブラハムにイサクという独り子が誕生し、イサクからヤコブが、ヤコブから12人の子どもたちが誕生して、その12人の子ども達の名前が後のイスラエルの12部族の名前となり、イスラエルは部族連合国として国を築くことになるわけですが、しかしその前に、イスラエルには一つの試練が与えられ、400年間、エジプトの土地に住み、ついには奴隷とされてしまうという歴史を持っています。

 その時、イスラエルの民は主なる神に助けを叫び祈り求めたところ、神から遣わされた指導者モーセが現れて、「イスラエルの民よ、400年前に、正確には430年前に私たちが住んでいた土地、主がアブラハムに与えた土地に帰ろう。」と呼びかけます。けれどエジプトの王は奴隷のイスラエル人に出て行ってもらっても困るし、ということで、中々、許しが出ないのですけれど、主なる神の助けと、導きの中で、ついにエジプトを出ることになりました。

 モーセに率いられた民は壮年男性だけで60万人であったと記されています。ですから、女性もいたでしょう、子どももいたでしょう。壮年ではない男性もいたでしょう。更にその他にもイスラエル人ではない奴隷にされていた人々もいたとありますし、牛、羊、家畜も随分といたことでしょう。ものすごく大きな大所帯でもって、エジプトを出発するのです。総リーダーはモーセです。
 
 そして、目指す所のもとの自分達の土地、カナンの土地と呼ばれる土地に、2年かけて到着するのです。しかし、その時にはカナンの土地に入ることが出来ませんでした。そこで更に主なる神が、イスラエルの人々の信仰の訓練の為にという思いもあったでしょうか。それから更に38年の間人々は天幕生活をし、荒ら野の旅をして、ついに、再びカナンの土地に到着することになります。けれど、その時、モーセは120歳となっていて、40年という年月がどういう年月かというと、エジプトを出た第1世代の人々ではなく、ほぼ全ての人々が第2世代の人々であったというのです。

 人生とは旅だとも言われます。子どもが生まれれば元気に育てよと願う、しかし、3歳、4歳となれば幼稚園に入って、皆と上手くやって行けるだろうかと願う、小学校に入れば、勉強は上手くできるだろうかと願う、学校を出て就職すれば、仕事が上手く行って欲しいと願う、その後は良い伴侶が与えられるだろかと願う、家庭を築けば、夫婦仲良く過ごすだろうか、孫は与えられるであろうとかと願う、私たちの人生の旅は、行く当てもなく、放浪の旅ではありません。その時、その時、その時代、その時代に与えられている目標、目的を持っての旅なのです。一つ一つを乗り越えるようにして、人生という旅が続けられるのだとも思います。イスラエルの人々の40年の旅も、目的はカナンの土地に向かって、そして、そのためには人々が一つとなって、その時、その時に与えられた試練を乗り越えつつ進んで来たことでしょう。
 
 そして、いよいよこの目の前のヨルダン川を渡れば、目的地であるカナンの土地となったところで、モーセは、人々を集めて、イスラエルの人々に対して、また、次のリーダーとなるヨシュアに対して、言葉を語り掛けた箇所が先ほど読まれたわけです。モーセは正直に告げています。イスラエルの民よ、このヨルダン川を渡れば、神が祝福として私たちに与えて下さるカナンの土地である。今、主ご自身があなたがたに先立って渡って下さると告げる。しかし、次に、「これらの国々を滅ぼして、得させてくださる」と続くのです。

 神の与えて下さる土地を、イスラエルの民は400年以上に亘って留守にしていました。400年前と言えば、現代で考えるとすれば1600年という時代ですよ。戦国時代がやっと終わりを告げて江戸時代になろうとしている時代、その時代にはこの土地は自分達の土地だったから返してくれと今住んでいる人々に言っても、そうですかと譲ってくれるわけがない。ですから、川を渡る前も大きな試練を、乗り越え乗り越えて来たけれど、川を渡った後は良かったね、で済むわけでもなく、これからも土地の問題で、試練があるだろうというのです。

 実際に、申命記の後にヨシュア記という箇所がありますけれど、そこに記されているのは、土地の侵入と、そこに少なくとも400年は住んでいる人々との争い毎になるわけです。
 ヨシュア記3章(10節)にはどんな人々が住んでいたのかが記されていますが、カナン人、ヘト人、ヒビ人、ペリジ人、ギルガル人、アモリ人、エブス人、こういった人々が住み、生活していました。しかもどの部族も皆強いというのです。

 先ほども申しましたが、出エジプトの出来事から2年経って、一度はカナンの土地に着いたのです。その時モーセはカナンの土地を探るために、12人の斥候を出して偵察させた。12人が密かにカナンの土地に入って行って、見たら、なんと、どの民族も強く、また大きかったというのです。その時、12人中、10人がしり込みして、とてもカナンの土地に入っていくのは無理だと言ったのです。2人だけが行きましょう、私たちならこの試練をも乗り越えられると言ったのが、ユダ族のカレブと、モーセの後の指導者となるエフライム族のヨシュア、この二人。でも残りの10人は「無理です。向こうは巨人のように見えたし、自分達はまるでイナゴのように弱い」と告げたのです。ですから10対2ですからね、無理という判断となった。でも、よく考えると、到着したのに入らないですからね。それならなぜエジプトを出て来たのか、何のためにエジプトを出て来たのか、意味がわからなくなります。

 ここで何が起こっていたのかというと、イスラエルの民は、エジプトでの奴隷の生活に耐えかねて、神に助けを叫び求めました。その声を聞いた神はモーセを指導者として一緒に出エジプトを果たしたのです。でもね、エジプトを出たのは良いけれど、出てみると、食べる物はない、飲む者はない、荒ら野の過酷な生活、彼らは思いました。奴隷だったけど、エジプトでは食べる物も飲む物も屋根のある家もあった。あの奴隷の方が今よりまだましだった、一体どれほどそう思い、そう愚痴を言って、モーセを困らせたことか、聖書に沢山記してあります。昔の方が良かった。昔の方が楽しかった。 

 まだ、見てはいない、けれどこの先にある確かな神の祝福を望むのではなく、自分が過去に経験したあのこと、このことこっちのほうがまだましだと思う。自分が生きて来て経験したところの中で考えるからです。しかし、いつの間にか、それ以上の祝福を期待しなくなってしまう、つまりここで人々は信仰が問われていると言っても良いでしょう。

 侵入を諦めたイスラエルの民は、それから更に38年の間、荒ら野をさまよい、幕屋の生活をして過ごすことになります。それは主なる神の御計画でもありました。皆さん、なんで更に38年の生活を強いられたのか、それはあのエジプトを出た人々、あの時、奴隷だったけど、荒ら野よりはまだましだと過去のあのこと、このことを引きずって生きている人々が死んで、荒ら野の生活しか知らない、エジプトの生活がどうであったのかを知らない人々が、確かな将来を見て、神の祝福を信じて生きる人々が、そのような信仰を持つ人々へと変わるために必要な38年ではなかったかと思います。神は時を待ち続けたと言っても良いでしょう。

 そして、その時が今、やって来ている、ヨルダン川を前にしてモーセは人々を集めて告げました。

「強く、また雄々しくあれ。恐れてはならない。彼らのゆえにうろたえてはならない。あなたの神、主は、あなたと共に、歩まれる。あなたを見放すことも、見捨てられることもない。」モーセは万感の思いを込めて告げたと思います。「強く、また雄々しくあれ。」それは、何も無謀なことをしなさいとか、一か八かやってみなさいということとも全く違います。イスラエルの民よ、今私たちがこの荒れ野に40年生活した目的はなんであったのか。神が必ず祝福して下さると約束して下さっているこの目の前のカナンの土地へやってくる、その目的を持って40年の試練に耐えてきたではないか。その試練に耐えられるように、主なる神に、何度も何度も訓練を受け、経験を積んで、ここまで歩んで来たではないか、だからここでしり込みするのではなく、今こそ、「強く雄々しくあれ」と「うろたえてはならない」と主はモーセの口を通して民に告げるのです。

 私たちは神様ではありません。人間です。ですから何があるのかというと「迷い」があるのです。一つのことを決断する。そのためには迷うのです。それが私たちでしょう。そして、「迷い」は心を分裂させる力があるのです。

 昨日、土曜日に会堂の掃除の為に三人の方が会堂に見えて、掃除をして下さって、その後、お茶を飲んでおられたので、私もお茶の所だけ(笑)ご一緒したのですが、そのとき、この礼拝堂が完成して本当に良かったねという話をしてくださいました。会堂建築をして、献堂式を行って今年で3年目を迎えておりますけれど、色々な困難が確かにあったと思い起こしますが、しかし、そのような困難は、今のこの礼拝堂や建物をこの目で見ていますと、殆ど思い出すことはありません。

 そして何より良かったと思うのは、教会が新しい会堂を建てましょうとなると、多くの教会がそこでどれほど、迷いが出て、そして教会が荒れてしまう、荒れるだけでなく、争いの中で教会から離れていく、場合にはよっては二つに分裂してしまうような場合もあることを伺っていますし、私が前の教会におりました時にも、どれだけ会堂建築の話を繰り返し話したか、そして何度話しても少しも前に進まなかったことを思い起こします。

 けれど、大塚平安教会は殆ど迷いなく、会堂建築に向かうことが出来たと思います。その理由の一つには、東日本大震災という経験があったと思います。勿論、地震があって良かったなどとは決して言えないのですけれど、しかし、その為に、建物の状態が本当に危機的になったことは確かだと思います。

 けれど、地震がなかったとしても、建物としてはその役割を十分に果たし尽くしていたとも思います。古い会堂は週報の表紙の教会略史にも記されていますが、1968年6月に建てられたものです。当時の牧師であった乙幡和雄先生、また会堂建設委員長をされた佐竹正道兄を中心として、多くの苦労があったことが記念誌にも記されています。その年から考えますと、たまたまであろうと思いますけれど、丁度今年が50年目となります。正確には47年で新会堂が献堂されました。
 
 しかし、凡そ50年の間、会堂を中心として礼拝が守られ、信仰が受け継がれ、主なる神のみを頼りに大塚平安教会の歩みが続けられて参りました。今日は新約聖書からエフェソの信徒への手紙4章1節からを読んで頂きましたが、そこにはこうあります。2節から読みますが「その招きにふさわしく歩み、一切高ぶることなく、柔和で、寛容の心を持ちなさい。愛を持って互いに忍耐し、平和のきずなで結ばれて、霊による一致を保つように努めなさい。体は一つ、霊は一つです。それは、あなたがたが、一つの希望にあずかるようにと招かれているのと同じです。主は一人、信仰は一つ、洗礼は一つ、すべてのものの上にあり、すべてのものを通して働き、すべてのものの内におられます。」

 教会に集う一人一人は、平和のきずなの中で一致を守ること、つまり迷わないということでしょう。私たちは人間ですから様々な迷いの中を生きるとしても、主なる神に対して、神から与えられている信仰に対しての迷いがない、そして、いつも見えない希望に預かるようにと招いて下さる方を信じ、自分の人生を主にかけて、洗礼を受けられ、教会員となられて、教会の歴史が刻まれて来たのだと思います。

 新しい会堂が建てられた、それは前の会堂が十分に役割を果たしたと申しましたが、しかし、更にいうならば、神の御言葉をこの場所で「強く、雄々しくあれ。恐れてはならない」と言われる主に励まされて、これからの大塚平安教会の歴史を力強く築いていくためにも、迷わず、決心され一歩踏み出し、洗礼を受け、主なる神に対する信仰を受け継いでくださる方々の為にこそ、建てられたとも言えるでしょう。

 そのようなこれからの新しい一人一人と共に、皆主なる神のもとに一つとなりながら、私たちは共々に歩んで参りましょう。

 お祈りいたします。
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