日本キリスト教団 大塚平安教会 

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主の御言葉

2021-05-09 11:47:49 | 礼拝説教
【詩編110編1~7節】
【ルカによる福音書20章41~44節】


 今日は五月の第二日曜日です。週報にも記してありますが、「母の日」の礼拝となります。

既に多くの方がご存知のように、母の日と大塚平安教会とは、深い関わりがあります。幼稚園の門に、像が立てられています。ウイニフレッド・ドレーパー先生の像です。ドレーパー先生が幼子の手を引いています。像の台には石板がありまして、文字が記されています。
 
「信仰・希望・愛」と記され、その下にはマルコによる福音書から「子どもたちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである。」と記されています。
更にはドレーパー先生の簡単なプロフィールが記されています。ギデオン・ドレーパー宣教師夫妻の娘として日本で生まれ、昭和初期より神奈川県県央地域にてキリスト教の宣教活動に尽力し、現在の大塚平安教会の礎を築く。とあります。特にこの地域の子ども達を集めて託児所を開設し、幼児教育に目を注がれた様子が記されています。
 
 そのようなドレーパー先生の働きを偲びつつ、ドレーパー記念幼稚園が今から凡そ60年程前に、この地に誕生したわけですが、ウイニフレッド・ドレーパー先生のお母さんがマイラ・ドレーパー先生と言いまして、マイラ先生が青山学院で教えていた時代の、1913年、大正2年に、日本で初めて青山学院で母の日の礼拝を行い、「母の日」を伝えたと言われています。

 その娘がこの地域で子ども達を集め、子ども達に神様の愛を伝え、子ども達と共に遊び、過ごしてくださった。私達の教会の心の原風景ともなる場面ではないでしょうか。特に、ウイニフレッド・ドレーパー先生は日本で生まれ、日本育ちですから言葉の問題も殆ど無かったろうと思われます。

 当時としては大変珍しい、外国の若い女性が自分達の先生だと思うだけでも、子ども達はどんなにか誇らしかっただろうとも思います。残念ながら、その当時の記録と言えるような記録は残っていませんのでこれ以上のことは申し上げられませんが、ドレーパー先生のお働きは、子ども達と繋がるだけでもなく、地域の人々にも受け入れられ、良い関係を築き上げていったのではないでしょうか。

 毎月、幼稚園が「園だより」を発行していますが、園だよりに聖書の御言葉の欄を私が担っています。五月はヨハネの手紙3章から「神は愛である」という御言葉について記しました。
 私達の国、だけでもなく、今、世界中はコロナ禍の中で生きています。今のこの時代はこれから100年後、200年後、更にその先と、人類が新型コロナウィルスによって、実に多くの人々が感染し、何百万人もの人々が召され
て行ったと伝えられることになるでしょう。

 私達の国も、コロナ禍にあって、緊急事態宣言の延長が報道されました。思えば今年の1月、正月過ぎに緊急事態宣言が出され、それが3月末まで続き、終わって、ホッとしたのも束の間、4月末からまた緊急事態宣言となりました。私達の地域はギリギリ宣言下ではありませんが、厳しい状況は少しも変わりません。

 更に、宣言下、連日、行政のトップである大臣や知事が記者会見を開き、状況を話し、自粛を求めていますが、既に自粛疲れもあり、行政の言いなりばかりにもなれないと思う人たちも大勢いるように思います。どうしてなのか、法律をどうこうしようという動きも出ているようですが、スピードはのろく、この状況で、オリンピックは開催するのか、開催したとして、医療体制が確保できるのか、本当に開催できるのかどうか、不安要素が沢山あるように思われる。

 何がいけないのか、私は園だよりに、行政の「愛」が足りないのではないかと記しました。愛をもって国民に訴えかけているのかどうか、責任ある者の言葉、その行動に「愛」を感じることが出来るなら、私は、多くの人が我慢しましょうとなるのではないかと思うのです。どんなに言葉を並べるとしても、愛を感じなければ心に響いて来ないのではないか。でも、そこに愛を感じることが出来たなら、人々は愛に応えようとするのではないでしょうか。
 
 今日は詩編の110編を読みました。短い詩編です。短いですがこの詩編は、神を信じつつ、旧約聖書を読んでいた人々にとって、大切な詩編でありました。最初に「わが主に賜った主の御言葉」とあります。ここに主という言葉が二度使われていますから、私達には分かりにくいのですが、分かり易くするとすれば、「わが主人である王に賜った、主なる神の御言葉」となるようです。(永遠なる神の御言葉)とある。
 
 主なる神が、当時の王、タイトルが「ダビデの詩」とありますから、ダビデかもしれませんし、その子のソロモン王であるかもしれません。いずれにしてもその時代の王に、主なる神が伝えたのです。「わたしの右の座に就くがよい。わたしはあなたの敵を、あなたの足台としよう。」
 主なる神が、王を愛し、イスラエルの民を愛して、王よ、私はあなたといつも共にいる、という愛を示して下さった詩編として記されています。後の時代、主イエスを知る者にとって、更にこの詩編に登場する主なる王こそ、自分達のメシア、救い主である、主イエスであると読み直され、理解し直されて、それ故に更に人々に愛された詩編として110編があります。主なる神がいつも私達と共にいて下さるのだという安心と、神の祝福を感じる詩編でもあります。

 そのような神が遣わして下さった王としての主イエス、しかし、与えられた王としての立場、自分の地位を守るために、奔走する王ではなく、民を愛し、人々を愛して下さる王としての主イエス。私たちは主の祈りにおいては、「天にまします我らの父よ」と祈ります。神は父親のような人と連想出来ます。けれど一方においては、神の愛は、母の愛に似ているとも言われます。カトリック教会は、どの教会にいっても必ず主イエスの母、マリア像が置かれています。まことに優しそうな慈愛に満ちた顔立ちのマリアです。神の愛がマリアの姿と重なる、そのほうが分かり易いかもしれませんし、私はそれも許されると思います。許されると思いますが、そこで終わるのではなく、より一層マリアより生まれ、神の子として誕生された、主イエスの愛がどれだけ深く、慈しみに満ちているかを私達は知る必要があるのではないでしょうか。

 多くの皆さんがご存知のように、私の母は今、相模原市にある、といっても殆ど山梨県境にある病院に入院しています。昨年の暮れに骨折して入院して以来、コロナ禍の中で、数回しか会っていませんから、私のことを覚えているかどうか分かりません。

 今から8年程前に、岩手からやって来まして我が家の家族として一緒に過ごしてまいりました。認知症が進みまして、次第に世話をする、話をすることが大変でした。私自身が自分の母親だと思うと悲しくもなり、時には怒りも出て来るのです。でも、元気な頃の母を思い、母の愛を思い出しながら接してきました。
 けれど、ある時から、それだけでは世話が出来ないと気付いたのです。自分の母親だと思うと腹が立つのです。でも病気を患った一人の女性として世話をしないと自分の心が持たなくなると気付いた時がありました。母であることを忘れなければならないと気付いたのです。でも、そう思えた時に、とても自分が楽になりました。楽になり、話をしたり、世話をしたり、続けることが出来たのです。
 
 海よりも深い山よりも高い母の愛とも言います。でも、私は母の愛よりも、更に深い神の愛を思います。

 イザヤ書49章15節にこうあります。「女が自分の乳飲み子を忘れるであろうか。母親が自分の産んだ子を憐れまないであろうか。たとえ、女たちが忘れようとも わたしがあなたを忘れることは決してない。」

 神様の愛が、自分を捕らえ、神の愛が自分を捕まえていて下さっていたから、母を迎え入れ、母とも共に過ごすことが出来、世話をし続けられていると思います。勿論、教会の多くの皆さんにどれほど助けられたのは言うまでもありません。
 母がこれからどうなっていくか分かりませんが、最後の最後まで「生きてきて良かった」と思ってくれるならと願っています。

 私達もまた、主なる神の御前にあって、私達に与えられた人生を生き抜いて、神様、あなたの愛によって、私は生きてきました。私は生きて来て本当に良かったと、あなたが共にいてくださって本当に良かったと、祈れるように生きていきましょう。コロナ禍にあって、尚慎重に、でも、しっかりと希望をもって過ごして参りましょう。
 
 お祈りします。

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