日本キリスト教団 大塚平安教会  

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神の住まいとなる

2018-07-29 16:09:33 | 礼拝説教
【イザヤ書28章14~28節】
【エフェソの信徒への手紙2章14~22節】

 先週の礼拝に引き続きまして、エフェソの信徒への手紙2章の箇所を読んで頂きました。先週の礼拝では「二つのものを一つに」という説教題で話をさせて頂きましたが、14節に「キリストはわたしたちの平和であります。二つのものを一つにし、御自分の肉において敵意という隔ての壁を取り壊し、規則と戒律ずくめの律法を廃棄されました。」とあります。

 「敵意という隔ての壁」とは具体的には何を意味しているのでしょうか。少し前ですが7月9日の月曜日に、湘北地区の教師会がありました。高座渋谷教会で行われましたが、その教会の君島洋三郎先生が、教師会の全日の8日の日曜日、礼拝の後、古居みずえさんという、映画監督でもあり、ジャーナリストとしても活躍されている方をお招きして話を聞いた話しをして下さいました。

 古居さんのライフワークの一つは、イスラエルとパレスチナ問題のようです。ご自身がこれまで何度も直接足を運び、その目で見てビデオや写真にとり、現地で何が本当に起こっているのがを報告したり、映画にしていたりするのだそうです。 
 イスラエルとパレスチナの問題について、私自身詳細について理解しているわけではありません、特に政治的な話はいたしませんけれど、イスラエルはヘブライ語を話すユダヤ教徒の国、パレスチナはアラビア語を話すイスラム教徒の国、その二つの国が、いわば同じ、イスラエルという名の日本の四国程度の土地の中に住んでいる。そして、その土地がもともと自分達の土地であり、ここが自分達の元々の故郷だと主張し合っている状態です。

 聖書的な話をするとすれば、その争いは旧約聖書の世界、サウル王とかダビデ王の時代にまでさかのぼることが出来ます。イスラエル人とパレスチナ人、それぞれの主張があるわけですが、土地の問題だけを申しますと、調べた資料によりますと、第2次世界大戦直後の1947年には、パレスチナの領土が43%あったのが、それから60年以上経過した2012年には8%にまで縮小されているようです。現在はもっと少ないかもしれません。

 つまり、世界各国の様々な思惑とも重なり、多くのパレスチナ人は家も土地も失い、難民が増え続けている状態と言えるでしょう。しかも、古居みずえさんの報告によれば、つい最近、数か月前に、パレスチナ地域に住んでいる若者たちが、武器なし、非武装で国境沿いに抗議デモをしていたところに、いきなりイスラエルからの実弾の発砲があり、子どもを含む60人以上の人々が殺されてしまうといった出来事があったと伺いました。
 実際は、殆どパレスチナはイスラエルからいじめにあっているようなものと言えるそうです。

 イスラエルは私たちの国から遠く離れていますし、様々で複雑な問題を抱えていますから、中々理解しにくいところがありますけれど、けれど私たちは、イスラエルのために、パレスチナの人々のために、彼らの命と平和のために、祈らなければならないと思います。特に次週には平和聖日の礼拝を控えています。「敵意という隔ての壁」を取り壊し、二つのものが一つになるように、主にある平和を祈り続けていかなければならないと思います。

「敵意という隔ての壁」、これは何もイスラエルとパレスチナとの問題だけではありません。今日読まれた聖書の中に示されている「隔ての壁」とは明らかに、イスラエルと異邦人の関係です。思想面からすればパレスチナの問題にも複雑に入り込んで来ているのかもしれませんが、イスラエルの民は、神の民であって、異邦人はそうではない、それがユダヤ教の、律法の、律法的な考え方であったと思います。

 使徒パウロは、生涯の中で三度、伝道旅行に出かけていますけれど、その伝道活動の中心は、異邦人伝道でした。パウロはユダヤ地域出身ではなく、タルソスというギリシャ語を話す町の出身でしたから、ヘブライ語を話すだけでなく、ギリシャ語も上手に話すことが出来たと思います。ですから、異邦人に対して主イエス・キリストを宣べ伝える、それが自分の使命と感じたのでありましょう。しかし、宣教活動の働きの中では、幾度も困難に遭遇するのですが、その困難を持ち込んでくる相手は、異邦人ではなく、主にユダヤ人がそうでありました。

 既に、ユダヤ教からキリスト教に回心しているとは言え、元々のユダヤ教徒としては、どうしても幼い頃から教えられてきていた律法、すなわち、割礼を受けていない者に対する思い、あるいは、汚れているから食べてはならないと教えられていた食べ物を平気で食べる人たちと共に礼拝を守る、これはあってはならない、信じられないことであったと思います。

 ですから、割礼を受けなくともよい、何を食べても良いと告げるパウロが憎くて仕方がない、ユダヤ人キリスト者はやっぱり、中々律法から逃れられないのです。ついにはパウロを捕らえて殺してしまいたいと思う程でありました。実際捕らえられる様が使徒言行録には記されています。
 しかし、パウロはそのような迫害や脅迫に屈することなく、その生涯を通じて、主イエス・キリストを宣べ伝えました。何よりもパウロは主イエス・キリストの十字架と復活を宣べ伝えました。
 
 主イエスの十字架にこそ、私たちの平和がある。主は十字架を通して、イスラエル人にも異邦人にも、罪の赦しを成し遂げられ、二つのものが一つとなり、復活の新しい命に生きるようにして下さったと告げ続けるのです。
 
 吉祥寺教会で長く牧会をされていた竹森満佐一先生が、エフェソ書についての優れた説教を記しておられます。竹森先生の説教は特徴がありまして、聖書に記されていること以外のことは説教では話されない、聖書の御言葉に集中するようにして話をされています。今日読まれましたエフェソ書の2章の今日の箇所でも、例えばイスラエルとパレスチナのような事柄には一切触れておられません。けれど、それを念頭に置いているのではないかと思えるような言葉は話しておられる、こうあります。
「これは、政治や社会の問題ではなく、神との関係の違いであったからであります。したがって、政治や文化の関係で、この両者を仲直りさせようとしても出来ることではありませんでした。神との関係をどうするのか、ということにかかるのであります。イスラエルも、異邦人も、同じように、神に対して、平和を得るのでなければ、イスラエルと異邦人との平和は出て来ないのであります。」

 イスラエルと異邦人との関係、それは政治や社会の関係で良くなるわけではないと言っています。勿論、そういったものでも良くなったりするでしょう。けれど、それは同じように悪くなったりするのです。それが政治や社会、経済ではないでしょうか。だからこそ神との関係によらなければと話しているのだと思います。

 「神との関係をどうするのか」とは、主イエス・キリストの十字架によってということではないでしょうか。主イエスこそ、相互の違いや、考え方や意見や権利の主張を越えていかれた方だからです。すなわち、神が十字架刑となり、つまり、徹底的に謙って死なれた。弟子たちに向かって「あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、一番上になりたい者は、皆の僕になりなさい。人の子が、仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのと同じように」(マタイ20章26節)と言われたようにして、そのままご自身が十字架刑に処せられました。

 人が神を十字架に処するほどですから、私たちの罪がいかに重いのかは、言うまでもないことです。
 人の罪の重さ、そこにイスラエル人と異邦人の違いがあるのでしょうか。外国人や寄留者との違いがあるのでしょうか。全く無いとは言えないかもしれません。けれど、それは他の人の事ではなく自分のこととして考えた場合です。

 パウロ自身が「私はその罪人の中で最たる者です。」とテモテの手紙にありますが、しかし、自分がどんなに罪人であったかと思えば思う程に、恵はなおいっそう満ちあふれるともロマ書にありますから、パウロが、本当に宣べ伝えたいと思っていたことは、なによりも主イエスの恵、罪赦された者としての恵みであったと思います。

 ユダヤ人であれ、異邦人であれ、私たちは自分達を日本人と呼びますが、私たちはユダヤ人から見れば、明らかに異邦人ですけれど、日本人であれ、何人であれ、「敵意という隔ての壁」を越えるために求められるものは、十字架による、罪の赦しと、主なる神の恵みです。この恵に生きる者こそが、壁を越えて、新しい命に生きることが出来ると聖書は告げています。

 19節に「従って、あなたがたはもはや、外国人でも寄留者でもなく、聖なる民に属する者、神の家族であり、使徒や預言者という土台の上に建てられています。」とありますように、私たちが何人であるのかを越えて、神の家族として生きていくことが出来る、そう出来るのは、主イエスの十字架の恵によるのだとパウロは一生懸命に伝えているのです。

 私自身の事を思い起こしますと、私は学校を卒業して、岩手から上京して仕事を始めました。最初は埼玉県の熊谷に住みました。けれど、すぐに宇都宮に移り、数ヶ月で浦和に移り、それから東京の小平に住みました。僅か3、4年の間にあちらこちらを転々としました。殆ど放浪の旅をしていたようなものです。一体自分は何者か、一体自分はどうしたいのか、どう生きたいのかよくわからないまま生きていたことを思います。 

 19節に「寄留者」という言葉がありますが、私自身が寄留者そのものだったと思います。寄留者とは、故郷を失っている人のことだと説明がありました、あるいは難民であったと言っても良いかもしれません。私には良く分かるような気がします。しかし、どの町に住んでも自分のいる場所ではないと思うのです。その理由は分かりません。一緒に過ごしていた人々に理由があったのかもしれません。社会に対して「敵意という隔ての壁」を作っていたとも言えるかもしれません。 

 小平から目白に移って、最初はここも自分の場所ではないと思っていたのです。けれど、ここで私は主なる神と出会い教会と出会いました。聖書を読みながら、この私のためにも主イエスは十字架にかかって下さった、こんな私の為にも、ご自身の命さえ惜しまれなかったことを知り本当に感激しました。

 自分でも自分の人生を諦めかけていたのです。どこにも住む場所がない、自分の家がないと人生を捨てていたような者に対してさえ、ご自身が仕える者として現れて下さった方がおられる。私は本当のこの方に捕らえられたと思います。

 当初は聖書を一人で読んで、最初に読んだ聖書に関する本がたまたまだったと思いますが、矢内原忠雄先生の本でしたので、無教会主義という考え方に惹かれていました。ですから、暫くは教会には行きませんでした。
 けれど、暫くするうちに、教会へ通うようになり、教会の礼拝に集うようになる、毎週、毎週の日曜日がどんなに待ち遠しいと思ったことか。

 それは、私の人生の中で、初めて寄留者の自分ではなく、ここにこそ自分は根を張りたいと思った、ここに自分が立つべき家があるそう思っていたからだと思います。その思いは今も、少しも変わることはありません。

 人は人との愛を求めます。その愛に触れると人としてここに、自分は根を張れるのではないかと思うからでしょう。けれど、私はその人との愛を大切にするためにも、神に対する愛を失ってはならないと思う。

 教会は使徒や預言者という土台の上に建てられているとあります。使徒や預言者、その一人一人が生涯をかけて、神の愛を告げた人々です。信仰の先達です。しかし、その神の愛の形として主イエス・キリストが私たちに誕生してくださいました。この方が教会のかなめ石であり、その建物全体は組み合わされて成長する、ここにおられる一人一人が組み合わされて教会となっているということでしょう。

 そして、その教会は、神の住まいでもあります。私たち一人一人、私は願います。イスラエル人もパレスチナ人も、異邦人も、日本人も、何人であっても、「敵意という隔ての壁」を越えて、私たちは神の住まいの中に生きることが出来る。そのことを忘れてはならないと思います。

 竹森先生はまるで預言者のようにして、神の住まいこそが、「新しい天と新しい地を決定するものである」と告げています。
 私たちはそのような神の住まいとしての教会に集えていることに感謝するだけでなく、また、空しい生活を強いられている人々、悲しみの中に、戦いの中に、飢えと貧困、病の中にある一人一人を覚えて、その一人一人にも神が共におられますようにと、主なる神がその栄光を表して下さいますようにと願いつつ、過ごして参りましょう。

 お祈りします。
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