日本キリスト教団 大塚平安教会  

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神は従う人の群れにいます。

2019-07-03 09:26:00 | 礼拝説教
【詩編14編1~7節】
【ヨハネによる福音書19章25~27節】


 過ぐる先週の礼拝では、私たちの教会は神奈川教区の巡回教師として、90歳の年齢で尚、現役の牧師として多方面で活躍されている関田寛雄先生をお招きし、礼拝を守ることが出来ました。私の神学生時代の恩師でもあり、多くの指導をしていただきました。昨日は神奈川教区総会が開催されましたが、総会に多くの方々が集まる中、関田先生ともお会いして先週の感謝を述べて参りました。

 関田寛雄先生は、長く青山学院大学神学部において、またその後は文学部神学科となるのですが、教員として勤めておられました。しかし残念ながら1977年に神学科が廃止となりまして、その当時、青山学院で教えておられた先生方は、日本でも有数の著名な先生方が集まっておられ、その中の一人は、私たちの教会でも牧会をされた川島貞雄先生もおられました。

 なぜ、神学科が廃止されたのか、詳しい経緯を私はわかっているわけではありません。けれど、一つは当時、神学部、神学科の学生の中に、過激な学生運動の活動家がいたとか、学校全体の経営面から考えると、恐らく学校の中で、一番収益があがらない学科であったこと、などが一般的な理由として言われているようです。背景としては、もっと複雑な問題があったと思われます。

 ともかく、神学科が無くなり、多くの先生方は職を失いましたが、殆どの先生は別の大学へと移って行かれました。多くの先生は別のキリスト教主義の大学へと移り、ある先生は東京大学から招かれ、川島貞雄先生は日本聖書神学校の教授となってくださった。ですから、私の先輩諸氏からは、どれほど喜んだかと何度も聞いた話でした。

 そんな中、関田先生は青山学院に残られました。なぜ、残られたのか、その理由を直接聞いたことはありませんが、青学の神学科を卒業し、牧師として働いているある先輩牧師は、桜本教会、川崎戸手教会を守るためであっただろうと話して下さいました。御自分が直接開拓伝道されて、しかも社会的な立場の最も弱い層に対して、いつも手を差し伸べられ、ホームレスと呼ばれる人々の為に、あるいは、在日韓国・朝鮮人と呼ばれ、差別される方々の為の働きを継続してこられた先生でしたから、教会の運営は殆ど自腹、自弁の働きであったと思われます。
 今、「差別されている方々の為に」と申しましたが、この表現をあまり関田先生は喜ばれないと思います。関田先生はいつも、隣に困っている人がいれば、助けてあげられるのであれば、助けようとされるのです。ホームレスの為、在日韓国・朝鮮人の為ではなく、ただ、すっかり困ってしまいました、と来られた人がたまたま、ホームレスであり、在日の方であっただけで、自分からそうしようと思ったわけではない、たまたまこうなってしまったと、これは、先生から直接伺った話ですから本当にそうなのだと思います。

 けれど、そのような先生の背景に先生の信仰がはっきりとみられると思います。主イエス・キリストは社会的に不当な扱いを受け、立場が弱く、力の無いと思われる人々に、いつも寄り添おうとされ、実際に寄り添われました。自分も出来るだけそうしたい、またそう思うだけでなく、主イエスのように実行されました。その姿は、今も昔も、御自分の信仰を貫かれるようにして少しも変わらないと思います。

 教会に来ていただいた先週の日曜日、の前の日の土曜日は、目白教会で葬儀がありました。私たちの教会の礼拝説教も以前にお願いしたこともありましたし、私たちの礼拝にも時々出席されていたA先生が84歳で召されて行かれた。その葬儀に私と家内と参列して参りました。A先生は、私の学年より二つか三つ上で、年齢としては58歳で神学校を卒業され、依頼26年に亘り、牧師として奉仕し続けられました。けれど、A先生は神学生の恐らく3年の時だったと思います。思いがけなく御自分が癌であるとわかり、緊急の手術をされて、数ヶ月入院されて、無事退院したものの、引き続き抗がん剤治療を続けながら学校に通っておられました。その内に4年生となり、卒業となり、福島県に赴任先の教会も決まった頃に、A先生が関田先生を相談があると訪ねて来たそうです。自分は癌になって、今まだ、治療中でもあり、赴任する教会も決まったけれど、この体では牧師としてやっていく自信が持てない。あるいは逆に迷惑をかけてしまうのではないかと思うと心配で、このまま行っても良いかどうかと迷っていると相談したそうです。

関田先生は、その答えとして、「Aさんよ。あなたは神様から招かれて牧師となる決意を立て、そして赴任先も与えられた。確かに、病気で大変だと思います。でも、その赴任先の教会が来てくれと言うなら、たった一回でもいいから、その教会の講壇に立って、神の福音を宣べ伝えなさい。たった一回で、その後、倒れてしまっても、あなたの人生は、神様の役に十分立っていると私は思う。」と答えたのだそうです。
その言葉を聞いて、A先生の迷いが消え、しかも、その後の牧師として生涯を支え続けた、関田先生の言葉、しかし、それは関田先生の言葉を越えた、神の御言葉であったと私は思います。

 神の御言葉は、人を生かす御言葉です。今、私たちの世界は、現代社会は「人を生かそうとする言葉」をいつの間にか、殆ど聞かなくなってしまったのではないでしょうか。逆に「人を生かそうとしない、人に励ましを与えない、人を抑圧しよう」とするような言葉が溢れているのではないかと思うのは、私だけではないでしょう。

 今日は、詩編の14編という箇所を読んでいただきました。その始まりにこう記されています。「神を知らぬ者は心に言う「神などない」と。

 神を知らぬ者という言葉は、口語訳聖書では「愚か者」という言葉で記されていますし、他の聖書を当たってみても「愚かな者」という言葉が用いられています。つまり、神を知らぬ者は、愚か者だということでしょう。更に大切なことは、「神を知らぬ者」とは異邦人を指しているのではなく、イスラエルの民を指しているというのです。

 この詩編が記された年代を特定することは難しいようですが、今から2500年以上も前であったことは間違いないと思われます。しかも、神の民として生まれ、神の律法のもとで育ち、暗記するほどに聖書を学び、朗読し、読み、親しんでいたイスラエルの人々の中で愚かな者がいた。だから「心に言う」のでう。口で言葉にしたら大変なことになってしまいます。だから心の中で、「神などいない」神様、神様と言ったところで何の役に立つ物か、いつの間にか神を見下し、自分が願うようには動こうとしない神を信じたところで何の役に立つものか、そう思ってしまっている人々がいるというのです。

 詩編は、人々は腐敗している。忌むべき行いをする。善を行う者はいない。と続きます。「腐敗している」とは「破滅をもたらす」という意味です。いや、既に破滅をもたらしている、そういう時代を今生きているのだと14章の特に前半は、そんな思いが記されているように読めます。

 となると、やはり旧約聖書で考えるとすれば、イスラエルが大国バビロンとの戦争に敗れ、国が破れ、捕虜とされ、連行されていく、まさにイスラエルが破滅した時代のことを記しているではないかと思います。

 「戦争に敗れる」、教会的ではないですが、今、令和と呼ばれる時代となりました。昭和の時代に日本が戦争を起こし、そして敗戦した時代の悲惨さを語れる方は大変少なくなってまいりました。その中にあっても関田寛雄先生はその戦争体験を語れる1人ではないかとも思います。

 昭和4年生まれの関田先生ですが、国が戦争に向かおうとする中で、小学校5年生位頃だったそうです。同年代の少年たちに囲まれて、『お前のおやじはキリスト教の牧師やろ。キリスト教の奴は皆、アメリカのスパイなんや。お前、キリスト教やめろ』と言われ、殴られ、蹴られ、そしてケガをして、血だらけになって家に帰ってきたそうです。

 それ以来、自分はどうして牧師の子どもなのかと、「自分は一体何者か」と父を恨み、逆に当時の多くの少年がそうであったように、自分も国の為に、立派な軍国少年になろうと決心して、その道を進み、ついには先生に陸軍士官学校を勧められる程になったそうです。しかし、15歳となった関田少年が経験したことは、敗戦という事実でありました。

 その事実は、自分がこれまで歩んだ道の全てが間違いであったという事実でもありました。しかも、その後は、誰もかれも、学校の先生も、教会の牧師も何の痛みもなく、民主主義化していったそうです。その日本の姿、日本人の生き方、次第に盛んになってくる人々のキリスト教ブームにも驚いたそうです。

 戦争中と戦後の教会に対する人々の姿勢が全く違うことにも驚き、自分は一体何をどう信じれば良いのか、自分は一体どこからやり直しが出来るのか、関田少年は、更に自分が闇の中に放りだされたような思いに至っていたのではないでしょうか。戦後、教会に人々が集まってくる中、礼拝には出席しない姿勢を貫いたそうです。

 しかし、その後、ついに、立ち直ることが出来たのも聖書の御言葉でありました。栄養失調がもとで、闘病し寝たきりの父親から、詩編51編を示されそして、そこを読んだそうです。旧約聖書885頁です。

 12節にこうあります。「神よ、わたしの内に清い心を創造し 新しく確かな霊を授けてください」それから19節「しかし、神の求めるいけには打ち砕かれた霊。打ち砕かれた悔いる心を、神は、あなたは侮られません。」この御言葉が関田少年の頑なな心を砕き、また、当時の英語の先生が教えてくれた、主イエスの御言葉、「覆われているもので現わされないものはなく、隠されているもので知られずに済むものはない。真実はやがて現れる」という御言葉を深く受け止め、この御言葉によって戦後を前向きに生きて行こうと決心したと、川崎戸手教会の歴史の中に、御自分の文章として記されてありました。(詳細はHPで読むことが出来ます。)

 皆さん、私は、人間とは、非常に幸いだと思う時も、また、大変な苦難の中にいる時も、どちらの時も神が忘れ去れられるのではないかと思います。神を知らぬ者、愚かな者は心に言うのです。「神などいない」こんな苦痛、こんな苦労、こんな状況、神様どころじゃない。と人は思うのではないでしょうか。

 今日は、午後より、過ぐる5月1日に天に召されて行かれたK姉の納骨式を予定しております。Kさんの生涯を改めて思いましても、21歳という年齢での息子さんの死、御主人の死、御自分の病、実に多くの苦労や、人に言えない悔しさ、悲しみを体験された方であろうと思います。

 けれど、Kさんの人生を支えたのは、一つは息子さんの神様に対する信仰でありましょう。いつまでも、どこまでも、どんな時も「僕は、神様を信じる」と言い切っているその言葉の背後に神様が寄り添っておられることは間違いありません。そしてその息子さんの思いが、御主人を、そしてKさんを、その生涯を支え続けて来たのだと私は思います。

 先ほど、大変な苦難にいる時、人は神を忘れると申しましたが、しかし、その中にあって、それでも尚神はおられると知っている人々がいるのです。

 聖書的に言えば、愚かでない人々がいるのです。その一人一人の所に主なる神はおられる。それが例えどんな状況にあるとしてもです。詩編14編5節の御言葉「そのゆえにこそ、大いに恐れるがよい。神は従う人々の群れにいます。」

 主イエスが、十字架に架けられ、多くの弟子たちはバラバラになり、逃げてしまっている中に会って尚、数人の婦人と1人の弟子がいた箇所を読んでいただきました。どんな時も、どんな状況でも神は、従う人々の群れにおられる。その姿をここに見るような思いが致します。

 私たちは、主イエス・キリストの十字架のもとに集められ、招かれている一人一人です。私たちの人生も命も、その全てをご存知である神のもとに従う者として、私たちはこの一週間、過ごして参りましょう。

 お祈りいたします。

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