日本キリスト教団 大塚平安教会 

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委ねる勇気

2022-07-24 14:00:17 | 礼拝説教
【サムエル記上1章21~28節】
【ヨハネによる福音書3章31~36】

 2022年度になりまして、4月から礼拝ではヨハネによる福音書を読み始めました。あまり急がないように読み進めていきたいと考えていますが、今日与えられた聖書箇所は、これまで読んで来ましたヨハネによる福音書3章までの一つのまとめとして記されたであろうと思われる箇所です。
 
 主イエスはバブテスマのヨハネからヨルダン川で洗礼を受け、その後弟子たちを招き、最初のしるしを起こされたカナでの婚礼に出席されます。その婚礼の席で、ワインが足りなくなり、水がめの水をワインに変えてくださいました。
 
 その後、ユダヤ人の過越しの祭りが近づいてきたので、祭りを守るために弟子達と共にエルサレムに向かわれます。エルサレムに到着して、神殿に入られると境内で牛や羊や鳩を売っている者あり、座って両替している者の姿あり、その様子を御覧になると、縄で鞭を作って、牛、羊を追い出し、両替人の金をまき散らし、その台を倒しました。「わたしの父の家を商売の家としてはならない」と告げられました。主イエスが怒りを持って事に当たられる数少ない箇所の一つです。
 
 更に、主は、過越しの祭りの間、エルサレムにおられましたが、その間に、主のなさったしるしを見て、多くの人々がイエスの名を信じたとあります。
 その名を信じた一人でありましょう。ある夜、ファリサイ派であり、議員でもあり人々から信頼を受けていたと思われるニコデモが主のもとにやって来ました。主イエスはニコデモに「あなたは、新たに生まれなければ」と告げるのですが、ニコデモは最後までその意味を捉えきれないで帰ったかもしれません。
 
 祭が終わり、エルサレムから離れた主イエスは、ヨルダン川のほとりにおいて、弟子達と共に人々に対して洗礼を授け、時を同じくして、バブテスマのヨハネもまた、ヨルダン川で洗礼を授けていました。
この場面は先週の礼拝で話を致しましたが、バブテスマのヨハネのもとにやって来たあるユダヤ人たちと、バブテスマのヨハネの弟子たちとの間で論争が起こり、それがきっかけとなって、ヨハネは弟子たちに話し始めます。「天から与えられなければ、人は何も受けることができない。」その意味は主イエスこそ、天から与えられた方であり、私ではない。ということです。続けてヨハネは、天から与えられた方を知る私は、喜びで満たされている。「あの方は栄え、わたしは衰えねばならない。」と告げるのです。
あの方とは主イエスであり、主イエスが栄え、そして私は衰えねばならない。バプテスマのヨハネは、ここで私はこれまで人々から好まれ人気があったが、これからは主イエスのもとへ人々がいくだろう、そういう意味において「私は、フェードアウトするように、消えていくように衰えていく」と言ったようにも取れますが、大切なところは、今日読んでいただきました、3章31節の御言葉となるわけです。

 「上から来られる方は、すべてのものの上におられる。地から出る者は地に属し、地に属する者として語る。」

 聖書を読みますと30節と31節の間に「天から来られる方」というタイトルが付けられていますけれど、もともと聖書にはタイトルはありません。口語訳聖書に親しんでいる方はわかることですが、新共同訳聖書になりまして、タイトルが入れられるようになりました。良い点もあり、そうでない点もありますが、今日の箇所は、あまり良い方には向いていないかもしれません。
 今日、読んでいただきました聖書箇所は、バブテスマのヨハネが弟子たちに対して語り掛けている、それが続いていると考えた方がより分かりやすいと思います。

 なぜ「あの方は栄え、わたしは衰えねばならない」のか、それは主イエスが、「上から来られた方であり、すべてのものの上におられる方であって」バプテスマのヨハネは「地に属する地から出る者」だからです。ここで言われているのは、天に属する者と、地に属する者との違いです。主イエスは天に属し、自分は地に属している。だから衰えていくのであると告げているのです。

 ニコデモがある夜に主イエスのもとにやって来ました。やってきて「主よ、神があなたと共におられるのでなければ、あなたのなさるようなしるしを、誰も行うことは出来ません。」と告げるのですが、そう告げながらも、主イエスが語る「新たに生まれなければ」という言葉を理解することは出来ませんでした。なぜ理解出来ないのか、地に属する、地上の考えから抜け出ることが出来なかったからです。
 私たちは生まれながらの神の民であり、神から与えられた律法があるにも関わらず、なぜまた新たに生まれなければならないのか、と思ったのではないでしょうか。

 「主イエスのしるしを見て、多くの人がイエスの名を信じた。しかし、イエス御自身は彼らを信用されなかった。」ともあります。なぜ信用されなかったのか、地上に属する人々はしるしをこそ信じるからです。
 
 私の古い友人がこんな話をしたことがありました。ある良く知られた牧師が牧会している教会に行ってみたというのです。そこで牧師の説教を聞いた。素晴らしい説教だったそうです。それで感動して、礼拝後に牧師に話しかけました。「先生、これまで色々な教会で、色々な牧師の説教を聞いて来ました。でも、先生の説教が一番良かった。だから、これからはこの教会の礼拝に来ます。」
 そしたら、その先生が悲しい顔をして話しかけてきたというのです。「これまでで一番ですか。それなら、私より良い説教する牧師の説教を聞いたら、その教会にいかれるのでしょうね」その言葉を聞いて、何か目が覚めた、と言うのです。だから、菊池先生の説教で我慢するから、とは言いませんでしたが、まあそういう事かもしれません。今でも、なんでも話せる良い友人の一人です。でも、人はしるしを求めるものです。
 
 地上に属する者は、地に属する者として考える。どこまで行っても地上に属す者です。バブテスマのヨハネも自らが、自分は地上に属する者だと弟子たちに語り掛けました。
32節では「この方は、見たこと、聞いたことを証しされるが、誰もその証しを受け入れない。」とあります。見たこと、聞いたこととは、天の国において、主イエスが見て来たこと、聞いて来たことです。出来るだけ人にわかるように、言葉を選び、神の国のたとえを語り、優しく話しかけてくださった。でも、いつの間にか誰も受け入れないのです。地上に属する者だからです。ある牧師は、この状態を「お先真っ暗」な状態と説明しました。暗闇です。希望が無いばかりか、怒りとか悲しみに覆われてしまうかのようです。

 お先真っ暗だと思う人は、神の証しを受け入れないばかりか、主イエスを捕らえ、裁判にかけ、十字架に付けようとさえします。実際、主イエスはそのようにして、十字架に付けられ、血を流して死んでいかれました。「昼の十二時に、全地は暗くなり、それが三時まで続いた」とマタイにありますが、まさに真っ暗ですよ。

 でも、主は三日後に復活されて、神の永遠の命を人々に示され、弟子たちは聖霊の力を受けて、神の福音、祝福を語り続けるようになります。つまり、地上に属する者の群れから抜け出し、真っ暗のその先に光を見いだし、光を信じたのです。
 33節に「その証しを受け入れる者は、神が真実であることを確認したことになる。」とあります。

地上に属する者が受け入れない神の証しを信じ、受け入れ、主イエスこそわが神、我が砦、わが救いという信仰、クリスチャンとして生きていく信仰者へと導かれた人々、その中に私たちも含まれるのです。

 旧約聖書からサムエル記1章、ハンナ、サムエルをささげるという箇所を読みました。夫との間に、長く子どもを授からなかったハンナは、神殿において長く、長く主に祈りました。祈らずにはおられませんでした。夫にはハンナの他にもうひとり妻がいて、その妻は子どもを授かっていました。さらにハンナに対して敵対心を抱き、ハンナを思い悩ませ、苦しめたと記されています。ハンナの人生はまさに暗闇でした。
 そこに祭司エリが現れるのですが、余りに長く祈っているので、酒に酔って寝ているのだと思ったほどでした。しかし、ハンナは事の次第を話し、子どもを授かるようにと祈り、願っていましたとエリに語り、エリと共に祈りを献げます。
 
 そのことによって、ハンナの心は暗闇から光を見いだしたようです。元気を取り戻し、それからほどなくして、ついに息子サムエルを授かることになります。
 ハンナは神に感謝して祈りました。「わたしはこの子を授かるようにと祈り、主はわたしが願ったことをかなえてくださいました。わたしは、この子を主にゆだねます。この子は生涯、主にゆだねられた者です。」
 その後、サムエルはイスラエルの偉大な指導者として成長していくことを私たちは知っていますけれど、ハンナの祈りは、私たちの心を揺さぶる祈りです。
 私たちが生きている社会、地に属する者の社会は、戦争があり、コロナ感染拡大となり、あるいは怒りと憎しみにより、多くの人々の命が奪われています。安倍元総理が命を狙われた事件もどれほどの衝撃であったかと思います。その背景には、統一教会の問題が深くありました。お先真っ暗と思う人々が多く生きている社会です。

 けれど、主なる神は、御子イエスにすべてを委ね、御子イエスを信じる者が神の救いへと導かれるようにと計画されました。
御子イエスは神に委ねられた方です。私たちはこの方に救いを得て、この方の導きによって生きて参りましょう。暗闇の中に確かに輝く光を見つめて過ごして参りましょう。
 
 お祈りします。

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