日本キリスト教団 大塚平安教会  

教会情報や牧師のコラムをごちゃごちゃと

主と共に生きる

2019-11-09 14:46:10 | http://www.ohtsukaheian.jp/
【詩編28編1~9節】
【テサロニケの信徒への手紙一 5章4~11節】

 本日は、2019年の召天者記念礼拝の日が与えられました。その礼拝において、テサロニケの信徒への手紙5章4節から11節までを読んでいただきました。
 聖書には、読んですぐ、なる程と思える箇所もあれば、読んでみてもよく分からないと思う箇所もあるわけで、今日、読まれました箇所は、どちらかと言えば、よく分からないと思う箇所ではないかと思います。

 そこで鍵となる御言葉を探す訳ですが、鍵となる御言葉は4節に記されている「主の日」という御言葉です。この「主の日」とはいつか、それは主イエスが再臨される日のことを意味しています。
 教会のシンボルは言うまでもなく十字架です。世界中の様々な国に行きましても、十字架が掲げられている建物を見つけますと、あ~ここにも教会があったと思う時もあります。なぜ、十字架がシンボルなのか、主イエス・キリストが十字架刑に処せられたからです。主イエス・キリストは30歳を少し過ぎた位の年齢で、この世に登場されました。「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい。」これが聖書に記される主イエスの最初の御言葉です。私たちは、夏が来た、秋が来たと言いますけれど、来たという意味はもう夏の中であり、秋の中であるように、神の国は近づいた、それは、もう神の国の中にいるという意味です。主は、今、ここに神の国は来ていると告げられ、神の国の福音を宣べ伝えられました。

 神の国の福音を聞いた人々は、多いに喜びました。なぜ、喜んだのか、主イエスは、誰に対しても差別されませんでした。乳飲み子、幼子に対しても、「子どもたちを私のところに来させない。神の国はこのような者たちのものである」と教えられました。
 当時、病気や、怪我とは、その人の罪の結果として与えられたものであると考えられていました。特に目に見える皮膚病、あるいは中風と呼ばれた、恐らく脳の出血による半身不随の病気、あるいは、目が見えない、足が動かない、手が動かないといった病を患う、それはその人が悪いか、その家の誰かが悪いとか、先祖が悪さした因果があると考えられていました。
 しかし、主イエスは誰のせいでもない、ただその人を通して、神の業が表されるためなのだと告げられながら、その人が誰であるとか、民族的に何人であるとか、どんな種類の病気かによらず、病に悩んでいる一人一人を癒して下さいました。あるいは、人々から罪人の代表のように扱われていた取税人を弟子としたり、貧しい漁師たちを弟子としたり、職業や社会的地位に対しても自由でありました。ですから、この世に登場され、神の国を宣べ伝え、幼子にも、女性にも、病気を患っている人にも、身分が低いと考えられている人にも、罪人だと呼ばれ、差別されていた人にも、伝染性の病気を持った人にも、差別された地域に住んでいた人にも、誰に対しても神の自由と、愛を持って人々にも接してくださり、癒しと祝福を与えてくださいました。人々は、主イエスを通して、今ここに神の国が来ている、これまで経験したことの無かった喜びを生きていたと言えると思います。

 しかし、その様子を苦々しく見ていた人々がおりまして、それは、時の政治的、宗教的、社会的指導者であったユダヤ教の祭司であり、長老であり、律法学者と呼ばれる人々でありました。彼らは妬みと、嫉妬にかられ、ついには何としても主イエスを殺さなければならない、と相談するようになります。そして、時を狙って、主イエスを捕らえ、裁判にかけて、何としても死罪という判決を下したい、そう願うわけですが、自分達で死刑にすると、民衆が怖い、ですから、イエスは政治的に謀反を起こし、この男は「ユダヤ人の王」であると言って、人々を扇動したとして、ローマの総督であったピラトの所に連れて行き、この男は政治的混乱を引き起こし、人々を扇動したと告げたわけでありました。ピラトは主イエスとの会話し、様子を見るにつれ、この男は何も悪い事をしていないとユダヤの指導者に告げますけれど、彼らは、それこそ民衆を扇動して、どうしても死刑にしろ、十字架に付けろと叫び続けさせます。十字架刑とは政治犯が死刑にされる際に用いられた刑罰でもありました。

 ピラトは人々の様子に恐れをなして、ついに主イエスを十字架刑に処する決断を下し、主は罪なしで、しかし策略の中で、十字架刑に処せられてしまいました。

 この死刑によって、弟子たちを始め、主イエスを最後まで慕っていた人々、従い続けていた人々は、これで全てが終わったと絶望を感じたことでしょう。イエス様が死んでしまっては、もうその先は何もない、諦めるしかない、と思う決定的な出来事であったと思われます。

 しかし、それから三日の後、すなわち日曜日の朝早く、主イエスは、神の力によって復活を果たし、復活の主は、婦人たちに現れ、ペトロに現れ、弟子たちに現れ、その後、多くの人々に現れ、このテサロニケの信徒への手紙を記したパウロの所に現れて下さった。そして、40日間に亘り、弟子たちと共に地上におられて、40日目に天に昇り、神の右の座に座られました。それから更に10日後、祈りを捧げていた弟子たちの一人一人の下に神の力、聖霊が降り、聖霊の力が与えられた彼らは、ついに本気になって、命さえも惜しくないと思える程の信仰に満たされ、弟子たちは、世界中の人々に主イエスこそ、私たちの救い主であると福音を宣べ伝え始めたわけでありました。

 その福音の宣べ伝えは、その頃から2000年経過した現在でも、十字架をシンボルとした教会によって確かに継承され、続けられているわけであります。

 今日、9時から行われましたファミリー礼拝ではキリスト教徒最初の殉教者と呼ばれるステファノが死刑になる場面が読まれました。聖霊を受けたステファノは恵と力に満ちて、民衆に対して主の福音を宣べ伝えていましたが、ついに捕らえられ主イエスと同じように裁判にかけられることになります。しかし、最後まで、主イエスに対する信仰を捨てず、ステファノはユダヤ人の死刑の形である石打の刑という判決が下されます。けれどステファノは、石を投げつけられながら、死の間際に至るまで「主イエスよ、わたしの霊をお受けください。」と祈り、更に「主よ、この罪を彼らに負わせないでください」と叫び、眠りについた。つまり、死んでしまいました。

 このステファノの殉教がきっかけとなり、いよいよ本格的に、教会に対して、大きな迫害が起こり、福音を宣べ伝えていた人々は、散り散りに逃げてしまう。つまり、現代で言うところの、難民となるのです。荷物もなく、食べるものも無く、何の準備も出来なかったでしょう。エルサレムから逃げ出すしかありませんでした。けれど、逃げ出した人々が、到着した場所で、口を閉ざし、黙っていることはありませんでした。行きつく街々において、主の福音を宣べ伝え、サマリアで、フェニキアで、キプロス、アンティオケアと呼ばれる町に至るまで、主イエスの福音が宣べ伝えられした。特に現代ではシリアと呼ばれる国の港町、アンティオケアに出来た教会は、後にパウロの福音伝道を支える教会へと成長し、更には凡そ400年後、キリスト教がローマの国の宗教、国教となった時、ローマは五つの教会を総本山としたのですが、ローマ、現在のイスタンブールであるコンスタンチィノープル、アフリカのアレキサンドリア、エルサレム、そして、アンティオケア、五つの最も大切な教会の一つと数えられるようにまでなります。
 
 聖書が記された時代も、古代教会も、中世も、近代も、そして、現代の教会も、主イエス・キリストの福音が宣べ伝えられるという点においては変わりありません。どの時代においても、聖書が読まれ、良き訪れ、福音が宣べ伝えられてまいりました。そして、最初に申し上げました「主の日」、この「主の日」とは、天に昇り、神の右の座に座られた主イエス・キリストが私達の世界へやって来られる日、主イエス・キリストの再臨の日を意味しています。この再臨の日に向かって、教会は、つまり私たちは歩み続けているわけであります。

 読んでいただいた、テサロニケの信徒への手紙5章においては、主の再臨の日に向けて、私達が、どう生きていくのかが、信仰者の心構えが示されている内容となっています。読んでいただいた箇所の中で、もう一つ大切な鍵となる言葉は、「眠っていないで、目を覚まし」という御言葉です。

 聖書には「目を覚まし」また、「眠らないで」という御言葉が数多くあります。マタイによる福音書24章には、「だから、目を覚ましていなさい。いつの、自分の主が帰って来られるのか、あなたがたには分からないからである。」とあります。25章にも、26章にも「目を覚ましていなさい」と弟子たちに告げる主イエスの姿を見ることができます。コリント書、エフェソ書、コロサイ書、ペトロの手紙といった箇所でも、目を覚ますことの大切さが伝えられています。「眠り」についても同様です。例えばローマの信徒への手紙13章には「あなたがたが眠りから覚めるべき時が既に来ています。今や、わたしたちが信仰に入ったころよりも、救いは近づいているからです。」とあります。
信仰とは、眠らず、目を覚ましていること。勿論、それは夜も昼も寝ないで、起きていなさいという意味ではなく、いつでもどんな時でも、信仰から離れないで過ごすことの大切さを伝えているわけで、いつ主の再臨が来るとしても困ることの無いようにという意味でもあります。

 けれど「目を覚ます」また「眠る」という意味は、それだけでもなく、目を覚ますは、「生きている状態」眠るとは「死んだ状態」です。ステファノが殉教する際に、「主よ、この罪を彼らに負わせないでください」と叫び、眠りについた、と記されていますが、この眠りは死を意味しているように、眠るとは死、目を覚ますは生、生きるです。

 テサロニケの5章10節には「わたしたちが、目覚めていても眠っていても、主と共に生きるようになるためです。」と記されていますけれど、聖書によっては、この御言葉は「生きていても、死んでいても」とありますし、更には「主が再臨される時に、主と共に生きるようになるため」とも訳すことが出来ると思います。

 昨年の召天者記念礼拝を終えてからのこの一年、私達の教会は、T兄、K姉、A兄の3名を天に送りました。この一年を振り返りますと、例年になく、体の調子を崩される方、入院される方、それ故に、礼拝に出席出来ずにおられる方が少し多くなって来たように感じているのは、私だけではないでしょう。

 詩編28編には「主よ、あなたを呼び求めます。わたしの岩よ、私に対して沈黙しないでください。あなたが黙しておられるなら わたしは墓に下る者とされてしまいます。嘆き祈るわたしの声を聞いてください。」と必死に祈る様子が記されています。そのようにして、この詩編の作者のように、私達の人生においても、必死になって祈らざるを得ない状況が、一度ならず、二度ならず、何度もやって来るのかもしれません。しかし、詩編28編の後半では、「主をたたえよ。嘆き祈るわたしの声を聞いてくださいました。主はわたしの力、わたしの盾 私の心は主により頼みます。」とあるように、たとえ、私たちの命が生きていても、死んでいても、恵みの時は勿論、迫害の中にあっても、病の時も、苦しい時も、どんな時でも、主なる神が共におられる。その思いを私たちも生きていきたいものです。

 昨日は、思いがけず、何人もの方から様々な連絡がありましたが、一人はAK兄、8月に二階の階段の上で、意識がちょっとなくなり、階段を転げ落ちて、頭を打って救急車で入院、私がお見舞いに行きました時には、集中治療室で、ご家族以外の方は面会出来ませんと、断られましたが、そこを無理にと思って、家族ですとは申し上げませんでしたが、教会の牧師ですからとなんとかお願いしてお会い出来、祈りを捧げました。それから2か月以上たちますけれど、ついに一時的にですが、家に帰宅することが出来て、なんとしても菊池先生の声を聞きたいと電話して下さいましたよ。本当に嬉しい思いで話すことが出来ました。

更には,TT兄も、随分長い間、礼拝に来られない状況です。今、厚木に移られて厚木のホームにおられるそうです。でも、奥様が言うには、向ヶ丘遊園からでは無理だと思っていたけれど、厚木に来て、希望が出て来たというのです。どういう希望ですか、なんとしても教会に行きたい、なんとしても礼拝に出たい、ここからなら、それがきっと出来るだろうというのです。そして、その希望を持って、少しずつ元気になってきておられるそうですよ。こっちが力付けられる思いで話しを伺いました。

 皆さん、私たちは、生きていても、死んでいても、主と共に生きる。今日は特に、召天者記念礼拝です。T兄、K姉、そして、A兄と、地上にいる時には、まさに主と共に生きて、そして再臨の主を待ち望みつつ、眠って行かれた3名の方々でありました。この3名に限らず、これまでこの教会と共に歩み、生涯を神と共に生き、死んだのちも主と共に生きておられる方々を偲びつつの礼拝です。私たち一人一人も再臨される主にむかって、しっかりと信仰を翼を広げて、信仰の先達に笑顔で迎え入れられるその時まで、更にその後に至るまでも、生きていても、死んだ後も、主と共に生きて参りたいと願うものであります。

 お祈りいたしましょう。


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