日本キリスト教団 大塚平安教会  

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同じ約束にあずかる者となる。

2018-08-06 13:32:21 | 礼拝説教
【詩編2編1~12節】

【エフェソの信徒への手紙3章1~6節】


 8月に入り最初の主日礼拝、平和聖日であると共に、大塚平安教会の69回目の創立記念日でもあります。そのことを記念して本日はS姉より証を伺うことが出来ました。とても良い証でありました。

 教会の創立69周年と言いますのは、いつからがその始まりかと言いますと、週報の表紙に略歴が記されてありますが1949年8月8日、大塚平安教会設立承認とあります。この1949年、昭和24年という年に日本基督教団から承認を受けて、教会としてスタートしたわけでありました。勿論、それ以前にも多くの信仰の先達がおられ、戦前、戦中、戦後の混乱期の中にあっても、キリストを宣べ伝える働きが続けられていたからこそ、その年に承認されたわけですから、教会の記念誌を見てみますと、教会の歴史は更に20年遡ることが出来るようです。

 とはいえより具体的には、それから3年後、1952年に教会に専任の牧師として、当時の会堂の献堂と共に北村健司牧師がこの教会にやって来られた。そこからがまた一つの節目として教会の歩みが始まったと考えられると思います。この同じ年、T兄、また、2012年12月に天に召された、I姉が北村先生から受洗されておられる。しかもお二人とも同時に教会の役員として働いておられますから、当時の教会の礼拝出席人数を想像するに、また財政面を考えてみても非常に厳しい状況であったことは容易に想像できると思います。

 そのような厳しい財政状況の中にあっても、色々な側面から財政を支えて来たのが現在のドレーパー記念幼稚園の働きであったとも言えると思います。1962年からその幼稚園としての記録が残っておりますけれど、勿論、幼稚園の働きもそれ以前から行われていた訳で、1953年の北村先生が来られてすぐに季節託児所を再開されたようですから、そのような流れの中で幼稚園の歴史も始まったものと思われます。
 私は金曜、土曜とこの教会の記念誌や、T兄が記された著書なども改めて読み返しましたが、教会が教会となっていくまでの過程の中で、幾度もの混乱といいますか、やり取りがあったことをも思わされました。北村先生の後に、川島貞雄先生が来られ、川島先生は4年程牧会され、乙幡和雄先生が1961年に着任されます。乙幡先生の着任と同時に、幼稚園が具体的に動き出すわけですが、乙幡先生は、自分は牧師としてやってきたのであって、幼稚園運営の為に来たのではないとTさんと大分揉めたような話も記されてありました。

 Tさんのお連れ合いが先月の7月11日の水曜日に天に召されて、その週の金曜、土曜と葬儀が行われました。私たちにとっては思いがけない出来事でした。その葬儀に参列された方の中に、相模原教会の協力牧師でもあり、和泉短期大学の学長をされていた伊藤忠彦先生が参列されました。

 当初、私は伊藤先生が来られたのは、Tさんのご子息ご夫妻が相模原教会員ですから、足を運んで下さったのかなと思っておりましたが、それもあると思いますけれど、それだけはなく、乙幡和雄先生が幼稚園を設立していく中にあって、伊藤忠彦先生のお父さんである伊藤忠利先生が当時、横浜上原教会の牧師をされておられ、乙幡先生が伊藤先生を訪ねて、何度も相談に行き、その相談を親身になって協力頂いたという文章を読みました。

 幼稚園設立の為には、無くてはならない一人であったことを改めて思わされました。その後、相模原教会に移られた伊藤忠利先生、またご子息の伊藤忠彦先生が、特に学校法人としての幼稚園の設立当初から、その頃からTさんとも深く関わって下さっていたことを思わされて、特別な思いを持ってTさんのお連れ合いの葬儀に参列されたのだと改めて知らされた思いが致しました。

 今日、礼拝に出席されている方々の中には、Tさんとか、乙幡先生とか、伊藤先生という方々を、殆ど分からないという方もおられると思います。けれど、私がここで申し上げたいと思っておりますのは、何か物事が起こる、その物事としては、良いこともあり、良くないこともあり、悪いと思われることもあります。しかし、その中で少なくとも、信仰を持つ者どうしとして、どんな出来事を通しても、私たちは一つになることが出来る、大塚平安教会もその歴史を垣間見ていく中で、これまで何事もなくすんなりと過ごしてきた訳ではなく、むしろ、様々な出来事や人間模様の中で、幾度となく危機があり、様々な出来事に翻弄されてきたようにも感じます。

 けれど、不思議な神の御計画によって、それらの出来事を通してでも、皆が一つとなる時があって、一つとなった時に、様々な困難と思われる事態をも突破する力が主なる神から与えられ、神の恵みを受け継ぐ者とされて来た、そのことを改めて思わされているということなのです。

 礼拝の中で、これまでエフェソの信徒への手紙を読んで参りました。1章、2章と読んで参りまして、今日は3章に入りましたが、これまで読んで来た中で、改めて色々と分かってきたことがありました。一つは、この手紙は教会が教会として形成されるために必要な文章が記された手紙であること。二つ目は、教会が教会として形成されるためには、「敵意という隔ての壁」が取り除かれなければならないこと。三つ目は、従ってあなたがたはもはや、外国人でも寄留者でもなく、聖なる民であり、神の家族であること。このような内容が1章、2章に記されてありました。

 「あなたがたはもはや、外国人でもなく、寄留者でもなく」ここに記されている「あなたがた」とはユダヤ人以外の異邦人のことを指しています。エフェソという町の教会にとって、さしあたって大きな問題がありました。それがユダヤ人キリスト者と、異邦人キリスト者との間に起こっている混乱、「隔ての壁」であったというのです。

 しかし、その壁が壊れていかなければ、また壊していかなければ教会が教会として成り立っていかない、そのことをパウロはとても心配していたと思います。

 3章1節には「こういうわけで、あなたがた異邦人のために、キリスト・イエスの囚人となっているわたしパウロは…」とあります。このエフェソの信徒への手紙を記しているパウロは、ローマで手紙を記したのではないかと言われています。

 当時、パウロは捕らえられて裁判を受けるためにローマから自由を奪われ、牢獄というよりは、恐らく軟禁状態だったのではないかと思われます。軟禁状態といえ、不自由な生活が強いられている。ですからまさに囚人としてパウロがそこにいるわけです。けれど、そこにはもう一つ、キリストに捕らえられた、キリストの囚人として、しかし、キリスト以外にの誰にも捕らえられない、神の自由に生きた者として、エフェソの教会の人々に信仰者の生き方、教会のあり方を示しているのだと思います。

 パウロは3節で「秘められた計画が啓示によって、わたしに知らされた」と記しました。秘められた計画、神の奥義と言っても良いほどの神の思いを自分は受けたというのです。しかもそれは、キリスト以前には知らされていなかった、しかし、今や霊によって、キリストの聖なる使徒たちや預言者たちに啓示された計画、それが6節の御言葉となります。「すなわち、異邦人が福音によってキリスト・イエスにおいて、約束されたものをわたしたちと一緒に受け継ぐ者、同じ体に属する者、同じ約束にあずかる者となるということです。」とあります。

 これまでも申し上げて来ましたように、エフェソの教会では、ユダヤ人キリスト者と、異邦人キリスト者との間が、どうもギクシャクしていた。上手くいっていなかったのです。ユダヤ人キリスト者は、キリスト者であっても、自分達には律法があると思っていました。あるいは割礼が施されていると思っていました。ユダヤ人から見れば、同じクリスチャンであっても、割礼があるのか、無いのか、これだけでもかなり決定的に対立する原因となっていたのではないでしょうか。隔ての壁になっていたのです。
壁のこちら側には、割礼を受けて律法を守っている自分達、壁のあちら側には、割礼も律法もない、異邦人、それが同じ信仰を持っているなんて、どうにもこうにも我慢ならんという思いがあったと思います。

 世の中を見渡す時に、そのような隔ての壁はいくらでも見いだすことが出来ます。
 先週からお願いしていることですが、神奈川教区で巡回教師をされている関田寛雄先生から文書が届きました。それは「ヘイトスピーチを許さないかわさき市民ネットワーク」の会からの文書でした。2015年11月に、在日コリアン集住地域である桜本をめざすヘイトデモが実行され、以後毎年のように計画されているというのです。そのような人種差別と人権侵害に対して、苦慮した人々が二度とそのような行動が起こらないようにと願って出来たネットワークの会、その代表を関田先生がなさっているというのです。
 
 日本人の中で、在日コリアンの人々に対して、憎悪むき出しの表現でもって、デモや集会を開くというのですから、右翼とか左翼といった思想的立場からでもなく、言葉で相手に対して攻撃、脅迫、侮辱を繰り返す。しかも、それが公共の施設を借りて行うことが出来るわけですし、自分達は正しく、少しも悪くないと思っているのです。

 皆さん、こういったことが日常に起こるとしたら、まさに「隔ての壁」ではないでしょうか。今、アメリカの大統領が中心となって、世界中で貿易摩擦の問題が起こっています。欧州や、中国、日本も、その争いの中で、やられたらやりかえす、まさに目には目をと言った、出来事が起こっています。今、世界中の国が、自分達の国だけが良くなればと言った傾向が強くなってきているようにも思います。

 何も大きな規模だけではありません。隔ての壁は家庭の中にあっても、親と子の間に、夫と妻との間に、あるいは先生と学生の間に、会社の上司と部下の間にも見ることが出来るのではないでしょうか。

 このような壁がなぜ何度も、何度も出来上がっていくのか、社会的、政治的、教育面等、色々な理由を上げることができるでしょう。けれど、信仰という面からみるとすれば、人間の人生の不安、生きることに対する不安、命の不安から起こっているのではないかと思います。その不安を防御するために、自分を守るために人は、壁を作ろうとしているのではないでしょうか。

 しかし、壁は次第に人と人を遮断し、断絶状態を造り上げ、益々不安を助長するだけではないでしょうか。

 あるいは、その壁は人と人とを引き離すだけではなく、神と人とを引き離そうとする力であるとも言えると思います。その力は大変強力で、人がなんとかしようとしても、何ともできない程の力でありました。

 だから、そのような私たちの為に、割礼を受けているか、受けていないかではなく、律法があるのか、無いのかでもなく、ユダヤ人かギリシャ人か異邦人かでもなく、いや、そうではなく、たとえ割礼がどうであろうとも、律法がなかろうとも、何人であろうとも、私たちは同じ体に属する者、同じ約束に預かる者、キリスト・イエスにおいて、約束されたものを一緒に受け継いでいく者とされているとパウロは告げているのです。

 主イエス・キリストにおいて、これこそが、私たち人間が乗り越えたいと願っても乗り越えられなかった多くの壁を乗り越え、壁を壊していける方なのです。本日は教会創立記念礼拝であると共に、平和聖日でもあります。大塚平安教会が設立され、これまで幾度もの困難がありましたが、しかし、乗り越えてくることが出来ました。
 
 それこそ神の業であろうと思います。そして、教会が宣べ伝える御言葉は、キリストこそ、私たちの平和であって、私たちは誰であろうと、何人であろうと、男女の性別、年齢にかかわらず、同じ約束を受け継ぎ、同じ体に属し、同じ約束にあずかる者であって、主なる神の家族であり、聖なる民であるというメッセージを告げ続けているのだと思います。
 
 これまでの先達が歩んで来た信仰の道を、私たちもまた、一生懸命に歩んで参りましょう。そして、大塚平安教会が創立70年、80年、90年、100年とその歩みを刻んでいけるように、わたしたちは今、この時を精一杯に、喜びをもって、平和のうちに進んで参りましょう。
お祈りいたします。

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