日本キリスト教団 大塚平安教会 

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苦悩を乗り越えていくために

2021-07-18 15:54:34 | 礼拝説教
【詩編119編65~72節】
【使徒言行録20章31~35節】

 26年前、私は神学校を卒業しまして最初の任地の教会に赴任したわけですが、教会に二人の医者がおられて、礼拝に出席していました。一人は小児科の先生で、地域一体の子ども達の健康と命を預かっている先生でした。普段から忙しいのですが、インフルエンザとか、子どもたちが流行り病になりますと、一日、数百人の子ども達を診なければならない日が続くわけで、ですから、あまりに忙しくなると、一辺に3人、5人と診察室に入れて、横に並べるのだそうです。

 それで、子ども達の顔色を診て、この子は大丈夫、この子は心配、この子はよく見なければと、もう顔色一つで診察して、それで病気を癒し続けたという、地域から愛されている先生でした。
 難点をあげるとすれば、おしゃべり大好きで、人の話を聞くのが苦手だったかもしれません。
 
 もう一人の医者さん、こちらの先生も良い先生でしたが、口数少なく、大人しいというより、ほとんど話さない先生でした。総合病院の内科で仕事をされた先生でしたけれど、ちょっとした特徴がありまして、患者さんが診察室に入って、具合の悪い症状などを話す、その後、聴診器を胸に当てて診察するわけですが、その後に何も話さないで、首を捻るというのです。すると、患者さんがドキッとする(笑)という話を何回が聞いたことがあります。

 お二人の先生は、年齢も近く、信仰者として、仲も良いわけですが、ある時小児科の先生が、相手の先生の話を私に話しながら、「あの人しゃべらないんだよね~。だから暇なんだよ。」(笑)と言いながら、「あの人、お母さんが早くに亡くなったからかな~」と話されたので、なるほど、そういう事があったのかと、納得した気持ちになったのですが、その後、続けてこう言われました。「あ!俺もそうか」それで、ガクっとなったのです。

 お二人とも、同じように子どもの頃に、お母さんが亡くなられていて、それぞれに苦労も多い中で、医者になられたという話を聞いた訳でした。

 話は変わりますが、先日、ネットである文章を読んでいましたら、日本基督教団ではないのですが、川崎の溝の口にある教会に、仁井田義政先生という牧師がおられて、お会いしたことは無いのですが、70年の生涯の自叙伝を記されたとありました。
 一歳の時に、両親が離婚して、母親の下で育てられますが、小学校2年生の時に、母親が天に召され、その後父親の下で育てられたそうです。でも、父親からは虐待を受けて、殴る、蹴る、の仕打ちを受け続けたそうです。もはや勉強どころでもない中で、でも、中学二年の時に父親も召されたそうです。中学を卒業と同時に社会に出て、時には悪の道に引き入れられそうになりながらも、教会とつながり、その後色々とあったのでしょうけれど、献身して牧師となっていく。

 そのきっかけが、祈りにありました。私たちは祈る時に、「天の父なる神よ」と、祈りはじめ、祈りの終わりには、「この祈りを、イエス様の御名によってお祈りします」という形で終わります。教会で信仰の先輩にそう祈るのだよと教わったそうです。教わったので、一生懸命にそう祈っていた時に気が付いた。「天の父なる神!」そうか、天にこそ自分の本当の父親がいる、父親はあの酷い親父ではなく、天にこそ自分の、本当の父親がいるのだと気が付いて、この方にこそついて行こうと決心したというのです。

 以前に、父親の虐待を受けたとか、父親憎し思っている方が「天の父なる神様」と祈ると、父親を思い出して悲しくなって、祈れなくなるという話を聞いたことがありました。そう聞きますと、私も影響を受けまして、「父なる神よ」と祈るのは如何なものかと思っておりましたから、仁井田先生が「父なる神よ」という言葉で、決心したというのは逆にとても新鮮で印象的に感じたわけでありました。

 私たちは、同じような出来事や、似たような状況に遭遇することがあります。私も四人兄弟ですが、家が貧しく苦労して育ったからかもしれませんが、兄も弟も公務員です。兄は定年退職しましたが、弟は現役の公務員で、兄も、弟も早くに結婚して、安定した生活を求めたのだと思います。私は、折角生れて来たのだから、ともっと欲望を持って社会に出た訳ですけれど、ことごとく上手くいかず、苦労ばかりだったようにも思います。でもそれがまた神様の祝福であったと今は思っています。

 今日の説教題を「苦悩を乗り越えていくために」といたしました。詩編119編65節から72節を読みましたが、そこを読みますと、67節に「わたしは迷い出て、ついに卑しめされました。」とあります。新共同訳聖書では「卑しめ」とありますが、他の聖書を見ますと、「苦しみに会う」と訳されている聖書が多いようです。つまり、詩編の作者は、状況としてはよく分かりませんけれど、「すっかり迷って苦しんだ」のだと思います。けれど、71節になりますと「卑しめられたのはわたしのために良いことでした。」とありますから、その迷い、苦しみは、私にとっては、主なる神の福音を強く知ることになったので、良い事であったと思うと前向きに告げているわけです。

 私たちは卑しめられる、苦労する。苦悩する。それが普通良いことだとは思いません。子どもの頃に、母親が早くに亡くなる、父親に虐待される、それが良いことだとは少しも思いません。

 「若い時の苦労は買ってでもしろ」という言葉もありますが、こういう苦労は、例えば勉強とか、仕事、ビジネスとか、努力すればするほど成果に結びつくとか、一生懸命に生きる姿勢が求められているわけで、でも、実際、私達が経験する苦しみ、苦労は、家庭環境であったり、病気であったり、思いがけない事故であったり、あるいは私たちは今、コロナ禍のパンデミックの状況を過ごしていますが、多くの苦労は案外、環境や、状況から与えられるものかもしれません。だから、出来ればそんな苦労はない方が良いのです。

 けれど、不思議な程に、私たちの人生には詩編の作者のみならず、実に多くの方々というか、ほとんど全ての人たちがそれぞれの苦しみ、苦悩、悩みを時には与えられ、時には背中に負いながら生きているのではないでしょうか。
 そのような状況にあって、主なる神を信じる者としてどう生きていこうとするのか、それはいつも神様から、私達に問われている課題だと言っても良いでありましょう。
 
 今日は新約聖書から、使徒言行録20章31節からの箇所を読みました。使徒パウロがエルサレムに向かうために旅行をしている場面です。ご存知のようにパウロは、その生涯を主イエス・キリストの福音宣教にささげました。しかし、その為に、多くの敵も登場することになります。今、エルサレムに帰ったら、「パウロ憎し」という人々がパウロを捕らえるために狙っていることも知っています。でも、パウロは、エルサレム教会との約束を果たそうと帰る決意を持って、だから、もはや二度と合えないだろうと思いながら、エフェソの教会の長老たちを呼び寄せて、惜別の説教というか、むしろ遺言を涙ながらに語っている場面であります。
 
 ここで、もう一度読むことをしませんけれど、パウロは、自分がどれだけ苦労したか、大変だったか、愚痴を言っているわけではなく、聞く一人一人に勇気が与えられるように、神の福音に生き切れるように、信仰を持って歩む一人一人になって欲しいと願い、心を込めて告げている様子が分かります。
 
 人が生きていく場面では、そこには苦悩があり、苦労があるものです。時には、与えられた環境に苦しむこともあります。それを試練と呼ぶのかもしれません。でも、皆さん、試練は人を選択させるのです。絶望という選択か、希望という選択か、死に至るのか、死から勝利するのか、サタンの誘惑に巻き込まれるか、誘惑に打ち勝つ信仰か、私たちは選択が迫られ、そこでは、神を信じるとはどういうことかと問われているということであろうと思うのです。
 
 詩編の作者はこう記しました。「卑しめられたのはわたしのために良いことでした。わたしはあなたの掟を学ぶようになりました。」
 
 私たちが生きていく中にあって、自分自身ではよく分からない苦悩、試練があります。でも、それらの全てを含めて、良い事であったと思える時が必ずやってきます。 
 
 それが何時なのか、わたしたちには分かりません。でも、主なる神は御存知であるなら私たちは心配しなくて良いのではないでしょうか。全てが相働きて益となる。そう信じて、私たちは今日を精一杯生きて参りましょう。

お祈りします。

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