日本キリスト教団 大塚平安教会 

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この世を愛し尽くされた方

2022-07-10 15:03:03 | 礼拝説教
【ヨハネによる福音書3章16~21節】

 毎週水曜日の午前と午後と祈祷会を行っておりますが、午前の祈祷会では、新約聖書のヘブライ人への手紙という箇所を読んでいます。ヘブライ人とはヘブライ語を話す人々という意味ですが、それはそのまま元々ユダヤ教徒であった人々という意味ともなります。

 主イエス・キリストの十字架と復活、40日後の昇天、更に10日後のペンテコステの出来事により、勇気と力を得た弟子たちが主イエス・キリストこそ真の救い主と福音宣教を開始し、その働きによって、もともとユダヤ教を信じ、ユダヤ教徒として生きていた、特にローマに住んでいたと思われるヘブライ人にも福音宣教活動が行われ、主イエスを神と信じる信仰者が誕生した。ヨハネによる福音書の3章の流れ、イエスとニコデモとの会話から考えれば、主イエスの福音によって新たに生まれた人々が多くいたと思われます。けれど、特にローマにおいては、信仰生活を守り続けるには厳しい環境であったと思われます。

 ローマからの迫害は常にありました。また、まだキリスト教の先駆けの時代ですから、主イエスの福音について教えが定まっておらず、いわば間違った教えも多く伝えられていたようです。迫害があり、間違った教えに翻弄され、時にはユダヤ教に戻ってしまう人々もいたり、新しく生まれたはずなのに、なぜこんなにも辛く生きていかなければならないのかと嘆いていたりする人々も多くいたようです。

 そのような状況を知るにつれ、ヘブライ人の著者は、真の救い主である、私たちの主イエスへの信仰を守り続けていくことの大切さを、心を込めて記し、励まし、力付けている、それがヘブライ人への手紙となります。
今、その手紙の頂点とも言ってもよい11章という箇所を読み続けていますが、聖書に親しんでおられる方であればよく知られている箇所でもあります。
11章1節には「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。昔の人たち、この信仰のゆえに神に認められました。」とあります。

 信仰とは、望んでいる事柄を確信すること。未だ見えない事実を確認すること。
でも、大切なポイントは、「なるほどそういうことか、よし、私は信仰によって確信しよう。とか、まだ見えていないけれど自分は信仰をもって見えない将来を見えるように励もう」ということではないということです。

 信仰とは望んでいる事柄を確信する。でも、大切なところは、誰が望んでいるのかという点にあります。信仰とは、自分ではなく、主なる神が自分に望んでおられる事柄を確信して、神様があなたの将来はこうなるという未だ見えない事実を伝えてくださった言葉を信じる、神様の御言葉、神様の約束、神の啓示が先にあり、それに答え、応答していくことが信仰だと教えています。
そのようにして昔の人々が、その信仰ゆえに神に認められましたと続くのです。3節。4節からは、その信仰によって、神に義とされて生きた旧約聖書の信仰の先達の名前が綴られています。アベルの名前があり、エノクの名前があり、ノアの名前があり、アブラハム、イサク、ヤコブ、モーセと続きます。一人ひとりがどうであったとか、こんな出来事がありましたといった内容には触れていません。読む人々がヘブライ人だからです。ユダヤ人であり、読む人々は、その人の名前を読むだけで、聖書に記されている事柄を頭に想像出来たでありましょう。

 これらの名前が挙げられている一人一人に共通していることは、神が望んでいる事柄、約束してくださった事柄を地上の生涯においてはその目に見ることが出来ないままで、しかし、それを信じ、確信しながら生き、そして召されて行った一人一人であったということです。しかし、確かに神に応答して生きた一人一人でありました。

 11章の最後の箇所39節と、40節を読みますが、こう記しました。「ところで、この人たちはすべて、その信仰ゆえに神に認められながらも、約束されたものを手に入れませんでした。神は、わたしたちのために、更にまさったものを計画してくださったので、わたしたちを除いては、彼らは完全な状態に達しなかったのです。」
この箇所は、今週の祈祷会で共に読む個所となりますから、是非おいで下さればと思っておりますが、「神様の更に勝った計画」とは主イエス・キリストです。神の独り子である主イエス・キリストを私たちの世に誕生させてくださいました。
だから、私たちを除いては、完全な状態にはならなかった。つまり、主イエスを知る私たちは、完全にされたということでしょう。今、主イエス・キリストがこの世に現れ、私たちは救い主を知り、完全とされた。
だから、ローマに住む主イエスをメシアと信じるヘブライ人の皆さんよ、迫害に屈せず、間違った教えに翻弄されず、神様の愛にしっかりと応答していきましょう。と一生懸命に文章を記している様子が分かります。
 
もう一度申し上げますが、神様の更に勝った御計画、それは主イエス・キリストです。先ほど、ヨハネによる福音書3章16節からを読んでいただきましたが、3章16節には「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」とあります。

 宗教改革者のルターという人は、この御言葉を「小さな聖書」また「小型福音書」と記しました。もしこの世に聖書が無くなったとしても、このヨハネ3章16節さえあるなら、福音宣教は続けていけるとも告げたと言われています。この御言葉に神の福音が凝縮されている。神は、神の約束の完全な形として神の独り子イエスをこの世に誕生させてくださいました。「この世」とは「人の世」という意味です。

 人の世とは、罪に満ち溢れる世界です。先週金曜日、既に皆様ご存知の通り、安倍元総理が選挙応援の演説中に銃撃されました。銃撃した犯人はすぐに取り押さえられ逮捕されましたが、その後安倍元総理の死が告げられ、私たちは衝撃を受けました。
人の目からすれば死ぬはずの無い人が、突然の死を迎える。犯人は犯罪という罪ゆえにそれ相応の罪に対する償いとしての厳しい判決が下されることになるでしょう。

 この件については、今はこれ以上のことは申し上げませんが、先週は私たちの教会においても大きな悲しみに包まれました。私たちと共に信仰生活を送ったK兄が天に召され、葬儀が執り行われました。K兄は5月末に診察を受けた時に、胆管がんと診断され、その治療のための12時間の手術に耐えて過ごしておられただけに、まことに残念で悲しみの中での葬儀となりました。
 
 更に、週報に記しましたが、先週の火曜日の朝に、教会員のTご夫妻のご息女が天に召されていかれました。夜に少し調子が悪いからと早くに横になって寝たそうですが、朝には既に召されていたそうです。静かに自分でも気が付かない内に召されたのではないかと伺いました。55歳の若さでありました。今、お母さんは大変な悲しみにあります。
ご自身の体や気持ちの整理もつかず、訪問されても対応しきれない様子です。お嬢さんは、私が町田の教会で牧師であった時の、2006年に転入会されて、それ以来ずっと親しくしていただいていました。いつも明るく朗らかで、笑っている顔しか思い浮かべられません。

 一週間のうちに、これほど人の死を思わされる、人の死を考えさせられた週はこれまでなかったのではないかと思う程の一週間を過ごしました。金曜日の夕食の時に、思わず、私は「人は死んでしまったら終わりだなぁ」とつぶやきました。すると子どもたちから「牧師がそんなことを言ってもいいのか」と叱られました。その通りだとも思います。

 ヘブライ人への手紙に記されている旧約聖書の信仰の先達は、神様が望んでおられる望み、約束を信じて地上の生活を送り、まだ見えてない事実を見ながら生き、そして召されていきました。時代は代わり、現代を生きる私たちは聖書の時代や、100年前、200年前とは違い、人の死は良い意味でも、悪い意味においても、昔ほど身近なものではなくなっています。けれど、だから人は死なないわけではありません。
 私たちは、誰もが一人も残らず、どのようにしてか、何もわかりませんが、死を迎えることになります。その死は時代が変わっても、旧約聖書の人々の死と何も変わらない死であるのでしょう。

 けれど、一つ、全く違うことがあります。それは主なる神が私たちを愛するがゆえに、独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るために、主イエスを遣わしてくださったということです。

 私たちは、そのままでは滅びるのです。神の御前にあって、私たちは人に銃を向けることは無いでしょう。人を殺めることも無いでしょう。でも、主イエスは、兄弟に対して「バカ」という者は最高法院に引き渡され、「愚か者」と言う者は、火の地獄に投げ込まれる。と教えられ、姦淫に関しては、心に思っただけで既に罪を犯していると話されました。世の中の男性は既に全員が罪人ですよ。私たちは主イエスがおられなかったら、死はそのまま滅びなのです。

 その滅びから救いをもたらし、永遠の命へと導かれるために、主イエスは神の独り子として、世に誕生され、私たちの罪を罪無しとするために、私たちの罪の償いとして十字架に付けられました。私たちはそのために、生きていても、死ぬとしても、滅びの恐れから解放され、主にあって、神の子として、力強く生きていける者とされているのです。

 私たちは独り子を信じる者です。神の約束にしっかり応答し、この世にあって神を愛し、隣人を愛していける者として生きて参りましょう。この世の旅路を力強く過ごして参りましょう。

 お祈りいたします。

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