日本キリスト教団 大塚平安教会 

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後で、分かるようになる

2020-05-24 09:30:00 | 礼拝説教
2020年5月24日(日) 復活節第7主日(キリストの昇天 アジア・エキュメニカル週間)

黙 祷

招 詞 コリントの信徒への手紙二 4章14節
「主イエスを復活させた神が、イエスと共にわたしたちをも復活させ、あなたがたと一緒に御前に立たせてくださると、わたしたちは知っています。」

讃美歌363番「み神の力は」 菊池典子姉


聖 書 
(旧約聖書)詩編59編17~18節

わたしは御力をたたえて歌をささげ 朝には、あなたの慈しみを喜び歌います。あなたはわたしの砦の塔、苦難の日の逃れ場。
わたしの力と頼む神よ あなたにほめ歌をうたいます。神はわたしの砦の塔。慈しみ深いわたしの神よ。

(新約聖書)ヨハネによる福音書13章1~7節

  さて、過越祭の前のことである。イエスは、この世から父のもとへ移る御自分の時が来たことを悟り、世にいる弟子たちを愛して、この上なく愛し抜かれた。夕食のときであった。既に悪魔は、イスカリオテのシモンの子ユダに、イエスを裏切る考えを抱かせていた。イエスは、父がすべてを御自分の手にゆだねられたこと、また、御自分が神のもとから来て、神のもとに帰ろうとしていることを悟り、食事の席から立ち上がって上着を脱ぎ、手ぬぐいを取って腰にまとわれた。
それから、たらいに水をくんで弟子たちの足を洗い、腰にまとった手ぬぐいでふき始められた。シモン・ペトロのところに来ると、ペトロは、「主よ、あなたがわたしの足を洗ってくださるのですか」と言った。イエスは答えて、「わたしのしていることは、今あなたには分かるまいが、後で、分かるようになる」と言われた。


説 教 「後で、分かるようになる」 菊池丈博牧師



(以下 原稿です。)

 皆さん、おはようございます。5月24日となりました。緊急事態宣言も、私たちが住んでいる東京、神奈川、千葉、埼玉の首都圏、それと北海道を残すのみとなりました。恐らく明日の25日には解除されるのではないかと思われます。解除されたら、31日のペンテコステ礼拝は、短い時間でもこの礼拝堂で、礼拝を共に執り行いたいと、今の所考えております。
 とわいえ、まだまだ楽観できない状況が続いていますから、もう暫くの間、私たちは出来るだけ自粛しながら過ごして参りましょう。
けれど来月6月からは2020年度の大塚平安教会の礼拝と共に、様々な活動を少しずつ再開していこうと考えています。宜しくお願いします。
 
 未だ、教会総会は開催されていませんが、2020年度の主題聖句として選びました御言葉は、詩編30編6節の御言葉です。こういう御言葉です。

「泣きながら夜を過ごす人にも 喜びの歌と共に朝を迎えさせてくださる」

 2020年度、この詩編の御言葉を選んだのはただの偶然ではないと今は感じています。主なる神の働きがあったのではないか、そんな思いがしています。
「泣きながら夜をすごす。」その様子は今、自粛生活を強いられながら過ごしている私たちの状況と重なるように思います。しかし、主なる神は、喜びと共に朝を迎えさせてくださる方である。その思いを胸に私たちも過ごしていきたいと思います。
 
 今日の礼拝に、読まれました詩編は59編です。お手元に聖書を開いてご覧になれる方は、是非ご覧下さればと思いますが、59編1節、表題にはこうあります。「サウルがダビデを殺そうと、人を遣わして家を見張らせたとき」
この御言葉に該当する聖書箇所は、旧約聖書のサムエル記上19章となります。4月、5月の礼拝は、ビデオでの礼拝となりましたが、詩編56、57、58編と読み続けて参りました。その詩編はいずれもサウル王がダビデの命を狙う中で、ダビデが神の守りと祝福を願い求める詩編でありました。

 今日の59編も同じ状況です。サウル王がダビデの命を狙っている。その様子がうかがえます。サウル王の攻撃を逃れて、なんとか家に逃げ帰ったダビデでしたが、サウルは家臣をダビデの家に向かわせ、ダビデを殺すようにと命じていました。夜の暗闇の中、家臣はダビデの家を見張っていた。
ダビデはこのままでは朝までには殺されると感じ、妻のミカルに手伝ってもらいながら、窓から脱出に成功した。そういう場面が記されています。
ギリギリの所で命拾いをし、朝を迎えることが出来たダビデでありました。「喜びの歌と共に朝を迎える」ことが出来たと思います。

 詩編59編17節の御言葉にはこうあります。
「わたしは御力をたたえて歌をささげ、朝にはあなたの慈しみを喜び歌います。あなたはわたしの砦の塔、苦難の日の逃れ場」

 夜から朝になる。それは闇から光へ、苦難から祝福へ、絶望から希望へ向かう道が備えられているということではないでしょうか。

 私たちが生きていて辛いと思うことの一つは、どこへ向かっていけば良いのか分からない、という悩みでありましょう。
 高校三年生の娘は、3月、4月、5月と、既に三か月近く、学校に行っておりません。一時期、9月始業式という案が出て来ていましたが、簡単にはそうならないようです。ですから、受験生としての焦りがありありと見えます。
でも、もっと焦っているのは、果たして自分はどのような道を進めば良いのか、分からない。自分はどう生きていこうとしているのか分からないという点です。時々、相談されますけれど、どう助言したら良いのか、私も、いつも迷います。
進路が決まる。入りたい学校が決まる。自分はこう生きると決まってくるなら、大分スッキリするでしょう。でも、どこに向かえば良いのか分からない。光が見えない、それが夜、暗闇という状況ではないでしょうか。
聖書を読めばそこに解決の御言葉が記されている、ということもあります。主イエスは、山上の説教の中で「思い悩むな」と教えられました。「だから言っておく。自分の命のことで何を食べようか何を飲もうかと、また自分の体のことで何を着ようかと思い悩むな。」あなたがたは何も思い悩まなくて良い、何よりもまず神の国と神の義を求めなさい。と教えられました。
個人的には、私はこの御言葉がどんなにか自分の人生を支えてくれたか、どんなに聞きたかった御言葉であったかと思いますけれど、でも、それは長い悩みと苦しみの果てに、ついに与えられた御言葉であることも思います。

 ですから、人は時として悩むことも必要で、大切だろうとも思います。
 特に、10代、20代という世代は勿論、けれど、どの世代であろうと、与えられている状況が、深い霧に包まれたような、闇の中にいて、光を見出せないような状況を生きている方も少なくないと思います。

「思い悩む」と言われても、悩まずにはおられない。今が悩みどころ、という方もおられるでしょう。受験、就職、結婚といったより具体的な、人生の節目、節目においては、悩みが無いということも無いと思います。
それでは、私たちはどのように悩めば良いのでしょうか。

 今日は新約聖書からヨハネによる福音書13章を読みました。そこは、主イエスが弟子の足を洗うという表題が付けられていますが、過越しの祭の前の日、つまり「最後の晩餐」と一呼ばれる日の前の日の出来事と思われます。

 主イエスは、この世から、父のもとへ移る御自分の時が来たことを悟られたとあります。それから夕食の時に、主は食事の席から立ち上がって上着を脱ぎ、たらいに水を汲んで弟子たちの足を洗い始められたとあります。
その様子に弟子たちは驚きました。驚きの中で弟子のペトロは主に尋ねました。「主よ、あなたがわたしの足を洗ってくださるのですか」この問いかけに、主イエスは「わたしのしていることは、今あなたには分かるまいが、後で、分かるようになる」と言われています。

 この「後で」とは、主イエスの十字架と三日の後の復活を暗示していると思いますけれど、この時の弟子たちには、主イエスの言葉も行動も理解出来なかったでしょう。十字架の死の後の、復活された主イエスの姿を見た時に、初めて全てを理解出来たのではないでしょうか。
信仰を持って歩んでいる者にとって、悩み深い生活を送ること自体、何か自分は不信仰ではないのか、神を信じていないのではないかと、自問自答したくなるかもしれません。あるいは神様は一体何を考え、どう思われているのか、と疑いたくなるかもしれません。

 旧約聖書のヨブ記のヨブは、天上の神と地上のヨブがそれぞれに、それぞれの姿で登場します。しかし地上のヨブにとって、天上の神の様子を知る余地はありませんでした。だからヨブは、長く思い悩み、苦しみ、もがき続けました。もし、ヨブが財産を失い、家族を失い、病に倒れたとしても、天上の神の様子を知っていたとしたら、悩みは随分と少なかったでしょう。

 そのようにして、私たちは、ヨブのように、理解できないこと、分からないこと、それ故に悩み続ける状況があると言っても良いでしょう。
でもみなさん、そういう時にこそ、主イエスが言われた「今あなたには分かるまいが、後で、分かるようになる」という御言葉を思い起こしましょう。
今わからない、それはまだ夜だからです。暗闇の中でどこに進めば良いのか分からない、でも確かなことは、「後で、分かるようになる」と主が言われていることです。信仰を持つとは、そういうことではないでしょうか。

 皆さん、私たちが置かれている状況もそのようなことかもしれません。世界中では、まだまだコロナウィルスの脅威は収まっていません。世界中では凡そ500万人の方が感染し、30万人の方が亡くなっています。
どうして、こんなことがと神を見上げて、呻きたくなります。けれど、この先に今はわからないけれど、必ず朝が与えられる、そう信じて私たちは過ごして参りましょう。もうすぐ、主なる神は、神の朝を与えて下さいます。その時を望みつつ、この一週間も過ごして参りましょう。 お祈りします。

讃美歌 463番「わが行くみち」(ご自宅で賛美して頂ければ、幸いです。)

主の祈り

黙 祷

※ 献金についてですが、教会の2020年度の活動を覚えて、貯金箱献金をお願いします。 それぞれのご家庭にある貯金箱に「席上献金」を貯金して、礼拝堂での礼拝がはじまりましたら、お献げ下さい。 ご協力宜しくお願いします。


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