日本キリスト教団 大塚平安教会  

教会情報や牧師のコラムをごちゃごちゃと

幸いな人

2019-08-04 14:32:20 | http://www.ohtsukaheian.jp/
【詩編90編1~12編】
【マタイによる福音書9章9~13節】

 先日、子どもの教会サマーキャンプが教会で行われまして、正確な人数はわかりませんが、50名以上の子どもたちと共に、教会に泊まって過ごしました。

 私は、月、火の疲れが木、金あたりに出て来まして、「今頃!」と家内に驚かれました。(笑)きっと、子どもたちは次の日には、キャンプの疲れも何もなく、更に元気に走り回っていたことでしょう。
 今年のテーマは「イエス様とあそぼう」というテーマで、とにかく、来て楽しかった、教会は楽しいところだ、友達と遊べるという思いを持ってもらいながら、でも、ただ遊べるだけでもなく、遊びの中に聖書の色々な場面を持ち出しながら、自然に聖書の話を覚えていくようにと心掛けて行いました。

 五つのパンと二匹の魚の話とか、ザアカイさんの話をしたり、イエス様が弟子たちを招いたりという場面を話しながら、弟子たちの名前を自然に覚えるようにと工夫したり致しました。弟子たちを招くイエス様の絵本がありまして、それをプロジェクターに映して、主が弟子たちを招かれる場面を読んだりもしました。

 最初は漁師であったペトロとアンデレ、あるいはヨハネとヤコブ、そして、その次に収税所に座っていたマタイを、通りがかりに見られて、「わたしに従いなさい」と言われた場面も読みました。
 今日、先ほど読んでいただきました箇所が、丁度その箇所となるわけですが、主イエスが、マタイという人が収税所に座っているのを見かけて、「わたしに従いなさい」と言われた。とあります。するとマタイは立ち上がって「イエスに従った」とあります。

 漁師たちを招かれた場面も、同様ですが、彼らはなぜ、「イエスに従った」のか、記されているわけではありません。ですから、想像を膨らまし、思いを巡らす以外にはないのですが、マタイは徴税人でした。収税所に座っていたのですからそれは間違いないと思います。

 10節には「イエスがその家で食事をしておられたときのことである。」とあります。「その家」とは恐らくマタイに家ではないでしょうか。徴税人や罪人も大勢やって来て、イエスや弟子たちと同席していました。そんな様子を見ていたファリサイ派の人々が弟子たちに話しかけました。「なぜ、あなたたちの先生は徴税人や罪人と一緒に食事をするのか」「徴税人と罪人」と言う言葉は、まるでセットで用いられているようにも感じます。

 徴税人の仕事は、文字のまま、税金を取り立てる仕事です。
 イエス様の時代のユダヤ、イスラエルは、純粋な独立国ではありませんでした。ローマ帝国の支配の下に置かれていた。徴税人が、おもに取り扱う税金は、そのローマ帝国が徴収する税金でありました。

 自分たちの国や地域、社会の為に用いられる税金ではなく、自分たちを支配しているローマに納めたお金が持っていかれるわけです。しかも、税金を集めるのは、ユダヤ人、地元の人を使って税金を集めていました。
 ローマ人がやって来て徴税すれば、ローマに対して益々地域の人々は反感を感じるでしょうから、そうしませんで、現地の人を用いて税金を集めさせた。
 例えば、ローマから100円の税金と言われても、徴税人は勝手に、その徴税人の力量で、金額を110円にしたり、120円にしたり出来たようです。そしてローマには100円、自分の懐には10円、20円というようにして、徴税人も儲かり、ローマも苦労なく税金が集まり、しかもあまり住民から反感を買わないという方法を用いたのだと思われます。
 
 ローマから徴税権という権利を与えられた徴税人は、自分も随分儲かりますので、私腹を肥やす事が出来たでしょうし、何人もの人を使っていたザアカイのようにお金持ちになることも出来たでありましょう。
 けれど、同時に、同胞からは大変嫌われる。そのことも引き受けなければなりませんでした。自分たちを支配するローマに税金を納めるだけでも腹立たしいのに、その権利を用いて同じユダヤ人が、税金の上前をはねて自分の懐に入れて私腹を肥やすわけですから、どうしても徴税人は嫌われ者になってしまいます。

 裏切り者扱いされるのはやむを得ません。自分達が信じる主なる神に対しても裏切っているという思いがあったかもしれません。ですから、徴税人と罪人というのは同格のように扱われたのでありましょう。
 
 主イエスに従ったマタイも、そのような徴税人の一人であり、マタイだけが、自分の取り分無しで、上前を撥ねない良心的な仕事をしていた姿を見抜いてイエス様が弟子にしたとは考えられません。「わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」と主は話されています。

 マタイはまさに徴税人でした。けれど、そのようなマタイがイエス様に「私に従いなさい」と言われて、「彼は立ち上がってイエスに従った」のです。
 なぜ、立ち上がって、主イエスに従ったのか、最も考えられることは、マタイは、この仕事をしながら、自分の人生をやり直したいと思っていたのではないかと思います。

 だから、主イエスの言葉にすがるようにして、従っていったのと考えることも出来るでしょう。
 でも、もう一つ考えられることは、この主イエスがマタイを招く場面は、主イエスが、マタイの5章から始まる「山上の説教」と呼ばれる主イエスの教えが7章まで続きます。それに続いて8章は、主が立て続けに奇跡の業、癒しの業をされています。
 重い皮膚病を患っている人を癒される、百人隊長の僕を癒される、ペトロの姑の熱を癒す。そして多くの病人を癒し、船の上においては嵐さえも叱りつけて、凪にさせるのです。異邦人の土地であるガダラ人の土地では、墓場にいて悪霊に取り付かれていた二人を癒され、そして、9章に入っても尚、中風の人を癒すという奇跡の業が立て続けに記されています。更に、その奇跡の物語はまだ続いている途中にこのマタイを招く場面が入っているのです。
 
 奇跡の業をなされる主の姿が記されている場面で、どうしてマタイを弟子にする場面が記されているのか、徴税人であったマタイが、主イエスの弟子になるということ、「私に従いなさい」と言われたマタイが、その理由や説明の一つの理由もなく立ち上がって従ったということ、もまた一つの奇跡の出来事が記されていると考えることが出来るのではないでしょうか。
 
 主イエスがマタイを見かけられたのです。それが全ての始まりです。そして「わたしに従いなさい」と声をかけられました。
 
 主イエスに声をかけられたマタイは立ち上がって主イエスに従いました。「立ち上がって」と言う言葉と「座っていた」と言う言葉は対の言葉です。彼は座っていたのですが、立ち上がったのです。罪の中に座り込んでいたところから立ちあがったのです。
 それは、9章の1節からは、寝たきりであった中風の人が、起き上がって床を担ぎ、家に帰って行った出来事が記されていますが、「立ち上がる」そして「起き上がる」このような言葉は、復活の出来事を思い起こさせられる言葉です。

 立ち上がったマタイは何をしたのか、12人の弟子の中に選ばれ、これまでの人生と全く違う歩みを、主イエスと共に歩み続けました。
 
 しかし、聖書の中にマタイが何をしたとか、こんな出来事があったといった内容は記されていません。ペトロ、ヨハネ、ヤコブ、アンデレ、といった弟子たちのように、頻繁に名前が登場するわけでもありません。新約聖書全体でも、5回、マタイという名前が登場しますが、今日の場面を除けば、全て弟子の一人として記されているだけであります。

 けれど、この2千年以上に亘って、現代を生きる私たちにとっても、マタイという名前は、とても馴染みがあり、忘れがたい名前です。どうしてか、マタイは、マタイによる福音書を記したからです。マタイ1人の手によってではないだろうと言われていますが、けれど、マタイがいなかったこの福音書は記されなかったでしょう。

 あの、美しく、また、人の心に大きく影響を与え続ける、主イエスが話された山上の説教を記したのはマタイです。「敵を愛しなさい」、という御言葉によって、キング牧師は公民権の獲得を目指しました。「復讐してはならない」という御言葉によって、ガンジーは非暴力不服従で、インド独立を成し遂げました。
 
 「思い悩むな」と話して下さった主イエスの御言葉を記したのもマタイです。

 「自分の命のことで何を食べようかと、また自分の体の事で何を着ようかと思い悩むな。」「空の鳥を見なさい。」「野の花を見なさい。」と教えられた主イエスの御言葉を記したのもマタイです。マタイによる福音書は、主イエスの平和への道を書き記していると言っても良いでしょう。

 そして、このマタイによる福音書がまとめられたのは、諸説ありますけれども、主イエスの十字架と復活、そしてペンテコステの出来事から凡そ70年後ほどではなかったと考えられています。なぜこの福音書が必要であったのか、なぜ書き記さねばならなかったのか、主イエスを直接知る弟子たちが、天に召され、少なくなって来ていたことが考えられます。
 弟子のヨハネは長生きであったと言われますけれど、主イエスと共に歩んだ、いわば第一世代の弟子たちが、これからの世代の人たちに対して、残すのは、財産ではなく、主イエス・キリストが話された御言葉であり、神の国の福音であり、私たちに与えられた神の御計画と、祝福を残しておきたい。そう願いながらこの福音書は記されたのであろうと推測致します。

 本日、私たちの教会は創立70年の記念礼拝として献げています。この大塚平安教会が設立されて70年の年月が経ちました。この70年という年月を思う時に、大塚平安教会がどのようにして設立され、どのようにして成長してきたのか、既に教会の50年誌、60年誌も発行されていますけれど、直接にその時代を生きた方々が、少しずつ天に召されているのも現実です。だから、私たちは、70年誌を書き記すだけでもなく、何よりも、聖書を読み、主の福音にふれて、主の御言葉に従った方々、一人一人の信仰を受け継いでいきたいと改めて願います。

 私たちは、時として「自分の信仰」という言葉を用います。自分に与えられた特別な信仰と思います。けれど、その信仰は、これまで長い歴史を積み重ね、守って来た信仰の先達の信仰とつながり、教会の信仰とつながり、そして、主イエスと共に歩んだ多くの人々の信仰へとつながっていくのです。この70年周年という記念を、ただ記念とするだけでなく、これからの歩みの為にも、私たちは更に、主イエスの御言葉に聞き、信仰を養い、移り変わる時代の中で、移り変わらない確かな神の福音を胸にして、力強く歩み続けて参りましょう。

 お祈りします。
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