日本キリスト教団 大塚平安教会 

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神の正義を生きる

2020-05-17 09:30:00 | 礼拝説教
2020年5月17日(日) 復活節第6主日(キリストの勝利)

黙 祷

招 詞 コリントの信徒への手紙一 15章20~21節
「しかし、実際、キリストは死者の中から復活し、眠りについた人たちの初穂となられました。死が一人の人によって来たのだから、死者の復活も一人の人によって来るのです。」

讃美歌499番「平和の道具と」  菊池典子姉


聖 書 旧約聖書 詩編58編1~12節

【指揮者によって。「滅ぼさないでください」に合わせて。ダビデの詩。ミクタム。】
2 しかし、お前たちは正しく語り 公平な裁きを行っているというのか 人の子らよ。3 いや、お前たちはこの地で 不正に満ちた心をもってふるまい お前たちの手は不法を量り売りしている。4 神に逆らう者は 母の胎にあるときから汚らわしく 欺いて語る者は 母の腹にあるときから迷いに陥っている。5 蛇の毒にも似た毒を持ち 耳の聞こえないコブラのように耳をふさいで6 蛇使いの声にも 巧みに呪文を唱える者の呪文にも従おうとしない。
7 神が彼らの口から歯を抜き去ってくださるように。主が獅子の牙を折ってくださるように。8 彼らは水のように捨てられ、流れ去るがよい。神の矢に射られて衰え果て9 なめくじのように溶け 太陽を仰ぐことのない流産の子となるがよい。10 鍋が柴の炎に焼けるよりも速く 生きながら、怒りの炎に巻き込まれるがよい。11 神に従う人はこの報復を見て喜び 神に逆らう者の血で足を洗うであろう。12 人は言う。「神に従う人は必ず実を結ぶ。神はいます。神はこの地を裁かれる。」

新約聖書  ルカによる福音書6章39~42節

39 イエスはまた、たとえを話された。「盲人が盲人の道案内をすることができようか。二人とも穴に落ち込みはしないか。40 弟子は師にまさるものではない。しかし、だれでも、十分に修行を積めば、その師のようになれる。41 あなたは、兄弟の目にあるおが屑は見えるのに、なぜ自分の目の中の丸太に気づかないのか。42 自分の目にある丸太を見ないで、兄弟に向かって、『さあ、あなたの目にあるおが屑を取らせてください』と、どうして言えるだろうか。偽善者よ、まず自分の目から丸太を取り除け。そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目にあるおが屑を取り除くことができる。」

説 教 「神の正義を生きる」 菊池丈博牧師



(以下、原稿です。)

「神の正義を生きる」

 皆さん、おはようございます。コロナウィルスの拡大も、ついにピークを越えて来たように報道されています。国内39の県では、先月4月7日依頼の緊急事態宣言が解除されました。私たちが生活をしている首都圏、東京、神奈川では引き続き緊急事態宣言が続いています。自粛疲れで焦れてしまいそうになりますが、もう少しのところまで来たという思いもあります。
 大塚平安教会は、今日の17日、また引続き次週の24日の日曜日の礼拝は、既にお知らせしていますように礼拝堂での礼拝は行いません。5月31日のペンテコステ礼拝からは、執り行えるのではないかと前向きに考えております。それまでもう暫く辛抱して過ごして参りましょう。

 昨年2019年の年度当初より、礼拝説教の中で詩編を取り上げながら説教してまいりました。今日は詩編58編です。今、ここで改めて読み直すことはしませんが、特徴的な言葉がいくつかあります。「不正に満ちた心」、「不法を量り売りする者」、「神に逆らう者」、「欺いて語る者」このような言葉が続きます。
 詩編が記された詳しい背景を探るのは難しいようですが、神を神としない不信仰な者がいて、不正、不法を犯し、神を信じる人々を混乱に陥れていた状況と思われます。いつの時代であろうとも悪人が栄え、善人が虐げられる、この世ではそういったことが度々起こります。
 
 そのような悪人に苦しめられる人々が、必死に神に祈りを込めて記しているのが58編だと思われます。しかし、更に特徴的なのは、神を信じる人々であっても非常に強い言葉で、徹底的に悪人を懲らしめて欲しいと願っている様子が記されています。
 
 7節、8節にはこうあります。「神が彼らの口から歯を抜き去ってくださるように。主が獅子の牙を折ってくださるように。彼らは水のように捨てられ、流れ去るがよい。神の矢に射られて衰え果て なめくじのように溶け 太陽を仰ぐことのない 流産の子となるがよい。」
 皆さん、歯を抜き取る、牙を折る、捨てられる、なめくじのように溶ける、流産の子となる、これらの言葉、大分強い言葉ではないでしょうか。

 私はこの詩編58編を読みながら、信仰を持つ者として、違和感を覚えないわけにはいかないと思いました。
 神を信じるものが、こんな強いというか、恨みを込めた言葉を持ちるのだろうか、ここからどういう神の福音を紡ぎだせるのだろうか、戸惑いを感じる詩編だなと思いながら読みました。

 けれど皆さん、色々と考えるうちに、思いが変わり、これほどまでに相手をけなし、憎しみを露わにする程に、悪人と呼ばれる人々は、酷い仕打ち、残酷な業を働いてきたのではないだろうか。心も体も徹底的に虐げられてきたのではないだろうか、そんな思いに至りました。
 
 自分達が徹底的に窮地に追い込まれてしまう、その時、心の余裕は無くなり、自分を守るために、必死の反撃に出ようとする、そんな心境をつづった詩編ではないかと思います。
 
 最近、テレビや報道などで、「自粛警察」とか「自粛ポリス」という言葉を頻繁に聞きます。緊急事態宣言中で、外出自粛要請中にもかかわらず出歩く人を見つけ、営業する飲食店を見つけ、自分達と違う県のナンバーを付けた車を見つけたりすると、正義のためと思うのか、嫌がらせなのか、張り紙をしたり、石を投げたり、誹謗中傷を繰り返す人々がいるというのです。
自粛を守っていない人を見つけては、取り締まっているような様子から「自粛警察」といった言葉になったのでしょう。
 脳科学者の中野信子さんという方がそのような誹謗中傷を繰り返す人々のことを「正義中毒」という言葉で説明しています。
 
 営業している店がどんなにコロナ対策をしていても、その店が潰れるかどうかの瀬戸際であっても、ここで止めたら従業員が路頭に迷うからと必死にやっていたとしても、店の事情には関心を示さず、ただ自粛しいていないという一点で、制裁が下されて当然であり、制裁を下す自分達は正義である。
 全てはコロナ予防の為にという印籠を引っ提げて、嫌がらせの紙を貼ったり、警察に通報したり。嫌がらせというより、自分は正しいことをしていて、自分は正義で、相手は悪である、だから懲らしめるのが当然と思っているようです。
中野さんは、懲らしめれば懲らしめる程、脳の中が気持ち良くなると説明しています。だから、いよいよ止められない、益々エスカレートしていくのだそうです。

 中野さんは、そんな人は、アルコール中毒とか、ギャンブル依存症と同じように、脳が依存状態となり、人を責め、弱い所を叩くことによって気持ち良くなり、憂さ晴らしをしているのだと説明してありました。
でも、憂さ晴らしですから「正義中毒」となっている側の人も、本当は多くのストレスや不安、悩み、重荷を抱え込えている人々であって、はけ口を探し、叩ける相手を探し回っているのかもしれないと思います。

 詩編の著者は神に祈りつつも、徹底的に敵を倒し、打ちのめし、なめくじのように溶けて欲しいとさえ願い、祈っています、その怒りにも似た願い、祈りは、長く続く争いと争い、例えば詩編56編、57編で、先週も先々週も話しましたが、イスラエルとペリシテとの間の争いが記されてありますが、長い間のストレスと、どこにも出せない苛立ちを、神にぶつけるようにして祈っていたのではないか、そしてその姿は、まさに自粛疲れを感じている私たちの心の中でも、起こり得るのではないかと思うのです。
 私たちは、正義中毒にならないように、そのような依存症状が出ないように気を付けて過ごして参りたいと思います。

 先日、私が尊敬している牧師がショートメッセージを記して、送って来て下さいました。内容は、ダスキンという掃除会社を創設した鈴木清一さんという方を紹介したメッセージでした。鈴木さんは昭和初期にロウソクに変わる、ワックスを開発して、戦後は会社を設立して大成功したそうです。その後アメリカのジョンソンワックスという会社と合併し、更に規模を拡大していったのですが、いつの間にかジョンソン側の社長と意見がぶつかり、自分が造り上げて来た会社からたたき出されたそうです。
 もう、こうなるとジョンソン憎し、となって鈴木社長、まさに恨み、妬み、徹底的に争いたい、とは思わなかったそうです。鈴木社長は、ある宗教を信じていたそうですが、更にキリスト教の精神にも触れる機会があり、この事をバネとして、『ダスキン』を創設したそうです。ダスキンのダスは「ホコリ」のダスで、ダスキンのキンは、雑巾のキンだそうです。そこで更に力を得た鈴木社長は、以前の自分を遥かに超えた、素晴らしい働きをされたそうです。

山が高いなぁ、谷が深いなぁ、それが人生、一つも上手くいかないと思われますか。あの人がいなかったら、この人さえ違っていたら、と思われますか。
 
 主イエスは、「なぜ自分の目の中の丸太に気づかないのか。自分の目にある丸太を見ないで、兄弟に向かって『さあ、あなたの目にあるおが屑を取らせてください』と、どうして言えるだろうか。まず、自分の目から丸太を取り除け。そうすればはっきり見えるようになる」と話されました。私たちは自分のことは分からなくとも、人のことは良く見えるものです。ですから、自粛警察のような人も現れます。でも、そんな人こそ自分の目の丸太は見えていないはずですよ。私たちはそのような罠にまるまらずに、人ではなく主なる神を見て、何があっても尚、その先に確かな宝物があると信じて、歩んで参りましょう。

お祈りします。

讃美歌 448番「お招きに応えました」(ご自宅で賛美して頂ければ、幸いです。)

主の祈り

黙  祷

※ 献金についてですが、教会の2020年度の活動を覚えて、貯金箱献金をお願いします。 それぞれのご家庭にある貯金箱に「席上献金」を貯金して、礼拝堂での礼拝がはじまりましたら、お献げ下さい。 ご協力宜しくお願いします。






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