日本キリスト教団 大塚平安教会 

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祝福で満たされるために

2020-11-13 11:36:34 | 礼拝説教
【詩編81編1~11節】
【マルコによる福音書1章35~39節】

 本日の説教題を「祝福で満たされるために」としました。私たちは、日頃、生活を送りつつ、どこかに「祝福」が落ちてやしないか、どこかで祝福が自分の方にやって来ないだろうかと思っているところがあるのではないでしょうか。
 例えば、漠然と祝福はなによりも健康だと思う。最近朝に見ているテレビで、巷で流行っていると思いますが、家で行う体操とか、家で行うストレッチとか、体のあちこちを伸ばして健康になる、3分、5分で健康になるといったものを毎日見ています。
 毎日見ながら、なるほど、そうするのかと思いながら、毎日見ていると、なんだか自分も一緒になってやっている気分になります。実際は少しも動いていないわけですから、何の役にもたたない。それでも、やっぱり毎日健康でいたいと思います。
 健康だけでもなく、なんとなく、お金持ちにならないかなとかね、でも思うだけで、お金もちになった人はいないでしょう。
 昔から夜空を眺めて、流れ星を見つけたら、星が流れている間に願い事を願えば叶うと言われたりします。でも、大体は星を見つけても、願う前に消えてしまいます。漠然とした願いですと、私の願いはなんだと思っている内に大体消えてしまうものです。
 
 あるいは「祝福がやってこないかな」と思っている人との所へ、やってくる祝福は、どうも偽物の祝福が多いようです。「飲むだけで痩せる」とか、「必ず儲かる」とか、上手い話をしては、人をだます手口は後を絶ちません。
 後を絶たないのは、楽して儲かりたいと思っている人も多いからでしょう。そんな人の心を狙って、まるで本物のようにしてやって来るからでしょう。世の中は偽物のほうが、本物よりも本物のようになっているかもしれません。

 先ほど読みました詩編81編9節からを読みますとこうあります。「わたしの民よ、聞け、あなたに定めを授ける。イスラエルよ、わたしに聞き従え。あなたの中に異国の神があってはならない。あなたは異教の神にひれ伏してはならない」ここでいう異国の神、異教の神とは簡単に言えば「偽物」という意味でしょう。
 偽物のほうがどうも本物に見えてきて心が惹かれてしまう。でも偽物から本物の命が与えられないように、自分達の人生が祝福で満たされることはない、だからイスラエルよ、わたしに聞き従えと、主なる神は告げておられるわけです。続く11節を読みますが「わたしが、あなたの神、主。あなたをエジプトの地から導き上った神。口を広く開けよ、わたしはそれを満たそう」
 
 「口を広く開けよ」は聞きなれない表現ですが、この御言葉が今日のポイント、鍵となる、祝福を受けるに大切な御言葉です。口を広く開けよ、この意味は三つ、一つは、神に祈り求めなさい。二つ目は神を賛美しなさいと。三つめは、しっかり食べることだというのです。
 この三つによって「わたしはそれを満たす」と主なる神は告げられました。

 祝福で満たされるために必要な一つ、神に祈り求めることです。主イエスはある時に「気を落とさずに絶えず祈らなければならないことを教えるために」弟子たちにたとえ話をされました。ある町に神を畏れず、人を人とも思わない裁判官がいた。ところがそこに、一人のやもめがやって来て訴えました。当初裁判官は取り合おうともしなかったが、やもめが何度もやって来ては訴えるので、ついに「あのやもめはうるさくてかなわないから、彼女の為に裁判をしようと」決めたというのです。そのようにして、神は昼も夜も叫び求めている人々を放っておかれるはずはない、だから熱心に、繰り返し祈ることだと教えられたたとえ話です。
 
 これまで、何度かお話しましたが、私は牧師になるために神学校に入学したのは29歳でした。それまでの人生、自分は一体どう生きようか、どう生きていけば良いのか迷いました。何しろ、体力もない、財力もない、学力もない、ないものが服を着て歩いているような20代、でも当然と言えば当然なのです。ずっと迷っていたようなものです。自分の人生に迷いがある時は偽物に心が持ってかれますし、方向が定まりませんから、右にそれ、左にそれるのです。 
 でも、主イエスの「わたしに従いなさい」という御声に従おう、そう思わされた時、「神様、私はあなたの前に何もありません。でも、この体一つで従いますから、どうぞ導いてください」と祈りました。その祈りから2年、3年経って、神学校に入学することが許されて、今があるなぁと思います。
 
 神様の導きによって、大塚平安教会に導かれてやって来ました。来てすぐに、ある方に聞いてみました。「礼拝で新来者は何人ぐらい来られますか?」そしたら、一人も来ませんと言われて驚きました。そんなことは無いだろうと思っていましたが、だんだん言われた言葉の意味が分かって来ました。確かに新しい方はまあ滅多に来られませんでした。
 でも、それから暫くして、会堂建築が始まり、新しい会堂が完成しました。この会堂の為にもずっと祈り続けてきた訳ですが、建てられてから5年経ちましたけれど、その間に私たちの教会は、本当に祈ること、祈り続けること、願い続けることを学んで来たのではないでしょうか。御心に適う本気の祈りは必ず適えられる、そのことを、体験してきたのではないでしょうか。祈り求め続けるところにこそ、祝福が満ちるのだと思うのです。
 
 口を広く開けよ、その二つ目は神を賛美することです。賛美の歌声を響かせることです。声に出すことです。先週ある方から「声に出して読みたい聖書」という本を頂戴しました。喜んで読みましたが、そこには主イエスの「生の声」を、声を出して読むことの大切さが記されてありました。
 今小学校の授業でも、大切にされているのは音読です。声に出して読むことがどんなに大切か、私も全くそう思います。外国語を学ぶ時も声に出すことだと思います。
 
 神を賛美する。美しい歌声でもって神を賛美する、そこは祝福で満たされる場となるのは当然のことです。でも、それだけでもありません。神を賛美する、それはそのような心を持って生きるということであろうと思います。
 私たちは与えられた状況によって心が大きく左右されるものです。あんなに、元気一杯だったトランプ大統領も、選挙で負けそうになってすっかりしょげているように見えます。

 そりゃ、しょげてしまうよね。それはそうだろうと思いますけれど、でも、神の祝福で満たされるために必要なことは、状況によらず、です。ヨハネの手紙にはこうあります。「何事でも神の御心に適うことをわたしたちが願うなら、神は聞き入れてくださる。これが神に対する私たちの確信です。」
 神は私たちの願いを聞き入れて下さる。そういう確信を持っているというのです。

 ただし条件が一つだけあります。「神の御心に適うなら」です。私たちは神様、どうぞ四角をお願いしますと祈る、でも、与えられたのは三角だった。神様、私は四角を願いました。どうして三角ですか、と思う事もあるでしょう。でも、状況によらず、あ~そうか、神様は、私には三角の方が良いのだと示して下さったんだなぁ、そのようにして神を賛美する時、与えられた三角がなによりも素晴らしいものとして受けとめられるのでありましょう。皆さん、状況に寄らず、神を賛美し続けることです。
 
「口を広く開けよ」その三つめは、しっかり食べることと申しました。詩編81編は、イスラエルの祭りの時に用いられた詩編と言われます。

 イスラエルには年に三回大事な祭りがありまして、それぞれイスラエルの歴史と深く関わりを持つ祭りですが、けれど、基本的には収穫感謝の祭りでもあります。収穫感謝とはこれからも食べていける、食料が確保された喜びです。まさに祝福で満たされた祭りであったでしょう。食料は命に直結し、その命を守るのは主なる神、だからあなたがたは口を広く開けなさい、私はそれを満たそうと主は告げられました。

 主イエスは、実に多くの人々と共に食事をされたと思います。時には五つのパンと二匹の魚でもって、五千人の人々と共に、時には特に社会的に差別されていたり、弱いと見なされていた人々と共に食事をされました。そのようにして町を、村を巡り歩き、御言葉を宣べ伝えられました。それは、あなたがたの一人一人もまた大切な神の子だというメッセージを携えて巡られました。口を大いに開けて、共に食事をされた、その場は神の祝福の場面であることは間違いありません。

 私たちも主なる神に対して、祈り願い、状況によらず賛美の心を持って、そして食べることによって健康が守られて過ごして参りましょう。11月の冬に向かっていこうとする時期の中で、主の恵みをしっかりと受けて、喜びに満ちたこの一週間でありますように。
 お祈りします。

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