日本キリスト教団 大塚平安教会 

教会情報や牧師のコラムをごちゃごちゃと

わたしたちの本国は天にある

2022-11-06 16:38:19 | 礼拝説教
【フィリピの信徒への手紙3章17~21節】


 11月最初の主日、召天者記念礼拝の時を迎えました。この一年、天に召された方々を偲びながら、また、これまで大塚平安教会において主イエス・キリストを知り、主イエス・キリストを受け入れ、信仰をもって歩んで来られた方々を偲びながらの礼拝となりました。
 その礼拝において、今日はフィリピの信徒への手紙を読んでいただきました。

 キリスト教は神の御子として誕生されながら、十字架刑とされた主イエスが三日の後に復活され弟子達に現れたところから始まると言うことが出来ます。
 復活された主は40日間弟子達と共におられ、その後天に昇っていかれました。しかし、それから10日後、五旬際、ペンテコステの祭りの際に、一つところに集まっていた弟子達に聖霊が降り、神の力である聖霊に励まされて力を得た弟子達が主イエス・キリストの福音宣教をスタートいたしました。

 更には、使徒パウロ。彼は主イエスの十二弟子ではなく、むしろキリスト者を迫害する側の熱心なユダヤ教徒でありましたが、復活の主イエス・キリストとの劇的な出会いにより、主から直接派遣された使徒として、信仰の歩みを生き抜いた人でありました。特にパウロはギリシャ語が流暢でありましたから、異邦人伝道に励みました。パウロによってキリスト教はアジアを越えて、初めてヨーロッパに渡りました。現代で言うところのトルコからギリシャに入ったわけです。

 そのヨーロッパの町としてパウロが最初に訪れたのがマケドニア半島の先端とも言えるフィリピの町でありました。当時のフィリピの町は、一言で言えば豊かな町であったと言われます。まず一つに近くに金鉱がありました。金が出て来るわけですから、当然多くの人々がそれを目当てに集まります。「金」を目当てに人々が集まるということは、争いが起こりやすい、ですから使徒言行録16章にも記されていますが、フィリピはローマの植民都市となっていました。つまり、ローマから多くの特に多くの軍人が移り住んだと言われます。治安維持の目的もあったと思います。町の中がローマ風に作り直され、さながら小さなローマのようであったと言われます。また、海沿いの町でしたから、海上交通や貿易も盛んで、富に恵まれ、軍事的にも堅固、多くの人々が住んでいた、それがフィリピの町でありました。
 そこにパウロと弟子のテモテの二人が主イエス・キリストの福音宣教の為に入っていったわけでありました。
 
パウロは福音伝道を行う場合、町に到着しますと最初はユダヤ教の会堂に行って、そこで宣教活動を行う場合が多いのですが、不思議な事にフィリピには会堂がありませんでした。会堂が無いというよりユダヤ教の礼拝が行われていませんでした。礼拝を行うためには、ユダヤ教を信じる成人男子10人以上が必要とされていましたから、人数が集まらなかったのかもしれません。
 けれど、そのような場合は、川岸に祈りの場があると知っていたのでしょう。パウロはその祈りの場からリディアという一人の女性を導き、その家族を導き、フィリピの町に対する伝道が始まったわけです。
以来、フィリピの町での伝道活動は割合と上手くいったようです。後になってもフィリピ教会はパウロを支援し続けました。最もパウロを支えた教会の一つと言っても良いでしょう。
 
この手紙が記されたのは紀元60年から61年頃と言われます。パウロは主イエス・キリストの福音伝道旅行を三度行っていますけれど、その目的は二つありました。一つは主イエスの福音を世界中に広めること、二つ目はその目的が成功した場合、エルサレム教会の為に献金を集めてくること、この二つです。エルサレム教会は本拠地でありながら、エルサレムはユダヤ教の本拠地でもありますから、小さく貧しい教会だったと言われます。その教会の働きを支えるという目的もあったわけです。
 
 時が満ちたと感じて、伝道旅行に区切りをつけて、集めた献金を携えてエルサレムに戻ります。しかし、そこに待ち構えていたのは、もとの仲間であったところのユダヤ教徒でした。彼らはパウロに対して憎しみも倍増し、パウロを狙いまわしていました。パウロは捕らえられ、大きな騒動になります。
その時、ローマの兵隊が間に入って事態を収拾しようとして、パウロを鞭打ちの形にしようとします。けれどパウロはその際に「ローマ帝国の市民権を持っている者を、裁判にかけずに鞭で打っても良いのですか。」と告げます。この言葉は非常に効果がありました。驚いたローマの百人隊長が、急いで千人隊長のところへ行って「どうしますか、あの男はローマ帝国の市民です。」と話しました。千人隊長も驚いて、鞭打ちはせずに事情聴衆となるのですが、事態は解決せず裁判のためにパウロはローマへと移送されることになりました。
 そのローマの獄中でフィリピの教会の人々に向けられた手紙が「フィリピの信徒への手紙」です。ですから獄中書簡とも言われます。

 けれど、その内容は、獄につながれたパウロが、しくじったとか、辛いから助けてくれ、ここから出られるように取り計らってくれという内容ではなくて、この手紙の特徴は、一言で言えば「喜びの書簡」と呼ばれています。
 
 フィリピ書2章17節にはこう記されています。「信仰に基づいてあなたがたがいけにえを献げ、礼拝を行う際に、たとえわたしの血が注がれるとしても、わたしは喜びます。あなたがた一同と共に喜びます。同様に、あなたがたも喜びなさい。わたしと一緒に喜びなさい。」
 フィリピ書は全部で4章から構成されています。パウロの手紙の中では長い手紙ではありません。長い手紙ではありませんが、喜びに関係する言葉は19回使用されているそうです。

 獄につながれていて、「わたしの血が注がれる」とは死刑とされるという意味でしょう。それでもわたしは喜ぶというのです。だからあなたがたも喜びなさいというのです。それがパウロの信仰の表し方でありましょう。
 イエス・キリストを信じる信仰とは「喜び」を生きる事だとパウロは伝えます。

 今日9時から子どもの教会ファミリー礼拝が行われました。そこで読まれたのは、ローマの信徒への手紙8章26節という箇所でした。この手紙もパウロが記した手紙ですが、そこにはこう記されています。
「同様に、“霊”も弱いわたしたちを助けてくださいます。わたしたちはどう祈るべきかをしりませんが、“霊”自らが、言葉に表せないうめきをもって執り成してくださるからです。」
 この御言葉は、祈りの大切さを教えると共に、自分達は完全な祈りを祈ることは出来ない、むしろ「うめく」ようなものだと告げています。しかし、聖霊なる神がその祈りを執り成して、つまり、間に入って下さって、私たちの願い、思いを神様に伝えてくださるという意味を持つ御言葉です。
うめくとは言葉にならないという意味です。例えば女性が子どもを出産する。私は我が子の出産にも立ち会いましたが、母親はうめくしかありませんよ。
理路整然と話なんか出来ません。それがうめきです。うめきは体のうめきもあるでしょうし、心のうめきもあるでしょう。自分の人生を振り返ってみて、自分はうめくようなことは一度もなかったなと思える人は幸いですけれど、確信を持って言いますが、恐らくこの場には一人もおられないと思います。
 特にこの召天者記念礼拝において、多くの方々がご家族の死を体験しています。その死に対してどれほどの「うめき」を感じたことかとも思います。

 あるいは、わたしたちの人生はうめきの連続だと言えるかもしれません。今日のフィリピ書を考えるなら、パウロ自身も捕らえられて、獄中にあって、うめきながら生きていると言える状況です。でも、パウロはフィリピ書では、私は「うめく」とは記しません。むしろ喜ぶと記すのです。

 それはキリストを信じる者の生き方を示しているのだと思います。地上において、キリストを信じる者は喜びながら、うめいているのです。うめきながら、なお喜んでいるのです。なぜ、喜びなのか、私たちの本国は天にあると知っているからです。

 フィリピの信徒への手紙3章17節からを読みます。「兄弟たち、皆一緒にわたしに倣う者となりなさい。また、あなたがたと同じように、わたしたちを模範として歩んでいる人々に目をむけなさい。何度も言ってきたし、今また涙ながらに言いますが、キリストの十字架に敵対して歩んでいる者が多いのです。彼らの行き着くところは滅びです。彼らは腹を神とし、恥ずべきものを誇りとし、この世のことしか考えていません。しかし、私たちの本国は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを、わたしたちは待っています。」

 19節に「彼ら」とあります。彼らの行き着くところは滅びであり、腹を神とし、恥ずべきものを誇りとしているとあります。彼らとはフィリピの町の人々のことです。町の人たちは、腹を神としていると言うのです。腹とは富を意味します。フィリピの町には金鉱がありました。町は豊かでした。商売も上手くいっていました。富を神としているのです。恥ずべきものを誇りとしている。この恥ずべきものとは何かというと、ローマ市民権です。フィリピの町はローマからの移民の町でした。その多くは軍人でした。そして特別な権利を持つローマ市民権こそが彼らの誇りでした。富も財産も地位も名誉も手にして、この世を生きている人々がどれほど多かったことか。そして彼らはキリストの福音に敵対していました。
 パウロはだからこそ、「私たちの本国は天にあります。」と記したのです。キリストを信じながら、この世を生きる私たちの誇りは、私たちの本国は天にあるという誇りです。神の国にこそまことの私たちが住むべき場所がある、それこそが私たちの誇りだと告げるのです。
 
 私たちはとくに日本においては、まことに小さな信仰者の群れです。世の中を上手く生きようとすればするほどに生きづらい事も多くあります。言葉にならない「うめき」を発する事も度々です。
けれど、私たちの本国が天である以上、地上は私たちにとって天からの植民地ですよ。ましてや、この地上において、天を仰ぎつつ生き抜いていかれた信仰者の一人ひとりを覚えての礼拝を今執り行っています。私たちもその後に続いていきましょう。

 今、本国に帰り、主と共におられる方々の信仰をしっかりと受け止め、主と共に歩める「喜び」を胸に、主を見上げて生きて参りましょう。

 お祈りします。


コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 人々に囲まれてしまう主 | トップ | 永遠に生きるためのパン »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

礼拝説教」カテゴリの最新記事