日本キリスト教団 大塚平安教会 

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信仰を語り継ぐ

2020-10-13 09:36:10 | 礼拝説教
【詩編78編1~8節】
【エフェソの信徒への手紙1章3~7節】


 毎週水曜日の朝は、幼稚園の子どもたちと一緒に礼拝を守っていますが、先週の礼拝の聖書箇所が使徒言行録の20章35節「受けるよりは与える方が幸いである」と言われた言葉を思い出すように、と記したパウロの御言葉について話しました。
 
 毎週子どもたちにどのようにして話をすれば良いか頭を悩ます訳ですが、以前に聞いた話しを思い出しました。イエス様が働いておられた地域には、二つの湖がありまして一つはガリラヤ湖、もう一つは死の海と書いて死海です。
 この二つはどちらも湖ですが実際は大分違います。ガリラヤ湖は死海の半分程の大きさですけれど、山からの水が川となって注がれます。注がれながら湖となり、それが溢れて更にヨルダン川となり死海へと注がれていきます。ヨルダン川以外にも違う地域に向かう川などがあるかもしれません。いわゆる一般的な湖と言っていいでしょう。

 ガリラヤ湖の湖畔は、豊かな水がありますから、大勢の人々が住んで生活を営み、湖では漁を行い、魚をとり、カニやエビ等もいたことでしょう。水があるところには畑もあり、穀物、野菜を育てることが出来たでしょう。
更には水によって緑が茂り、牧草が育ち、羊、山羊、牛とった家畜を飼っていたことでしょう。水がある場所はどれ程幸いかと思います。

 一方、死海はどうか、湖の名前が既に死の海ですが、死海は塩分が濃い湖です。直接行って来た方もおられると思いますけれど、塩分が濃いのはなぜか、ガリラヤ湖のように、出て行く川が無いからです。注ぎ込まれるだけで出て行かない、その理由は死海の海抜がマイナス430m、海よりも低い場所で水の出口がありません。ただ溜まる一方で、水が蒸発するだけ、蒸発するだけの湖ではいつの間にか塩分が海水の8倍程の濃度となり、飲むことも危険なようです。 
生物も殆どいない、つまり、その湖の周囲に人は集まりません。水があっても生活が出来ない、多くの植物も育ちません。現在の写真を見てみましても、植物らしいものは殆ど見当たりませんでした。

 子どもたちにはボードで絵を描きながら、だからガリラヤ湖のように、湖の水が川となって出て行くことがとても大切だと思いますよ。受けるだけでなく、与えることも大切ですよと話しをしました。どこまで分かって貰えたのか、分かりませんが、なんとなく理解してくれたことを願います。
 
 受けるよりは、与える方が幸い、皆さん、この御言葉は主イエスがそう教えられた御言葉だと聖書にあります。福音書には記載されていませんが、しかし、良く知られていた主イエスの御言葉だっただろうと言われています。
 
 今日の説教題を「信仰を語り継ぐ」としました。神から受けた恵、その恵をどのように理解するのか、また理解するだけでなく、どのように語り継いでいくのか、ガリラヤ湖のように、新しい川となって流れていく、生きる信仰となるために、どのような信仰を示そうとするのか、私たちに与えられている一つの課題だと思います。

 神の祝福を語り継いでいく、それほど容易ではないかもしれません。

 先ほど詩編78編を読みました。この詩編は長い詩編で、119編の次に長い詩編です。なぜ長いのか、イスラエルの歴史が記されているからです。
 特に出エジプトの出来事からカナンの土地へと導かれて行った出来事を中心にして、最後にはダビデ王朝に至るまでが記されていますから長くなるのも当然です。  

 この詩編の作者は、ダビデ王朝以降、更に国が二つに分かれた後のことも触れていますから、そのような出来事を良く知った者が記したと思われます。その内容をここで詳しく述べる暇はありませんけれど、しかし1節から8節がこの詩編を知るそうとした意図が記されている大切な個所でもあります。

 4節には「子孫に隠さず、後の世代に語り継ごう 主への賛美、主の御力を 主が成し遂げられた驚くべき御業を」とあります。8節にはこうあります。「先祖のように頑な反抗の世代とならないように、心が確かに定まらない世代、神に不忠実な例の世代とならないほうに。」
 この御言葉からも分かりますように、この詩編は神の恵みを書き記すだけでなく、培ってきた歴史の中で、イスラエルの民がどれほど神に反抗し、時には文句を言い、時には異教の神を拝む、そのようなことを繰り返してきたのか、しかし、それにも関わらず、主は諦めずに、忍耐を持ってイスラエルの人々を支えて来たのか、隠すことなく書き記そうとした思いが伝わる詩編となっています。

 この詩編を読む、次の世代の方々よ、どうか、私たちの歴史を知り、先祖の罪を自分の罪として受けとめ、神の祝福を生きていって欲しいと願いながら記されたのだと思うのです。
 
 今、先祖の罪を自分の罪とすると申し上げましたが、詩編78編の主題の一つは、先祖が犯した罪を記し、読み聞かせることにあります。
なぜそれが大切なのか、読むあなたがたよ、あなたがたにその罪を繰り返して欲しくないからだという思いでしょう。歴史は繰り返すと言われますが、なぜ歴史を学ぶ必要があるのか、繰り返さない為です。あるいは戻らない為です。
川の水が湖となって、また新たな川がそこから流れ出るように、そうでなければ湖が湖として生きてこないように、あなたがたよ、ただ受け取るだけでなく、川の流れのように、確かな信仰を培っていって欲しい、そう思いながら記したのではないでしょうか。
 
 私の手元に「語り継ぐ信仰」という本があります。1957年に大阪の教会で始まった朝の祈りの会が成長しまして、朝祷会全国連合会という組織になりました。その朝祷会に集っている方々の何人かが証し集としてまとめられて5年前に出版されました。
 その中に野口和子さんという方が記している文章を紹介したいと思いますが、こう記されてあります。

 「私は高校時代に、父から「共産主義社会の実現が、人類の最終目標で、そのために献身することが最高の生き方なのだ」と聞かされました。それ以来、私も共産主義に関する本を読み始め、学習会にも出席するようになりました。 
 しかし2年目頃から具体的な政治活動に巻き込まれて行くと、あっけなく脱落しました。しかもそういう弱い自分が許せなかったのです。
 病院勤務医だった父はそのような政治活動に熱中し、それを冷ややかに見る母や私の兄をなじりました。兄はうさ晴らしに私や弟をいじめるという具体で、家族関係はまさに冷戦状態でした。父は、よりよい社会の実現を願うと言いながら、その一方でなぜ家族の気持ちに鈍感でいられたのでしょうか。」
 
 このような書き出しで記されてあります。社会の平和を願って活動する人が、なぜ家庭は冷戦のような状況なのか、辛い経験として記されてありました。

 その後、野口和子さんは、成長して、結婚し、自らが子どもを育てる中で、教会と出会うのですが、共産主義者が言いそうな、「神は人が作った産物だ」と思っていたようです。けれど、自分が子育てをする中で、次第に心が溶かされて、溶かされるだけでなく徹底的な神の愛を受け止め、受洗して信仰者としていくことになった、そういう証しが、記してありました。

 なぜ、心が溶かされていったのか、一言でいえば「神の愛」を知る経験をしたからです。人は育てられたように子を育てると言われます。冷戦状態のような家庭で育ったこの方の家庭もあるいは、いつのまにそうような家庭であったかもしれません。いつの間にか、自分も同じように子どもを育てていることに気が付いたかのかもしれません。

 人は、同じ罪を繰り返します。だから主イエスを信じる者は、過去の自分に死んで、復活の主と共に新しい自分を生きなさいと言われるのです。過去のあのこと、この事を思いながら、しかし、それを繰り返さないで、川の水が流れでるように、流れ出て決して戻らないように、あなたの信仰も確かな流れにのって新しい自分を生きることに徹することです。

 神は天地創造の前から、既に私たちを愛し、神の御前で聖なる者、汚れのない者にしようと、キリストにおいてお選びになりました。

 この御言葉は、私たちの人として生きる中での罪を超えて、圧倒的な神の愛があると告げています。その愛を受け止めてこの礼拝に集っているのが私たちです。
私たちはその祝福を受けている。祝福を受け継いだのであれば、祝福をこそ与えて参りましょう。しかも説明ではなく、私たちの生き方で伝えていきたいと思います。ガリラヤ湖が生きた湖なのは、受けた水をしっかりと流し続けているからです。そのようにして私たち受けた祝福を、与える者としていきましょう。これからの世代の一人一人に語り継いでいきたいと願います。

 お祈りします。

 参考資料 「語り継ぐ信仰」 東海林昭雄編 キリスト新聞社 2015年

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