日本キリスト教団 大塚平安教会 

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信仰を持つ者の歩み

2018-12-09 15:57:57 | 礼拝説教
【詩編119編105~112節】
【エフェソの信徒への手紙4章17~24節】

「信仰を持つ者の歩み」

 月に一度か二度、日本基督教団から「教団新報」という4頁程の新聞が送られてきます。殆どがその時、その時の教団の各地で行われている働きの報告記事でありまして、先日届いた「新報」の一面は秋の教師検定試験の報告記事でありました。この秋は61名の受験者がおられて36名が合格しましたという記事が記載されていました。林間つきみ野教会に新しく来られた先生も合格と伺いました。私が試験を受けた頃は、合格率が大分高かったのですが、最近は低くなりまして、昔に受けておいて良かった(笑)と思ったりしながら見ていたのですが、次の頁を見ましたら消息という欄がありました。

 そこには牧師の異動報告等が記載されているものですから、時々気にして見ることもあるのですが、天に召された方々についても記載されていまして、その最初に船本弘毅先生の名前がありました。

 私たちの教会に今年の7月8日にこの場で礼拝説教をして頂いたことを思い起こしますけれど、その時もお体が大分厳しい状況であったと思いますけれど、それでも精一杯の働きを務められて帰っていかれました。しかし、それから40日後の8月20日に天に召されて行かれたことになります。
 
 船本先生、最後の最後まで、御自分に与えられている賜物を存分に生かしながら、キリスト教会全体のの指導的立場を担われ、素敵に生きて来られた方であったと改めて思いました。
 
 次に目に入ったのが、代々木教会で牧師をされていた藤崎三牧先生が召されたという記事ありました。藤崎先生は私が出た神学校の先輩です。親しい交わりを持って下さった先生でしたが、癌であったと先日伺いました。船本先生と同じ種類の病気だと思います。代々木教会は、1932年からの教会、戦前からの教会ですが、日本が戦争を行っていたただ中で、代々木教会で、以前鎌倉雪の下教会で牧師をされていた加藤常昭先生が中学生の時に、洗礼を受けられたという話しは良く聞く話です。
 
 以前、元気であった藤崎先生にお会いした時に、現在の代々木教会の様子を伺ったことがありましたが、中々大変だと話されておられました。少し、気になって教団年鑑を見てみましたら、昨年度礼拝出席平均は20名となっておりました。都会の教会は、開発されすぎなのか、個人の家が少なくなり、若い世代の方々は郊外に出ていきますので、都会であればあるほど大きな教会であっても、人数的には減少傾向にあると聞いています。藤崎先生は、そんな状況の中で、なんとしてもと思いながら頑張っているんだよと、話をされていた姿も同時に思い起こしました。

 けれど、更に驚いたことに、私の目に入って来た名前は、木下忠司という名前でした。57歳とありました。木下先生は学年で言えば私の二つ下の学生でしたので、学校も一緒に通い色々な話をしました。学校を卒業されてからは、岐阜の小さな教会に赴任して行かれて、その教会に20年近くおられたと思います。けれど赴任して暫くして、体も心も少し不安定になられて苦しい状況であるという話しも伺っておりましたから、どんなにか大変かと心配しておりました。それでも5年程前に、神学校に同窓会の仕事で行った時に、岐阜から木下先生が出て来ておられて、「いや~、久しぶり元気だった」と再会を喜び合いました。
 
 すっかり元気になられて、岐阜の教会を離れて、愛知県の教会に移られたのが、一年か二年前だと思います。教会、幼稚園もあり、喜びに満ちて励んでおられたそうです。けれど、体調を崩して病院で見てもらったところ、癌が見つかり、既にその時点で、厳しい状況であったのだと伺いました。
 それでも木下先生は、生きている限りは礼拝説教をすると頑張っておられ、次の週の礼拝説教も準備していたにもかかわらず、その礼拝前に召されて行かれたとのことでした。

 今日はいきなり、三名の方々が召されて行かれた話をしておりますが、船本先生、藤崎先生、木下先生、それぞれに本当に立派な生き方であったと思います。何よりも主の福音を語り続けるその姿勢に置いて、信仰のあり方において、素晴らしい生き方をされたと思います。

 それでも、私は木下先生が召されたという記事を読んで、そこで初めて知ったものですから、本当に茫然として、10分位でしょうか、暫く何も手が付かないようなそんな状態でありました。一体何がどうなったのか、事故なのか、病気なのか、色々なことが頭の中でグルグルと巡りました。

 その後、私は自分自身を取り戻すために、必要であったこと、それは、私たちは「主イエスの復活の命に生きることが出来る。そのような希望に生きることが出来る。」その信仰でありました。

 もとより、牧師は、主イエスの復活を告げ知らせる働きを担っています。船本先生も、藤崎先生も、木下先生も、皆、主イエスの十字架と復活を告げて来られた。その御言葉の通りに、私たちは、これが最後の別れではないな。私たちは主イエス・キリストと結ばれて、また、必ず復活の命を頂いて会うことが約束されているのだな。」と思い返して、心が落ち着いてまいりました。

 ペトロの手紙(1ペトロ 1章24節)の中に「草はかれ、花は散る。しかし、主の言葉は永遠に変わることはない」とあります。今は丁度夏が終わり、秋の季節です。そして次には冬がやってきます。草は枯れ、花は散る季節となります。

 けれど、どんな季節であろうと、どんな時期であろうと、どんな状況であろうと、「主の言葉は永遠に変わることはない」これが私たちの信仰ではないでしょうか。私たちが生きるにしても、死ぬにしても主の言葉は永遠に変わることがない。私たちはこの御言葉によって生きている神の民であります。

 エフェソの信徒への手紙4章を読んで頂きました、4章17節にはこう記されています。「そこで、わたしは主によって強く勧めます。もはや、異邦人と同じように歩んではなりません。彼らは愚かな考えに従って歩み、知性は暗くなり、彼らの中にある無知とその心のかたくなさの為に、神の命から遠く離れています。」

 パウロが告げる「異邦人」とは誰のことでしょうか。ユダヤ人からみたら、ギリシャ人やローマ人は異邦人と呼ばれました。私たち日本人も異邦人でしょう。けれど、ここで告げる異邦人とは、民族や人種のことを言っているのではないと思います。
 異邦人か、異邦人でないかの違いは、私たちの創り主である神、主イエスを信じるのか、信じていないのか、ということではないでしょうか。神の民として、神の命に生きるのか、神の命から遠く離れているのかによるのではないでしょうか。
 神の命から離れるとどうなるのか、「愚かな考え、知性は暗くなり、無知、かたくなさ」が出てくるというのです。中々厳しい言葉が続きます。

 けれどパウロは、だからダメだということではないのでうが、神の命から離れてしまうと、この世の、地上の評価とか、名誉とか、財産とか、それらものを第一と考えてしまい、せめて世間並にとか、それ以上にと願いながら、それらのものを手に入れるために、この世に強く関わり、この世の評価を願うことになります。

パウロはそうならないように、そのようにして歩む異邦人と同じような歩みをしてはならないと告げているのです。

 以前にも紹介しましたが、「エフェソ書を読む」という著書を記した栃木県の教会で牧会をされている石田学先生は、異邦人とは違う、信仰者としての歩み方があるのだと教えておられます。
 
 どのような歩み方なのか、あのハリウッドのスターたちが綺麗なドレスを身にまといながら、レッド・カーペットを歩み、晴れやかな笑顔で表彰会場に向かうように、私たちの歩みも、この世にあって、神の敷かれた霊的なレッド・カーペットの上をしっかりと歩むことであって、その先には主が用意された天の国の祝宴が備えられている。その天の国を目指して生きていくことだと教えておられます。

 わたしもその通りだと思います。主の信仰に生きるとはそういうことだろうとも思います。

 けれどまた、一方においては、自分には晴れやかなレッド・カーペットの上を歩んでいくなんて、とても無理という思いもあります。そんなに自分は立派ではないし、たいした者でもない。ついつい、そう思ってしまう私たちがいるかもしれません。

 先ほど、旧約聖書の詩編119編を読んで頂きましたが、この119編はとても長い詩編ですけれども、私はその中でも特に105節の御言葉が大好きです。「あなたの御言葉は、わたしの道の光、わたしの歩みを照らす灯」

 道とは私たちの人生です。私たちはいつもレッド・カーペットの上を歩いているような人生なら良いですけれど、実際のところは、やっとの思いで、とぼとぼと歩んでいるような時もあると思います。むしろそっちの方がずっと多いかもしれません。いつも元気で、祝福に満たされて、生き生きとしているなら良いですけれど、元気がない時もあり、力が出ない時もあるのです。

 それでも、どんな時でも主は私たちの歩む人生を、その足取りのその道を灯し続けて下さっているのです。それが神の私たちを照らす灯です。

 私たちの人生の、幼い時も、青年の時も、働き盛りの時も、壮年時代にもどんな時も、レッド・カーペットから外れそうになる時も、そこは違うよ、と私たちの足元を照らし、道を示して下さる。
 「私の歩みを照らす灯」この灯は、まばゆいばかり輝きではなく、提灯のような、懐中電灯のような、本当に自分の足元を照らす明るさだと言われます。しかしそのようにして、心もとない一歩、一歩を主は照らし続けて下さるのです。だから私たちは共に歩んでいける。

 船本弘毅先生は船本先生なりの、藤崎先生は藤崎先生の歩みを、木下先生もまた、木下先生にあった、それぞれの歩みをときには輝きに満ちて、しかし、時にはやっとの思いで歩まれたに違いありません。いつも輝いてばかりはいられない、けれど大切なことは、主なる神が指し示し続ける光を見つけ続けて歩まれた方々であったと思います。私たちも神の民として歩むことです。それはまた、自分の歩みの力強さに頼るのでもなく、灯の光に頼りながら、神の指し示す方向をしっかりと見つめながら、私たちなりの、歩み、速度を守りながら、息切れしないように、疲れきらないように、神様に守られて、希望を持って信仰の歩みを歩んで参りましょう。

 お祈りします。


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