日本キリスト教団 大塚平安教会 

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朝に向かって

2021-04-05 09:38:48 | 礼拝説教
【詩編105編7~11節】
【マタイによる福音書28章1~10節】


 皆さん、イースターおめでとうございます。昨年のイースターは2020年4月12日でした。この日、私達の教会は緊急事態宣言が出されてすぐの時で、会堂での礼拝を行いませんでした。
 
 今年のイースター礼拝は2年ぶりの祝いの礼拝となります。とはいえ、昨年から一年経ちましたが依然としてコロナウィルスの感染の不安は払しょくされたわけではありません。緊急事態宣言が解除されても尚、状況が改善されてきたとも言い難い社会状況です。時間を短くして、短縮された礼拝を継続しています。

 けれど、だからといって主イエス・キリストが復活された喜びが減るとか、薄くなるわけでもありません。限られた時間でも、私たちは御子イエス・キリストの復活を共々に喜び合える、それはどんなにか幸いだと思います。
 
 昨日は、大変久しぶりの出来事として大塚平安教会にて結婚式が執り行われました。以前幼稚園の先生をしておられた方の結婚式でしたから、当時の多くの教え子の皆さんや、保護者の方々も見えられて、さながら同窓会といった雰囲気もあり、お祝いの笑顔で溢れました。
コロナでなかったら集まった方全員がこの場所に集って式を挙げられたと思いますけれど、人数の制約がありますので、式の間、礼拝堂のドアの向こう側にいた方、幼稚園のホールで画像にて参加された方、色々工夫して式に臨むことになりました。
 天候も良く、穏やかで風もなく、ウエディングドレスの新婦と新郎が玄関を出て、教会の鐘のところで、皆さんと写真を撮ったり、コーラスがあったり、どの人も笑顔が絶えることはありませんでした。

 式の中で、私はヨハネによる福音書に記されているカナの婚礼の箇所を読みました。イエス様の時代、昔の結婚式ですから、祝いの時が三日も、四日も続いたのでしょう。宴会の途中にワインが尽きてしまった。困り慌てた人々は祝宴に参加していた主イエスの所に来て、「困りました」と相談したわけでした。
 そこで、イエス様は六個の水がめに水を溜めさせて、その水がめを給仕長の所へ持って行かせた。持って行く途中に、水がワインに変わって、給仕長が味見をしたところ、大変上等なワインだとわかり、普通は、良いワインを先に出すものなのに、あなたがたは隠しておいた、と言ったという、主イエスがどの奇跡にも先駆けて行った奇跡、カナの婚礼の奇跡の話を読みました。それから、お二人には、水がワインに変わる意味は、今が一番幸せという訳ではなく、今、始まったばかりですよ。これから水がワインに変わるように、益々幸せになりますよ。1年後、10年後、20年後、結婚生活が益々祝福されますよ、そのことを忘れないように過ごしていただきたいと話しをさせて頂きました。

 参列された皆さんも、一生懸命に聞いてくださったと思います。勿論、この場にはすでに結婚生活が長い方が圧倒的です。ですから、経験から考えても結婚生活はそれほど幸せばかりではないことを知っておられるでしょう。
 
 私もその通りだとは思います。例えば、結婚前はお互いに一万円札を崩すそうとすると言われます。互いにかっこ良いところを見せたいわけですから、デートや食事、旅行で一万円を崩しながら過ごすことをします。けれど、結婚した途端に、現実世界に戻されて、出来るだけ少ない金額でやりくりしなければなりません、つまり、出来るだけお札をコインにしないようにと工夫しながら過ごそうとするわけです。それだけでも結婚前と後では大分違います。
 
 実際、一緒に生活してみると、性格も習慣もぞれぞれの物の見方、考えた、価値観が大分違っていることに気が付いて、互いの考えがぶつかり、時にはこんなはずではと思うことが一度や二度、三度とあるものです。寝られない夜を過ごすこともあるでしょう。
 けれど、長い結婚生活を振り返る時、いつの時か、あの事があったから、今、更に良い夫婦となった、更に良い関係の中で過ごしている、あの時の苦労も、今を思えば神様の祝福だったなと思えるなら、実に幸いなお二人だと思います。

 そして、このことは何も夫婦生活に限ることではなく、親子関係や、友達関係、更には信仰生活にも同様のことが言えるのではないでしょうか。

 今日読みました詩編105編7節からの箇所を読みましたが、この詩編はイスラエルの歴史を振り返りながら、特に創世記、また次の106編まで続きますが、出エジプト記までの出来事を振り返るようにして記されています。その出来事の一つ一つの上に、主なる神がどれほど、心砕いて関わりを持ってくださったか、そのようにして神に感謝をささげる内容が記されています。
 
 先ほど読みました箇所の10節、11節には、主なる神が創世記に登場するアブラハム、イサク、ヤコブとの約束、契約を心に留められ宣言された、とあります。「わたしはあなたにカナンの地を嗣業として継がせよう」。
嗣業の地とは、神様から賜る土地のことです。神の土地を継がせると、神は、アブラハム、イサク、ヤコブに対して約束された。彼らにとってそれがどれほど喜びであり、希望であり、祝福であったか、疑いの余地はありません。

 けれど創世記を丁寧に読んでいきますと、彼らは何もせずにその土地を受け取ったわけではありませんでした。というよりも、創世記に記される中で、彼らが直接自分の土地とした箇所は実際には殆どありません。
 アブラハムが妻のサラが亡くなった時に、土地の所有者に、妻を葬る土地をと願い、交渉して銀400シェケルで購入した。その土地がどれだけの価値を持っていたのかはわかりません。でも、そこだけがアブラハムの土地であり、その子イサクの土地であり、その子ヤコブの土地でありました。彼らはその他の場所では常に寄留者として過ごしました。
 寄留者として、多くの苦労があり、争いがあり、悲しみがあったと思います。けれど、主なる神は、必ずあなた方の子孫は星の数のように、海の砂のようにと言われ、彼らはそれを信じて生涯を歩み続け、信じて天に召されて行ったことを思います。
 彼らの人生を振り返ると、主なる神の約束はどうなったのかと思わされるところもあります。でも、アブハムの信仰を息子イサクが、イサクの信仰を息子ヤコブが受け継ぎ、彼らの人生の全体を通してみる時、やっぱり神様は彼らと共にいて下さったと思われ、後の世代になっても詩編に記され、歌われるほどに、アブラハム、イサク、ヤコブは信仰の先達としてイスラエルに愛され続けました。

 今日はイースターです。主イエス・キリストの復活を祝う特別な日です。主は捕らえられ、裁判にかけられ、十字架刑となりました。既にこの時、多くの弟子たちは逃げ去っていました。遠くで婦人たちがこの様子を見守っていましたが、見守る以外は何も出来なかったと思います。主イエスの死後、幸いにもアリマタヤのヨセフが、主イエスの遺体を引き取り、新しい墓に納めることが出来ました。そしてすぐ安息日となり、安息日が明けた日曜日の朝早く、マグダラのマリやともう一人のマリヤが墓を見にいったところ、そこで主の復活の出来事を体験することになります。
 
 彼女たちは実際の所、なにかしらの期待をしていたわけではないでしょう。人の死を前にして、何かを期待するほうがおかしい、それが人の思う常識です。けれど、人の常識を超えた所で、神の栄光が表されるのかもしれません。
 
 日本福音ルーテル教会の牧師で、関野和寛という牧師がいます。この先生は何が有名かというとロックンローラーの牧師として良く知られています。以前は、「心の友」などでも、記事がよく記されていました。先日、購入した本の中に、関野先生の説教が記されていて、ちょうど復活の箇所でありました。

 読みましたらロックンローラー牧師らしい過激な説教で、世の人はイースターと言っても分かっている人など殆どいない、けれど、それなら私たちは分かっているのかと問いかけていました。
 復活が分かるかと言われたら、分かりますと私たちは言えるのでしょうか。死からの勝利と言われても、私達もまた本当のところは分からないと言えるかもしれません。
 でも、だからダメなのかというと、そんなことは無いと私は思います。
 
 神の業を理解しようとしながらも、その努力をしても完全には理解できない、それが私達の姿でしょう。でもはっきり分かることが一つあるのです。
 
 それは、今、この状況でも、この状態でも、コロナ禍であろうと、教会に人が集まらない状況であろうと、人の目からみれば、疑いたくなるような状況にあっても、主なる神は私達と共にいて下さるということです。
アブラハムに、イサクに、ヤコブに共にいて下さった方は、主イエス・キリストの復活を通して私たちと共にいて下さるのです。昨日結婚された二人の上にも変わらずにいて下さいます。その神が、私達の人生の苦難、夜とも言える状況をも、後にはこれも祝福であったと言える状況に変えてくださると私たちは信じているのです。
 
 主イエスは私達の人生に、私達の生涯に、復活の主として共にいて下さいます。

 お祈りいたしましょう。

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