日本キリスト教団 大塚平安教会 

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心でわかる

2017-02-22 18:42:12 | 礼拝説教
詩編40編4節にこうあります。「わたしの口に新しい歌を、わたしたちの神への賛美を授けてくださった。人はこぞって主を仰ぎ見 主を畏れ敬い、主に依り頼む」

 新年になりまして今日が早くも第3週目の礼拝となりました。この年、私たちは、礼拝において、また私たちの人生において新しい歌を、神への賛美を歌い続けていきたいものだと思います。
 1月になり、私たち家族の所にも、多くの方々から年賀状が届きました。一枚一枚丁寧に読みながら、今年も忘れないで送って下さった方々、元気にされている懐かしい方々の賀状を読みながら、一人の方の葉書に目が止まりました。これまで何回か話をしていますのでご存じの方もおられると思いますが、岩手の花巻教会のMさんという方からの年賀状でした。

 こんな文章が記されていました。「S君の絵(私の息子です)には驚きの声を発するばかりです。もともとご家族の 皆様に芸術的な素質を備わっていますが、こちらはどんなにか励まされるか分かりません。十二月一杯肺炎で倒れました。奇跡的に生かされて二十五日退院しました。食べられるようになれば元気になるでしょう。」と書いてありました。Mさん、今年で100歳になられる方です。
 もう、この年賀状を読みまして、不思議なことに涙が溢れて止まらない。

 私がこれまでこうして牧師として働かさせて頂く中で、Mさんととお会い出来たことは神様の祝福であると心から思います。まだ新米の私の説教を聞きながら、後でこう話しかけて下さった。「先生、私の命は先生の説教にかかっているからね。先生が語る神の御言葉で私は生きるんだからね」この言葉は生涯忘れられないでしょう。どんなに緊張する思いで、聞いていたことを思います。若い牧師を励まし、力づけるだけでなく、自分はこんなに大切な働きをさせていると、感動したことを思います。 

 記されている年賀状はなにげない文面のようですが、ご自分が100歳になられるときに肺炎にかかって入院された、恐らく生きるか死ぬかという状況だったと思います。でもとても大変でしたとか、つらかったとか、苦しかったとは、もともと年賀状には、そういうことは記さないのかもしれませんが、でも三田さんは、いつでもそうなのです。自分がどうかということにはあまり関心がありません。自分が100歳であることも恐らくあまり関心ありません。菊池先生の所のあの小さかった、幼稚園児だったS君が、大きくなって上手でも、下手でも一生懸命に描いた絵を見て本当に驚いてくれて、心から良かったと思って下さって、そして、そっちの方がずっと関心があるような方なのです。
 死にそうになって入院したけれど、奇跡的と言われて肺炎も治りそうだし、これで食べられようになるなら、まだまだ神様によって生かされるでしょう。自分のことはそれだけで、回りの一人ひとりに愛を注がれる方なのです。
 
 Mさんが記された本に「再見」ヅァイジェンと読むのですが、「また会いましょう」というタイトルの著書があります。それによれば、満州の吉林という町で、昭和16年8月に24歳で結婚されました。この地でご主人と共に幸せに生きていこうと決心して満州に渡るのです。結婚式はどんなに楽しかったかその著書にも記してあります。それからいよいよ新婚生活、しかし住んでみて驚くのです。当時の満州に住んでいた日本人の態度についてこう記しました。
「この地に暮らし始めて驚いたのは日本人の態度であった。これが日ごろ、日満一徳一心を口にしている者の態度であろうか。日満協和と日々いっていながら、それは言葉の上だけで、この国の人々に対して傍若無人に振舞っては、それが指導民族の特権であるかのように威張りくさっているのである。彼らは自分達が担っている渡満の使命を、ただ利欲のための野心におきかえているように見えた。私は何とも言いようのない義憤をかんぜざるを得なかった」
もともと幼いころから教会に通い、神様の愛は誰にでも注がれると信じて疑わなかったMさんご夫妻には、その姿はどんなにか悲しい思いであったか、そしてそんな日本人にならないように生きようとされ、分け隔てなく満州に住む中国人を愛されて一緒に生活をしようと心がけたようです。

 その結果、4年後の敗戦となった時に、日本と中国の立場が全く逆転した時に、一夜にして住む家も財産もなく、今日の命さえも危うくなってしまった日本人の中で、Mさんの家族に辛い思いをさせてはならないと中国の人たちが彼らを守り、そして日本に帰ることが出来たと聞いています。

 ですから皆さん、やっぱり大切なことは、神を愛し、人を愛することです。世の中の移ろいゆく価値観にしっかりと対応していくことも大切かもしれません。でも、それによって、最終的に自分自身を失ってしまわないように気を付けなければなりません。

 苦労に苦労を重ね、Mさんは夫を満州に残して幼子を連れて帰国します。それから数年後に帰国できたご主人と共に、また一緒に人生をやり直そう、その決心した矢先、ご主人がガンであることがわかり、ご主人は40代で天に召されていくのです。しかし、そこからまた、母一人で子ども三人を一人前に育て上げていこうとする。その一つ一つの出来事が、まるでドラマと思えるような人生と人間模様がその著書にはしるされているわけですが、


 今日何を伝えたいと思って話しているのか、それは、どんな状況に生きるとしても、私たちは「わたしの口に新しい歌を、わたしたちの神への賛美を授けてくださった」その歌を歌い続けていくことが私たちの信仰のあり方ではないかと思う、ということなのです。

 私たちは、日ごとに、朝ごとに、あ~これが無かったらなとか、これさえ起らなかったらと思うような人生に別れを告げて、これがあったお陰で、こんな素晴らしい生涯を送れていると思える。病気になったことや、借金ばかりが増えた、あるいは人間関係でもう修復不可能だと思えるほどだと、自分の弱さや、みじめさを味わったあのこと、でも、そういった過去のあのこと、このこと、その古きものは去年で終わって、新しくなるのだというのです。だから新しい歌を歌えるのです。
 第2コリント書5章17節にこんな御言葉があります。「だから、キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです。古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた。」

 私たちは過去のあのこと、このことを引きずります。特に今、調子が悪い、上手くいかない、なぜ上手くいかないのか、だって昔あんな出来事があったから、と思うのです。あんな事があったから、だから仕方ない、そう言い訳するようにして過ごすのです。言い方が厳しいかもしれませんが、そこから抜け出さないのです。だって、過去はかえられませんからね。だから、無理だ。と思うのです。

 本当に無理なのでしょうか、私たちは日ごと、朝ごとですよ。主なる神は新しい歌を歌うようにと私たちを作って下さったではありませんか。
主イエスが福音伝道を開始されて、最初の奇跡を起こされたカナでの婚礼という箇所を読んで頂きました。結婚式、Mさんも著書の中で結婚式に触れられていて、それは喜びの結婚式であったとありました。もともと、ご主人となる方が結婚の約束はしているけれど、先に満州に渡っていたのです。けれど時代的にいつでも、あるいは誰にでも召集令状が届く時代でした、そのような年齢でした、だから逆にMさんは決意して、女性一人でご主人の待つ満州に向かうのです。どんなに勇気のいることであったかと思います。しかも後になって冷静に考えるとすれば結婚前よりも、結婚の後の方がずっと苦労が多かったのではないかと思います。けれど、そんな苦労話を一度も聞いたことはありません。
 
 今日と言う日を後悔しない。いつでも新しく創造された日として、喜んで生きようとする、そのように生きてこられましたし、今も、そのように生きていこうとしているように思います。

 結婚式は、人生の一つの節目でもあります。この会堂でも是非、私は結婚式を挙げてみたい、必ずあげられると思います。楽しみです。イエス様の時代の婚礼はどんなであったのか、詳しくはわかりませんけれど、当時の関係者ばかりでなく、村や町をあげてのお祝いであったに違いありません。人々が総出でお祝いの席を作り、料理を準備する。そのシンボルがワイン、葡萄酒でした。
 
 その婚礼に主イエスも出席しておられた。母のマリアもいたとなると、親戚関係とか、かなり親しい方の結婚式ではなかったと思われます。この話は中世の頃には、弟子のヨハネの結婚式となって、ヨハネは結婚式の後、花嫁を置いて主イエスに従ったことになっているそうです。その真偽はともかくとしても、お祝の途中に葡萄酒が無くなった、切れてしまったというのが今日の話でありました。

 実際、その担当の者は責任を問われるような事柄かもしれません。だから困りました。実際、困り果てました。
 恐らく用意周到に考えて、計画したでしょう。でも、計画通りにはいかなかった。

 なんとかして、皆に気が付かれないようにこの状況を解決しなければなりません。そこで母マリアと主イエスの互いだけが心で分かり合える会話の後に、水がめを六つ用意させて、そこに水を入れ、宴会の世話役に持っていかせたところ、それが葡萄酒になったというのです。

 皆さん、この奇跡は何を伝えようとしているのか、「人には出来ないけれど神には出来る」ということであろうと思います。けれど皆さん、結婚式とはあたかも人生最高の舞台、だれが何を言おうとも、結婚する二人は主人公です。集まっている皆が自分達を祝ってくれている。けれど結婚して、三日後は夢のようだなと思い起こしても、三週間後には日々の生活に追われていき、三か月後には結婚式は既に忘れ去られ、三年後には旦那は元気で留守がいい、皆さんはそうはならないと思いますが、幼稚園のお母さん方の数名からそんな話を聞いたこともあります。(笑)

 けれど皆さん、そうではありません。結婚式は何も二人の幸せのピークでもないし、むしろ始まりです。牧師はだから言うのです。「あなたは、今からのち、幸いな時も災いの時も、豊かな時も、貧しい時も、健やかな時も、病む時も、互いに愛し、互いに助け合って、生涯を送ることを約束しますか。」これまで何組もの結婚式の司式を行いましたが、どの二人も「ハイ、誓います」と話されました。(笑)だから、私が司式した結婚式の二人は、誰も別れていない、はずです。(笑)
 
 水が葡萄酒にかわる、それは今幸せが始まったのですよ。そして、その幸せ、幸いは、水が葡萄酒に変わるように、どんどん良くなっていくのですよ。世話役が「あなたは良いぶどう酒を今まで取って置かれました」と話したように、結婚式の時も良かったけれど、三日後も、三ヶ月後も、三年後も、今もどんなにか良いかと言えるようになるのですよ。それが信仰者の生き方なのだと思います。
 
 先週の1月12日、私の誕生日でした。56歳になりました。成長した子どもたちと家族と一緒に夕食をいただきながら、思わず「良い56歳だな」とつぶやきました。本当に良く生きて来たと思いますし、これからも生かされながら生きていこうと思います。皆さん、それでも、まだ、もっとその先は、もっともっと幸いが備えらえていると私は思います。
 なぜなら、その状況がどうであるのかではなく、幸いな時も、病める時も、健やかな時も、悩める時も、主なる神は私たちと共にいて、その時その時に神の最善を備えて下さるからです。
 感謝して、新しい歌をこの一週間も歌って参りましょう。

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