日本キリスト教団 大塚平安教会 

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1人の信仰者から始まる祝福

2022-11-27 12:05:22 | 礼拝説教
【ルカによる福音書1章5~25節】

 2022年、クリスマスに向けて今日からアドヴェントに入りました。この年、例年にも増して厳しい社会状況の中を過ごしていますが、私たちはこの年も神の民として礼拝に集い、御言葉を読み、祈りを献げてまいりました。アドヴェントを迎え御子イエス・キリストの誕生という神様の御計画を深く知って、希望を繋いでいきたいと考えます。

 アドヴェントの時期、ルカによる福音書から御子イエスの誕生に関わる箇所を読み続けて参りたいと考えていますが、今日は1章5節から25節を読んでいただきました。御子イエスの誕生に先立ち、バブテスマのヨハネの誕生が、父親となる祭司ザカリアに知らされた場面です。

 ヘロデ王の時代とあります。ヘロデ大王と呼ばれた人です。ローマ帝国の支配下にありながら30年以上に亘りユダヤ地域を支配した王様です。能力も高くローマに対しては上手く取り入り、民衆に対しては強い権力をもって支配した王です。人々から恐れられた王様です。けれど、時代的には比較的安定していた時期でもあり、ユダヤの人々から愛されたいという思いもあったでしょう。ヘロデは美しい神殿を建て上げました。もともとあった神殿を大きく、高く、美しく再建したのですが、壮大で巨大な神殿であったと言われます。
 
 数年前に家内と一緒に長野県の善光寺に行きましたが、生れて初めて行った善光寺は自分達が想像していたより遥かに大きく、信じられないと思う程の大きなお寺でした。お寺だけでなく、そこに関わる施設や、参道や宿屋や土産屋、その全てが自分達の想像していた以上の規模でしたから日本の仏教文化は凄いなと改めて思いましたが、大きいというのは力、権力を象徴する訳でもありますから、神殿も相当に大きかったでしょう。主イエスの弟子達が神殿を見て、驚き「イエス様、ご覧下さい。なんと素晴らしい石、なんと素晴らしい建物でしょう。」と告げた箇所があります。これまで見たことが無い程に想像を越えた素晴らしさ、大きさであったと思われます。

 大きく美しい神殿の聖所で、アビヤ組の祭司ザカリアという人が香を焚くという大仕事が与えられました。ここから御子イエスの誕生の物語がスタートすると言っても良いと思います。
ザカリアには妻エリサベトがいました。6節にこう記されています。「二人とも神の前に正しい人で、主の掟と定めをすべて守り、非のうちどころがなかった。」

 祭司とその妻、二人とも神の前に正しい人でした。大切なところは「神の前に正しい」という言葉です。聖書を読みますと、時折主イエスはファリサイ派とか、宗教的指導者たちを非難する箇所が幾つも登場します。「律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。杯や皿の外側はきれいにするが、内側は強欲と放縦で満ちているからだ。」つまり、言っていることとやっていることが違うと主イエスは批判している訳です。
 けれど、ザカリアとエリサベトはなにより神の前において正しい人でありました。それはそのまま、二人は神様に祝福される存在であったということでしょう。神様に祝福され、主の掟を守り、祭司を生業として、非の打ちどころがない程の二人であったと紹介されています。幸いな二人でした。
 けれど祝福された二人であっても、彼らには悩みがありました。二人には子どもを授かっていなかったことです。しかも、「二人とも既に年をとっていた。」とあります。彼らは、この願いは叶えられないと諦めていたのです。
 
 けれど、この設定と言いますか、与えられている状況は、聖書を知る者からすれば、例えば、旧約聖書のアブラハムとサラとの関係に似ていると気が付きますし、例えば、祭司サムエルが与えられる前の、夫エルカナ、妻のハンナにも似ていると言えますし、子どもが授からない二人に子どもが与えられる。その時大きく、神の歴史が動く前兆ではないかと予測できる場面でもあります。

 祭司としての働きは凡そ30歳から50歳の20年です。その間に、自分達の組が当番となって、エルサレムの神殿で祭司職の務めを果たす期間があるのですが、それほど長くはありません。年に2週間ほどと言われます。その2週間の中で、くじを引いて、当たった人が主の聖所に入って香を焚く役割が与えられる、これは祭司としては最高に名誉な働きであり、生涯に一度あるかないかという光栄な役割でありました。
 
 その役割がくじによってザカリアに与えられ、主の聖所に入って香を焚くことになったわけです。聖所は神殿の奥にある部屋で、更にその奥には至聖所と呼ばれる大祭司が年に一度だけ入れる部屋がありましたが、その手前の部屋で香を焚いて主に祈るのです。壮大で、巨大な神殿の奥にまで進み、祭司として、イスラエル全ての民の代表として、ただ一人で行わなければなりません。その香を焚いている間、そして滞りなく役割を果たして戻って来るまでの間、大勢の民衆が皆外で祈っているのです。ザカリアの時も皆が外で祈りました。ザカリアが滞りなく、働きがなされるようにという祈りは勿論、神への感謝、信頼、祝福、平和、そしてイスラエルの繁栄、メシアの到来を求めて人々はザカリアの祈りと心を合わせて人々は祈っていたでありましょう。
聖所で香を焚く、それはザカリアの生涯最高の場面とも言えるでしょう。同時にどれだけザカリアは緊張していたであろうかと思います。

 緊張は体を硬くし、こわばらせます。普段ならなんでもないことが出来なくなることさえあります。ザカリアもどれだけ緊張したことかと思います。それでも取り決められていた手筈通り、手順通りにザカリアは行っていたはずです。ザカリア自身が深い祈りと共に行っていたと思います。

 ザカリアの祈りは天に届きました。この時、人の歴史に神の業が介入されました。11節「すると、主の天使が現れ、香壇の右に立った。」と記されました。「ザカリアはそれを見て不安になり、恐怖の念に襲われた。」とあります。

 最も、緊張している場面で天の使いが現れた。これは驚きます。どんな場面であったとしても天の使いが現れたとしたら、それは腰を抜かすほどの驚きでしょう。でもこの場面は、驚きを越えて、「不安と恐怖」がザカリアを包みこみました。
 
 旧約聖書レビ記10章を開いてみましょう。(旧約175頁)1節、2節「アロンの子のナダブとアビブはそれぞれ香炉を取って炭火を入れ、その上に香を焚いて主の御前にささげたが、それは、主の命じられたものではない、規定に反した炭火であった。すると、主の御前から火が出て二人を焼き、彼らは主の御前で死んだ。」
 
 アロンはモーセのお兄さんで、イスラエルの大祭司でした。その息子の二人は、アロンの後を継いで後には大祭司になるはずの二人でした。けれど、この二人が香を焚いた時、主の命じられたものではない、規定に反した炭火を使用したために、火が出て二人は死んでしまうのです。
 この出来事は、のちに伝承となり、規定に反することをすると祭司は死なねばならない、その際には主の使いが現れて、香壇の右に立つと言われていたそうです。そうなったら祭司は死なねばならないと言われていたそうです。緊張のピークの中で、手筈通りに行っていたはずなにに、主の使いが現れて、香壇の右に立っているわけですから、驚きというより、不安と恐怖でザカリアは気が遠くなりそうな程であったでしょう。
 そのような思いを知ってか、知らずか天使はザカリアに告げました。「恐れることはない。ザカリア、あなたの願いは聞き入れられた。あなたの妻エリサベトは男の子を産む。その子をヨハネと名付けなさい。その子はあなたにとって喜びとなり、楽しみとなる。」
 
 天の使いは、「あなたの願いは聞き入れられた」と告げました。ザカリアの願いとは一体何だったのでしょうか。勿論、ザカリアの願いは、自分達に子どもが与えられることでした。そのような願いがかなえられるというのです。ですからその子は喜びとなり、楽しみとなることでしょう。

 けれど、今、ザカリアは神殿の聖所でイスラエルを代表して香を焚き、神に祈っているのです。その時、果たして自分達に子どもをとどれだけ願うであろうかとも思う。先ほど、ザカリアと共に大勢の民衆が皆外で祈っていると申し上げました。ザカリアと大勢の民衆の祈りは一つなのです。それは、なによりも、メシア救い主の到来への祈りではなかったかと思います。
今、その願いがかなえられる時が来た、そういう喜びのメッセージを伝えに私はやって来た、だからあなたは恐れることは無いと天の使いがザカリアに告げたのです。
ヨハネとは「神は恵み深い」という意味があります。恵み深い神がザカリアとエリサベトを用いて神様の御計画を示されたのです。
救い主の到来を告げ知らせる先駆者としてのヨハネを、ザカリアよ、あなたと、あなたの妻エリサベトの所に誕生させると告げたのです。

 ザカリアは心が混乱していました。驚きと不安と恐怖の中で未だ何が起こっているのかにわかには信じがたい状況であったと思います。信じがたい状況にあって出た言葉は「何によって、わたしはそれを知ることができるのでしょうか。わたしは老人ですし、妻も年をとっています。」
 来週の礼拝では、ザカリアのところへ現れたガブリエルが処女マリアの所にも現れて御子イエスの誕生を告げ知らせる場面を読みますが、マリアも驚きと戸惑いを見せますけれど最後はしっかりと受け止めた言葉で締めくくります。
ザカリアはガブリエルに対して、混乱しながらも、それは無理な相談だと受け答えたのです。神の御計画を聞いて、人間が無理でしょうと答えたのです。

 ガブリエルは少しムッとしたかもしれません。「わたしはガブリエル、神の前に立つ者」と自分で自分を現わし、「この喜ばしい知らせを伝えるために遣わされたのである。」と告げます。更に「あなたは口が利けなくなり、この事の起こる日まで話すことが出来なくなる。時が来れば実現する私の言葉を信じなかったからである。」と告げました。
 
 ザカリアは祭司として長い経験がありました。神様について、神の恵みについて、神の祝福について、希望について愛について、どれだけ学び、また人々に語り、そしてそのように生きて来たでしょう。「二人とも神の前に正しい人で、主の掟と定めとをすべて守って」来ていたと聖書に記されるほどに神の前に正しく生きて来た人でありました。更には、聖所で香を焚くという幸いにも恵まれ、どれほどの充実感を感じていたであろうかと思います。

 けれど、香を焚く、まさに最も神の御前に近いと思われる場において、ザカリアは天の使いの言葉を信じられなく、また受け入れられませんでした。なぜそうであったのか、ある牧師は「人は自分に経験があればあるほど、自分自身を狭めてしまうのである」と教えています。自分には分かっている、自分の経験からすると、これぐらいだろうと思うところで、いつの間にか神の祝福を狭く小さくしてしまうことをしてしまうと言うのです。
ザカリアはその罠にはまってしまいました。そして口が利けなくなりました。香を焚き、全てを終えて聖所から出た時、大勢の民衆がザカリアを待っていました。この時ザカリアにはもう一つ役割がありました。それは、待っていた民衆に対して、大きく手を挙げて祝福を告げることでした。ザカリアはそれが出来ませんでした。民衆も動揺し、何かが起こったのであろうと察したわけでありました。
しかしその後、エリサベトの妊娠が分かると共に、神のみ言葉は間違いなく実現すると確信したザカリアは口の利けない凡そ10か月、神への信仰、信頼が依り深まり、神からの愛と恵みをどんなに感じていたことでありましょう。
ヨハネが生まれた時、ザカリアの口から最初に出た言葉は、「ほめたたえよ、イスラエルの神である主を。」「ベネディクトゥス」と呼ばれる神への賛美でありました。

 わたしたちもこの年、いつものクリスマスと経験から判断するのではなく、心からの喜びと神様の偉大な御計画を今年初めて知るかのようにしてクリスマスを喜び合いましょう。御子イエス・キリストの誕生を喜び、希望を失わず、神に信頼し、過ごしていきましょう。

お祈りします。

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