日本キリスト教団 大塚平安教会 

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喜びの歌と共に刈り入れる

2021-09-26 19:18:18 | 礼拝説教
2021年9月26日(日) 聖霊降臨節第19主日  労働の意味

大塚平安教会 礼拝説教

聖書箇所  詩編126編1~6節
      ヨハネによる福音書16章16~24節

説教題 「喜びの歌と共に刈り入れる」

説 教 菊池丈博牧師

喜びの歌と共に刈り入れる



以下 原稿になります。

 今日は詩編126編を読みました。この詩編も、120編から続く「都に上る歌」とされていますが、これまでの詩編は少し状況が変わっていまして、状況はバビロン捕囚からの解放と、自分達の土地、カナンの土地への帰還が叶いそうだという内容が歌われていることが分かります。
 
 短い詩編ですが、1節、2節は、カナンの土地へ帰れると聞いて喜んだ様子。3節、4節はこれからカナンの時、具体的にはエルサレムに、巡礼の旅と言うよりは、難民が命がけの帰還ですから安全を願い、祈っている様子が記され、5節、6節は、自分達の故郷エルサレムで、「種の袋を背負い、泣きながら出て行った人は、束ねた穂を背負い、喜びの歌とうたいながら帰ってくる」であろうと、自分たちの将来に夢を見ている様子がわかります。
この詩編を読みまして、思わされたことがありました。それは、一言で言えば神を信仰する者の生き方でありました。

 今週は9月最後の主日礼ですが、私が大塚平安教会に参りまして丸11年が過ぎ、来月10月からは12年目になります。この11年を振り返り、特に辛い状況であったのは、何よりもコロナ禍に見舞われてからの1年半でありました。でありましたというより、状況が好転していく予兆がありますけれど、依然として継続中であります。

 何しろ、積極的に教会の礼拝においでくださいとお勧めが出来ません。先日も、ある女性の方が平日にやって来られて、礼拝に出席したいという思いで来られた方でしたから、是非とお勧めしましたけれど、その後、また、連絡がありまして、コロナ禍が落ち着いてからと家族に言われましたということでした。そんな状況は何も私達の教会だけで起こっているわけでもないと思いますけれど、教会からすれば伝道、宣教が困難な状況が続いていると言えるでありましょう。
でも、そういう時期こそ、私たちは改めて神を信じる者の生き方について思いを寄せてみたいと思うのです。
 
 私がこの11年の間、大塚平安教会において、何人かの方に洗礼を授け、洗礼式を執り行いました。洗礼式に臨む前に洗礼準備会を数回行いますが、そこで話す、信仰者の生き方、心構えは三つです。一つは、「過去を許すこと」、二つ目は「現在を褒めること」、三つめは「将来を励ますこと」この三つです。

 神を信じる者は過去を許し、現在を褒め、将来を励ます。この三つの生き方で信じる者として過ごしていきましょうと話します。
 
 一つ目、「過去を許すこと」詩編126編の1節、2節が丁度、その箇所になります。

 紀元前587年という年に、イスラエルは大国であったバビロンとの戦いに敗れ、国が滅び、更に生き残った人々は、バビロン捕囚。いわば捕虜として、労働者として、奴隷として、バビロンに連行されていきました。
 当初、すぐに帰れるだろうと楽観的であった人々もいたようですが、結局バビロンでの生活は50年も続くことになります。
 その時の、苦労、困難を告げた御言葉は沢山ありますが、例えば詩編22編、1節の書き出しは「わたしの神よ、わたしの神よ、なぜわたしをお見捨てになるのか。」という御言葉で始まり、7節からは「わたしは虫けら、とても人とはいえない。人間の屑、民の恥。わたしを見る人は皆、わたしを嘲笑い 唇を突き出し 頭を振る。「主に頼んで救ってもらうがよい。主が愛しておられるなら 助けてくださるだろう。」と記されています。

 預言者エレミヤが記した哀歌という箇所がありますが、バビロン捕囚の時代に作られたと言われていますけれど、どの箇所を取っても捕囚時代の苦しみが記されています。
哀歌1章18節にこうあります。「主は正しい。わたしが主の口に背いたのだ。聞け、諸国の民よ 見よ、わたしの痛みを。わたしのおとめらも、若者らも、捕らえられ、引かれて行った。」 

 ここに「主は正しい。わたしが主の国背いたのだ」とあります。

 イスラエルの民は、自分達が神のみ言葉に背き、従わなかったので、今、こうしてバビロン捕囚が起こっていると、そう思い、そう受け取っています。

 勿論、そういった一面があると思います。けれど、主が正しければ正しい程に、だから自分達に罪があった、自分達が悪い、自分のせいだと、いつも自分を責めてしまうことになります。自分を罰し、自分で自分を苦しめてしまうのです。そこに救いがありません。神の愛を知らない、キリストの救いを知らない多くの人々は、何か良くないことが起こると、自分を罪人とし、自分で自分を苦しめてしまう傾向にあると、私は思っています。

 詩編126編 1節、2節は、そのような人々に、救いをもたらす神の救いのみ言葉として書き出しました。「主がシオンの捕らわれ人を連れて帰られると聞いて わたしたちは夢を見ている人のようになった。」とあります。
このみ言葉は、具体的にはバビロンとの戦いに勝利したペルシャの王様が、「あなたがたは帰って良い」という命令を出したことによるものですが、しかし、それを神の赦しとして受けとめて詩編に記したわけでありました。

 私たちが苦しむとき、このようなコロナ禍にあって、教会だけに限らず、飲食、観光、交通、芸術、イベントといった業種の方々は、殆ど壊滅的な打撃を受け、いつ店を閉めようか、店閉めるだけでなく、首まで絞めたくなるほどに、辛い思いをしている方々多くおられると思います。
 
 自分達がもっと何かしなければならなかったのではないか、自分のせいではないかと自分を責め、自分で苦しんでいる方々本当に多いと思うのです。けれど、そこに赦しがありませんよ。そうではなく、あなたはこの中にあっても一生懸命やっているよ、だから、何も苦しむ必要がないよ、と言ってくれる方が必要なのです。
 
 神を信じる者の生き方は、主なる神こそが、過去のあの事、この事に苦しむ一人一人を赦し、あなたは主なる神の民、私はあなたに光を与え、あなたの足元に灯をともし、自分の罪に苦しまなくて良いと、完全な赦しを与えてくださる方であると知る生き方なのです。

 二つ目は「現在を褒める」です。詩編126編3節、4節の箇所となりますが、4節にこうあります。「主よ、ネゲブに川の流れを導くかのように わたしたちの捕らわれ人を連れ帰ってください。」
ネゲブという土地は荒れ野であり、砂漠であると言われます。普段は川の流れなど無い土地です。けれど、特に過去の赦しを経験した人々は、過去から解放され、今与えられている現在をしっかり見つめることが出来、このネゲブの土地でさえ、主なる神なら川をも流す力を持っておられる方だと信じることが出来るのです。主なる神は不可能を可能にされる方だと信じる力が復活してくるのです。
50年もの間、不可能としか思っていなかった。この状況がほぼ永久に続くであろうとしか思えなかった。しかし、今、主に励まされ、過去から解放されて、光与えられ、エルサエムに帰還できる。勿論、帰還までの労苦は、更に多く、更に重いものであるとしても、尚、それに耐える力を主は与えてくださるに違いない、なぜなら主こそがわたしたち捕らわれ人を連れ帰ってくださるのだからと祈っているのです。現在をしっかり生きる力を回復していることが良くわかります。


 そして三つ目、「将来を励ます」場面が5節、6節となります。「涙と共に種を蒔く人は 喜びの歌と共に刈り入れる。種の袋を背負い、泣きながら出て行った人は、束ねた穂を背負い 喜びの歌をうたいながら帰ってくる。」
昔の時代ですから、農耕器具も十分でなく、石地だらけ、水の乏しい地域に種を蒔くまでの苦労はどれ程であったかと思います。それだけに石をどけ、土を耕し、苦労して種を蒔いた者だけが知る収穫の喜びがあったと思います。
そのようにして苦労多く、困難を経験した者だけが経験できる、喜びの歌と共に刈り入れる時、束ねた穂を背負って、喜びの歌を歌いながら帰ってこられる時のように、必ず自分の将来はそうなると、そうなる前から信じられる信仰に生きる。それが将来を励ます姿なのです。過去を許されず、現在を褒めることが出来ない者が、自分の将来をはげますことは出来ません。過去を許し、現在を褒めてこそ、自分の将来を力強く励ますことが出来るのです。

 新約聖書からはヨハネによる福音書16章から読みましたが、主イエスは人々に対して告げています。「はっきり言っておく。あなたがたがわたしの名によって何かを父に願うならば、父はお与えになる。今までは、あなたがたはわたしの名によっては何も願わなかった。願いなさい。そうすれば与えられ、あなたがたは喜びで満たされる。」と教えられました。主を信頼し、願い、祈ることだと主は告げています。

 私達も祈りましょう。私達の過去の全てが許され、現在が褒められ、将来が励まされますように、捕囚の民が、解放されて、自分達の故郷へ戻っていったように、そして、また、力強くイスラエルを再建したように、困難な状況に嘆かず、将来を力強く歩んで参りましょう。神の光を見つめて参りましょう。

 お祈りします。



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