【エフェソの信徒への手紙5章8節】
今日の聖書は「光の子として歩みなさい」と書かれてあります。
私達の世界を造られた神様の一最初のみ言葉は何かというと、「光あれ」という言葉でした。「光あれ」って言ったら、「光があった」と聖書に書かれてあります。
神様は一週間かけてこの世界を造られました。一日目が「光あれ」という言葉ですね。光あれって言ったら、光があって、神様は「あ~良かった」と話して下さいました。
二日目は「水と空は分かれなさい」と言われました。そうしたら「下には海、上には大空」が出来上がりました。三日目は「水と地面とが分かれなさい」と言われたら「海と陸が出来上がりました。陸には木や植物が生えて来ました。」四日目は「昼と夜とに分かれなさい」と言われたら太陽と月が出来たとあります。そして五日目に、動物、虫や鳥もいたでしょう。生き物を造られて、六日目に人間を造って下さって、七日目に休まれた。とあります。
四日目に、神様は太陽と月を作られたとあります。そして昼は太陽、夜は月の明かりですごすことが出来るようにされました。
だからね、最初に神様が言われた言葉「光あれ」という言葉は太陽の光ではないんですね。何の光かというと神様の光です。
では、神様の光とは何でしょうか?
わたしはイエスじゃないかなって思います。イエス様は、赤ちゃんとしてイエス様が誕生される前から神様とずっと一緒だったわけですし、十字架で一度死んでしまったけれど、それから三日の後に甦られて、復活されて、弟子たちの所に姿を表わして下さってこう言われました。「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」だから、これまでも神様は私たちと一緒だったし、これからもずっと一緒でしたよっってことですね。
今日、記されている「光の子として歩みなさい」ってことは、だから、ずっとあなたがたは「イエス様の子ども」ですよ。「イエス様の子ども」として歩みなさいってことだと思います。
私達はみんなイエス様の子どもです。
さあ、イエス様の子どもってどんな子どもでしょうか。三つあります。
一つ目、「光によって全てが明るみにだされますよ」ということです。全てのことが明るみに出されるとは、簡単にいうと、ウソをつかないということです。どうしてか、ウソをついて、誰もわからないはずだと思っても、神様は全部わかっているからです。だから、ウソついて、知らんぷりしていても、いつかはウソが神様の光に照らし出されてしまって、ばれちゃいますよということです。
人に対してウソをつかないように生きること。それが、光の子としての歩みですよ。イエス様の子どもの生き方ですよということですね。とっても大切なことです。
二つ目、イエス様の子どもは、感謝することが出来るということです。有難うと言う言葉を言う事が出来るということです。私達は案外「ありがとう」って言わないかもしれませんね。
三つ目、変わらないものを信じることが出来るということです。
皆さんの家に、テレビがありますか?ありますね。先生の子どものの頃にはテレビがありました。でも白黒テレビでした。それからカラーテレビになりましたけれど、とってもでっかいテレビでした。今は凄く薄いですね。壁にかけてテレビが見られるなんてかっこいいなぁって思っていましたが、そうなりました。だからすごく変わったのです。皆さん、東京タワーって知っていますか?昔から東京で一番高いタワーでした。でも今、東京で一番高いのは東京スカイツリーですね。
皆さん、ジュウオウジャーって知っていますか、知っていますね。ニンニンジャーは、知っていますね。トッキュージャーは、知っていますね。ガオレンジャーって知っていますか?知りませんね。ジャッカー電撃体は?誰もしりません。つまり、いつも変わっていくんです。なんだかいつも変わっています。
皆さんはこの一年で一歳年を取りましたし、皆さんはこれからどんどん大きくなって、変わっていくでしょう。でも、どんなに変わっても、変わらない、それは神様の光、イエス様の愛ですよ。どうぞ忘れないで過ごしていってほしいなって思います。