日本キリスト教団 大塚平安教会 

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2021年1月17日(日)ビデオ礼拝 説教題「人生の使命を生きる」

2021-01-17 10:00:00 | 礼拝説教
2021年1月17日(日)【降誕節第4主日 最初の弟子たち】

黙 祷

招 詞 マタイによる福音書9章37~38節

「収穫は多いが、働き手が少ない。だから、収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい。」

讃 美 453番 「何ひとつ持たないで」 菊池典子姉


聖 書 

旧約聖書  詩編92編 1~4節 12節
1 いと高き神のもとに身を寄せて隠れ 全能の神の陰に宿る人よ 2 主に申し上げよ 「わたしの避けどころ、砦 わたしの神、依り頼む方」と。3 神はあなたを救い出してくださる 仕掛けられた罠から、陥れる言葉から。4 神は羽をもってあなたを覆い 翼の下にかばってくださる。神のまことは大盾、小盾。

12 彼らはあなたをその手にのせて運び 足が石に当たらないように守る。13 あなたは獅子と毒蛇を踏みにじり 獅子の子と大蛇を踏んで行く。

新約聖書 ルカによる福音書 4章 1~13節
1 さて、イエスは聖霊に満ちて、ヨルダン川からお帰りになった。そして、荒れ野の中を“霊”によって引き回され、2 四十日間、悪魔から誘惑を受けられた。その間、何も食べず、その期間が終わると空腹を覚えられた。3 そこで、悪魔はイエスに言った。「神の子なら、この石にパンになるように命じたらどうだ。」
4 イエスは、「『人はパンだけで生きるものではない』と書いてある」とお答えになった。5 更に、悪魔はイエスを高く引き上げ、一瞬のうちに世界のすべての国々を見せた。6 そして悪魔は言った。「この国々の一切の権力と繁栄とを与えよう。それはわたしに任されていて、これと思う人に与えることができるからだ。7 だから、もしわたしを拝むなら、みんなあなたのものになる。」
8 イエスはお答えになった。「『あなたの神である主を拝み、 ただ主に仕えよ』 と書いてある。」
9 そこで、悪魔はイエスをエルサレムに連れて行き、神殿の屋根の端に立たせて言った。「神の子なら、ここから飛び降りたらどうだ。10 というのは、こう書いてあるからだ。『神はあなたのために天使たちに命じて、 あなたをしっかり守らせる。』11 また、『あなたの足が石に打ち当たることのないように、 天使たちは手であなたを支える。』」12 イエスは、「『あなたの神である主を試してはならない』と言われている」とお答えになった。
13 悪魔はあらゆる誘惑を終えて、時が来るまでイエスを離れた。

説教 「人生の使命を生きる」 菊池丈博牧師


以下 原稿です。

「人生の使命を生きる」

 皆さん、おはようございます。昨年の暮れ、というよりクリスマスの朝でしたが、母親が家で転倒して、大腿骨を骨折してしまいました。そのまま救急車で病院に運ばれて手術しました。お蔭様で少しずつ元気になってきています。それで二日前の金曜日に、リハビリを集中して出来る病院に転院しますからとお知らせが来ておりました。

 ですから、準備した沢山の書類を持って、夫婦二人で朝の9時前に病院に行きました。新しい病院に行って落ち着くまでは半日はかかりますと言われておりましたから覚悟して出かけたわけです。

 それで病棟の前のナースステーションの所で待っていたのですが、急に担当の方が青い顔して飛んで来まして、今日の転院がダメになりましたと言うのです。何が何やらと思っていましたら、どうも、母親が数日前に熱を少し出したらしい、そのことを転院する先の病院に伝えていたようですが、それで急に、もう少し待ってくれないか、とさっき連絡が入ったというのです。今、どこの病院もコロナ感染がありますから、緊張してピリピリしているのだと思います。
すぐその後には、担当の医者も慌ててやって来まして、二人で一生懸命に言い訳というか、謝ってくるわけです。でも、良く考えると病院に落ち度があるとも思えませんし、今日はだめでも、また改めて仕切り直しをすれば良いわけで、そんなに謝らなくても良いのではと思いながら、それならまた来ますと、出来るだけ明るく対応して、帰宅しました。

 帰り道に、なんだか一生懸命に謝っていたね、と二人で話をしたのですが、このような緊急事態宣言という社会状況にあって、しかも、病院の中ですから、誰もが緊張し、疲れを感じ、はたから見ていても大変そうだと思いました。

 緊急事態宣言が発令されまして一週間経ちました。その間、少しでも状況が良くなってくれたらと願っていましたが、現在は緊急事態宣言が出された地域が11都府県と拡がりました。これからも更にそういう地域が増えていくのではないかと予測されます。
 コロナ感染拡大は、昨年の1月15日から始まったそうです。ですから、丁度1年過ぎました。これまでの一年間、私たちの生活はコロナに振り回されているかのようでしたし、恐らくこれからも暫くは続くものと思われます。
 終息しそうな兆候も感じられず、むしろ状況がどんどん悪くなっているように思える。病院で働いておられる方々は勿論のことですが、経済的には飲食業の方、観光業の方は壊滅的なダメージを受けておられますし、間接的には、多くの方々が、生活の危機に瀕していることは確かです。教会も他人事ではありません。集まっての礼拝、集会が行われていません。そういう意味では直接的なダメージを受けていると言えるでありましょう。

 このことは日本に限るわけではありませんが、いよいよコロナ感染がすぐ近くまで来ているという緊迫感が強くなって来ていますし、緊張や疲労、不安な生活が続いています。忍耐が求められるわけですが、こんな状況になりますと、人は「怒り」の感情が強くなって来ているのではないでしょうか。
 
 そのような怒りがどこに向けられるのかと言えば、今、テレビ、報道では政治、政府に向けられています。首相に向けられています。若者に向けられ、夜の町に向けられ、そして次には、誰にでも向けられるかもしれない。
病院に務めて、病の病を治し怪我を治して、世話をしている人たちが、ちょっとの失敗で一生懸命に謝って来る、手術失敗しましたというわけでもなく、死んでしまいましたというわけでもないのに、一生懸命に謝って来るのは、これまで何度も、人から「怒り」を受けて来ていたからでしょう。
 
 皆さん、「怒り」の正体はなんだと思いますか。なぜ人は怒るのか、そんなに難しくはありません。怒りの正体は自分が被害者だと思うからです。被害を被った、犠牲を被ったと思うと、怒るのは当然の権利だと感じるのです。
 
 親が子どもを叱る、夫婦の間での喧嘩、友達同士でも同じですが、自分が被害を受けたと思うから喧嘩になるのです。だってこんなに自分は傷ついているし、私は少しも悪くはないし、相手が悪い、しかも、それは誰がどう見るとしても、動かしがたい事実である、と思うのです。

 国民は政府に対して、例えば菅総理に対して怒っていますけれど、多分総理もまた、自分はなんでこんなに怒りを受けるのか、自分こそ被害者だと思っているかもしれません。だって、自分はこんなに頑張っているのに、国のために働いているのに、と思っていると思います。

 今日は、詩編の91編を読みました。91編3節にこうあります。「神はあなたを救い出してくださる。仕掛けられた罠から、陥れる言葉から。」
 私たちが生きている中で、時々あたかもサタンの仕業ではないかと思える程に、仕掛けられた罠があり、陥れる言葉があります。
 
 新約聖書からはルカによる福音書4章から、主イエスがサタンの誘惑を受けた場面を読みました。主イエスが荒れ野で40日間の断食をされて、悪魔の誘惑を受けました。悪魔は主イエスのもとにやって来て「神の子なら、この石にパンになるにように命じたらどうだ」と尋ねる。二つ目は「もし、私を拝むなら、この国々の一切の権力と繁栄を与えよう」と告げる。三つめは神殿の屋根の端に立たせて「飛び降りてみたらどうだ。あなたの足が石に打ち当たることのないように、天使たちは手であなたを支える」と聞いて来ました。
 
 この三つ目の誘惑が、詩編91編の御言葉に記されています。「彼らはあなたをその手にのせて運び、足が石に当たらないように守る」91編12節に記されています。
 けれど、主イエスは「『あなたの神である主を試してはならない』と言われている。」と告げて悪魔の誘惑を退けた訳でありました。

 悪魔の誘惑に仕掛けられた罠は何か、便利なのが良い、簡単が良い、財産も、権力もあった方が良い、健康が良い、何よりも生きていくのに困らないのが一番だよ、楽した方がいいに決まっている。そういう仕掛け、そういう罠、言葉ではないでしょうか。
 
 便利な生活、豊かな富、健康、私も皆欲しいと思いますけれど、でもこれらのものの特徴は一言でいうとすれば、「欲」という言葉です。人は欲を持たないと生きていけないとも言われます。確かに食欲とか睡眠欲とか、人は欲が無くなれば死んでしまうかもしれません。

 でも、欲の何がいけないのかというと、物欲とかはね、もっともっと果てしないわけで、これも厄介ですが、でも、もっと厄介なのは自分自身に対する欲望です。
 つまり、こんな自分じゃだめだ、こんな自分じゃだめだと思い続けている人、こんな自分がダメで、自分が嫌いであればある程に、それと同じ量で、人を嫌いになりますから、自分が嫌いな人は、同じ位、他人も嫌いなのです。

 更に、そういう人は、こんな自分になっているのは、親のせいとか、社会のせいとか、自分以外の誰かのせいにする傾向があるようです。つまり、自分は被害者だから怒るのは当然、となるわけです。
 
 皆さん、あたかもサタンが仕掛けたと思われる罠に、あるいは人を陥れる言葉に、躓かないことです。怒りが出るとしたら、それ誰かが仕掛けた罠かもしれない。サタンの業ではないかと用心しなければなりません。

 罠に陥らないために必要なことが、詩編91編4節に記されています。

 「神は羽をもってあなたを覆い 翼の下にかばってくださる。神のまことは大盾、子盾」。主なる神は、あたかも母鳥が雛を翼で守るように、あなたを神の翼の中に包み、暖め、時には盾となって守って下さるというのです。なぜ、守って下さるのか、あなたを誰よりも愛しているからです。あなたは誰よりも、何よりも大切だと、そういう思いを持って、神が接して下さるというのです。

 主イエス・キリストの十字架は、私たち一人一人に対して、私たちが心に持つ「怒り」に対して、怒りを引き受け、引き受けるだけでもなく、なお赦してくださった印です。主なる神は、人の欲望や怒りや、憤りをすべて引き受けて、十字架で死んでくださいました。

 そのような方を信じる私たちは、主イエスと共に十字架で死んで、更に復活の新しい命を生きる者となりました。だから、大丈夫、私たちは主なる神と共に生きていける、神の愛に包まれて生きていける、怒りを愛に変えて、私たちに与えられている使命を生きていけるのです。

 「あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている」と告げられる方が共におられるなら、大丈夫。主なる神を見つめながら、勇気を持ってこの一週間も過ごして参りましょう。

 お祈りしましょう。





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