日本キリスト教団 大塚平安教会  

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人の知恵と神の知恵

2018-09-02 14:29:51 | クリスマス
【詩編119編65~72節】
【エフェソの信徒への手紙3章10~13節】


 8月の19日には森田裕明先生に、先週8月の26日には飯泉有一神学生にそれぞれ教会の説教を担って頂きまして、私は三週間ぶりの礼拝説教となりました。この二週間少しまとまった時間がありましたので、私は明日、明後日と箱根で行われる湘北地区教師会の準備をすることが出来ました。
 
 明日「宮沢賢治とキリスト教」というタイトルでお話をさせて頂くことになっています。既に多くの皆さんがご存知のように、宮沢賢治は岩手県、花巻市出身で童話や詩といった沢山の作品を記したことで知られています。賢治がこの世に知られるようになったきっかけは「アメニモマケズ」という詩であったと言われます。

 「アメニモマケズ、カゼニモマケズ、ユキニモ、ナツノアツサニモマケズ」で始まるこの詩は、賢治が1933年 昭和8年に37歳で召されたその後、賢治の手帳に記してあるのが見つられたものと言われます。ですから作品というよりは、賢治の恐らく病の時、床に伏していた時に手帳につらつらとつづったメモのようなものであったと考えられます。
 
 その文章が賢治の弟の宮沢清六によって発表され、そのアメニモマケズの文章の中に見られる病や苦難に負けず、しかも慎ましく生きていきたいという思想が、当時、軍国主義化していく日本の世の中に受け入れられ、よく知られるようになったと言われます。しかし、敗戦後はまた、この詩は人間、宮沢賢治として、思想家として作家として再評価され受け入れられてきた、そんな変遷があるわけです。

 けれど賢治は、思想家や作家だけでは終わらず、暫く農業高校の教員をしていた時期がありましたが、生徒たちにそれこそ農業について教えながら、皆さんは農業して土を耕し、作物を作り頑張って欲しいと話しながら、自分は先生をしている。実際は本当の農業を知らない、その後ろめたさもあったのか、教員を辞めて、自分で農業を始めようとしたわけです。ですから、自分の思想を実践しようとした活動家としての側面も持っていると思います。
 しかし、もともと体が弱かったということもあり、農業はわずか2年でとん挫して、病に伏すことになります。その後幾らか回復したときもあって、幾らかの活動はするのですが、若くして結核により召されていくことになります。
 
 アメニモマケズという詩は、一体だれがモデルであったかという話題になりますと、色々な人が登場してきて、キリスト教からすれば、当時、花巻出身で内村鑑三の弟子として知られていた斎藤宗次郎がいました。斎藤宗次郎は小学校の先生をしていましたが、クリスチャンであるということで教員を追われて、新聞配達をして生活していた。賢治と宗次郎は非常に仲が良かったと言われますから、新聞配達をしていた宗次郎のことを思いながら記したのではないかと言われたり、あるいは、賢治の隣の隣の家が、救世軍の山室軍平と結婚した山室機恵子が生まれ、育った家で、賢治の家と大変親しかったと言われます。

 ですから、救世軍として花巻の駅の前で太鼓を叩いて、伝道活動に励んでいた機恵子の姿を思いながら、アメニモマケズを書いたのではないかとも言われます。どれが正しくて、どれが間違いか、実際は誰もわかりませんが、私は、斎藤宗次郎でもなく、山室機恵子でもなく、やっぱり賢治自身が自分の人生を顧みて、この詩を書いたのではないかと思っています。
 
 賢治は6歳の時に、既に結核のような病気にかかり、辛うじて一命をとりとめたものの、それ以来いつも、病気が隣り合わせでしたし、机の上で思索にふけって、アメニモマケズを書いたわけでもなく、恐らく病床の中で記されている。

 ですから、やっぱり、自分の人生を振り返りながら、自分がもっと強かったら、自分がもっと健康であったなら、もっともっと能力があったならなどと思いながら、人として少し悔しい思いを込めて記したのではないかと私は思っています。
 
 賢治はまた仏教の日蓮宗を信仰していました。私は日蓮宗がどのような教えであるのか具体的に理解しているわけではありませんが、いずれにしても宗教的な救いを求め続けていたことも間違いないでしょう。けれど仏教の教えは、恐らく生涯求め続けること、それが大切だと教えるのではないでしょうか。そういう面に関しては哲学にとても近いと感じます。確かな一つの答えが与えられるわけではなく、色々と思索を重ねながら、自分で検証していく作業です。

 人によっては、自分なりの答えを見いだす人もいるし、見いだそうとして頑張り続けられる人もいるでしょうし、あるいは、頑張るというよりはもがくことになる人もいるでしょうし、そして賢治はそういう面から考えても、むしろもがき続け、苦しみ続けて、結論から言えば自分は挫折したと感じていた。平安が少なかった人生ではなかったかと思うのです。

 どの本であったのか忘れてしまいましたが、ある哲学書に哲学と宗教の違いについて記してありまして、「哲学はどこまでも考え続けるので終わりがない、けれど、宗教はいつかの時点で、ここが自分の居場所と定めるのでそこで終わる」という文章を読んだ記憶があります。なぜ記憶していたのかというと、どことなく気に入らない文章だと思ったからで、哲学は終わらず、宗教は終わると言われると、宗教がなんとなくバカにされたように感じたのを覚えています。

 けれど、今回、改めて宮沢賢治の人生思いながら、終わる宗教でもいいんじゃないか、そして、やっぱり自分はキリスト教でよかったんだと思わされています。

 なぜ、仏教ではなくキリスト教なのか、自分がもがいて苦しんで、挫折するようにして、なお手に入るか入らないのか、あるいは修行の上に修行をして、悟りを開いて初めて平安を得て、その神髄が分かるような教えでは無いからです。
 
 人の目には圧倒的な神の恵みと祝福が示され、人の努力や知恵からではなく、ただ一方的に、無条件で、しかも無尽蔵に神の福音が告げられた。神が与えられる恵と救いに、あなたも入ることが出来ると教えて下さった方がいる。

 神様私はアメニモ負けます、カゼニモ負けます、サムサニモ、ナツノアツサニモ負けてしまいます。と愚痴るとしても「それでいい」と言って下さる方がおられる。それはそのまま私たちにとってどんなに慰めとなるのではないでしょうか。

 今日はエフェソの信徒への手紙の3章10節から読んで頂きましたが、10節をもう一度読みますとこうあります。「こうして、いろいろの働きをする神の知恵は、今や教会によって、天井の支配や権威に知らされるようになったのですが、これは、神が私たちの主イエス・キリストによって実現された永遠の計画に沿うものです。」

 少し難しい表現だと思いますが、東北学院大学で教員をされている佐藤司郎先生によれば、この言葉はとても壮大な意味があって、神の知恵が、教会を通してこの地上にも、また天井にも、すなわち神の国にも、知らされるようになったことを説明しています。神の知恵を宣べ伝える教会の働き、その宣教の業が、この地上にも神の国にも関わりを持つということです。

 佐藤司郎先生は、ドイツの神学者であるカール・バルトの研究者としても知られています。バルトは神の知恵に対抗するこの世の「主(あるじ)なき権力」という言葉を用いて四つ説明しています。一つは政治です。バルトが生きた時代は、ヒットラーが生きた時代でもありました。政治が神の思いと全く逆のことをしていると、反ヒットラーを掲げ集まったドイツ告白教会の指導者として動いていた。命がけの働きであったと思います。

 主なき権力の二つ目は「富」です。三つめは「イデオロギー」、主義主張です。

 宮沢賢治が自分の理想、そういう主張を掲げて、賢治の言葉でいえば、百姓を志し、周囲の農民を集めて、農業について、肥料のやり方、種の蒔き方などを教え、夜には勉強会、音楽会、講演会を開いていた時、共産主義的な考え方だと当時の警察から睨まれて、取り調べを受けたりしたようです。それ以降、急速に賢治は自分の思想を閉じてしまったようにも言われています。

 この世に対して、その時代に対して、対抗しうる強い信念を貫くことが出来なかったとも言えます。そういう弱さを持っていた。そのあたりは非常に人間臭い、宮沢賢治の姿だと思います。

 そして、バルトが掲げる主なき権力の四つ目が、まさに「この世」なのです。それはイデオロギーだけに限らず、この世の科学技術や医学、進歩していく社会です。人は、それらの知恵を手に入れれば入れるほどに、神の知恵を疎んじ、また、軽んじることになる。そのような政治、富、権力、イデオロギー、科学技術といった現代人が、これこそと信じる信仰とも呼べるような、人の知恵に対して教会が語るべきものは、「神の知恵」であって、それこそが主イエス・キリストによって実現された永遠の計画に沿うものだと聖書は告げています。

 その「神の知恵」は一体何をなしうるのか、それが続く12節に記されています。「わたしたちは主キリストに結ばれており、キリストに対する信仰により、確信をもって、大胆に神に近づくことが出来ます。」つまり、神の知恵によって、キリストに結ばれる、神の知恵こそが、人と人を結びつける力があるということです。

 バルトが言うように、「この世」と関わりを持つ多くの事柄、すなわち人の知恵は、残念ながら多くの場合、人と人とを分断する方向に力が向くように思います。

 過ぎて行った8月は私たちの国にとって、特別な月であり平和を考えさせられる時でもありました。これから秋に向かい、これからの私たちの一つの関心毎は、憲法改正をしようとする力が強く動くのか、そしてその意図は戦争出来る国に、名実共になろうとしているのかどうかを見極めることであるかもしれません。

 しかし、戦争のその先に平和があるわけではありません。戦争のその先にあるのは、勝者と敗者とに分断されるということです。そして勝者はいつも横暴にふるまい、敗者はいつもみじめな思いをするのです。争い毎とはそういうことでしょう。そこに平和がありますか。エフェソの2書14節には「実に、キリストはわたしたちの平和であります。」とあります。「二つのものを一つにし」とあります。この方こそ、私たちにまことの平和をもたらして下さる方であり、二つのもの、聖書では、ユダヤ人と異邦人となりますが、これまでどうしても争いが絶えなかった人と人、民と民との間を取り持って下さる方、主イエス・キリストこそが平和へと導く方である。

 そして、この方の「神の知恵」を宣べ伝える役割として教会が立てられているのだと言えるでありましょう。
 
 賢治は「世界全体の幸福がなければ、個人の幸福はあり得ない」という言葉を残しました。賢治は実際のところ、キリスト教の教えを幾度も聞いていたことも確かです。当時の盛岡教会に通い、タッピング宣教師という先生から聖書の話を幾度も聞いています。その宣教師を思いつつ、詩を作り、その詩が岩手公園の石碑ともなっています。聖書的な思想が童話の中に幾つも見ることが出来ます。聖書が伝える平和とは、誰かの不幸の上に立つ幸福ではない、そういう思いが賢治の中にもあったと私は思います。

 私たちもまた、私たちの人生にあって、人の幸せを共に喜び人の悲しみを共に悲しみ、この世の知恵からではなく、神の知恵によって、互いに励まされ力づけられながらこの一週間、この9月をともに歩んで参りましょう。
お祈りいたします。
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きいてきいて
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