日本キリスト教団 大塚平安教会  

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あなたの信仰があなたを救う

2020-01-28 09:17:47 | 礼拝説教
【詩編38編1~16節】
【ルカによる福音書17章11~19】

 先週の日曜日は私の誕生日でした。59歳となりました。いつかの礼拝でも申し上げましたが、私が卒業した小学校の同窓会が2月に行われるというお知らせが参りました。皆が60歳となる、一つの区切りの年であるから同窓会を行うというのです。私は早生まれですから59歳、といっても同級生は皆60歳という思いで今年を迎えています。
 
 実にあっという間の60年です。この教会に参りまして10年が過ぎようとしています。この10年も実にあっという間だったとしか言いようがありません。今日、午後に行われる役員会では、2020年度に向けての歩みをどうするか検討する時間もありますが、私自身にとって、この教会の宣教活動はまだ始まったばっかりという思いもありますし、これからいよいよ本番という思いもあります。

 とはいえ60歳という年齢を意識しないわけでもありません。もう年を取ったという思いは殆どありませんけれど、それでも昨年一年の中で考えていたことの一つは自分の健康です。昨年、私は説教の中でも、CTを取りに行きますとか、大腸検査をしますとか話しを致しましたが、これまで殆ど考えていませんでしたが、検査してみようと思い立ったのは健康を意識してのことでした。

 60を過ぎたらきっと鍵となるのは自分の健康、自分の体力ではないか、そう考えておりました。幼稚園がスポーツジムの会員となっていまして、時々余ったチケットを園長からいただくことがあります。そのチケットを持って月に一回、二回は通っていたのですが、いよいよ本格的に体力づくりが大切ではないか、そう思いまして自分で会員になりました。体力がついて来ますと、不思議にというか、不思議でもないのですが検査もしてみようという前向きな気持ちになります。体力が無いと検査もしたくない。(笑)それで12月は大腸検査を行ったりしたわけです。

 実は、もう一個所、皮膚科にも行きました。何年にも亘って、というより子どもの頃から頭とか足の皮膚が赤くなることがある。足はかゆみみないのですが、頭はかゆみが伴い大変辛い時があります。ですからこの症状は改善しないものかと思いまして、皮膚科に行って見ました。
 そこで相談しましたら、初めて分かったのですが、乾癬という皮膚病であると分かりました。それで今は薬を貰って、皮膚に塗ったり飲み薬を飲んだりしておりまして、いくらか落ち着いて来ている状況です。この冬が終わり春になると、暖かくなりますから、待ち遠しいと思いますけれど、同時に花粉症の季節にもなります。ご存知の方も多いのですが、私の花粉症は結構重症になってしまいます。顔や目が腫れあがる事があります。その原因もただの花粉症ではなく、乾癬という皮膚病があるので、それが悪さするのだろうということも分かりました。
 乾癬という名前が嫌なイメージですが、人には感染しない皮膚病ですから安心して下さればと思いますが、それでも完治することは無く対処療法しかないようです。

 今日読んでいただいた詩編38編も全体を読んですぐに思いましたのも、この詩を記した作者の悩みは明らかになんらかの皮膚病だったのではないかと思われます。今の時代、病院がありますから幸いですが、でも皮膚科に行くと、待合室はいつも満員です。どれだけの人が様々な悩みを持ってこられているのだろうかと思う。特に皮膚の病は他人が見て、直ぐに分かるだけに多くの人々の悩みになっているのは確実です。

 詩編が記された時代、諸説ありますけれど紀元前500年代ではないかといわれます。当時、特に皮膚病は皮膚科の医者がいるわけでもなく、また目に見える病気ですし、人から人への感染もあるのではないかと心配され、恐れられていたことは確実です。
 詩編には「わたしの肉はまともなところもありません」と記され「骨にも安らぎがありません」と記され、「負わされた傷は膿んで悪臭を放ちます」「腰はただれに覆われています。」とあります。「目の光もまた、去り」、「疫病にかかったわたしを 愛する者も友も避けて立ち わたしに近い者も、遠く離れて立ちます。」と続きます。この作者は重い皮膚病を患い、見た目にも症状が分かり、家族さえも近寄ることが出来なかったことが容易に想像出来ます。

 昨年の6月に、私たちの教会は関田寛雄先生をお招きして礼拝説教を伺うことが出来ました。関田先生は今年で92歳になられますが、現役としてまだまだ活躍されておられます。教会の掲示板にも貼ってありますが、来月の2月11日には、横浜YMCA主催で「平和を作り出す人は幸いである」というタイトルで話しをされます。関田先生がお元気である、それは学生時代に先生から直接教えられた者としてもまことに幸いな思いがいたします。昨年の6月にもこの講壇でも話しをされた中に、御自身は今、昔「らい病」と呼ばれ、隔離政策の中に置かれた方々の施設を訪問しているという話しをされました。現在はハンセン病という名前になっており、また、良い治療薬も発明されていますし、病気の詳細がわかってくると感染力も弱いと言われます。けれど、一体どれほど昔から「らい病」という病が、嫌われていたか、病を負った人々が病を患っている上に差別され、隔離され、家族には死んだ者と思えと言われ、どれほどの悲しみの中で生きなければならなったかを思います。

 関田先生はハンセン病の方が読まれた川柳を紹介して下さいました。「もういいかい 骨になっても まあだだよ」私は、当初この意味がわかりませんでした。どういう意味だろうと思っていましたが、後になって気がつきました。
ハンセン病の方は、隔離される際に、家族が差別されることを思って二度と会わないと約束したり、故郷では既に亡くなっていることになっていたりするそうです。ですから、生きて家族に会えないばかりか、故郷にも帰れない、だけでなく死んだ後、骨になっても自分の家の墓にさえ入れてもらえない、その悲しみを詠んだ川柳です。そのことを思うと、なんとも悲しくなる歌であると改めて思いました。
 
 詩編の作者もまた、ハンセン病であったのかどうか、恐らくそうだろうと言われていますが、実際のところはよくわかりません。けれどハンセン病であろうと、そうでなかろうと、重い皮膚病の状態であることは変わりなく、その病が治らなければ、社会に戻ることも、人生をやり直すことも出来ず、苦しみ悶えながら、生きるだけの日々を過ごすしかなかったと思われます。

 そのような状況が良く読み取れるだけでなく、更なる悲しさを生み出しているのは、2節に「主よ、怒って、わたしを責めないでください。憤って懲らしめないでください。」とあるように、4節に「わたしの肉はまともなところもありません。あなたが激しく憤られたからです。骨にも安らぎがありません。わたしが過ちを犯したからです」とあるように、自分のこの病は、主なる神の怒りであり憤りであると理解していたことでしょう。その怒りの原因は自分にあり、私が罪を犯し、愚かな行いをしたからこうなってしまったと、自分の内に罪がありそれ故に今がある、そのようにし理解し、納得しなければならなかった状況が読み取れます。

 悲しみの上に、更なる悲しみを抱えながらの人生でありました。それでも尚この詩編の中で僅かに残る希望、それもやはり主なる神でしかありません。16節に「主よ、わたしはなお、あなたを待ち望みます。」とあります。今日は読んでいただきませんでしたが、最後の22節、23節には「主よ、わたしを見捨てないでください。わたしの神よ、遠く離れないでください。わたしの救い、わたしの主よ すぐにわたしを助けてください」と切に願う様子も読み取れます。この詩編の作者は、既に人から見離され、人に対する絶望のようなものを感じていたでありましょう。けれど、僅かに主なる神に対して、絶望のその先にある希望を持って生きていたのではないでしょうか。それだけが、この人を生かす命の光であったと言えるのではないでしょうか。
 
 今日は新約聖書からルカによる福音書の17章からを読んでいただきました。新共同訳聖書でも出版が早い版のものは、「らい病を患っている十人をいやす」とありますが、新しい版のものは「重い皮膚病を患っている十人をいやす」と変更されています。先ほども申し上げましたように、必ずしも「らい病」と言われる病であったかどうか分かりません。しかし重い皮膚病故に隔離されていた十人の人々がいました。

 主イエスはサマリアとガリラヤの間を通られたとあります。その中のある村に入れた時に、重い皮膚病を患っている十人の人が出迎え遠くの方に立ち止まったまま、声を張り上げて「イエスさま、先生、どうか、わたしたちを憐れんでください」と願うのです。病を患い隔離されている人は、容易に人に近づくことも許されませんでした。
 
 主イエスは彼らの声を聞き届けて「祭司たちのところに行って、体を見せなさい」と言われました。皮膚病が治ったかどうかを判断するのは祭司の役割でした。重い皮膚病患者は、その罪故に皮膚病を患い罪赦された記しとして病気が癒された、汚れから解放され清くされたという宗教的判断が求められました。
 だから、主イエスはそのままあなた方は祭司の所に行って体を見せなさいと告げたのでしょう。彼らは言われた通りに祭司のところに向かいました。どこに祭司がいたのかよく分かりません、けれど必ず人々と共にいたことでしょう。この十人は主イエスの言葉に従いましたけれど、未だ病が癒されたわけではありません。少なくともこのまま祭司がいる町の中に入ったとしたら大騒動が起こるかもしれません。

 でも、主イエスの言葉を信じて向かいました。果たしてその途中で体が癒され清くされたのが分かったようです。彼らは喜んで更に元気になって祭司の所へ向かったでありましょう。
 
 けれど、ただ一人だけが主イエスのもとに戻って来たと言うのです。大声で神を賛美しながら戻り、主イエスの足元にひれ伏して感謝しました。大声で神を賛美する。ある牧師はこの大声について、メガフォンという言葉で説明しました。メガとは大きいという言葉、フォンは声です。どちらももともとギリシャ語です。大きな声でとは、メガフォンのようにと考えたら良い、なるほどと思いました。大きな声で、一人だけが戻って来ました。この人はサマリア人でした。主は「清くされたのは十人ではなかったか。ほかの九人はどこにいるのか。この外国人のほかに神を賛美するために戻って来た者はいないのか」それから、イエスはその人に言われた。「立ち上がって行きなさい。あなたの信仰があなたを救った。」

 今日の説教題をこの御言葉から取りました。「あなたの信仰があなたを救う」一体この御言葉は何を意味しているのでしょうか。主イエスの癒しの業、この奇跡、圧倒的な神の働きによって、10人全員が癒されました。癒されたのであれば、確かに祭司のもとに行って清くなったと言われることが大切でしょう。  
 
 この言葉でもって社会復帰出来、新しい人生をやり直すことも出来るでありましょう。もしかしたら、その後で主イエスのもとに行こうと考えたかもしれません。けれど、いずれにしても戻って来たのはサマリア人ただ一人でありました。なぜ彼だけが戻って来たのか、彼はサマリア人でした。後の九人はガリラヤの民であったかもしれません。ガリラヤとサマリアは隣接していながら、歴史的な経緯のなかで非常に仲の悪い関係にありました。けれど、そうはいっても、何人であろうと皮膚病になったとすれば、隔離されたとすれば互いに助け合い、支え合いながら生きていかなければなりません。同じ病を持った者として生きていたでありましょう。

 そして、十人で声を合わせて叫びました。「イエス様、どうか私たちを憐れんでください。」主はその叫びに答えられました。十人全員が癒されたのです。けれど癒されたと同時に、九人はガリラヤ人であり、一人がサマリア人であることを意識したのではないでしょうか。サマリア人がガリラヤの祭司のもとに行ってもたとえ清くなっていたとしても相手にされない可能性があるのです。神の癒しは9対1という構図になったと思われます。けれど、サマリア人は病が治っても、サマリア人である差別を感じてトボトボと一人帰っていきました。とは聖書に記されていません。

 記されているのは、この人は大声で神を賛美しながら主のもとへ帰ってきたのです。主を賛美するために主イエスのもとに帰る決断をしたともいえるでしょう。
 他の九人は主イエスのもとには帰りませんでした。この人だけが主イエスのもとに帰る信仰に生きたと言っても良いでしょう。

 皆さん、何よりも病が癒される。このような幸いに私たちも生きていきたいと願います。悩みが解決する。そのような体験を味わいたいと思います。けれど大切なことはそのことを通して、主なる神に立ち帰ることではないでしょうか。
このサマリア人のように大声で神を賛美しながら、いつも主なる神にのみ頼り生きていくことではないでしょうか。

 私たちの時代に、神よりも病院、祈りよりも薬、と思うところがあるかもしれません。私も病院はしょっちゅうです。けれど病院は神ではありません。完全ではありません。神よりもお金でしょうか。お金があれば、保釈中でもパスポートが無くても飛行機に乗れる。あのゴーンさんは「わたしにはお金がある」といった言葉を話していました。お金があるにこしたことはありませんが、しかし、それによってまことの幸いを生きられるのでしょうか。神よりも学問と考える人もいます。神よりも社会的地位を考える人もいます。

 けれど、私たちが確かに歩んで行くために、最も求められるのは神の愛です。「先生、どうかわたしたちを憐れんで下さい。」と声を張り上げて告げたその声に答えて下さったのは主イエス・キリストであったことを忘れてはなりません。そうでなければ、私たちは、与えられている状況に容易に絶望してしまかもしれません。

 状況に寄らず、人間的な思いからすれば、これはもう絶望だと思えるその先にこそ、神の光があり、神の救いがあると信じる信仰に私たちは生きていきましょう。この方のもとに立ち帰る信仰に私たちは生きていきましょう。そこにこそ私たちの幸いがあると確信をもって歩んで参りましょう。

 お祈りします。

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