日本キリスト教団 大塚平安教会 

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2021年2月14日(日)ビデオ礼拝 説教題「主を愛する人の生き方」

2021-02-14 09:30:00 | 礼拝説教
2021年2月14日(日)【降誕節第8主日  奇跡を行うキリスト】

黙  祷

招  詞 詩編104編 33~34節
 「命ある限り、わたしは主に向かって歌い 長らえる限り、わたしの神にほめ歌をうたおう。どうか、わたしの歌が御心にかなうように。わたしは主によって喜び祝う。」

讃  美 讃美歌140番 「み神のすまいは」 菊池典子姉



聖  書 

旧約聖書 詩編97編1~12節

1 主こそ王。全地よ、喜び躍れ。多くの島々よ、喜び祝え。

2 密雲と濃霧が主の周りに立ちこめ 正しい裁きが王座の基をなす。3 火は御前を進み 周りの敵を焼き滅ぼす。4 稲妻は世界を照らし出し 地はそれを見て、身もだえし5 山々は蝋のように溶ける 主の御前に、全地の主の御前に。6 天は主の正しさを告げ知らせ すべての民はその栄光を仰ぎ見る。

7 すべて、偶像に仕える者 むなしい神々を誇りとする者は恥を受ける。神々はすべて、主に向かってひれ伏す。8 シオンは聞いて喜び祝い ユダのおとめらは喜び躍る 主よ、あなたの裁きのゆえに。9 あなたは主、全地に君臨されるいと高き神。神々のすべてを超え、あがめられる神。

10 主を愛する人は悪を憎む。主の慈しみに生きる人の魂を主は守り 神に逆らう者の手から助け出してくださる。11 神に従う人のためには光を 心のまっすぐな人のためには喜びを 種蒔いてくださる。12 神に従う人よ、主にあって喜び祝え。聖なる御名に感謝をささげよ。

新約聖書 マタイによる福音書22章34~40節

34 ファリサイ派の人々は、イエスがサドカイ派の人々を言い込められたと聞いて、一緒に集まった。35 そのうちの一人、律法の専門家が、イエスを試そうとして尋ねた。36 「先生、律法の中で、どの掟が最も重要でしょうか。」37 イエスは言われた。「『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』38 これが最も重要な第一の掟である。39 第二も、これと同じように重要である。『隣人を自分のように愛しなさい。』40 律法全体と預言者は、この二つの掟に基づいている。」

説 教 「主を愛する人の生き方」




以下、原稿です。


「主を愛する人の生き方」

 皆さん、おはようございます。新型コロナウィルス感染予防の為の緊急事態宣言が3月7日まで延長となりました。毎日の感染者数は減少傾向のように感じますし、気候も徐々に暖かくなり、ウィルスが活発に動く季節も終盤のように感じます。更に、ワクチンが輸入されて、日本でもワクチンの接種がはじまろうとしています。そういう状況でなんとか早く緊急事態宣言が解除となって、感染予防しつつも、会堂での礼拝を再開できますように心から願います。
とはいえ今は、慌てずもう暫くこの状況を守りつつ、静かに過ごしていきましょう。

 今日の礼拝で読まれましたのは詩編97編です。この97編は、内容的にも主なる神を讃え、主に感謝する、先週の96編に続く詩編となります。

 紀元前500年代にイスラエルはバビロニアとの戦争に敗れ、その結果50年に亘るバビロン捕囚、捕虜として、奴隷のような生活を過ごさなければなりませんでした。その辛い50年を過ぎた位で、状況が変わりまして帰還命令が出され、やっと自分達の故郷に帰れる、自分達の場所に帰れる、人々は喜びに満ちて故郷、エルサレムに帰りそこで礼拝を献げ、神に感謝した。そのような喜びが記されているのが詩編97編となります。

 久しぶりに帰ってきた故郷、人々はどんなに嬉しかったことでしょうか。

 話は変わりますが、今、座間の病院に入院している私の母親が、認知症となって大分経ちますけれど、3月、4月までは入院となると思います。今、こういう状況ですから、お見舞いにも行けません。聞く話では、症状が大分進んできているようです。家に帰りたいというようです。けれど、私の家ではありません。自分が生まれた実家に帰りたいと言うのです。

 母親が言うところの、家には、自分が幼い頃に育った頃の様子が映し出されているようです。とうに亡くなっているおじいちゃんが元気にしている、いつも世話をしてくれていたお兄さんが一緒にいる、聞くと恐らく10歳になるか、ならないか位の頃の風景のようです。
 それ以降の、例えば自分が18歳で結婚したとか、4人の子どもを出産して育て上げたとか、お金が無くて苦労したとか、そう言ったところの殆ど全ては、忘れているか、どうでも良いのか、わからなくなっているのか、とにかく、10歳位の自分がいて、そこに帰りたいというのです。家でもずっとそう言っておりましたが、病院でも同じ話をして看護師さんを困らせているようです。

 今、教会での祈祷会もお休みしていますが、昨年暮れまで、創世記を読んでおりました。創世記の最後はいわゆるヨセフ物語りですが、兄たちの謀によって、エジプトに売られたヨセフでしたが、そこで夢を読み解く能力を発揮し、 エジプトの大臣となり、大活躍して七年間の飢饉を乗り越えます。

 家族をエジプトに呼び寄せ、そして最後は110歳で召されるのですが、召される時に、自分の亡骸は、自分の故郷である土地、主なる神がアブラハム、イサク、ヤコブに誓ったあの土地に葬って欲しいと願って召されていきます。
私はこれまで何気なく読んできましたが、ヨセフが故郷に住んだ期間は17年、エジプトには93年、でも、どうしてもエジプトが故郷にならないということを、改めて思わされました。

 ヨセフの頭の中には、幼い頃の記憶があって、元気で丈夫な父親がいて、やんちゃな兄弟がいて、じゃれあって遊んだあの場所というより、あの頃が、故郷なのだろうと思いました。だから死んだらそこにと言ったのだろうと思います。私たちが頭で感じているところの故郷とは場所もそうですが、あの時、あの頃、という時間を示しているのかもしれません。

 戦争に負け、バビロンに連行されて50年、そして解放されて帰還したイスラエルの人々はどんなに自分達の故郷に恋焦がれていたことでしょう。生きているうちに一度でいいから帰りたいと願って召された方々も少なくないと思います。
けれど、ついに願いが叶い、自分達の故郷に帰ることが出来た喜びと、そして故郷の土地に立って、これまで導いてくださった神に感謝の礼拝をささげ、「主こそ王。全地よ、喜び踊れ。多くの島々よ、喜び祝え」と声高らかに詩編97編が朗読されるのです。

 この詩編は12節までの短い詩編ですが、内容としては1節から9節までは、天地創造なる神の偉大さと、その神を讃える御言葉が綴られ、10節から少し変わりまして、神を愛する人とはどういう人か、あるいはその人の生き方はどういうことかが記さます。
 10節「主を愛する人は悪を憎む」11節「主は神に従う人の為には光を、心のまっすぐな人のためには喜びを 種まいてくださる。12節「神に従う人よ、主にあって喜び祝え。聖なる御名に感謝をささげよ。」と記されます。

 今日の説教題を「主を愛する人の生き方」としました。私たち主イエス・キリストを主とし、人生の歩みを生きる者の故郷はどこか、というと、勿論主イエスがそうだと話されるでしょう。神の恵みを受けて、神を信じ、主に従うと決めた時、洗礼を受けた時、そういった神の時、その時々に信仰の故郷、信仰の原風景があると言えるかもしれません。

 信仰生活を生きる中で、迷いを感じたり、時には疲れを覚えたり、人と人との関係の中で、生きづらさを感じるような時に、いつも戻れる所がある、新たな力をいただいてまた力強く生きていこうと決心出来るところ、そこが信仰の原風景、私たちの故郷ではないでしょうか。

 その故郷は、何も神とは何か、教会とは何か、信仰とは何か、罪となにか、と色々と複雑で、時にはよく分からない神学や哲学といった学問というよりは、もっと単純で素朴なものであるかもしれません。
今日の詩編を読む中にあっては、「主を愛し、悪を憎むこと」、「神の光と喜びを生きること」、「感謝すること」といった御言葉が単純素朴さを上手く表しています。

 主イエスは、人々に対して「主なる神を愛する事」、「隣人を愛する事」律法の中で、この二つが最も大切な教えだと話されました。大切な教えであればある程に、案外単純、明快なのかもしれません。

 神を愛し、人を愛するには、どうすれば良いのか、私たちはいつもそこで悩み、問いを立てて、集会を開き、議論します。勿論それも大事なことでしょう。

 けれど、私はこの詩編を読んで、愛することは、「喜ぶこと」だと思わされました。詩編97編の中で6回も喜びという御言葉が使われています。
 神を喜び、自分を喜べる人こそが、隣人をも喜べる人ではないでしょうか。

 先日、家で夕食を食べていた時に、「陰キャ」と「陽キャ」という言葉が出ました。若い世代では普通に使われている言葉のようですが、陰キャとは暗いキャラクター、暗い性格、陽キャとは明るいキャラクター、陽気な性格ということようです。
 菊池家は殆ど皆が、陰キャだよね、と笑って話しましたが、その時、私は「菊池家だけでなく、殆どの人が陰キャではないか、どんな時も陽気で明るいという人はそんなにはいないと思うよ」と話しましたら、なんだか皆が納得しているようでした。

 人はそうそう明るく生きていけません。子どもの頃から勉強、受験、就職、結婚で悩み、結婚しても、子育て、仕事で悩み、そして病気、老後、考えてみればいつもどこかで、思い悩み、人生は苦労の連続だと言えるかもしれません。

 それを明るく陽気に生きていける人、本当は少ないかもしれません。むしろ、一つ一つの課題に頽れそうになる、倒れそうになる、絶望しそうになる、そんな状況を生きている人のほうがずっと多いと思います。
 
 そうであるとすれば「喜ぶこと」は、自然に出来ることではありません。喜んで生きるためには、自分はそう生きるという決心が必要だと思うのです。そして、そう生きるようにと決心を促して下さり、導いてくださるのは、主なる神、主イエス・キリストです。
 主こそがあなたは神を愛し、隣人を愛せ、それはなにより「喜ぶ」ことだと、告げておられるのだと私は思います。

 コロナウィルス感染が一年以上も続く中で、多くの家庭、職場の危機が叫ばれる中でも、尚、私たちは喜んで行きましょう。そのような決心をして生きていきましょう。初めて神とふれあった喜び、洗礼を受けた日、そのような新鮮で、生き生きとした信仰の原風景を生きていきましょう。

 テレビ、報道で今見られる殆どのことは、批判と不安と不満です。自粛生活が長引く中で体調を崩している方も少なくありません。けれど、私たちは、それでも主にあって喜んで生きていきましょう。それが主なる神を愛するものの生き方であろうと思います。 お祈りしましょう。

黙  祷






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