日本キリスト教団 大塚平安教会 

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気前の良さををねたむのか

2021-08-15 16:09:28 | 礼拝説教
2021年8月15日(日)
大塚平安教会礼拝説教

聖書箇所 マタイによる福音書20章1~16節

説教題 「気前のよさをねたむのか」

説教 大矢真理牧師

気前の良さををねたむのか


以下 原稿になります。


 私は神学校へ入学する前に2つの会社に勤めました。旅行会社に10年間、生活協同組合が出資した会社で生鮮食品の仕分けをする会社に3年間勤めました。

 労働基準法第24条で「賃金は、通貨で、直接労働者に、その全額を支払わなければならない」とあり、更に「賃金は、毎月一回以上、一定の期日を定めて支払わなければならない」と法律で決まっています。

 仕事の形態は大きく分けて、2種類に分類出来ると言えます。一つは正規雇用、非正規雇用の違いはありますが、一定の期間働いて、給料として決まった金額をもらう形態。もう一つはパートタイマーです。私は2つの会社とも正規雇用で働きましたが、給料体系は全く違いました。旅行会社では、旅行業務全般をしましたが、会社との契約は「営業職」で、歩合制でした。基本給が少ないので、営業成績が悪いと、給与が手取りで8万円ぐらいの時がありましたが、営業成績が良いと、手取りで60万円ぐらいの時がありました。
 年収にすると、営業成績が良かった時は、額面で600万円ぐらいでした。ただ、営業職には時間外、残業代がなかったです。添乗員で同行する時は、1日1500円から2000円の手当がつきました。旅行業界では、概ね朝8:00から夜8:00までが添乗業務となっていましたが、24時間、添乗員として拘束されているのが、実際の状況でした。

 一方、生活協同組合関係の仕事は、基本給がある程度決まっていて、朝8:00から夕方5:00までが就業時間で、夕方5:00以降は、時間の上限がありましたが、残業代がありました。仕事の内容は、生鮮食品の管理と、パートタイマーの労務管理です。
 パート、アルバイトの経験がある方は、ご存じだと思いますが、時給があり、働けば働くほど稼ぐことができるのが、パートタイマーと考えて良いでしょう。
 会社によって、パートタイマーの規則がありますが、パートタイマーは、正規雇用、非正規雇用をとは違い、極論で言えば、決まった日に出勤する義務がなく、働きたい時に、働きたい時間を働けば良い雇用形態です。
正規雇用、非正規雇用、パートタイマーの働き方については、特に正規、非正規で同じ仕事をしているのに、給与が違ったり、福利厚生で差があったりと問題になっていることはありますが、雇用形態の違いがあっても言えることは、多くの時間を働いた人が、その対価としてそれに応じた給与をもらえる。
 
 営業職の場合は、営業成績が良ければ、それに見合った給与がもらえる。営業職がそれなりの給与を得るためには、多くの時間を費やす場合がほとんどだと言えます。

 今日の聖書箇所の見出しには「ぶどう園の労働者」とたとえとあります。

 当時のユダヤ地方の労働時間は、今で言えば、朝の6:00から夕方の6時までと言われています。労働条件は2節にあるように、「1日1デナリオン」です。現在の給与形態で言えば、1日いくらの日雇い仕事があてはまります。

 1デナリオンが今の価値でどれくらいなのか?具体的な金額は不明ですが、当時のユダヤを占領していたローマ帝国の兵隊の給料が「1日1デナリオン」で、ユダヤの人々が1デナリオンあれば、何とか家族が一日生活出来る金額だったと言われています。

 主人が最初に送った労働者は、具体的な時間が聖書には記述がありませんが、当時の風習を考えると、午前6:00から夕方6:00までの12時間労働です。3節には主人が9:00頃に広場に行って、広場にいる人たちに、20:4 『あなたたちもぶどう園に行きなさい。ふさわしい賃金を払ってやろう』と言っています。

 この時の人たちは9時間労働ですが、主人はふさわしい賃金を払ってやろうと言って、具体的にいくらかを言っていません。更に主人は12:00と午後3:00にも出かけ20:5同じようにしました。労働者とのやり取りはないですが、同じようにしたとあるので、20:4 『ふさわしい賃金を払ってやろう』と言われたのでしょう。6時間、3時間労働です。

 主人は間もなく1日の仕事が終わる午後5時にも、誰からも雇われなかった人たちにがいるのを見て、20:7『あなたたちもぶどう園に行きなさい』と言った。1時間労働です。20:4 『ふさわしい賃金を払ってやろう』とも主人からは言われていません。

 この日の労働時間が終了後、20:8ぶどう園の主人は監督に、『労働者たちを呼んで、最後に来た者から始めて、最初に来た者まで順に賃金を払ってやりなさい』と言いました。最後に来て、1時間だけ働いた人たちに、1デナリオンが支払われました。

 この時、1デナリオンを貰った人たちにすれば、寝耳に水の思いだったでしょう。午後3:00、午後12:00、午前9:00から働いた人たちの反応は聖書にはありませんが、寝耳に水に感じた人たちも、午後5時から働いた人と同じ日給なのは、ちょっと納得できないけど、まあ、1デナリオンもらえたから良しとするか。そのような思いだったのではと想像します。

 最後に朝6:00から働いた人たちが日給を貰う時が来ました。

 20:10最初に雇われた人たちが来て、もっと多くもらえるだろうと思っていた。しかし、彼らも一デナリオンずつであった。20:11それで、受け取ると、主人に不平を言った。20:12 『最後に来たこの連中は、一時間しか働きませんでした。
まる一日、暑い中を辛抱して働いたわたしたちと、この連中とを同じ扱いにするとは。』

 私が神学校に入学する前に働いていた2つ会社、給与形態を話しましたが、世の中の報酬は、多くの会社が、多くの時間を働いた人が、その対価としてそれに応じた給与をもらえると言いました。

 しかし、今日の聖書箇所は、労働時間に対する報酬と言う点から見ると、世の中で常識と考えられている事に対して反対の事が書かれています。今日の説教題は15節の聖書箇所から「気前のよさをねたむのか」にしましたが、副題をつけるなら、人間の常識は神の非常識、神の常識は人間の非常識です。本当はこちらを説教題にしたかったです。

 1デナリオンが現在の貨幣価値で具体的にいくらぐらいかは不明、と言いましたが、仮に朝6:00からぶどう園で働いた人たちの日給が1万円と主人と契約したとします。9:00、午後12:00、午後3:00、それぞれの時間から働いた人たちの20:4 『ふさわしい賃金』が、主人にとっては1万円ということになります。

 1時間しか働かなかった人々の20:4 『ふさわしい賃金』も、主人にとっては1万円と言うことになります。午後5:00に来た人達が1万円を貰った。皆さんが朝6:00から働いた人だと考えて下さい。午後5:00に来た人達が1万円貰うのを見てどう感じるでしょう?

 これは、1デナリオンにイロを付けて、主人は給与を貰えるだろうと思う方が多いのではないでしょうか。しかし、もっと貰えるだろうと思っていた人たちに支払われた賃金は1デナリオンだったのです。

 朝6:00から働いた人たちは、主人に不平を言いました。1時間しか働かなかった人たちと、丸1日暑い中を辛抱して働いた私たちと同じ扱いにするとは。世の中の常識で考えれば夜明けから働いていた人々が言った不平、1時間しか働かなかった人の賃金が1日働いた人と同じである事は確かに不公平である。夜明けから働いた人の言い分は労働時間に対して賃金を決めるのが公平だということです。

 しかし、主人は言います。20:13『友よ、あなたに不当なことはしていない。あなたはわたしと一デナリオンの約束をしたではないか。』

 イエス・キリストは天の国のたとえ話でぶどう園で働く労働者を雇った主人のことを話します。ぶどう園の主人は神様です。神様は1時間しか働かなかった人に対して、1デナリオンを支払った慈しみ、神様の愛が実践される所が天の国である。6:00から働いた人の労働時間が賃金の基準であると考え、神様の慈しみ、愛を忘れて物事を考えてしまう事が無いであろうか。

 ぶどう園の主人、神様は目に見えるもの、今日の聖書箇所の例で、労働時間を基準とせずに慈しみ、愛を基準に平等に1デナリオンの賃金を働いた労働者全てに支払いました。

 ぶどう園の主人、つまり神様はご自身のものを自由にする権利を言われます。そして更に言われています。「わたしの気前のよさをねたむのか。」イエス・キリストは救いへと導くことに、何か条件があったでしょうか。

 条件無しに、慈しみ、愛によって私達を救いへと導いて下さったのではないでしょうか。

 アメリカのD.R.A.ヘアという神学者は次のように書いた本で言っています。「全ての人々が、事実上自分達は5時頃に雇われた労働者の様なものである、と謙虚に認めなければならない。」私たちは不平を言われても仕方がない立場、赦される立場でないにも拘らず、イエス・キリストの十字架により一方的に救って頂き罪赦された、午後5:00に雇われた労働者ではないのでしょうか。



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